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2010年9月13日 (月)

トルコ旅行①トロイ遺跡

 8月下旬から9月上旬にかけて、イスラム国家では最も“親日的”と言われるトルコ9日間の旅に出かけてきました。(お仕着せのパッケージ・ツアーです。)

前置き:
 ①成田発の飛行機で、たまたま隣の席になった若い外国人から日本語で話しかけられました。“日本の方ですか”。“そうです”。“どこに行きますか”。“トルコです。カッパドキアなど楽しみにしています”。“カッパドキアはすばらしいです。私はトルコ人です。はじめて日本に来ました。名古屋で開催された「COP10のカンファレンス」*に参加しました。
 滞在は10日間でしたが、大変でした。室内は冷房が効いて寒く、屋外は熱帯かと思うくらい暑くて、寒い、暑い、寒い暑いの出入りの繰り返しですっかり体調を崩しました。ホームステイで日本語を少し覚えましたがとても難しいです。里山ウォーキングにも行きました。とても楽しかったです。今回は名古屋の近くだけしか行きませんでしたが、次は東京、京都、奈良などにも行ってみたいです。
 現在のトルコは政教分離の民主国家で、信教についても自由です。(→信教の自由は憲法によって保障されていて、他のイスラム教国に例を見るのと違い、国教とされてはいませんが、もちろんイスラム教徒が絶対多数の99%で、穏健なスンニー派が大多数を占めていて、他の宗教に対しても寛容です。)私はイスラム教徒ですが、お酒は飲みます。ただ今日は体調が悪く飲めません。お寿司、天ぷらは美味しかったです。サシミは食べませんでした”。
 (実際トルコ国内でも地域によってイスラムの戒律を厳しく守っている地域と、かなり自由度の高いところがあるようでしたが)。度々、咳き込みながら、覚えたての日本語の単語を一生けんめい思い出しながら話されました。日本語に詰まると、上手ではありませんと言いながら、流暢な英語で。(それはこちらが十分理解できず・・・)ともかくひどい咳き込みようで、見かねた妻がさし出した“のど飴”を、ありがとう、と言ってなめておられましたが、むろんそれではどうにもならず、とうとうスチュワーデスに頼んで薬と水を貰われ、(当方、風邪薬は持参していましたが、スーツケースに入れていたので間に合わず)機内食も摂らず、夜間には毛布をかぶって休まれた様子で、とても気の毒でした。
 イスタンブール到着後、“いろいろ教えてもらいありがとう”、と言うと、ちょっと間をおいて、“ドウイタシマシテ”、とにこやかに日本語で返されました。ささやかな親善でしたが、今後、次代を担う若い人同士の国際交流がもっと活発になって欲しいと思ったことでした。

*「生物多様性国際ユース会議in愛知2010」:平成22年8月21日(土)~27日(金)実施済み(http://www.cop10.com/event/000221.html
 今年(2010年)10月、愛知県名古屋市で開催される「生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)」の関連会議として、世界の青年の交流と生物多様性に関する意識の向上等を目指し、先に「生物多様性国際ユース会議in愛知2010」が開催されました。
 この会議には、日本を含め世界66カ国からの青年(高校生から大学院生)100名が参加し、COP10に向けたユースの宣言(ステートメント)などが作成されました。開催場所のうち、ホームステイは愛知県内一般家庭受け入れということで、一般市民との親善交流が図られ、また三重県菰野町においては、里山ウォーキングなどを通じて里山の自然体験等も行われました。

 ②「2010年トルコにおける日本年」(http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/turkey/2010/contents.html
 1890年9月、オスマン帝国の軍艦「エルトゥール号」が明治天皇を表敬した帰途に和歌山県串本町沖で遭難し、587人が犠牲になりましたが、救助された69人は地元住民の手厚い看護を受け、日本海軍の艦船でトルコに送還されました。これを機に、トルコの親日感情が深まったとされています。
 また近いところでは、1985年イラン・イラク戦争の最中、トルコ航空機による邦人救出劇は、両国の友好を象徴するエピソードとしてしばしば語られています。
 このエルトゥール号遭難の出来事から120年目にあたる今年は「トルコにおける日本年」と位置づけられ、今年9月2日には慰霊式典がトルコ南部の港湾都市メルシンで行われ、式典には、日本からも多くの関係者が参加されたようで、たまたま同宿ホテルで120年記念友好親善ツアーのワッペンをつけた串本町市民の方々に出会いました。

 さて、そこで今回はじめて訪問したトルコですが、緯度は日本とほぼ同じで、今夏は日本同様、特別に暑かったということで、7月、イスタンブールで53℃になったと現地在住の日本語ガイドの話しです。
 確かに暑く、9月初旬に滞在したイスタンブールの晴れた1日、大広場のデジタル温度計は36℃を表示していました。できれば訪問の時期は暑い夏は避けたほうがよさそうでした。
 次に、フレンチ、中華とならんで世界3大料理の一つとされるトルコ料理ですが、食材が豊かで、料理の種類も驚くほど豊富で、また日本人の舌にはとても美味しく、“食の国”を実感しました。食料自給率は100%だそうです。
 感動的おいしさの逸品をひとつ上げるとすれば、“サバサンド”。主食で、良質な小麦から作られる豊富な種類のパンは、トルコ人が世界一と胸をはるとおり、本当に美味しく、これに、生さばを焼いてその大きな半身を、トマト、レタスなどの野菜とともにはさんだ巨大な“鯖サンドイッチ”。
 好みでビネガーをかけて食べますが、ひとりでは食べきれないほどの、まさに満腹の絶品でした。お値段は4トルコリラ(円高のおかげで、240円ほど)でした。4r

 ともかく、トルコ人と日本人には“もてなしの心”など、どこか心情的に似通ったところがあるように感じますが、実際のところ私たち一般の日本人がトルコのことをあまり知らないように、トルコの人々も日本についてそう詳しいわけではなさそうです。親日的、ということが今後も続き、深まって行くかどうかは、これからの付き合い方次第でしょう。親近国家、と言っても冷静に考えて見れば、one of them ではあっても、only one ではありませんから。
 
イスラム
 先日も、米フロリダ州のキリスト教会がイスラムの聖典“コーラン”を集めて燃やす、として物議を醸しています。事あるごとにキリスト教とイスラム教の宗教対立が語られ、またなお繰り返される一部の過激なイスラム原理主義者によるテロ行為が、とかく世界の耳目を集めますが、イスラム原理主義者=過激派というのは間違いで、本来のイスラム原理主義運動は暴力と無縁のもので、イスラム社会内部での自浄を求める運動であって、イスラム教徒以外の人々に攻撃を与えるような考え方はそこにはない、ということです。

 長~い前置きになりましたが、今回は主体性のない単なる観光ツアーです。現地でチャーターしたバス会社から貰った観光案内パンフレットなども参考にしながら簡単な旅日記としました。
  多くのパッケージツアーで標準コースといわれる、トルコ国内9箇所の世界遺産のうち、4ヵ所をバス及び夜行列車を利用して回る9日間の行程です。(画像はクリックで拡大します)Blg2r

 
1日目:成田→イスタンブール(ソウル乗り継ぎ約13時間)
 アルメニアを過ぎたあたりで、左手に雪を頂いた山並が見えました。
トルコではビザ、入/出国書類等は不要。おりしもラマダン(断食)月で、また当日は休日とあって、途中イスタンブール市内の交通渋滞もあまりなく、ホテルには予定通り21時過ぎ到着。
 グランド・ジェバヒル ホテル泊。日本との時差はサマータイム期間中で6時間。やはり眠れませんでした。12r

 
2日目:イスタンブール→トロイ→アイワルク(走行距離500km)
 イスタンブールからマルマラ海の北側沿い(ヨーロッパ側)を走り、ダーダネルス海峡をフェリー(約30分)で渡りアジア側へ。乗船前、港のレストランで昼食の魚料理。飲み物の注文はトルコ産では唯一のビールEFES(pilsen)。暑かったせいもあり、美味しいビールでした。
 下船後バスでトロイへ。
「トロイの古代遺跡」(世界遺産):
 ギリシャの有名な英雄叙事詩ホメロスのイーリアスに語られているトロイ戦争の舞台。その伝説の木馬は遺跡の入口に立っている。ドイツ人考古学者シュリーマンがその有名な財宝をドイツに持ち去った。現在はロシアのプシュキン美術館に展示されている。(←チャーターしたバス会社から配布された観光案内パンフレットから転載:以降パンフレットと略記)
 “幼い頃に聞かされて夢見たトロイの木馬神話遺跡を、長じて遂に発見した偉大なシュリーマン”、として物語などでもよく知られていますが、現地での案内表示を読み、ガイドの話を聞くと、“偉大なシュリーマン”、という一辺倒の評価ではなく、“遺跡を発見した”功績とは別に、遺跡発掘者としては素人のシュリーマンの乱暴でむやみな発掘作業のせいで、実際、遺跡のかなりの重要な部分が破壊され、それにより必要な情報が失われてしまったことなどに関しては批判もあり、この点は結果として大変惜しまれているようです。
 なおシュリーマンが発見した財宝も未だに物議をかもしており、余談ながら、財宝がなぜロシアに、と聞いたら、シュリーマンの奥さんがロシア人だったから、とのこと。
 また今も発掘調査が進行中で、遺跡の修復、保存状態はあまりよくないように見受けられました。2

 
 遺跡のシンボルとして複製されている“木馬”は中にも登ることができて、無邪気な観光客の記念写真スポット。遊園地の風情がありました。2_42

 遺跡見学の後、宿泊地のアイワルクまで車窓からの風景をめでながらバスの旅。到着後、ハリッチ・パーク ホテル泊。
 以降、どこの宿泊地でもホテルの朝、夕食バイキングは食材、メニューとも豊富で、とてもおいしいものでした。                                                 (続く)

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