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2012年10月20日 (土)

古事記1300年 出雲大社大遷宮 特別展          -出雲-

 『古事記1300年 出雲大社大遷宮特別展 出雲 』(上野・東京国立博物館))に行ってきました。Img093

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 今年は『古事記』編纂から、ちょうど1300年にあたります。
 古事記は、7世紀後半、天武天皇の勅命によって、稗田阿礼が誦習していた言い伝えを太安万侶が筆録した日本最古の歴史書です。
 上・中・下の3巻からなり、神話や推古天皇までの神々と天皇家の系譜、伝承、和歌などが記載されています。
 特に上巻のいわゆる「日本神話」にかかわる記述に大きな影響を与えたのが『出雲風土記』

 上野公園では折しもツタンカーメン展(上野の森美術館)の開催中で、それも目的のひとつらしい修学旅行団体、その他で大変な人出でした。
 当日入場券もすぐには買えず、時間区切りで、次の発売開始まで1時間以上待たなければならないという、ハンドマイクからの“叫び声”を聞きながら、そして入館待ちの長い行列を横目で眺めながら、出雲展会場の東京国立博物館へ。Pa193314cc

ここで脱線:
 ツタンカーメンの黄金のマスクは、古代エジプト人の死生観の象徴ともいえるでしょうが、古代日本人の死生観の一端を示すものとして『出雲風土記』に「脳(なづき)の磯」に関する記事があります。
 昔、博学の知人から「黄泉(よもつ)ひら坂」の話を聞いて以来、そこは何処か、と頭の隅にあったことでもあり、電車の時間つぶし用に携行していた『出雲風土記』文庫本*を辿るうちに、見つけました。
 (*『出雲風土記』 全訳注 萩原千鶴(講談社学術文庫))
そこは宇賀郷の脳礒にある「黄泉穴」であると。

 宇賀郷。郡家正北一十七里二十五歩。
所造天下大神命,誂坐神魂命御子,綾門日女命。尓時,女神,不肯,逃隠之時,大神伺求給所,此則是郷。
故云宇加。即北海浜有礒。名脳礒。高一丈許。上生松,芸至礒。邑人之朝夕如往来,又,木枝人之如攀引。
自礒西方窟戸,高広各六尺許。窟内在穴。人不得入。不知深浅也。夢至此礒窟之辺者必死。
故俗人,自古至今,号黄泉之坂・黄泉之穴也。

 そしてまた、Web上でその穴は何処かと検索していくと、その一つは「島根県出雲市・猪目洞窟」。(異説もあるそうです)。心霊スポットになっているとか。

 脱線してしまいましたが、今回は(いずれお世話になる)黄泉の国への旅立ちガイドではなく、出雲聖地の至宝を拝観することです。
 会場の東京国立博物館(平成館)では特別展「中国 王朝の至宝」も行われていますが、博物館内は混雑には無縁で、音声ガイドを借りて、じっくりと鑑賞することができました。Photo

 撮影禁止で、絵はありませんが、特に印象に残った展示などのいくつかです。

●銅戈・勾玉:
 (弥生時代・前2~前1世紀、真名井遺跡出土(出雲大社)
 寛文5年(1665)に出雲大社の東方約200mにある命主社(いのちぬしのやしろ)の背後の大石の下から出土したと伝えられる銅戈(どうか)と勾玉。
 銅戈は北部九州から、また翡翠製の勾玉は北陸地方(新潟県糸魚川産の原石)からもたらされたと考えられています。
 透きとおった緑色翡翠の勾玉は本当にきれいでした。写真など印刷物からはなかなか本物の輝きは伝わりませんね。
 青銅器と勾玉が共伴する埋納は他に例がないそうです。弥生人はどんな想いを込めていたのでしょうか。

●出雲大社本殿復元模型と宇豆柱(3本一組)
 平成12年(2000)に発掘調査で出雲大社境内遺跡から出土。
 平安時代の出雲大社の本殿に関しては諸説があるようですが、高さは16丈(約48m)で、当時の奈良の大仏殿よりも高かったといわれています。
 今展の展示物はその10分の1の復元模型ということでした。本殿は9本の高い柱で支えられていて、長い階段が設けられており、正面中央にある柱が宇豆柱。
 本殿の棟を支える柱で、3本の杉の大木を束ねて1つの柱とされていました。1本の長径は平均1.3m、高さ約1.3m、推定重量1.5トン。3本を束ねた直径は約3m。柱のまわりには大きな石がぎっしりとつめられていたという。
 この巨大な柱を基本に、5人の建築史の研究者がそれぞれの復元模型を提示。今回展示されていたのは京大・福山敏男氏によるもの。

●荒神谷(こうじんだに)遺跡と加茂岩倉遺跡から出土した大量の青銅器は、弥生時代の社会のイメージを大きく変えることになりました。
・荒神谷遺跡出土の青銅器(弥生時代・前2~前1世紀)
 谷間の斜面から4列に整然と並べられた状態で発見された銅剣358本。これは日本全国からの出土量をはるかに凌ぐもので、しかも荒神谷に埋納された青銅器はそれだけではなく、その奥、約7mの地点に銅鐸6個と銅矛16本も発掘されました。
 荒神谷遺跡の発掘は、大量の青銅器の埋納、さらに銅鐸と銅矛が一緒に発見された初めての例としても、これまでの古代史の常識を覆す大発見で、加茂岩倉遺跡出土の銅鐸も含めて、これらの遺物はすべて国産の青銅器で実用のものではなく、祭りに使われたものであるという。
 それなら祭りに使った銅戈、銅鐸、そして銅剣358本を一括して出雲の山の中に埋納するという祭りのありようは一体何かということで、その謎はいまだに解けないままだそうです。

・加茂岩倉遺跡出土の銅鐸(弥生時代・前2~前1世紀)
 谷奥の斜面から工事中に39個もの銅鐸が偶然発見されました。1か所から発見された数としては最多のもの。
 これらの銅鐸は大・小2つのグループに分かれますが、それぞれが「入れ子」の状態で埋納されていたと考えられています。
 またこの銅鐸群には、シカやトンボなどの絵画をもつものや、同じ鋳型から作られた銅鐸が複数存在するという特徴がみられます。

●秋野鹿蒔絵手箱:
 鎌倉時代・13世紀(出雲大社)
 手箱は化粧道具や身のまわりの品々をおさめた箱で、蓋表に咲き乱れる萩と小鳥、萩の下の水辺に憩う3頭の親子の鹿を蒔絵や螺鈿(らでん)で描き、箱の側面にも萩や菊、桔梗、小鳥が表現されています。
 余談ながら、この装飾デザインの小鳥を模したラバー製のストラップを買ってきました。R0028710trm

 
神話の国 出雲,そして出雲大社。
  中世の俗説には、10月に全国の神々が出雲大社に集まり、諸国に神がいなくなることから「神無月」に、出雲国では反対に「神在月」と。
 ともあれ、当方、縁結びには縁がありませんから、これからご縁があるのは「よもつひらさか」 ですね。

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