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2011年3月20日 (日)

北インドの旅(2011/3初旬)(その1)

[前置き]:
 先の3.11東日本巨大地震が発生する直前に、はじめての北インドの旅から帰ってきました。
 その後、そんなことは、頭の中からぶっ飛んでしまった日々になりました。
 巨大地震の傷跡は、未だ正確な全貌が分からないほど甚大で、その復興には長期戦を覚悟して将来を見据え、立ち向かわなければなりません。この決意は常にしっかり胸に秘めていたいと思います。

 この時期、脳天気なブログを書くことに気後れはするのですが、重苦しさを1時でも気分転換してもらえたらと、アップすることに致しました。時宜にそぐわないテーマも一部含みますが、生きるということを見つめ直す縁にもなるかと。

 出かける前には、チュニジアに端を発した反体制、民主化運動のうねりが、中東域だけにとどまらず、アジアの大国にまで波及する様相を呈して、その後の予断を許さない情勢の中でした。
 グローバル化した現代の高度情報化社会で、民衆を情報から完全に遮断することの難しさもまざまざと見せつけられました。
 まだ依然としてリビアやサウジアラビア、バーレーンは騒動の最中なのです。世界は急速に変貌していきます。
 世界秩序は、大国による一極支配から多極化、無極化へ、さらに混沌に向かうのでしょうか。

 世界には、例えば、グローバル化した先進的文化文明に遅れるな、という文化もあれば、少数派ではありますが、その対極には、あえて物質的所産たる文明を拒むという文化も存在しています。
 人の生き様、行動様式、価値観を規定する文化は様々で、その多様な異文化間の相互理解は、頭で考えるほど容易なことではなさそうです。
 これまで文化摩擦、宗教対立(宗教や信仰は人類の作り出したあらゆる主義・主張のなかで最も強固な独自性・排他性を有し、それゆえ必然的に相互受容不可能な主導権、権力を競い合う事になるのでしょうか)、文明の衝突、等々、様々なキーワードで世界が語られてきましたが、世界人類共通の文化、文明はこの先に見えてくるのでしょうか。
 と、大上段にかまえたところから、一気にトーンダウンして、『インド』です。

 インドは、親日的な、南アジア随一、日本の約9倍の面積と、世界第2位の人口を持つ大国で、近年経済発展もめざましいものがあります。その市場に出遅れた日本経済界も、インド最大の財閥タタ・グループと手を組んで、出遅れの巻き返しに出ています。
 最近の国連推計値で人口12億1400万人という国民は、多様な民族、言語、宗教によって構成されています。
 そのなかで、ヒンドゥー教徒が最も多く80%を超え、そのため、ヒンドゥー教にまつわる身分制度のカースト制度は、独立後の新憲法では禁止され、法的には存在しないことになっていますが、現実には今なおその影響は残っていて、複雑な身分制社会を形成している様を見聞きします。
 ヒンドゥー教の人々の間では、牛や猿は神聖な動物として大切にされ、また、仏教よりも「輪廻転生」の思想が徹底していて、聖なる川、ガンジス川(ガンガー)で身を清め、来世の存在を信じてガンジス川のほとりで火葬し、灰はガンジス川に流す、という文化が今もしっかりと伝承され、固く守られています。

 『インドへの道』(1984年)という映画がありました。私は観ていませんが、イギリスの文学者E・Mフォースターの小説を映画化した作品です。
 小説は、第1次世界大戦後の物語で、イギリスの若い女性がインドの古代遺跡(今日は世界遺産となっている有名なカジュラホの建造物群)で目にしたミトゥナ像(男女交合の像)に衝撃をうけ、そのカルチャーショックで被害妄想に陥る、という展開で、現代の世界社会でも絶えることのない異文化との摩擦、そして融和に関するテーマを提起した名作です。

 だいぶ昔のこと、1960年代から欧米でバックパッカーなるものが現れはじめ、後を追うようにして日本の若者の間にもこの“旅装“がはやった時代がありました。そして、そのような世代にバイブルとして読まれた『深夜特急』〈第二便〉ペルシャの風(沢木耕太郎 著)の中に、インド、ベナレスのガンジス川のほとりで、遭遇した一つの異文化体験が語られていました。
 “牛がうろつき、鳥が飛びかい、その間にも(死体が)焼かれ、流され、一体ずつ死体が処理されていく。無数の死に取り囲まれているうちに、しだいに私の頭の中は真っ白になり・・・” と。
 むろん私はバックパッキングなどの趣味も余裕もありませんでしたが、この本だけは大変な驚きを持って読んだものでした。

 そしてまた話が飛びますが、こちらも、もう古い本の『鳥葬の国』(川喜田二郎著:1958年に京都大学生物誌研究会と日本民族協会の後援のもとに行なわれた探険の記録)を読んで、同様に世界の不思議を覚えたものです。
 昨年冬訪れたチベットで、今でもチベット仏教の信徒はその教えに基づいて、死体は刻んでハゲワシなどに施す鳥葬も行っていると、現地ガイドから聴きましたが、その当時の鳥葬の様子がフィールドワーク記録の一つとして記述されています。

 時を隔てて現在の日本には“発展したお葬式文化”があります。これを、ガンジス川畔の葬送や、チベットの鳥葬を文化とする側から観察すれば、なかなか理解が難しい異文化と映るのではないでしょうか。

 かくして、発展著しい最新のインド情報と共に、頭の隅には今も5000年の歴史を秘めて悠久の時間が流れる、多様性の光と混沌の暗闇が共存する国インドという漠然としたイメージもありました。
 そして、たまたま3月初旬、コースにベナレスのガンジス川畔が組込まれた北インドツアーがありましたので、はじめてインドの旅に行ってきたものです。
 僅かな日数の”観光”では、まんじゅうの皮の一部を見ただけで、中のアンコなどは見えません。まさに『群盲、象をなでる』(100年ほど前に、インドの宗教家ラーマクリシュナ師によって語られた寓話の一つ)そのものですが、ともかく、その異文化に触れたささやかな体験記録です。

概略:Photo_2

 日航機の窓から遠望できた地球の皺、ヒマラヤ山脈
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                                      (続く)

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