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2012年3月12日 (月)

モニターツアー(岩手県久慈市)(3)

 三陸海岸に沿うように走る三陸鉄道北リアス線は3.11,大津波の襲来で線路、コンクリート製の橋脚、駅舎(島越)まで流出して不通になりました。
 しかし奮起した社員の皆さんによってなんと被災5日後には久慈~陸中野田間を無料で運転再開。住民の足として、また救援物資を運ぶ手段として大活躍したという。
 その後復旧の現状ですが、この4月には陸中野田~野田玉川間の線路も再建され、分断されていた鉄路が田野畑までつながる予定だそうです。
 駅舎まで流出した島越駅の復旧には少し時間がかかりそうですが、それでも2014年(平成26年)には現在全線が運休している南リアス線(4月から一部で運転再開)を含めて、全線の工事が完成する予定だということです。Blgimg_1378_2

 
モニターツアー2日目です。
 久慈からバスで田野畑村の断崖絶壁の自然景勝地、北山崎に向かいます。以前にこの地に三陸海岸沿いを走るバス/列車の旅で訪れたことがありましたが、その時は大津波災害など、夢想もしませんでした。(→ネット掲載の参考記事:23/5/1三陸海岸被災視察 http://www.jsce.or.jp/committee/eec2/eq_report/201103tohoku/kiyono2.pdf )
 今、バスの車窓から目する海沿いの光景はすっかり変わっていますが、村内の被災エリアはガレキの撤去作業が終わり、観光バス等の大型車両の通行も可能となっています。
 到着後、現地同行の『北山崎ネイチャーガイド』さんから、あらためて”九死に一生を得た”という当時の生々しい体験を交えた被災状況や、現在の復興に向けた動きなどを伺いながら北山崎と周辺施設を見学。
 北山崎の観光施設などは海面から約200mの断崖(高台)上にあるため、津波による直接・物理的被害はなかったのですが、最大の被害は、旅行客の足が完全に遠のいたまま、なかなか戻らないことと伺いました。
 現在、村を挙げて鋭意その対策に取り組んでおられます。(東日本大震災に関連する「田野畑村観光情報」について[平成24年2月1日現在]→ http://www.vill.tanohata.iwate.jp/userfile/20120201kannkouosirase.pdf )Blg

 
 見学後、バスの車窓から津波被害の大きかった羅賀地区を目にしながら、田野畑駅に向かいます。ここでは新たに、本業は平井賀漁港の漁師さんで、家は跡形もなく流されたという『大津波体験語り部ガイド』さんの同行です。
 平井賀漁港海岸から津波が遡上して被害を受けた田野畑駅周辺を案内いただきました。幸い田野畑駅舎は大きな災害を免れたのですが、周辺の住家には大きな被害が出ていました。現在は復旧工事が進捗しています。Photo

 
 続いて海側の平井賀漁港地区に移動します。車両を模したユニークな造形の水門は津波の遡上を阻止できなかったのです。
 ガイドさんの家は水門のすぐ傍だったそうです。平井賀漁港海岸の津波遡上高(推定値)は25.5mと(ガイドさんから頂いた)資料に記載がありました。
見学を終えて、ここで、案内いただいた「大津波体験語り部ガイド」さんにお礼を申し上げてお別れです。Photo_2

 
 次に最後の島越漁港周辺地区に案内されました。ガイドは引続き「北山崎ネイチャーガイド」さん。島越漁港海岸の津波遡上高(推定値)は23.7m。唖然とする光景で、あらためて津波の破壊力を再認識させられました。
 駅裏手の高台にあった住家は残り、また駅前に設置された宮沢賢治の[発動機船第二]詩碑は、津波遡上方向に対して縦向きだったため抵抗が少なくて倒されなかったということで、傷ついていますが残っていました。Photo_3

 これですべての見学を終えて、「道の駅たのはた」でガイドさんともお別れし、一路帰路へ。
 久慈まで戻り、郷土料理「まめぶ」作り体験と「まめぶ汁」などの昼食。そして白樺林の雪原が広がる「平庭高原」を経由して、さらにバスに揺られながら新幹線盛岡駅まで。
 新幹線で22時30分、帰宅しました。

 終わりに、多くの被災地の一日も早い復旧、そして復興を願ってやみません。
 また今後も巨大地震の発生が予測される地震列島日本に住む限り、それなりの覚悟とともに備えをしていく責任があるとあらためて感じたことでした。                         (完)

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コメント

 カミのみぞ知る、明日は我が身かも知れませんね。

投稿: クロメダカ | 2012年3月15日 (木) 08時40分

7年以上前ですが、山古志村が壊滅的被害を受けた中越地震の直後、新潟県の山旅をした事がありました。「余震の恐れがある」、「物見遊山的で不謹慎」、「被害のあった地域の人々の神経を逆なでする」・・・これらが当時の世間の風潮でした。
でもね、被害があった地域であるからこそ逆に訪れ、無言の応援を送り、(地元に)お金を落としてあげるほうが良いのじゃないかと考えて旅を決行しました。
結果、自分たちの判断が間違っていなかったことを実感しました。
クロメダカさんのモニターツアーのブログを読みながら、その頃の事を蘇らせていました。東北で感じた事を、もっとどんどんPRしてあげてください。
「絆」は言葉だけのものではありません。実践されてこそ意義が生ずるものなのですから。

投稿: ハクナマタタ | 2012年3月13日 (火) 23時46分

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