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2010年6月11日 (金)

クロアチアを巡る4カ国周遊の旅(1)前置きと概略日程

 2010年5月中旬から10日間、アドリア海の海洋都市と東西文化の十字路と呼ばれるクロアチア、スロベニア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、モンテネグロ4カ国を巡る初めての旅に行ってきました。

旅に出る前に、前置きとして暇人のつぶやき:
 現在の国際社会においても、異なる宗教国家間で、また同じ宗教国家内において宗派間の対立に起因する争いは絶えることがありません。そのような闘争/抗争の原因になる宗教というものは一体いつ頃から人間の大脳に住みついたのでしょうか。

人類誕生
  46億年前に地球が誕生し、およそ40億年前には生命が誕生しました。そして700万年~500万年前くらいになると、より人間に近いヒト亜科として区分される動物がアフリカに出現しました。直立二足歩行の習慣を持つ霊長類で、大脳の大きさにも変化が現れはじめていました。これらが人類の直接の祖先と目されています(人類誕生)。
 そしてそれから一直線に進化したのではありませんが、歴史的には猿人、原人、旧人、新人と四段階の進化を経て、その間には数多くの人類種が存在し、そのうちのいくつかは同時代に共存しながらも、結局のところ、枝分かれしたいくつかの人類系統のうち1つだけが、ホモ・サピエンスへ進化しました。そしてこのホモ・サピエンス(=世界中のすべての現代人の共通祖先)の故郷は、約20万年前のアフリカであるとほぼ確定されています。

ホモ・サピエンス
 このホモ・サピエンスの最も重要な特徴、すなわち「世代を超えて知識を蓄積し、祖先から受け継いできた文化を創造的に発展させていく能力」は、およそ5万年前に確立したと考えられています(→意識のビッグバン)。
 5万年前の祖先は私達現代人と基本的に同様の知的潜在能力をもっていた、ということです。そしてこの時、5万年前、人類の壮大な旅が始まりました。アフリカを出て全大陸へと拡散するフィジカルな旅と、同時に、「残酷と利他」という人間性の不思議、人間性(助け合い、闘争、所有、死者の埋葬、愛と憎しみ、畏怖、言語の起源、そして宗教etc.)進化のメンタルな旅に向かって。
 ただ残念なことには、“人間性”なる精神活動は、化石に残らず、X線写真にも写らず、また解読可能な文字記録が残る以前には、その証拠を具体的に示すことは困難です。

宗教
 さてそれでは、宗教はいつ生まれ、発展したのでしょうか。宗教が生まれた年代は言語が出現した年代と同じである、そして言語の起源は、化石人類の解剖学的喉(のど)の構造と認知能力を併せて推定すると、文法言語を駆使するようになったのはホモ・サピエンスになってからで、しかもアフリカから出る直前だったであろう、そうならば、宗教も5万年前の直前だったのではないかという、1つの説明がありました。素養のない者には知りようもなく、証拠も明らかではありませんが、一応そうだと考えましょうか。

バルカン半島
 突然ですが、バルカン半島に「7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字、1つの国」と様々な違いを象徴的に語られた「旧ユーゴスラビア」という国家がありました。
 この国は第2次世界大戦の後には、カリスマ的存在であったチトー大統領の下に、多様で雑多な社会がユーゴという1つの国にまとめられて安定が保たれていました。しかし1980年、チトーが死去し、くわえて経済状態の悪化が重なった結果、それまで続いていた独自の自主管理社会主義が行き詰まり、たちまち崩壊していきました。
 1990年代にはスロベニアの独立、マケドニア共和国独立、ボスニア紛争(民族浄化)、ボスニア・ヘルツェゴビナ独立、クロアチア戦争(独立)、コソボ内戦と、紛争の絶えることがありませんでした。そして2006年モンテネグロ共和国も独立しました。
 もともとバルカン半島の諸国は、たび重なる列強による支配、侵略、占領・分割、また宗教戦争、民族紛争、民族浄化という悲惨な内戦など、平和ボケの日本人には想像しがたい戦乱の歴史を刻んでいます。
 歴史の歯車を逆に回すことは出来ませんが、さまざまな多様性や違いを認め合い尊重することの重要さをあらためて教えられるバルカン半島諸国の苦難の近代史です。この苦難の戦史の中でも大きな比重を占めた争いの1つは宗教戦争でしょうか。
 「神」を永遠、唯一の創造者として崇め命をも捧げるという、絶対的な宗教にも信仰心にも無縁な者にはなかなか理解が難しい状況ではあります。

人間性の進化
 そして素朴な疑問ですが、大きくは終わりのない異宗教国家圏の紛争、小さなことでは権力、金、名誉という欲望、いずれも“人間性”に基づく行動でしょうが、一体全体、自ら賢いヒトと称するホモ・サピエンスは、5万年前から本当に進化しているのでしょうか。

さて、暇人の下手な考えはお終いにして:
 旅日記です

 5月中旬、クロアチアを中心に、スロベニア、モンテネグロ、ボスニア・ヘルツェゴビナの観光旅行に行ってきました。もちろん、お仕着せのツアーです。
 異なる歴史や伝統文化に接することによって非日常性を楽しむことが出来、それと同時に、国際政治、経済、社会の中で少しずつ地盤沈下している我が日本の現状を憂いながらも、あらためて日本の良さも再認識した旅でした。

 はじめに今回の旅行の概略日程地図です。(以下、画像はクリックすると拡大表示になります)Blgimg_5555vc

 
 ここから旅行日記です。

1日目(5/18木曜日):
 《成田からスロベニア/ブレッドへ》
 ルフトハンザ航空でフランクフルトへ(11時間)、そこで乗り継ぎグラーツ経由でスロベニアのブレッドへ。ホテル「クリム」泊。日本との時差は7時間。日の入りは午後8時以降で、8時過ぎまで明るいです。
 なおスロベニアは基本的に観光立国で、林業、牧畜、工業などの産業は少ない現状という。
 またこの地域はもともとヨーロッパからの観光客がほとんどで、近代の宗教戦争や民族紛争、またチトー後のユーゴ崩壊などの政治、経済、また社会的影響もあって、クロアチア周辺を含むこの地域への、日本からの団体ツアー企画は5~6年くらい前から本格的になり、まだ観光ツアーの歴史は浅いということでした。

 
2日目(5/19水曜日):
 《スロベニア/ブレッド島、聖マリア教会》
 早朝、ブレッド湖畔散策。朝食後、午前中はブレッド観光に。アルプスの瞳と呼ばれ、緑鮮やかな山に囲まれた湖、湖の小島とかわいらしい教会、崖の上の城、その背後に美しいアルプスの山、と、まさに絵はがきのように美しいメルヘンの世界が広がっていました。
 まずブレッド湖とその中に浮かぶ小島・ブレッド島に建つ教会(聖マリア教会)まで、昔ながらの手漕ぎボートで往復。環境への配慮からモーターボートの使用は禁止だそうです。
 小島の教会はスロヴェニア人あこがれの結婚式場にもなっています。鐘を鳴らすと願いが叶うといわれる「望みの鐘」が有名です。いまさら鐘など鳴らしませんでしたが。Blgnew

 《スロベニア/ブレッド城》
 その後バスで、湖畔の崖の上に聳え立つブレッド城へ。ブレッド城から眺めるブレッド湖と小島の眺望もなかなかのものでした。ブレッド湖畔はオーストリア時代には貴族の避暑地として、またチトー時代には彼の別荘があった、とてもすばらしいところでした。   
 このブレッド城は十一世紀にブリクソンの司教が建てた城で、展望台からは2,236mのストール山をはじめとするカラバンケ山脈と、天気に恵まれたおかげでスロベニア最高峰のユリアンアルプス・トリグラフ山(2,864m)を望むことが出来ました。
 また城内には十六世紀の礼拝堂が残り、ブレッド湖畔の歴史と中世の家具や武器を展示する博物館、ワインセラー、レストランなどもあり、アイスクリーム・ショップで食べたアイスクリームはとても美味しいものでした。Blgnew_2

 昼食時のワインは150円と安価で美味しかったです。昼食後バスで約103kmのポストイナへ。

 《スロベニア/ポストイナ鍾乳洞》
 着後、ヨーロッパ最大級で、全長21kmといわれるポストイナ鍾乳洞の観光です。スロヴェニア全土には5千~6千の地下空洞があり、西南部に広がる石灰石の大地のカルスト地方には特に多く、全世界で使われている「カルスト」という地質学用語も、スロヴェニアの地方名が語源になっているそうです。
 数ある地下空洞の中でも世界三番目という規模を誇るポストイナ鍾乳洞は全長約27kmだそうですが、そのうち1/5ほどが一般に公開されていると聞きました。見学ツアーは所用1時間30分で、最初の2km(約10分間)は洞内を走るトロッコ列車に乗って奥へと進みます。
 このトロッコ列車は無蓋車で、洞窟内では頭上すれすれまで鍾乳石や岩壁が迫り、時に恐怖感を覚えましたが、乗車中の注意事項で、”絶対に立ち上がらないこと、身を乗り出さないこと”とある事が良く分かりました。日本の安全基準では決して認められない構造だと思うのですが、”自己責任”のお国柄でしょうね。
 トロッコを降りるとその後のハイライト約2kmをガイドと共に歩いて見学します。内部には神秘の空間が広がっていました。所要時間約50分のコースには、スパゲティー(というよりソーメンと称した方が日本人にはぴったり)のような長細い鍾乳石が天井からたくさん下がった「スパゲティホール」、白い鍾乳石の柱が並ぶ「白の間」、赤い鍾乳石の柱の「赤の間」、地震で崩壊した洞内の修復時、ロシアの労働者で造られた「ロシア橋」、天井の高い「コンサートホール」、などがあり、また白くて美しい「ブリリアント」鍾乳石や、カーテン、仏塔、巨大なラクダそっくりの鍾乳石などが次々に出現して大自然の驚異に圧倒され、寒さを忘れて観賞しました。
 鍾乳石の成長は百年で1cmほど。洞内の古い鍾乳石には実に50万年の歳月をかけて成長したとされるものがありました。

 洞窟内に生息している「類人魚」も見ることができました。洞内生息場所から短時間、展示施設の水槽に入れられ、終われば元に戻すという管理がされているそうで、必ず見られる保証はない、ということでしたが幸い見ることができました。
 長いドジョウのような体に脚が四本という体型です。ディナル山系の地下水だけで生きる世界でも珍しい両生類で、ホライモリというイモリの仲間。
 人間のような肌色をしていることからつけられた名前だそうです。目は退化して盲目。水中でエラ呼吸をし、一年近く食べなくても生きていける、寿命は100年という傑物だそうです。
 なお鍾乳洞内はすべて撮影禁止で、外国人観光客の一部はかまわずバシバシ撮影していましたがガイドも黙認の様子。
 ”お行儀の良い日本人”はちゃんと守っていましたね。お行儀良かった私も洞内での写真はありませんが、トロッコ乗降駅ではOKで、その雰囲気が伝わりそうなショットのみです。
 (なお、下段の鍾乳洞および類人魚の写真はパンフレットから借用)Blgnew_3

 
 《クロアチア/オパティア》
 ポストイナ鍾乳洞観光後、スロベニアを後にして、バスで国境を越えクロアチアのイストラ半島アドリア海岸側の避暑地オパティアへ。オパティアは冬でも気候温暖でオーストリア=ハンガリー帝国の時代にはハプスブルク家の貴族が競ってこの地に別荘を建て、今も海岸沿いには十九世紀に建てられたヴィラが立ち並び、その多くは今もホテルとして使われています。
 着後の宿泊はそんなホテルの1つホテル「オパティア」(泊)。
 午後8時過ぎまで明るく、夕食前、オパティアの町を散策。遊歩道に沿った入り江の一角に、「鳥を持つ少女」のモニュメントが海に向かって建っていました。Photo

 ホテルに帰ってからフロントで尋ねると、特別の意味はない、という答えが返ってきたのですが・・・                                         (続く)

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