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2011年4月

2011年4月30日 (土)

バン、ヌートリア、そしてミシシッピアカミミガメ

 コイの遡上が始まった用水路には、まだ冬鳥のコガモ夫妻が残っているし、田起こし、代かきの進む田んぼでは、掘り起こされた土から這い出してくる虫などを目当てに、やはりまだ居残っているツグミの姿があります。

バン:
 そんな折、額板がすっかり赤くなっておとなになったバンがいました。人の姿を見るとすぐ水際の”穴蔵”に隠れますが、しばらく見ていると、またあたりを見回してから水に入ります。Photo

P4260008

 
ヌートリア:
 そして、突然デジカメのファインダーを横切っていったものがいました。やはりここに住み着いているヌートリアでした。P4260010

 
 水際のヨシの茎を噛み切っては口に加えて運んでいきます。ねぐらの整備をしている様子。この近くでは特に珍しくはありません。Photo_2

 
ミシシッピアカミミガメ:
 珍しくない、というより、こればっかり、というのはミシシッピアカミミガメ。たくさんいます。Photo_3

 春爛漫の4月が終わります。

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2011年4月29日 (金)

コイの遡上

 上流で雨が降って、用水路の流量が増えた4月中旬のある日、大量の鯉が遡上しているのを目にしました。
 今年も季節は確実に進んでいることをあらためて感じたものです。
 バシャバシャと水を跳ね飛ばしながら、複数の大きなコイが絡みあいながら水中にある植物の根元に産卵している様子でした。417r0011364

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 5月、ゴールデンウイークが終わる頃には近くの水田の田植えはほぼ終ります。
 その頃になると、コイが町裏を流れる水路にまで遡上して来て、道行く人も足を止めて、今年も上ってきたね、と、立ち話の話題になります。

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2011年4月28日 (木)

西洋榛子(ハシバミ)/(ヘーゼルナッツ)

 整理整頓が苦手なため、すぐに片付けできないものをとりあえず”放り込む段ボール”があります。いつの間にか中身が積み重なって、底のほうに何があるのか見えなくなってしまうと、もうダメです。
 常温で保存期間の長い食べ物なんかも時に放りこんで、上から見えなければそのままに。
非常時のための備蓄を普段から心がけている、といえば、カミサマに叱られます。
 そのダンボールの中に、西洋榛の実が入っていました。ヘーゼルナッツ、という方が耳に馴染んでいると思います。
 5ヶ月近く経過したシロモノで、容器の表示ラベルに品質保証期限は2011.05.16と印字がありましたので、大丈夫だ、と、食べてみました。R0011299

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 不味いです。湿気を帯びていて、茶色の薄い渋皮が爪で剥がそうとしても綺麗に取れません。よけいまずいのだと思います。もう一度焙煎し直したらいいのかも知れませんが。

 やはり我が家の非常食用にしておいたほうが良さそうです。ほかに食べるものがない時には、カロリー源になるし、見た目だけなら、なかなか魅力的だし・・・・
 まだ他にもあるでしょ。ハイ。

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2011年4月27日 (水)

ヒバリ

 このところ朝は晴れても、午後になると急に雷雨という、今ひとつ安定しない数日になっていますが、近郊では例年のように水田の代かきが始まり、早いところは田植えが終わった水田もあります。(大型機械であっという間に田植えが終わってから、にわかに暗くなって雨粒が落ちてきた水田)R0011814

 
 草刈時期のタイミングもあったのでしょうが、今春は例年になく堤防道筋に菜の花がたくさん生えて、一面を黄色にしていますが、やがて大型機械による刈り取り作業が始まります。R0011561

 また農道や田んぼ道には、除草剤が散布されて、雑草は黄茶色に枯れはじめていて、田んぼまわりでの春の雑草観察は一度終わります。
 しかし、したたかな雑草は、やがてまた息を吹き返してきて農家を悩ませるのですが。

 
 調節池の草原には、ヒバリがたくさんいます。歩いて行くとまだそう伸びていない草むらから急に飛び立ちますので、近くにいたことがわかるのですが。
 空に駆け上ってひとしきりさえずりを聞かせた後、降下してきて、近くの草地に降り立つと、声をひそめて、こちらをうかがっています。P4170001

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P4170003

 もうすぐ草地にお椀のような巣作りをして子育てをする時期です。邪魔しないようにしなくては。

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2011年4月26日 (火)

マリア地蔵

 通常は自転車などあまり通らない、隣市へ通じる広域農道を”たらたら”走っていて、通りすぎてから、道路脇に何かあったなと、100m程引き返してみたら、どこか少し雰囲気が違うお地蔵さんがありました。R0011211

 脇に案内の掲示板がありました。

マリア地蔵:
 文政三年(1820年)に作られた子胎延命地蔵(じそだてえんめいじぞう)で、キリストを抱いたマリアに見立てられている。錫杖の上に十字架が刻んであること、R0011211jpgtrm

 キリスト教の仮託礼拝物のヘビや魚が刻んであること、イメス(イエスをカモフラージュしたもの)と刻んであること、などから江戸時代の隠れ切支丹の信仰の対象であったと考えられる。一般にマリア地蔵と呼ばれ、市指定有形民俗文化財になっている、ということでした。

 マリア地蔵、あるいはマリア観音と呼ばれるお方さまは、日本各地に存在するようですね。

 このマリア地蔵様も、一時期の理不尽な処遇をかこつこともなされず、日本古来の八百万の神々とともに、1833年12月7日(天保4.10.26)以降でも、実に60回を超えるマグニチュード7以上の地震、その津波災害(→http://saigai.org/a-kakotunami3.html)そして、災禍に屈せず、そこから復興する人々の姿も静かに見守ってこられたのでしょうか。
 その後に、また2011.3.11;pm2:46 M9.0 がやって来てしまいました。想定外、これで終わりではない、のですか。かみさまのみなさま。
 ともあれ油断大敵。迷える人間は大変なのです。

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2011年4月25日 (月)

クロハネシロヒゲナガ(2011/4)

 今年もまた小さな蛾の仲間、クロハネシロヒゲナガに出会いました。最初は4月中旬、良く晴れて暑いくらいの陽気になった、ネズミ麦などの雑草が伸び始めた草原で。
 目の前を1匹だけ、ふわ~と横切って行きました。そのまま行方不明。   
 そしてその次は、今度はわざわざ探しに行って、数日空振りのあと、4/22、そして4/23 見つけました。Img_5462

 
ここ3年来、4月中旬にはお目見えしています。
 体長はわずか5mmほどの小さなガで、日陰にいる時には殆んど黒く、Img_5466

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 光を受けると、その明るさと角度によってホログラムのようにきれいな金紫に輝く翅を持ち、また、なんといっても特徴的なのは、基部が黒く、先は白く光る、体長の数倍はある長いヒゲ(触覚)。
 だから「黒羽根白鬚長」。もうすこし”気取った”名前をつけてやってもよさそうに思うのですが・・・。Img_5469

(画像はクリックで拡大します。なお、拡大した画像を閉じるには、デスクトップ画面左上の左向き←をクリックすれば、元のブログ画面に戻ります)R0011607

 ともかく研究報告も少なく、そのライフサイクルなど生態はまだあまり良くわからないそうです。
 例年、4月中旬、堤防の草原に、忽然と姿を表し、5月過ぎると徐々に姿は見えなくなってしまいます。(入梅前に、雑草の一斉刈取り作業が行われるせいで、生息環境が奪われるからなのか、など何も分かりません)
 昨年まで、大分追っかけをして、記録にしましたので、今年はこれで終りにしました。
 飛ぶ姿などは、分かりにくいですが、動画に撮りましたので、お暇ならご覧ください。(スピードは1/2に落としています)
 以前の動画もあります。スピードは元のものです。 

 あまり高くは飛びませんし、何しろあの長いヒゲが抵抗になって、スピードが出ないようです。捕まえようと思えば、運動神経の鈍い私でも、目の前にきたら、素手でパッとつかむことが出来る程度です。

 なお今回は、ヒゲの短いメスは見つけていませんが、以前の記事に掲載していますので参照してください。
 また調子にのって、少し細かいルーペレベルで観察した記録もあります。だんだん気持ち悪くなります。
 

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2011年4月24日 (日)

ホオジロ(留鳥)のさえずり

 春に聞かれる野鳥の“さえずり”というのは、主に、オスがメスを呼んだり、他のオスに対して縄張り宣言をしたりするときに発する鳴き声のこと。
 そして昔から「聞きなし」といって、その鳥のさえずりを人間の言葉に置き換えて親しんできました。
 4月初めからツバメが飛んでいますが、その聞きなしは、巣作りの泥を運び、子燕に虫を運ぶ姿からも、「土食うて虫食うて渋~い」などです。(祖母から教えられて子供心にもソックリだと納得したものです。)

 ホオジロのさえずりの聞きなしは、「一筆啓上仕り候」です。覚えやすい聞き做しですが、これまでなかなかそうだと腑に落ちるさえずりを耳にしたことがありませんでした。
 ところが先日、曇り空で肌寒い日ではありましたが、ホオジロが懸命に、“イッピツケイジョウ、一筆啓上、ピッピツ ピッピィ”、と胸を張り空にむかって口をあけ、大きな声で鳴いているのを確認できて、なるほど、と納得することができました。A1

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A3

 
 ただ、“仕り候”、の部分は小声になり、殆んどムニュムニュで、聞きとり出来ませんでした。
 ウグイスなども同様、はじめはヘタクソで不完全ですが、学習して上手になっていくのだそうです。
 練習中の若オスだったのでしょうか。A4

A5

 なお冬の間の「地鳴き」は、”チチッ、チチッ”とごく短い地味な声です。

 「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」
 日本一短い手紙として有名なこの一文は、徳川氏の家臣、本多重次が、天正3年(1575年)の長篠の戦いの陣中から妻にあてて書いた手紙で、その昔は『手紙の書き方』など一般教養本の巻頭言などにもよく掲載されていたものです。

 今なら、さしずめ「一筆啓上、地震と津波、それに加えて原発用心」、ですね。

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2011年4月23日 (土)

北インドの旅(2011/3初旬) 番外編

 前回で「完了」にしたはずでしたが、世界遺産に登録された観光施設内の”清潔で美しい”ところだけではないシーンもたくさんありました。
 と、いうことで、落ちこぼれたスナップ写真を番外編としてアップしました。(画像はクリックで拡大します)

Ⅰ)街中で:
 ゴミに囲まれての生業や、土ぼこりでかすむような街中を”徒歩で出勤”風景だったり、そんなことには無頓着に、道ばたで食べ物を扱っていたり、はたまた道路脇に置いた金網ケージの鶏を、注文に応じて道の奥でさばいていたり、たくさんの果物、果菜などを露店販売していたり、まあ日本の食品衛生行政では、まずありえない光景が普通に見られました。
Photo

 
Ⅱ)街から村へ:
 どこでもホーム。ここで寝てはいけない、ということはなく、どこで寝ても自由、とのこと。本当にこんなトコロにも、という”寝床”がありましたね。”ホームレスはいません。どこでもホーム”なのです、と教えられました。
 バイクは規則では2人乗りまでOK。しかし3人、4人乗りは珍しくなく、何と5人乗り(前後に親が、間に子供3人挟んで)という姿も。警察官は見ても注意もしない、のだそうです。
 オートリクシャも、詰められるだけ乗る、という光景が。
 車が道路を逆走するというのは当たり前。どの車もクラクションを鳴らしながら巧みにかわしてすり抜けていく。思わず身をすくめてしまいます(バスの中から)。
 バラック同然の家もいっぱい。田舎に行くと牛糞を女性や子どもが手でこねて円盤状に形を造り、乾かしたものは燃料にしたり、通りかかったところでは、屋根の瓦に使っている、ホラあれがそうですよ、とガイドさん。なるほど。ないものがない。なんでもアリです。Photo_2

 
Ⅲ)列車駅のプラットホームで:
 まずゴミだらけ。線路は列車だけではなく、ネズミも走ります。傾いた日の差すホームにはアチラコチラに犬も人も気持よさそうです。蹴飛ばしたりする未開人はいません。
 鉄格子のはまった客車に、”エー、弁当、弁当、お茶いかがですか” 格子の隙間からのやりとりはやりにくそう。
 列車のトイレ。便器の穴はもちろん外部に直通。地面が見えます。トイレットペーパーはありません。鎖のついたステンレスの容器で水を汲んで、左手で後始末、お願いします。
 深夜のプラットホームにもゴロリと寝ている人がいました。心配し過ぎは心の健康に有害です。ノー・プロブレン、ですね。Photo

 
Ⅳ)何でも通れる高速道路:
 ゲートをくぐり、次のゲートを下りるまでの間に撮ったスナップ。
大型貨物自動車はほぼ全てがTATA製。ラクダの荷車が行き交います。中央分離帯には牛が寝そべっています。人間も道脇や、中央分離帯脇を歩いています。最後が、一般道へ降りる前のゲートです。ゆうゆうたる高速道路、です。Photo_4

 
Ⅴ)生きものもゆうゆう。
 街中や、観光施設内、ホテルのプール脇(トンボ)、などで人には構わずマイペースで暮らしている生きもの。自由に生きるのは空を飛ぶ鳥だけではありませんでした。

 最後に、はじめて”おいしいな”と食べられたお昼のメニュー(ナンとカレー料理、ビールはインド製キング・フィッシャー)Photo_5

 たしかに、日本とは違う種類の歴史と時間が流れるインドです。

                    (完)

●読んで良かった本:
  『インド特急便!』 ダニエル・ラク著(伊藤 真訳) 光文社 (2009.5.25刊)
 (記載された内容について:著者の思い入れもあって、(記事が書かれた時から既に数年経過していてタイムラグもあるし)インドの経済発展、その将来を誉め過ぎと思います。実際のところスピードダウンして既に陰りも出ているようですから。
 それは差し引いても、インド、という国をよく理解できます。僅か数日の旅行でも、インドという国は、あらためて書かれたとおりなのだ、と思ったものです。)

●観て良かったDVD:
 「スラムドッグ$ミリオネア」(SLUMDOG $ MILLIONAIRE) 
 実際にインドに行って来たことで、とても良く理解できました。汚いところも美しいことも。

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2011年4月22日 (金)

北インドの旅(2011/3初旬)(その7/完)

北インドの旅7~9日目:

7日目:アグラ発→ジャイプール移動

 ホテル発8:00、陸路ジャイプールへ、約230km、約5時間30分。 途中で世界遺産:ファテープル・シークリーに立ち寄る。

◯ファテープル・シークリー:
 1986年世界遺産登録。建設後14年で放棄されたつかの間の都。アグラ中心部から南西37kmのところに位置するアクバル帝の城跡。世継ぎに恵まれなかった3代アクバル帝は、聖者シェーク・サリーム・チシュティーの予言によって男児(後の第4代皇帝ジャハーンギール)を得た。
 これにちなんでアクバルは1571年に、首都をこの地に移転させた。約5年をかけて建設された都は3km×1.5kmの土地を城壁で囲み、その中央の丘に宮廷やモスクを赤砂岩で築いた壮大なものだった。遺跡は2ヵ所に分かれ、南側のジャマー・マスジットには巨大なブランド門と、預言者シェーク・サリーム・チシュティーの白い廟があり、壮大な回廊が四方を囲む。
 一方、北東側の、柱が幾層にも積み上げられたパンチ・マハルや、ディワーネ・カースの円柱の王座は石組みだが、木組みを思わせる遺跡。
 水不足が原因で、わずか14年後には立ち去らなければならなかったという。そのせいで抜け殻になった赤い城都はそれほど痛まないで残っている。(以下、画像はクリックで拡大します)7

 
 昼食はセットメニュー

 午後:ジャイプール市内観光に。

◯風の宮殿:
 シティー・パレスの東側、バザールの大通りに面している優雅な、ジャイプールのシンボル。かつて宮廷の女性たちがここから町を見下ろしたという。彫刻を施したテラスがびっしりと並ぶ。正面の大きさに比べ奥行きは非常に浅い造り。
 窓は手前に張りだしていて、見るからに風通しが良さそうな、風の宮殿。裏側にある階段から上に登ることもできる。正面で写真撮影のみ。7_4

 
◯シティー・パレス(町の宮殿):
 マハーラージャ(王様)が今も暮らす。1726年に時のマハーラージャ、サワーイー・ジャイ・スィン2世によって造られた。ジャイプールの街の中心に位置する建物。一部が博物館になっている。
 ムバーラク・マハルはテキスタイルの展示館。ほかにも絵画や写真が展示されたアートギャラリー、昔から使われた武器を展示した武器館などがある。
 また、ラージェンドラ門を通って次の間に入ると、ディワーネ・カースと呼ばれる貴賓謁見の間がある。
 入り口に置かれている二つの巨大な銀の壺はギネスブックにも登録されている世界で一番大きな銀製品、王様の沐浴用に1.8トンのガンガーの水をいれてイギリスまで持参したとか。7_3

途中トイレ休憩を兼ねて民芸品店、宝石店のショッピング

 夕食はインド民族舞踊を見ながら。さすがに食欲なし。
                           (ジャイプール泊)

 
8日目:ジャイプール観光後→デリーへ移動、夜デリー発、帰路へ

午前:ジャイプール、アンベール城観光:
 城に向かう途中に水の宮殿が眺められる。ジャイプールの王様の別荘で、ボートでしか渡れないため、セキュリティーは万全という。やがてアンベール城が見えてくる。

◯アンベール城:
 ジャイブールの北東11kmのところ、周囲の町を圧倒して建つ、丘の上の巨大な山城。築城が始まった16世紀には、ここが、カチワーハ家の王国(アンベール王国)の首都であった。
 観光には駐車場から山の上の城までジープで往復。また城までいくジープの代わりに、名物の象のタクシーもあり、観光客には人気。
 門をくぐると「一般謁見の間」があり、本殿はその右側の門の奥。81

 
 また「鏡の間」ともよばれる「勝利の間」の壁面には、鏡をちりばめた幾何学模様の装飾が施されていて見事。 
 また、その「勝利の間」の屋上から見える池の真ん中にはやはり幾何学模様をした庭園がある。
 庭園を挟んで反対側の「歓喜の間」は、室内を水が回るように造られていて、涼しく暮らす工夫が凝らされている。
 外に出ると、ここにも怪しげな絵があった。王様は、とにかくお好きであったらしい。82

 
 観光後、陸路で、デリーへ(約250km、約5時間30分)

 昼食はインド料理

その後、デリー空港へ:

デリー発20:20帰路へ(所要時間約7時間)         (機中泊)
                          
 
9日目:成田着06:55

 旅行中、なれない食事や衛生環境などの影響を受けて、かなりの人が下痢に見舞われましたが、私は何とか持ちこたえました。
 ただマスクは付けていましたが凄まじい粉塵などで気管支をやられ、帰宅後もしばらくひどい咳に悩まされましたが。
 また再びインドに来てみたいか、という質問にはほとんどの人は沈黙。ともかく、”無いものがない”といわれるインドです。
 道ばた、空き地、駅のホーム、どこで人が寝ていても、それは”ホームレス”ではなく、”どこでもホーム”なのです。都市部を離れると、どこでもトイレです。屋外で大小便をする姿があちこちで目につきます。
 そして超清潔国の日本人に目には、とても綺麗とは言えないガンガーでスピリチュアルな生活を送る人々の日常は驚きです。
 社会福祉は、と問えばそれは寺院が完璧に行なっていて困ることはない、という。また牛がどこにぶらついていても、その牛は”野良牛”ではなく、”神聖な”牛なのです。
 2011年の後半には地球人口は70億人に、そしてさらにこのまま行けば2045年には90億人に達するという。そしてインド人口は、このまま行けば、2030年頃に中国を抜いて世界一になるだろうともいう。 http://nationalgeographic.jp/nng/magazine/1101/feature01/movie/index.shtml
 (真っ黒い画面が表示されますが、下部、左端にあるスタートボタン(▲)をクリックすればスタートします。)

 ともあれ、この国の人々の逞しさの一面も感じてきました。多様性の統一と混沌のなかに維持された民主主義国家。
 うわべを見るだけの観光で、そんな簡単には異文化の理解はできないこともあらためて感得できた旅でした。
                 (完)                     

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2011年4月21日 (木)

北インドの旅(2011/3初旬)(その6) タージ・マハル、アグラ城塞

北インドの旅6日目:

終日アグラ:
 アグラはデリーからヤムナー川沿いに約200km下ったところにある地方都市で、有名なタージ・マハルのある町。
 古い歴史があるが、16世紀半ばには、ムガル帝国第3代皇帝アクバルがここに首都を置いて、以後1世紀足らずの間だが、隆盛する帝国の中心として栄えたところ。

◯世界遺産:タージ・マハル
 早朝、ホテル発5:30、朝靄の残るヤムナー川越しのタージ・マハル見学に。日の出を見ることができた。16

 ホテルに戻り朝食後アグラ市内観光へ。

◯世界遺産:タージ・マハル
 1983年世界遺産に登録。白大理石で建造された白亜の巨大で世界一美しいお墓。基壇の大きさは95m四方、本体は57m四方で、高さ67m、四隅のミナレット(塔)の高さは43mという完璧なシンメトリーで、まさにイスラム建築の粋。
 正面には泉水と庭園が配されている。周囲にはほかに建物もない。ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーン(在1628~58)が熱愛した妃アルジュマンド・バースー・ベーガム(ムスターズ・マハル)が死んだ1631年、ムガル帝国の国力を傾けて(実際に国は傾いてしまったが)、世界各地から膨大な量の貴石と職人を集めて、22年といわれる歳月と莫大な費用をかけて1653年に完成したとされている。
 しかし当時、国の財政を疲弊させ傾けるまでして建造した”お墓”が、後世、世界に有名な観光資源として外貨獲得、国の財政に貢献するとは知る由もなかったことでしょう。26
 
36

 さらにその後、定かではないが、ヤムナー川の対岸に、黒大理石で自分の墓を建てることをも計画していたといわれるが、帝位を狙う自分の息子の3男アウラングゼーブによって皇帝の座から引き下ろされてアグラ城内に幽閉され、死後、タージ・マハル内で妃の墓の横に葬られることになったという。(→下記の項と、写真)
 なお3男アウラングゼーブが6代目の王様になったが、評判は悪かったという。

 
◯アグラ城塞(アグラ・フォート)観光:
 1565年、アクバル帝によってヤムナー河岸に築かれた赤砂岩の堂々たる城で、デリーのラール・キラーと並ぶ巨大なもの。
 ムガル帝国の権力の象徴である。濠を渡り、城の南側のアマル・スィン門から中に入る。内部には宮殿が並ぶ。芝生や立木には野生のリスがいる。
 ディワーネ・アーム(一般謁見の間)はシャー・ジャハーンが造ったもので、玉座後部の壁面には色とりどりの宝石が嵌めこまれていたという。
 ディワーネ・カースは貴賓謁見の間。また、シャー・ジャハーンが幽閉され、ヤムナー河対岸のタージ・マハルを眺めていた塔が、ムサンマン・ブルジュ(囚われの塔)。
 シャー・ジャハーンはここで1666年、74歳で息を引き取ったという。46

 余談ながらスーパー・ガイドSさんの話であるが、インドの歴史を耳にする際によく聞く言葉が2つある。それは“No Problem”そして“About”。
 これはイスラムがイスラム教を広めるために既存の文化建築物を破壊したり、多数の文献、文書類を燃やしてしまったりしたから、正確な史実年代が特定できないためで、やむなくそう言うことになるのだ、という。

 昼食はインド料理

 トイレ休憩を兼ねて大理石店にてショッピング。

 
◯一般家庭訪問:
 もちろん上流階級のご家庭。ご両親と若いご夫婦、男の子お一人の5人家族。応接の壁を飾る絵は彼の作品(写真上段2枚)。
 ご両親は最初恥ずかしいからと、お部屋におられたのを、一緒に記念写真をとお願いして快くおさまっていただきました。
 すぐ近くには学習塾も。そういう住環境。でもあちらこちらに猿がいて、住宅の庭木や屋根を伝い歩きしている光景も。やはりここはインド。

 お礼を言って辞してから、街中見物。やはり何でもありで、ふところは深い。56

 
◯タージマハル・ショー(オプション)鑑賞〈撮影禁止)に行き、夕食はインド風中華料理。                                     
                                (アグラ泊)

                     (続く)

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2011年4月20日 (水)

北インドの旅(2011/3初旬)(その5)カジュラホ西の寺院群

 中断していましたが、続きです。(1~2日目3日目4日目はそれぞれのリンクをクリックしてご覧下さい)
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北インドの旅5日目:

カジュラホ観光、その後アグラへ移動:

 午前:前日に続きカジュラホ
世界遺産:西の寺院群観光:
 カジュラホの寺院群では観光の目玉である西の寺院群。チャンデーラ朝繁栄の跡。寺院群の前が村の中心で、規模も大きくミトゥナ(交合する男女)の彫刻も多くあり(と言っても割合は彫刻群の1/10ほど)、一番賑わうところ。Photo

 
 虎狩りで奥地探検に入り込んだジャングルで、この宗教遺跡を発見した、西洋文化/文明の宗教芸術的審美観の持ち主の目には、ミトゥナ像はさぞかし、理解し難い俗悪卑猥な産物、というふうに映ったことでしょう。

 カジュラホ西の寺院群で、ともかく人だかりのできているのは、数々のミトゥナ像の前。
 それぞれのグループの専門ガイドが、レーザー・ポインターで指しながら、微に入り細に入り、懇切丁寧なミトゥナ像重点の解説を続けているから。

 白日のもとに堂々と、あっけらかんと陳列されている彫刻群を目の当たりにして、こんなシロモノはやはりわいせつ物陳列罪で、創作陳列者はタイホすべきと、そう思うのは、深層にやっぱり羨ましいなという、やましい俗物根性が潜在しているショウコです。
 純粋に、美しく昇華された人間存在の魂をそこに見る人こそ、真に芸術を理解し愛する、カミサマのような人格者です。

 以下はカミには無縁の、はるか遠い者が撮った記録写真の”陳列”(罪になりそうな代物)です。

 
◯デヴィー・ジャグダンベ寺院:
 11世紀初頭建立。カンダーリヤ・マハーデヴァ寺院の並びにある。もともとヴィシュヌ神を祀る寺院であった。その後シヴァ神の妃パールヴァティーを、さらにカーリーを本尊とするようになった。
 壁面にはアブサラス(天女)像をはじめ、官能的なミトゥナ像彫刻群や、シヴァと寄り添う、優しく美しいヒンドゥーの母神的存在である、妃のパールヴァティー を伴う表現も多く、またシヴァとパールヴァティーの間に生まれた、商売と学問の神であり象の顔を持つ長男、ガネーシャも彫刻されています。Blg1

 
◯ラクシュマナ寺院:
 10世紀半ばに建立されたシヴァ神を祀る寺院で、寺院本体と四方に祀堂を配した五堂形式をとり、最も完全に原型が損なわれることなく保存されている。
 基壇部分には戦争や狩猟、行列の様子、さらにガイドから”熱心に”解説されたインド・カーマスートラ「84手」の中の多数が彫刻されている。
 渋滞していましたね。
正面を向いた象の顔が1体だけ横を向いて交合をのぞき見しているレリーフもありました。Blg_2

 
◯カンダーリヤ・マハーデヴァ寺院:

 〈場違いですが、後から挿入した前置き〉:
AERA 臨時増刊No.15 2011.4.10号  東日本大震災 100人の証言
 藤原新也 「被災地で見た破壊と孤独」記事から 

 神様消滅
 ・・・このたび、神は人を殺した。・・・
 そこに破壊があるから創造があるとするインド的神学にあっては破壊にもまたそこに神が宿る。
 果たしてそうか?
 ・・・人間の歴史の中で築かれた神の存在をいま疑う。

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 前置きの後の、軽々しい記事です。
ヒンドゥー教の神
 実際のところ、無学の者が口をはさむほど単純ではありませんが、単純図式化された説明では、ヒンドゥー教の最高神は三神で、 ①(宇宙の)「創造を司るブラフマー神」、②「維持を司るヴィシュヌ神」、そして宇宙世界の寿命が尽きて魔界になった時に③「世界の破壊を司るシヴァ神」。
 「破壊の神シヴァ」の役割は、世界が終わりに近づいたとき、一度全て破壊してから、新たな世界を創造すること。
 シヴァ神は「荒ぶる神」であり、人々に恵みを与えることもするが、災厄ももたらす、大自然のような畏怖すべき存在ということです。
 自然から受ける恵みも、またすべての命を滅ぼす脅威・災害・破壊もシヴァ神のなす業、ということなのでしょうか。

 このシヴァ神に捧げられた神殿が、11世紀半ば頃建立された、カジュラホ寺院群で最大規模のカンダーリヤ(= カイラス山(ヒマラヤの霊峰)・マハーデヴァ(=シヴァ神)寺院です。
 リンガ(男根=シヴァ神のシンボル)を祀る本堂の上には、高さ30.5mを超える塔がそびえています。寺院外壁を埋め尽くす神々や、アブサラス(天女)、ミトゥナ(交合する男女)などの彫刻は精緻を極めているが、神話的な場面は少ないという評価だそうです。
 ここに刻まれている彫刻群は、シヴァ神が、世界が終わりの魔界に対する破壊・殺戮を司ることと、あわせて(シヴァを)信ずる者に対して恩恵・恩寵を与えるという二面性を持っていることを表わしているという。
 さらに、ガイドのレーザーポインタで指し示される、異教徒には、”まさか、うそでしょ”、と思われるようなミトゥナ像もあります。Blg_3

 こういう神様が最も大きな信仰を集めているというところに、インドのインドたる懐の深さがあるのでしょうか。

 『本来、祈りの場所である寺院に、なぜエロティックな彫刻が存在するのか。この疑問にはいくつもの学説が立てられており、カーマスートラの彫刻化だとも、セックスを儀式化したタントリズムの儀式の彫刻化だとも言われるが、はっきりしたことはまだ分かっていない』、と解説記事がありました。(→アーチャナ・シャンカール;ロリ・ブックス)

 
◯ヴィシュワナータ寺院:
 シヴァ神を祀るこの寺院は1002年に建立された五堂形式の寺院であったが、現在は祀堂の二つが失われている。
 壁面の彫刻には恋に焦がれる女性像が多く、また手紙を書く、赤子をあやす、音楽を奏でるなど、女性たちの日常の様子などを表現した多数の見事な彫刻とともに、極めつけと思えるミトゥナ像もある。Blg_4
 (もうアホか! いやカミサマ、御心も知らずこれはとんだ失礼を)

 
◯マタンゲーシュワラ寺院:
 西群入り口左側の外にある寺院。10世紀初頭建立。高さ2.5mの巨大リンガ(男根=シヴァ神のシンボル)を本尊として祀る。ピラミッド形の高塔を持つなど、ほかの寺院と異なる古いデザインを残しているが、唯一、今も活きている寺院として、多くの礼拝・参拝者で賑わう。
 ここは時間が無くなって、見学なし。

 その他、この西群の芝生に立ち並ぶ14の寺院にはそれぞれ特徴がある。〈ページトップにその一部外観写真のみ掲載〉

 
 夕刻、列車「シャタブディ・エクスプレス」(普通車指定席)に乗る。地元では高級電車と呼ばれるそうだが、約2時間半でアグラへ。

 アグラ着後バスでホテルへ。夕食はホテル。
                                (アグラ泊)

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2011年4月19日 (火)

地域経済も大事

 桜も、はや落花の舞となった近隣の動物公園のある日。今頃の季節、いつもなら大勢のヤング・ファミリーで賑わっていたのに、がらんとして人影もまばら。Photo_2

 
 カラッポの公園で、ハシブトカラスが一羽、空を見上げて思案顔。Photo_3

 
 園内に多数ある飲料などの自動販売機はその殆んどが、電力不足対応の省エネのため停止中の張り紙が。

 多くの遊具やアトラクションも停止/休止中。

 白鳥の池には、餌をやる入園者の姿はなく、餌のおこぼれをかすめて味をしめ、未だに帰らず、人の姿を見ると近寄ってくる冬鳥のキンクロハジロの一群が。Photo_4

 
 鳥舎には、飼育されている鳥類用の餌を目当てのムクドリが大挙して侵入。ふだんならこれほどのことはないだろうに・・・

 お目当てのシラコバトを撮って、Photo_5

 
 ひっそりしたカバ園で、所在なさそうなカバの姿をみて、Photo_6

 
 このままではいけない、むろん贅沢や、無駄は省いて、普通の生活ができるところは普段の生活をしないと、本当に地域経済にもボディ・ブローのように効いてくるな、と気になりました。

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2011年4月18日 (月)

或る晴れた日に

 おーい、クロメダカいるか。返事がねえな。居るのわかってんだよ。日当たりの水面に浮かんでいたのを見てるから。
 仕方ない、また文句言うけれど、掬い上げてみるか。Blg

●なんだよ、急に。何か用かい。
◯いや特に。元気でいるかと思って。
●決まってるじゃねえか。元気だよ。何かあったのかい。
◯いやメダカにゃ関係ないけどねえ。
●なんか怪しいな。

◯あのな、突然だけど、しばらく前のことだが、ボウルターさんという古生物学の偉い先生が、最新の「進化数式モデル」を使って、データベース『化石記録2』* から、哺乳類(mammalia)の将来を計算したところ、なんと”9億年後に絶滅する”という演算結果になったそうだ。
 またまずいことに、哺乳類の中で、問題のある生きもの、『人類』が、大分遅れてきたくせに、皆んなの住処の地球を、これを円錐形の砂山に例えて言えば、それを足で蹴って崩すという狼藉を働き続けているので、その時期は、計算結果より更に早くなるかも知れないと言っていたんだよ。
 《→* http://www.fossilrecord.net/  を開いて、The Fossil Record 2 (1993)に進み(クリック)、ページトップのメニュー、「DOWNLOAD」で開くページから、 必要な情報、データなどはExcelスプレッドシートとしてダウンロード出来ます。》

●あ、そう。問題のある人類!その通り、異論はないねえ。人類以外の生物界では、あんなもの滅びりゃいいと心底思ってんだよ。おかげで我らメダカ族も絶滅危惧種になってんだから。
◯厳しいな、少しは生きものの皆さまに貢献したこともある、と人類は思っているのだが。
●それはない。思い上がりの証拠だよ。こまったものだ。ところで何年先に、滅亡するって?
◯聞いてなかったか、9億年ほど先らしい。
●そんなの知ったこっちゃないよ。あんただってそうだろ。正直、何年先まで考えて生きているんだ。
◯・・・(ブツブツ独り言。1世代で100年見渡すとして、孫世代まで300年かなあ。セシウムの半減期が30年で、エーと、300年なら、 2のマイナス10乗≒1/1000に下がるか・・・300年くらい先を考えて、これから先どうするのかやってほしいよなあ。デモできないよねェ。1世代30年、3代で国家100年の大計もないし・・・。セイケンコウタイなんかの次元・時限じゃなくて、ブツブツ・・・)
●何を独りでブツクサ言ってるんだ。
◯あ、すまん。ナニ、こっちのことで。
●も、いいから、はやく水槽に戻してくれ。
◯そうだったな、じゃまたな。
●もういいよ。俺たち野生のメダカはシロ(メダカ)ちゃんみたいなペットじゃないからな。ほっといてほしいね。
◯わかった、わかった。嫌味なヤツ。
Blg2
 (背ビレと尻ビレの形から、♂のようです)

 晴れても曇りがちの昨今、がんばろう。

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2011年4月17日 (日)

ナガミヒナゲシ

 寒い日が続いていた3月初旬、街中で伸び出した道ばたの雑草の中では一番勢い良く伸び始めたナガミヒナゲシ。中旬には蕾をつけた株もありました。322

 
 その後、街中では草取りのために特に目立って大きくなった株は除草されてしまいました。国道の歩道沿い植え込みにも伸び始めていました。Photo

 
 4月中旬、郊外の舗装道路端などには花をつけた株が見られるようになっていました。411_1

2

 田圃道などにはまずありませんが、民家のお庭の隅や、市街地の道路脇、国道沿いなどに、たくさん見られるようになります。ナガミヒナゲシは繁殖力が強く、油断できませんが、憎めない外来の雑草です。

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2011年4月16日 (土)

ハナニラにアシブトハナアブ

ハナニラ:
 ずいぶん昔のこと、春先に通りかかった農家の庭先で、雑草の間に見たことのない星型のきれいな花が咲いているのが目に止まり、しばらく見とれたことがありました。
 後日、大型ショッピングセンターの園芸コーナーで、球根フェアーがあって、「イフェイオン」と呼ばれる、原産地は南米のユリ科の多年草と知りました。
 和名はハナニラで、園芸種として、何種類か近縁種が売られていて、その何種かの球根を買い求めて狭い庭に植えたところ、驚くほど丈夫で、それ以来何年も植えっぱなしでも春にはたくさん花をつけて楽しませてくれます。
 放任すると四方八方に広がり、“先住民”を駆逐する勢いなので、手入れといえば、花後に株ごと引きぬき間引きすることです。

 現在は街中のどこでも見うけられて、今が盛りです。R0011303

R0011267

 
アシブトハナアブ:
 晴れた日には花を目指して、ハナアブがやって来て忙しく飛び回っています。R0011136_2

R0011136_3

 大きさ約13mm、胸部に縦筋があり、腹部の黄色い三角班が目立つハナアブ。名前のように脚は黒く、ももの部分が太い。
 都市周辺にもよく見られる普通種で、いろいろな花に集まる。
 出現時期:3~10月。分布:日本各地

 忙しいハナアブをぼーっと眺めていると、しばしの安息時間になります。

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2011年4月15日 (金)

難しい地震予知

        Cocolog_oekaki_2011_04_14_21_09

 地震予知「不可能でやめるべきだ」東大教授、ネイチャーに、という報道。
 http://www.natureasia.com/ja-jp/nature/specials/contents/earthquake/id/nature-comment-041411

 そこを何とか・・・

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2011年4月14日 (木)

桜が咲いて、まだいるコガモ、もうやってきたコチドリ

■桜の名所、染井吉野のトンネル満開に:
 先日の日曜日、福島原発事故の直後に緊急避難の人々を受けいれた桜の名所の隣市では、早々と恒例の桜まつりおよび関連イベントがすべて中止になっていましたが、1kmあまりに渡って連なる桜の古木のトンネルは満開に。
 運動を兼ねて自転車で片道1時間ほどですが、行ってみました。
 「宴会も禁止」が徹底していて、咲き誇るサクラだけがある静かな風景を楽しむ人でにぎわっていました。
 画面の隅に、期せずして、花を見上げて可愛らしいしぐさのお子さんの姿が入っていましたのでアップすることに。R0011220jpghcc

Photo

 
 桜のトンネルで、ピーヨ、ピーヨとやかましく、嘴の先を花粉で染めて、騒いでいるのはヒヨドリばかり。20114114r

 
 それにつけても、福島原発事故「レベル7」 チェルノブイリ級「最悪」 の大見出しが踊るマスコミ報道、そして解説。
 ジャンケンの後出しのような話や、揺れ止まらない余震、ゆれる政府。被災地の人々の胸中・思いは如何ばかりか。 

 
●コガモ:
 散歩コースの用水辺りには、そんな人間界の出来事など知らぬげに、たくさんいた留鳥のカルガモも移動、分散したのか少なくなりました。
 そんな中、「冬鳥」なのにまだ帰らないでのんびりしているコガモの姿がありました。
 (それにしても、近くに連れ合いの姿が見えません。相棒はどこに行ったの?、オトーサン)Photo_2

 
●コチドリ:
 そして、同じ視野の水辺に飛び込んできたのは、金色のアイリングをつけた「夏鳥」の、コチドリ。
 いつもは、5月、田植えの終わった水田にやってきて、酔っぱらいのような千鳥足で(といってもスピードは速いですが・・・)ジグザグに歩いては立ち止まり、水生昆虫などを食べているのですけれども。Photo_3

 あゝ、鳥はいいなあ。振り込めサギと借金トリはイヤだけど・・・。冬と夏、季節の鳥のバトンタッチです。

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2011年4月13日 (水)

春のメダカ

 水温む春、♪春の小川はさらさらいくよ、と唱歌にも歌われた春の小川、近郊の自然からこのような光景が失われて久しくなります。 

 春、水がぬるむようになると野生環境下で冬眠からさめたメダカの活動は活発になり始めます。
 13℃以下の低温下では脳下垂体ホルモン(ゴナドトロピン)や成熟誘起ホルモンの分泌が起こらず、卵巣内の卵母細胞の成長もないため、産卵は起こりませんが、温度がそれ以上に上昇するようになると卵母細胞が徐々に発達して増加し、20℃を越えるようになるとホルモンが多く出されるようになって産卵が始まります。
 暖地では4月中旬から9月中旬の約5ヶ月間くらいが相当し、天候や餌などの条件がよければ、ほぼ毎日産卵をするようになります。
 自然環境下でのメダカの平均的な寿命は1年半位だそうですが、管理された飼育環境などで条件がよければ、3年以上から5年くらいまで生きるようです。
 屋外のコンテナ水槽で、野生メダカの飼育をはじめて5年以上経ちましたが、同じ世代個体の管理など全くしていませんから、同じ個体が何年間生きていたのか分かりませんが、ともかく世代交代をしながら、今日まで維持されています。

 
 屋外コンテナで飼育している野生メダカはなかなか姿を見せません。人影を察知するといち早く隠れてしまいます。気づかれないところで見ている時には、日の当る水面に群れて浮かんでいるので、無事に冬を越したことが分かります。2r

 
 冬の間、給餌は全く不要ですが、3月末ころから、少しずつ給餌を始めました。見ている間にはまず姿を見せませんが、数時間後にのぞくと水面に浮いていた餌が無くなっていますので、食べているようです。
 それに比べて白メダカは”差別”するわけではありませんが可愛いです。人影を見ても気にもせず浮かんでいます。
 底にじっとしていればいいのにこれが災いし、先には、少し大きい余震でゆられて水槽から飛び出した水と一緒に放り出されてしまい、気がついたときには天の川の☆彡になっていました。
 写真はその”天災”(すぐ気づいて戻さなかった人災かな)の前の日、起きだしたタニシと一緒のツーショットです。R0011191_2

R0011195

 
 別の野生メダカの水槽には、水槽に沈めてあった鉢植えから逃げ出した外来種のナガバオモダカが、冬の間に水槽底土に直接根を張ってしまって花茎を伸ばし、あっという間に白い花をつけました。
 とにかく恐るべし。これ以上はびこらないよう、いずれ、根こそぎ抜き取らなければなりません。R0011189_2

R0011197410
 花だけ楽しむには、丈夫で手間いらずでいいのでしょうが、増えすぎます。

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2011年4月12日 (火)

ツマキチョウ

 今日も朝からドシンと余震。千葉県東方沖のM6.3。当地にだんだん近くなりました。もういい加減にお余震4。昨日とおなじにメダカ水槽はバッチャン。原発には異常なしで束の間の安心。

 さて明るい春の自然です。

ツマキチョウ:
 先日公園で見つけて、はじめて写真に撮れました。公園事務所前の植え込みにヒマラヤユキノシタが薄赤色の花を付けていて、ハナアブが飛び交っていたので、その前で座り込んでいたら、背中から、小さな子に声をかけられました。
 ”ジジイ、なにしてるか!”。(本当はもっとやさしいお言葉でしたよ)。
 花の周りをホバリングし続けて、なかなか止まらないハナアブにしびれを切らして、ふと横を見ると、草取りをまぬがれたヒメオドリコソウに何かくっついています。
 よくみると、迷彩を施した翅のわずかに開いた隙間から赤色がチラリ。とりあえず、動かずその場から1枚パチリ。(画像はクリックで拡大します)R0011121trm_2

 
 それからそっとにじり寄って、少しアップでもう一枚。R0011122trm

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 待っていても翅を開く気配がありません。それならば、正面に回ろうと中腰になったとたん、”バ~カ”、とでも言うように、さっと一直線に植え込みの向こうに消えていきました。残念の一言でした。
 ”おじちゃん、どうちたの?”。”うん、なんでもないよ。” 平和な公園の春のひととき。

ツマキチョウ(褄黄蝶)チョウ目・シロチョウ科
 モンシロチョウよりより一回り小さく、前翅長20~30mm。雄は前翅表面の先端が橙色だが、雌は白色。後翅の裏は編目模様の迷彩色で周囲に溶け込んでしまう。
 他のシロチョウのようにヒラヒラとは飛ばないで、直線的な飛び方なので区別がつく。暖かくて日当たりのよい日にはよく活動するが、天気の悪い日は活動を停止する。
 出現期:年1回、3-5月、春の間だけに現れる。
 なお幼虫は、ハタザオ、タネツケバナなどのアブラナ科を食べる。夏から冬の間は蛹で過ごし、翌春羽化する。
 分布:北海道から九州まで日本各地。

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2011年4月11日 (月)

サクラ満開にヒヨドリ、そしてツマグロヒョウモン幼虫

 昨日は午前中に統一地方選・県議選の投票に外出しました。投票所になっている小学校の校庭の桜が満開で、わずかながら花びらが舞い始めていました。
 先週にはやっとほころび始めたかなと思っていたのですが、その後、急に気温が20℃近い日が続いたからでしょう。 
 花散らしをしているのは案の定、甘いもの好きのヒヨドリ。

公園の桜:
 一週間前(4/4)の公園の桜。ほころび始めでしたが、開花を待ちきれないヒヨドリがうろうろ飛び回っていました。Photo

 
小学校の桜:
 4/10小学校。満開の桜で、ヒヨドリが蜜吸、花散らし。410

 
ツマグロヒョウモン幼虫:
 午後4時頃、郵便局から帰ってきたら庭先の、野生スミレの生えたプランターにこの春はじめて、いましたね、あのツマグロヒョウモンのお子様が。
 2頭です。Photo

 ご近所のおばさんに見つかると、必ずスミレの害虫”赤黒毛虫”と言って、割り箸でつまんで水路に放り込まれる因果なヤツ。
 まあ、当家の主は”理解がある”から、何も干渉しませんが。いつの間に、どこからやってきたのやら。もうかなり大きくなっていて、終令に近いのではないかと思うのですが。
 ヤドリバチに寄生されなければ、食草の野生スミレは勝手に蔓っていますから、食うに事欠くことはなく、チョウチョになれると思います。・・・頑張ってね。Photo_2

 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

追記(4/11pm10:10)
 午後5時16分、今日もまた余震。震源は福島県沖でM7.0、 震源地の震度は6弱の余震。近隣では隣市が5弱で、隣町は4ということ、挟まれた当地では4。
 小さな事件:
 せっかく先日きれいにして水を補充した屋外メダカ水槽の水がまたもバッチャン。夜更けて写真を見てから気がつきました。白メダカが1匹、外に水と一緒に放り出されているではないか!、あらためて外に出て見ると、絶命していました。仲間が眠る花の根元に埋めました。Photo_2

 むろん被災地ではこんなのんびりしたことではありません。
 そのあとも繰り返して夜遅くまでよく揺れました。その度に、被災地と原発は大丈夫かとそればかり気になって。
 まだまだ当分の間は気をやすめることは出来ないようです。頑張っていただきたいです。
 

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2011年4月10日 (日)

2011/3月末の信州路を歩く(その7) トビムシ

 3月末の信州路を歩いてきました

 田んぼの傍で、日当たりだけ雪が融けた林地の落ち葉の堆積を一掴み採取して、トビムシを抽出してみました。
 新しい生物分類学では、その居場所が確定しづらい位置にまで追いやられた、原始的で目立たない生きもの、トビムシ。
 大きさはせいぜい数mm以下。陸のプランクトンとも言われるように、どこにでも住んでいます。
 その多くはあまり光の届かない地表の近くで、落ち葉など有機物の腐植を食べ物としてひっそり暮らす草食系、自らは食物連鎖の上位にある肉食性生物の餌になっています。

 これまでも、時に少し気持ち悪い姿のものも登場するトビムシは、単なる「埋め草記事」で、しばらく気が向かないで途絶えていましたが、気分転換に腰を上げて、撮ってみました。

アカイボトビムシの仲間:
 体表面全体が、半球状の赤いイボで覆われたトビムシ。バネ(跳躍器)はありません。結構、毛だらけです。大きさは約1.5mm。肉眼でも赤色が粒のようによく目立ちました。
 写真(×30倍)は、プレパラートにする前に、背面および腹面から観察したもので、短い触覚の第4節と、3対の脚は白く見えます。2r

 
 プレパラート標本にしてから同様に背面、腹面から観察したもの。プレパラートにすると標本が透明化してきて、眼斑や、イボイボの体型などがよくわかるようになります。2r_2

 
シロトビムシの仲間:
 写真(×30倍)上はプレパラートにする前。下はプレパラート標本にしたもの。大きさは約1.2mm 。名前のとおり白くてずんぐりむっくりのメタボ体型。バネはありません。2r_3

 
ムラサキトビムシの仲間:
 写真(×30倍)上はプレパラートにする前。下はプレパラート標本にしたもの。大きさは約1.0mm 。基本的にメタボ体型で、体は紫色でバネはありません。2r_4

 
ツチトビムシの仲間:
 写真(×30倍)上はプレパラートにする前。光源の調整のため白く光ってしまいました。大きさ約0.6mm と小ぶりな個体で、スリムな体型です。
 下はゴミがまじって不出来なプレパラート標本。短いながらもバネを持っています。天敵のカニムシに襲われたりすると飛んで逃げるのでしょう。2r_5

 たまたま今回は見つかる種類が少なかったようです。
今回で、やっと白馬村の徘徊シリーズは終わりになりました。
                                      (完)

 完全封じ込めには時間がかかり、今や世界中で神経質に、さらには苛立ちに変わり、時には過剰・過敏に注目されている福島原発の放射性物質の漏出事故。ともかく早く収束してほしいと願うのは誰も同じです。
 ヨウ素-131の半減期は8日、セシウム-137は30年、話題にならないウラン238の半減期は45億年。地球誕生はおよそ45億年前(→http://www.ngcjapan.com/tv/lineup/prgmtop/index/prgm_cd/590)というから、地球ができた時のウラン238放射能は、まだ半分残っています。
 トビムシは昆虫類のもっとも古い化石として、4億年前の地層から出土しているそうです。その頃から、元気に、静かに暮らしてきたのでしょうか。

 

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2011年4月 9日 (土)

2011/3月末の信州路を歩く(その6) 古道 「塩の道」

 3月末の信州路を歩いてきました
 松本から糸魚川まで約120km(30里)の「古道 塩の道」。日本では岩塩の産出がないため内陸では塩を得ることが出来ませんでした。そこで海または川船の終着から内陸地へと塩が運ばれましたが、その道が「塩の道」。そして有名な千国街道です。
 (画像はクリックで拡大します)700250

 白馬駅隣の観光案内所に立ち寄って、「塩の道」について尋ねると、まずこの時期はすべて雪に埋まっていて通行できません。ただ自動車道になっているところだけは除雪されていますから大丈夫ですが、とのこと。
 また特に「古道 塩の道」に関するパンフレットや本は用意されていない、ということで、最寄りの書店を教えてもらって「古道 塩の道」(ほおずき書籍)を買い求め、泥縄式の“行き当たりばったり徘徊”に出発。

 白馬村の市街地に沿った塩の道は狭い道ですが舗装道路で、除雪されているので辿ることができました。白馬駅に近い交差路に、「塩の道(千国街道)」の案内看板があります。
 なおこの案内板は主要スポットの随所に設置されていました。R0011037

 
 傍に小さなお堂と足湯がありました。むろんお湯はありません。小さな「地蔵堂」の中には赤い服を着たお地蔵様がいるそうですが見られません。奥に、まだ雪に埋もれる「石碑群」があります。
 ここから北東に歩いていくと「平川神社」がありました。白馬村の産土神で、祭神は誉田別尊 息長足比売令 という。
 村役場や“本日休館”の札が出ている村の図書館や、スーパーなど寄り道し、道草を食いながらうろうろと。W1

 
 翌日、もっと“風情のある田舎道がいい”と、時々道に迷いながら行ったり来たり、途中でNew「道祖神」?にお目にかかり、その後、道路脇の案内に従って歴史的古民家「庄屋まるはち」へ。何とここも休日。
 Uターンして信濃森上駅を通り過ぎて東に折れ、またまた予定のコースをはずれて森上、塩島集落を巡り、道中、交差路の随所に見られる「庚申塔、道祖神、石碑」など眺めながら、せっせと歩き、橋の上から白馬三山が見えるはずのところに差しかかった時には曇り空。あいにく三山は雲の中で、白馬散々な目に。
 12時も大分まわり、お腹がすいたので、昼食を。道中に一軒あったコンビニの、”震災のため品種も数も入荷が少なく申し訳ありません”と張り紙のあるお弁当コーナーで買った”妙な取り合わせのお昼。
 雪の田圃の脇で濡れた地面にシートを敷いて座り込んで。
 少し休憩してからその先へ。姫川沿いの水田の中に「1本松とお堂」が見える、という所では、地図の表示と180度反対方向だったりしてすぐには見つけられず、雪の田んぼに1本松が見えて、ああ、あれのことかと納得し、白馬三山バックに写真スポットという歩行者専用「大出吊り橋」(やはり三山は雲の中)を渡ります。あたりは公園になっていますが雪でダメ。
 一度入り込んだ遊歩道、雪に埋もれた“詩の小路”は諦めて引き返し、自動車道を帰りました。それでも一日、いい運動になったので、運動量には満足したことでした。W2

 
 そして3日目、午後から雪の天気予報、”そんなところ、歩いて行く人はいませんよ”、と言われながら、スキー場と自然園で有名な「栂池」目指して片道5時間ほどのウオーキングへ。まず、道幅も広く整備された「塩の道通り」取り付きを目指します。
 辿りつくまで例によって“整備されていないくねくね道”を迷いながらも、魔除けのご利益があるという庚申塚、その他の石碑が並ぶ「切久保石仏群」に辿りつきました。やれやれ。
 そこから“整備された道”を歩き、松本藩によって篤く保護されたという「切久保諏訪社」へ。
 そして塩の道の名残を見せる杉並木(雄花のスギ花粉の出来は悪そうでした!)を辿り、やがてそろそろ飽きがきた頃にたどり着いた“車止めの向こうに旧塩の道へと続く橋があり、伝説「おかるの穴」がある”という山道は、一面雪に埋もれて進入もできず、洞窟も見えませんでした。
 古道の雰囲気が色濃く残っている、という街道筋あたりに残っていたのは雪ばかり。足の裏が痛くなったあたりで、やっとおばあさんに出会い、「風切り地蔵」を尋ねる。
 風害や病魔の風を鎮める力を持つと伝えられるお地蔵さんは雪の中に静かに佇んでおられました。
 お賽銭も上げられずに、人間の責任である”原発の風”もお鎮め下さい、と無理なお願いもしてから、雪に埋もれた落倉自然園の看板前と傍の石碑群を過ぎ、「栂池の下に広がる棚田」が見事、という風光はすべて見事に雪に埋れていて分かりません。犬の散歩に通りかかったおじさんの話では、5月過ぎないとねえ、とのこと。
 そして「松沢文殊堂(薬師堂)」:小さなお堂ですが、素朴な小屋組が建築学的にも面白い、とありました、そして隣の「石仏群」を過ぎると、もう間もなく予定コースの終着地、栂池です。W3s

 栂池でお昼にすることにして、美味しい手打ちそばをたべながら一息。午後から雪模様という天気予報でもあり、傘は持っていましたが同じ自動車道を歩く元気もなく、帰りは栂池から白馬駅まで路線バスに乗りました。他に乗客はなく貸切でした。
 たしかに文明の利器はすごいな、それに比べて二本足の効率の悪さよ、と、あらためて認識。バスの所要時間は30分でした。
 それにしても、やはり整備された広い車道は、歩くには心理的に”快適”ではありません。庶民が額に汗して塩を運んだ往時の苦労を偲びながら歩くには、苔むした山道や峠道のほうが辿り甲斐があるはずだ、などと勝手に思ったことでした。
 世情が落ち着いて、皆んなで頑張ればいい時が来て、季節の良い時期にまた機会があればと思うのですが・・・
                                    (続く)

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2011年4月 8日 (金)

2011/3月末の信州路を歩く(その5) クジャクチョウ、キセキレイ、ジョウビタキ、マス

 3月末の信州路を歩いてきました
 その間に、雪の残る郊外の林地などで見かけた鳥やチョウなどです。

クジャクチョウ:
 まだたくさんの雪が残る水田地域の枯葉色の林縁には、何種類かのチョウが舞う姿を見かけました。
 中でも特に目を引いたのは、翅にクジャクのような目玉模様があるクジャクチョウです。目の前を素早く横切る姿を見つけて追っかけをしましたが、残念ながらこの時は遂にシャッターチャンスに恵まれませんでした。
 翅の表はとてもきれいですが、裏側は真っ黒です。翅を閉じたままでは絵になりません。(それで以前に撮った写真も再掲しました。)
 成虫で越冬し、早春に姿を見せるクジャクチョウは、産卵を終えると死にますが、イラクサなどに生み付けられた卵は5月中旬には孵化して、7月頃には再び美しい姿を見せてくれます。
 高山でもよく見かけることがあります3r
 (再掲:2009/4.中旬、白馬村の親海湿原で撮影。翅が傷み、鱗粉も落ちていました。)20094

 
キセキレイ:留鳥
 人気も無く、雪に埋もれた社の境内の擬宝珠にとまっていました。体長 20cm ほどで、頭から肩、背にかけては灰色、上腹部が白色、下腹部が黄色で目立ちます。
 食性は動物食。日中は水辺を歩きながら水中や岩陰などに潜む昆虫類ややクモ類などを捕えて食べています。
 夏季は渓流沿いなどに好んで住み、市街地の水辺でも観察されます。冬季は単独で暮らし、積雪地に住むものは冬には暖地へ移動します。R0011036

 
ジョウビタキ:冬鳥
 オスのジョウビタキです。小雪の舞う市街地の公園で飛び交っていました。雪のある林地でも頻繁にその姿を目にしました。
 日本には冬鳥として渡ってきて、平地から低山の明るく開けた林の中に生息し、人里や都市部の公園などでもよく見られる身近な冬鳥の一つです。
 体長は約14cmで、スズメよりわずかに小さい程度。オスは頭上が“銀髪”で白く、目の周りが黒いのが特徴で、メスは頭が淡褐色なので簡単に見分けられます。いつまで居るのでしょうか。R0011078

 
養殖池のマス:
 小雪の中、大出公園を過ぎて白馬駅方面に向かうと、車道から”詩の小径”遊歩道を辿ることができるのですが、ほんの少し先にあるマスの養殖場まで行ったところで、その先は雪に埋れていて無理。引き返し、車道を帰りました。
 養殖池のマスは、丸々と太っていて美味しそうでしたね。アルプスの雪解け水清流がいいのでしょうか。R0010993

                                     (続く)

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2011年4月 7日 (木)

2011/3月末の信州路を歩く(その4) ウリハダカエデ、タラノキ葉痕、フキノトウ、コケ、マンネングサの仲間

 3月末の信州路を歩いてきました
いまだ雪がたくさん残る山野でしたが、木々の冬芽の他にも、道ばたの融け始めた雪や堆積した落ち葉を突き破ってフキノトウが顔を出し、またコケやマンネングサの仲間など、いろいろな植物も動き始め、季節は春に向かって足取りを速めていることを告げていました。

 
冬芽と葉痕・維管束痕:
ウリハダカエデ:
 冬芽は大きく、きれいな紅色の水滴形で、柄があります。葉痕は幅のあるV字形。維管束痕は3ヶ所で、1ヶ所に1~3個あります。小さな坊やに見えますか。2r

 
タラノキ:
 頂芽は円筒形で無毛です。葉痕はV字形~U字形で、枝をほぼ3/4周しています。
維管束痕は25個以上あり、太首おばさんの黒真珠の首飾りに見立てられます。それにしてもちょっとトゲがねえ・・・2r_2

 
フキノトウ:
 フキは山野の道ばたなどに生える多年草です。早春、葉が伸びだす前にトウ(花茎)が伸び、これをフキノトウ(蕗の薹)と呼んでいます。
 写真、上から2枚は、残雪の間に頭を出したフキノトウ。この状態で摘まんでみて、柔らかければ雌株、硬ければ雄株ということですが、それはともかくこのくらいが食べごろ。
 古来、特有の香りと苦味は、早春の味覚として楽しまれてきました。味に差があるのでしょうか。
 フキは雌雄異株で、写真の雄株は白黄緑色の花を密に散房状に付けています。また写真の雌株はかなりトウ(花茎)の伸びたもので、白色の花を付けています。
 雌株の中心部には少数の両性花があり、雌株は受粉後花茎を伸ばし、花後にはタンポポのような綿毛をつけた種子を飛ばします。
 開花時の草丈は5~10cmですが、結実時の草丈は80cm程にもなっています。花期は4~5月。分布は本州~九州。5r

 
コケ:
 みずみずしいコケ類も、雪解け水が勢い良く流れる水路沿いの道ばたにたくさん生えていました。スギゴケに似たものなど、気まぐれで何枚か撮りましたが、同定に必要な部分の画像がないので、名前はわかりません。Photo

 
マンネングサの仲間:
 日当たりの良い道ばたのあちこちにマンネングサの仲間が生えていました。自生種が結構たくさんありますが、やはり名前を調べるための写真がなく、分かりませんでした。
 雪の残る畑道にも生えていましたから耐寒性がある種類でしょうか。R0010964

                                    (続く)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
追記:
 先の巨大地震の余震は毎日途絶えることなくゆらゆら来ていましたが、(4/7)夜11:32頃の地震はかなり大きく、当地(埼玉県東部)は震度4ということでしたが、11:34頃に結構長く(1分以上ぐらい)、よく揺れました。
 揺れかたで震源地は遠いとすぐ分かりましたが、やはり震源地は東北地方で宮城県栗原市では震度6強という、そして津波警報も出されました。
 大事に至っていなければいいが、と案じられます。(pm11:58)

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2011年4月 6日 (水)

2011/3月末の信州路を歩く(その3) 冬芽と葉痕、維管束痕(オニグルミ、ハリエンジュ、タムシバ、ヤマウルシ、キハダ)

 3月末の信州路を歩いてきました
冬の間、山地や山里の雑木林、林縁に出かけると、葉を落とした木々が寒そうに見えますが、枝先をのぞき込んで見ると、春に備えて休眠している葉や花になる「冬芽」(とうが/ふゆめ)が目につきます。
 また葉が脱落した痕の「葉痕」と、その中に「維管束痕」(“維管束”は水分や養分が通る“管”のことで、葉、枝、幹、根とつながっています。そして葉痕の中に、その管(維管束)の断面が斑点のように残っているのが維管束痕です)があり、その数や並び方は木の種類によって異なっていて、葉痕と維管束痕のつくりだす形には、全体として、まるで人や動物の顔のように見えるものや、面白いものがあり、冬の雑木林歩きの楽しみにもなるのです。

 暖地では冬芽は既に動き出していますが、信州ではまだ春浅く、除雪された道路の林縁で、通りすがりに何種類かの冬芽と葉痕・維管束痕を観察することができました。いずれも雪を背景にして。

オニグルミ:
 羊の顔に見立てられることが多いです。この世界では有名です。ルーペなど必要なく、肉眼で十分楽しめる大きさです。雪焼けで黒い顔でした。R0010934

 
ハリエンジュ(別名ニセアカシア):
 冬芽は葉痕の中に隠れています(隱芽)。葉痕は丸みのある三角形で、葉痕の中央が盛り上がり3つに裂けます。葉痕の両側に鋭いトゲがあります。葉痕とトゲは悪魔のようだ、とか、オオカミのように怖い顔、と見られます。4r

 
タムシバ:
 花芽は大きく、ボサボサと乱れた白い軟らかい毛で被われています。葉芽は灰色の寝た毛に覆われています。葉痕はV字形、維管束痕は多数が1列に並んでいます。観察にはルーペが必要です。
 使い古した筆のようです。3r

 
ヤマウルシ:
 枝先の頂芽は大きく、水滴形~円錐形。葉痕は肉眼で十分楽しめる大きなハート形~三角形でやや隆起して。います。観察した時はすべて赤ら顔でした。
 維管束痕一個の形はV字や三角、丸、線形など色々です。それが5個、V字形に並んでいます。酔っぱらいの顔、かな。Photo

 
キハダ:
 オニグルミさん同様、この世界の”有名人”。ピエロに見立てられることが多いようです。
冬芽はほぼ半球型で、赤みを帯びた茶色の伏毛に覆われています。葉痕はO字形で、肉眼で観察できる大きいものです。維管束痕は3個あります。2r

                                    (続く)

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2011年4月 5日 (火)

2011/3月末の信州路を歩く(その2) 山の風景

 雪の多い3月末の信州路をほっつき歩いて、白馬三山をたっぷりと眺めてきました。平地から眺める風景には、たいてい、どこに行っても、建物や電柱、電線ケーブルなどが容赦なく前景に立ちふさがって、スイスのように観光立国を国策として景観の整備・保全に注力してきた国と異なり、邪魔が入らない場所はなかなか見つかりません。
 それでも、手にした”自転車と徒歩で楽しむ白馬小径”マップを見ながら、撮影スポットと紹介されている場所をたどってみると、なかなかの景観を楽しむことができました。むろんお天気しだいですが。
 日本の道百選のひとつ、松川にかかる白馬大橋からの眺望は、3日間、通いましたが、天気さえよければ、素晴らしいものです。まだ山肌は真っ白で、雪解けと共に山肌に現れる”雪形”を楽しむのには、早すぎましたが。

 
パノラマ:
 画面左から、鹿島槍ヶ岳(2,889m)は逆光の中ではっきり見えませんが、続く五竜岳(2,814m)、そして唐松岳(2,696m]は撮影位置からは、多分前景の八方尾根に殆んど隠され、続いて白馬鑓ヶ岳(2,903m)、杓子岳(2,812m)、白馬岳(2,932m)、小蓮華山(2,766m)の大パノラマです。(画像はクリックで拡大します)Photo_2

 
五竜岳、白馬鑓ヶ岳、杓子岳、白馬岳:Photo_3

 
白馬大橋からの白馬三山眺望:
 雪形が見られるのは5月から。2r

 
除雪処理:
 白馬大橋の下流側は除雪処理場になっていて、ひっきりなしにダンプが雪を運んできます。ダンプから下ろされた雪は河岸目がけて、白い雪煙となって飛ばされていました。R0010950

 
五竜岳、唐松岳不帰の嶮、八方尾根 、天狗尾根白馬鑓ヶ岳:
 白馬大橋を過ぎて、北東方向に市街地を通り過ぎ、除雪された生活道路を新田地区の方へ向かうと、五竜岳、唐松岳不帰の嶮、八方尾根 、天狗尾根白馬鑓ヶ岳~となかなか見ごたえのある景色が広がっていました。R0011028

 やはり、二本足で歩くに限ります。あとでゆっくり温泉には浸かれますし・・・
                                    (続く)

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2011年4月 4日 (月)

2011/3月末の信州路を歩く(その1)

 1月に確定していた地元出発の”超安値フリープラン・バスの旅”が間近になっても、震災のため中止になるのか催行されるのか、またキャンセルしたらどうなるのか等が、なかなかはっきりしないでいたところ、出発3日前になって催行決定したという連絡。
 その売上の一部は震災被災地への義援金に、また地域経済の萎縮緩和にも役立つから、という。
 それならば引きこもり、運動不足の一時解除にもなるか、ということで、3月末の信州(白馬村)をただひたすら、頭をカラッポにして(実は何時でもそうなのですが)歩いてきました。
 春になっても降雪が止まなかった信州はまだ真冬の風情でした。主要道路は除雪されていて、歩くには問題ないところが大半でしたが、地域によっては除雪された雪で歩道が埋まっていて歩けず、さりとて車道に出ると危ないし、またハイキングコースや“塩の道”の古道はすべて雪に埋もれたままで、スノーシューがなければ通行は不可でした。
 例年でも5月以降でないと雪は消えないそうですが、今年は特に多いということでした。

 震災被災地支援ということがここでも浸透していて、コンビニやスーパーなどにも乾電池は在庫がなく、その他の日用品、また水の2リットル・ペットボトルは在庫なしで、その他食料品なども品薄という状況はどこも同じでした。

 それはともかくとして、4日間(バス往復のため、行き、帰り日は半日ずつでしたが)、ただひたすら自前の足でテクテク歩いて、それまでの閉じこもり生活による運動不足のストレスも解消できました。
 あらためて、小人閑居して不善を為す、つまらない人間が暇でいると、ろくなことをしないし、考えもしない、ということの実感も。
 (画像はクリックで拡大します)201132131

 初日が1番の好天。2,3日目は晴れのち曇り、4日目は前夜から続く曇り空の小雪模様でしたが、日中は思ったほど寒くありませんでした。やはり季節は巡っていることがわかりました。

 
 道中、バスの車窓からの風景:
上信越自動車道で、群馬県の横川SA付近前後では妙義山が展望できます。雪は殆どありません。3r

 
 長野県に入ると雪の浅間山が目に飛び込んできます。噴煙が見えました。R0010873jpgtrmhcc

 
 千曲川を渡り、白く輝く北アルプスを遠望しながら、長野ICで一般道へ下りたところで昼食。北信五岳の一つ、飯綱山が目の前に見える果樹園では、春の手入れ作業が始まっていました。3r_2

 
 しばらくして、白馬三山(白馬鑓ヶ岳、杓子岳、白馬岳)が大きく見えるようになると、間もなく目的地到着です。R0010888
 
(ホテル着13:24)
 チェックインを済ませたら、以降は帰りのバス迎え時間まで、4日間ずっとフリータイム。早速歩きに出かけました。
                                     (続く)

 

[本日(4/4夜)のおまけ]
 興ざめながら、暇つぶしに見ていたドイツ気象局のホームページ。ご親切情報。おお怖!(英語も併記されています)
http://www.dwd.de/wundk/spezial/Sonderbericht_loop.gif
http://www.dwd.de/bvbw/generator/DWDWWW/Content/Oeffentlichkeit/KU/KUPK/Homepage/Aktuelles/Sonderbericht__Bild5,templateId=poster,property=poster.gif
 [4/5朝、追記]: 
 なお、上記URLは、通信事情によって開けない時もあるようですので、下記に元のURLを追加しました。
 http://www.dwd.de/   (開いたページを下にスクロールしていくと、福島原発から出た放射性物質の、ここ数日間(4/4~4/7)の日毎、拡散分布予測(静止画像)とともに、上記URLのループ動画が掲載されています。なお言語は英語に切り替えできます。)Sonderbericht__bild4templateidposte

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2011年4月 3日 (日)

ツグミ、シラコバト、トリウム

 今日は、昨日と違って日中の気温は7℃位までしか上がらず寒い日でした。極端ですね。どうでもいいですが、おまけのユルーい余震も1回。

 さて、ゆるーいブログです。

ツグミ:
 先日、春の雑草が一斉に花開きはじめた草地に、まだ帰り支度の群れに参加しない呑気者のツグミがいました。
 夏季にシベリア北部で繁殖し10月頃シベリアから大群で渡ってくる冬鳥の代表です。その昔はカスミ網で一網打尽にして焼き鳥にされましたが、野鳥保護のため全面禁止になったシンボルの鳥。
 日本へ着くと群れを解いて、田畑や低い山の林に散らばって生息、3月なかば頃になると再び群れて北へ帰ります。
 地面におりて時々胸をはりながらホッピングするように歩きまわり、枯葉の下の虫類を探して食べています。ヒバリのように、やかましく囀ることはなく、縄張り宣言などもせず、口をつぐんでいます。だからツグミ、とも。2011324p3240013

 
シラコバト:
 3月下旬、小雨模様の昼下がり、街中で珍しくシラコバトが飛ぶのを目撃。あいにくポケットにはコンデジしかなく、曇り空バックの逆光で、酷い写真ですが、うしろ首に黒い線が確認でき、確かに目撃したという証拠記録に。R0010767jpgtrmcc

 シラコバトは天然記念物に指定されている埼玉県の県鳥。普通のハトと比べて、白っぽくて大きさは33cmほどの小柄な感じです。また、首のうしろに首かざりのような黒い線がありますので、ほかの鳩と明確に区別できます。
 かつては埼玉県越谷市周辺でしか見られないと言われていましたが、その後の追跡調査によると、数も少しずつ増え、生息域も広がってきているそうです。
 現在、環境省レッドリストで、絶滅危惧II類(VU)の評価。

 
トリウム:
 まるで関係ない話ですが、鳥にひっかけてトリウム。しばらく昔のことですが、こんな記事もありました。
 「科学者たちは以前から、原子炉の燃料としてトリウムを利用することを考えていた。自然界に存在するトリウムは、ウランに比べて埋蔵量が豊富で、使用する際の効率や安全面でも優れている。それに加え(ウランと異なり)、使用した燃料から核兵器の開発に使われるプルトニウムを取り出しにくいという点も好ましく、原発など原子力の平和利用には本命の元素と見なされていたのだ」。その後どうなったのか・・・
 やはり、市場経済原理の中で、トリウムへの移行が有利に働くような経済的条件が整うまでは、なかなか難しいということで足踏みのままとか。
 地球温暖化は食い止めなければならないし、エネルギー源をどこから確保するかは、もちろん地球レベル、世界各国共通の課題。
 ただ経済合理性だけが絶対条件ではありえないことも、誰もが認識していることでしょうが。

参考:
1)https://app3.infoc.nedo.go.jp/informations/koubo/other/FF/nedoothernewsplace.2009-02-09.3960481985/nedoothernews.2010-07-14.7324681214/Tanaka%20Nobuo(IEA).pdf
2)http://www.meti.go.jp/committee/materials2/downloadfiles/g80708a07j.pdf
3)http://unu.edu/esmf/22nd/22-1st.pdf

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2011年4月 2日 (土)

キュウリグサ

 今日は日中の気温が20℃を越え、習慣で今までと同じように着込んでいたら暑くて、ジャンパーを脱ぎ、マフラーをとり、ベストも脱いで、と間抜けな話です。
 おかげで、大量の花粉が飛んでいます。おまけの余震(震度3)もありました。

 野原の雑草が一気に花をつけだしました。私の好きなキュウリグサですが、例年2月末から3月初めには目にしたものですが、今春は、先の東日本大震災のせいもあって、しばらくうろうろ外出もままならなかったこともあり、先日やっと街中で見つけました。
 当たり前ですが、いつもとかわらぬ草姿に、人間の思惑を超えた自然の営みを感じることができました。

キュウリグサ:
 葉を揉むとキュウリの香りがする道ばたに生える2年草の雑草なのですが、花粉症で鼻が馬鹿になっているこの時期、嗅いでみても何も匂いません。R0010758_2

 
 花はごく小さく直径は5mmほど、花弁は水色で中心付近が黄色の花冠です。一見、五弁花のように見えますが、基部で全部つながっています。R0010758_3

R0010758trmcc_4

 
 花序は最初サソリの尾のように巻いていますが、2r_2

 
 花が咲き進むにつれてまっすぐになり、立ち上がっていきます。R0011106

 このような花序は「サソリ型花序」、または「巻散花序」と呼ばれ、ムラサキ科の植物に多い形です。

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2011年4月 1日 (金)

絶対の安全とは/ヒドリガモ

 東日本巨大地震発生から3週間が過ぎました。4月、自然界は晴れやかな春本番ですが、現実は暗雲低く垂れこめたままです。

ヒドリガモ:
 1週間ほど前、用水沿いの堤防に、冬鳥のヒドリガモの一群がたむろしていました。堤防に上がって若草を食べていたようです。北に帰る準備で、体力をつけるためでしょうか、熱心に若草を食んでいる様子でした。それで堤防の通り道には緑色イモムシのような形のウンチがいっぱい。
 余計なことですが、見事に、きっちりつがい(夫婦)になっていましたね。(撮影2011.3.24)2011324r0010798

2011324p3240003

 いつごろ北に帰るのか、はっきりしたことは承知していません。今年は3月になっても真冬の気温が多かったので、帰りそびれていたのでしょうか。
 ヒドリガモたちには巨大地震なんて全く無関心な出来事だったでしょうが、おせっかいながら、あまり長居しないで、もう帰り支度を整えたほうがいいかのでは、と眺めてきました。
 その後はどうしたのか見ていませんが。長旅の道中、安全に気をつけてお帰りを。

 
絶対の安全とは:
[新薬]
 まだ肺がんの効果的な治療薬がなくて、待ち焦がれていたときに、イレッサが登場し、2002/7/5,承認申請から僅か5ヶ月余りという、それまでの新薬許認可行政にはなかったほどのスピードで承認されました。
 しかしその後、副作用による死亡例が続発したため訴訟、裁判になり、2011/3/23日、初の国敗訴と報道されています。
 その当時も、海外では使われているのに、日本では承認・許可に時間がかかっていて使えない新薬があり、そのせいで救われるかも知れない命が失われているとする、「ドラッグ・ラグ」が問題にされていました。
 “絶対の安全”は何事においても確保すべき理想です。誰にも異論はありません。新薬、原発、宇宙ロケット、・・・・・・・、巨大地震、さらに巨大隕石の衝突という自然の猛威、脅威からも・・・

[原子力発電と放射線]
 3月31日 18時28分 NHK ニュースから: 
 福島第1原子力発電所事故が収束する見通しについて、政府、東電いずれからも、現時点では見解が示されていない中、事故対応の支援のために来日しているアメリカの原子力関連メーカー「B&W」のロバート・コクラン氏は、NHKの取材に対し、今後の見通しについて原子炉の安全な冷温停止状態に漕ぎ付けるのに数週間、最終的に燃料棒を取り出して封印するには数年かかるだろうと述べたと報道されました。
 すなわち、「原子炉と燃料プールを安定させ、冷却状態を保つとともに、放射性物質に汚染された水の拡大を防止するという緊急の対応をするだけで少なくとも数週間程度かかる」、
さらに「燃料棒を取り出し、保管するといった長期的な対策にはさらに数年間はかかる」と述べ、事態の収束は長期化するという見方を示しました。
 ともかく世界中の英知を集め、専門家の支援を得て最優先の国家的課題としてこの危機を克服する手立てを一刻も早く見つけて欲しいと願うばかりです。

 無差別大量殺人兵器、原子爆弾の洗礼を受けた日本です。科学的にも、そして心情、情緒的にも、放射能/放射線は恐ろしいもの、というイメージは日本人の脳裏に染み込んでいます。
 恐れることは生物にとって重要な防衛本能、感覚・感情なのですが、ただ、やみくもに恐れるのではなく、”正確に恐れること”はなかなか難しいものです。
 個人にとっては純粋に科学だけの問題ではなく、最後は哲学の問題なのかも知れません。
 チェルノブイリ原発事故後、エストニアの事故処理作業者の死因のトップは放射線障害ではなく、自殺であり、事故による自殺の有意な増加が認められているそうで、こういうことは何としても防止したいものです。(残念なことですが、先日(24日)、福島原発事故に関連した県産野菜の摂取制限指示に、有機農法の野菜農家が「もうだめだ」と自殺、という報道もありました。お気の毒です。)

 放射線を浴びた(被曝した)際の健康への影響については2つの学説があるようです。
 1つは“確率的影響”というもので、放射線の生体影響について「放射線の強弱に関わらず、放射線を浴びるほど健康への悪影響が懸念される。「放射線はどんなに微量でも毒」という考えで、どんなに弱い放射線でも被曝を避けることが推奨されています。こちらが定説らしいのですが。
 もう1つは“確定的影響”というもので「弱い放射線は健康への影響がない」という考えで、「この程度以下であれば問題がない放射線の強さ」つまり「低量放射線量のしきい値」が存在するという立場です。
 いずれが正しいのか、場合により、その両方があるのか、専門家の間でも意見が分かれているのが現状のようで、素人には分かりようがありません。

 私たちは普通に生活していても、たえず自然放射線を浴びています。日本では1年間で約1.5ミリシーベルトだそうです。
 なお地球上の地域により異なり、世界平均では1年間に2.4ミリシーベルトだそうで、それからみれば日本は少ない地域です。
 また、上空に行くほど宇宙線の影響を受け、例えば、成田・ニューヨーク間を飛行機で往復すると約0.17ミリシーベルトの放射線を浴びるとのことです。(海外旅行に行く時に心配していますか?)
 さらに、国際宇宙ステーション(ISS)では1日に約1ミリシーベルトの放射線を浴びると言われています。
 若田光一さんは、2013年末に打ち上げられるロシアの宇宙船ソユーズにて、日本人初のコマンダー(船長)としてISSに乗り込み、そこから約6カ月間もの長期滞在を実施すること(予定)になっていますが、大丈夫なのでしょうか。

 日本には多くの温泉があり、中でもラドン温泉あるいはラジウム温泉は人気があります。有名なのは玉川温泉(秋田県)、増富温泉(山梨県)、三朝温泉(鳥取県)などです。それらの温泉に入れば微量ながら放射線を受けることになります。
 そういう事から、微量の放射線は体を活性化させて健康に良い、という報告があり、これはホルミシス効果と呼ばれるそうですが、再現性がないなどの意見もあって、学問的にはまだ確立されたものではないとの見解もあるようです。

 怖いものを正当に怖がるために、素人にも分かりやすく、その理由を知りたいものですが・・・

参考
1)「みんなのくらしと放射線」 知識普及実行委員会編 大阪公立大学共同出版会(2008.8.15):くらしにかかわる放射線について広く解説されています。)
2) 「人は放射線になぜ弱いか」 第3版 (ブルーバックス) 近藤宗平(著) (1998.12.20):少しの放射線は心配無用とする立場から書かれています。当然批判的な人も多いようです。)
3) http://tnakagawa.exblog.jp/15130220/
4) http://www.u-tokyo-rad.jp/2011/03/17104924.html
5) http://www.aesj.or.jp/
6)  http://www.u-tokyo-rad.jp/data/toudaivol4.pdf
7) http://mitnse.com/

 

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