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2013年2月11日 (月)

モロッコへの旅(2013/2)(7日目)アイドベン・ハッドゥ見学、オート・アトラス山越え、マラケシュへ

●7日目日程:
 ワルザザート→ティフルトウトのカスバ(映画「アラビアのロレンス」のロケ地)→アイト・ベン・ハッドゥ→オート・アトラス山脈のティシュカ峠(標高2,260m)越え→タデルト→ハウズ平野→マラケシュまで。
 夕刻、マラケシュのジャマ・エル・フナ広場見学、また夜、モロッコ伝統のアクロバット騎馬ショー見学も。

・午前
 朝食後バスでワルザザートを発ち、ティフルトウトのカスバ(砦)に立ち寄り、写真ストップ小休止だけで、すぐにアイト・ベン・ハッドゥへ向かいます。

 ワルザザートを出発してすぐに、映画スタジオ(アトラス・コーポレーション・スタジオ)があり、さらに1.2kmほどの町外れに★タウリルトのカスバがあります。
 ここは映画『シェルタリング・スカイ』の舞台にもなったことでも知られています。また道を挟んでカスバの反対側に★芸術村(Ensemble Artisanal)があります。
 いずれも写真ストップの立ち寄りだけでスルーです。
 そしてさらに(ワルザザートの町から)西に8kmほど行ったところに★ティフルトウトのカスバあり、ここも写真ストップのみ。
 ここはアラビアのロレンス映画撮影にも使われたところで、映画の中にも建物のシーンがあります。
 そこから少し過ぎた辺りの★礫砂漠地帯(写真)でも、ロレンスの映画が撮影されたそうです。その先では、★ワルザザート谷が俯瞰できました。
 さらに進んで★アイト・ベン・ハッドゥの全景が見えるビューポイントでバスストップ。
 遠くにはアトラス山脈が、また集落のまわりにはアーモンドの花が咲いているのが遠目にも確認できました。(以下の画像はクリックで拡大します。)Blg7_2

 そしてほどなく本日の見学メインスポットのアイト・ベン・ハッドゥ到着。

●世界遺産※要塞都市アイト・ベン・ハッドゥ(1987年登録):
 ワルザザートの町から西へ33Kmに位置するアイト・ベン・ハッドゥは(要塞化された村)『クサル』です。ここは350年ほど前に出来たクサルで、特別有名な話や歴史などはないままに残ってきて世界遺産になったと聞きました。
 アトラス山脈の麓で、ワルザザートとティネリールを経て、エルフードの近くのエルラシディアを結ぶ街道筋は(カスバ街道と呼ばれる)、商交易の中継地として栄えたところ。
 この地に、7世紀ごろ、アラブ人の支配/迫害を逃れて、アトラス山脈を越えたベルベル人(ハッドウ家一族)が、築いたカスバやその集合体クサルが、今『カスバ街道』とよばれるとおり、多数ありますが、その中で一番保存状態が良く残っているクサの代表格がアイト・ベン・ハッドゥです。
 小川のほとりにある丘の斜面を利用して、いわゆる日干し煉瓦造りの民家集落カスバ()を、外敵の掠奪から村を守るため、さらに高い城壁を巡らして村全体をカスバ(城砦)化した要塞が『クサル』です。
 立体的に構築されたクサルには、敵の侵入を防ぐため入口は一つしかなく、通路は入り組んだ迷路になっていて、急勾配の階段を上がったり下りたり、また暗がりを歩く道は狭く、家の1階には窓がなく換気口のみ。
 さらには銃眼を備えた塔(ティグレトム、またはアガディールと呼ばれる穀物倉庫兼、見張り台)が一定の間隔をおいて何本もそびえ、 くわえて、要塞の最上部には篭城に備えて食料庫があるなど、まか不思議な、まさに難攻不落の要塞そのものです。
 日干し煉瓦造りの家は、耐用年数が短く、20年くらいで修復が必要になると聞きましたが、現在、やはり家々の傷みはかなり進んでいます。
 そして、かつての居住者のほとんどは小川の対岸に造られた新しい村の方に移り住み、“旧村”は廃墟に近い様相ですが、モロッコでの他の村々に較べて保存状況は格段によくて美しいといわれ、1987年に世界遺産に登録されました。
 そして現在もユネスコの関係機関と協議しながら修復が進められています。実際にその修復作業の現状も目にしました。
 なお余計なことかも知れませんが、クサルの頂上にあるティグレトム(食糧倉庫)は、古いガイドブックの廃墟風の写真と違って完全に修復された「新築」で、きれいすぎる、と思ったものでした。
 ともあれ、その景観は多くの映画のロケ地としても使われているほどにインパクトがありますが、一方で、そこまでしなければ平和な日常が保てなかった背景というものが、その国のその時代の事情を知らないものには、なかなか推し測り難いことでした。
 日本の歴史の中に、隠れ里などとは異なりますが、そのような類似の時代や史実はどれほどあったのでしょうか。

☆見学:
  さて、見学の現地ガイドは、現在もそこに住んでいる(6家族がお住まいと聞きましたが)お一人で、そのお宅も訪問し、見学・案内していただきました。
 クサルの見学には、まず小川にかかった橋を渡ります。以前は、河床に並べられた飛び石伝いに渡ったそうで、わざわざそちらから行っている人達の姿も見えました。
 複雑な迷路をガイドさんにくっついて、頂上を目指しながら、息を切らしながら歩いていきます。
 中腹まで上がって見降ろした景色から、これなら襲って来る外敵の動静は歴然で、迎え撃つ体勢も的確に出来たのだろうな,と、あらぬ事を考えてしまいました。
  クサルの頂上は360度のパノラマで、アトラス山脈も遠望できました。頂上に設けられたティグレムト(穀物貯蔵庫)には、籠城に備えて特に重要な物品が貯蔵されていたそうです。Blg7225

 しばし景観を楽しんでから下りに。途中の岩場には、表面に岩塩が晶析しているところもありました。
 また途中の「アーティスト」の“あぶり出しの絵”製作現場や、その作品販売所にも立ち寄りました。色付けはすべて自然の素材、原料を使っているそうです。
 その後に、ガイドさんのお住まいの見学、案内をしていただきました。
 1Fというか1段低いところにはロバが飼われていて、そこから1段高いところ(2F)に住居があります。
 建物の壁を挟んで何かを燃やす竈?だか何か良く分からない”設備”があり、部屋の天井?か屋根?は茅葺きだったり、また水道の蛇口は目にとまりましたが、明かりは自然採光のようで、電気やガスなどは無さそうでした。
 やはり住居の造りは少し変わっていて、戸外に出て上り段をあがり、もう出口かと思ったら、その先に庭と出口、脇に屋外トイレがあったりして・・・。
 それでも住めば都、なのでしょうね。

 見学を終えて出口に向かう途中に見下ろした、狭い通りに、土産物屋さんが並んでいました。
Blg7_4

上り下りは結構暑かったです。

 一通りの見学を終えてから、ローカル・レストラン(OASIS D’OR)に入り、少し早めの昼食(オムレツ料理)を済ませました。
 昼食後、オート・アトラス山脈を越えてマラケシュに向かうバスの長旅になります。

 乗り物酔いが心配な方は酔い止め薬を服用。食後の午睡タイムにもなったようです。
 ここからバスは結構なスピードでワルザザートとマラケシュを結ぶカーブの多いアトラス越え山岳道路(N9号線)を走り、高度を上げて行きます。
 途中、沿道には、廃屋かと思うような日干し煉瓦造りの家々が点在し、時にぽつんと人影が見えたりして、よくぞこんな厳しい自然環境下に生活を築いているなと、驚いたり、また突然、小さな川が流れているのを不思議に思ったり、そしてまた、その周辺にはアーモンドの林があって、ちょうど花時で、遠く聳えるオートアトラス山脈を背景に、これぞ山上の桃源郷かと感動するような光景も目に飛び込んできて、居眠りをする暇はありませんでした。
 きつい勾配を登り切ると、ほどなくティシュカ峠(風の峠:2,260m)に到着しました。
 そこはモロッコの車道の最高地点です。峠で写真ストップ。

 峠を越えると、また続いて大蛇のようにくねるカーブが続きます。下りになると風景が一変し、ガードレールのないところも多く、黒い山肌が続き、殆どハゲ山になったり、崖崩れはしないのかと不安になるような山肌が迫ったりしますが、バスの運転手はお構いなしで、かなりのスピードで走ります。
 さすが、というか・・・・聞けばトラックが転落して運転手が死亡したりする事故などあるということでしたが・・・
 谷側の赤と黄色に塗られた棒は積雪時、道路の位置を示すもの。
 時に緊張しながらも、標高1,650m付近まで下りてくると、日干しレンガの家にパラボラアンテナの着いた家並みが、崖に貼り付くように点在するベルベル人の集落に着きました。タデルト(Taddert)の村落です。

 ここにアルガン・オイルの工房/お店があり、トイレ休憩をかねて見学に立ち寄ります。そのついでにお土産も。

☆アルガンの樹、実、オイルについて:
 「ヤギ(山羊)のなる木」という、(高価な)『アルガン・オイル』のコマーシャルがあります。 
 絵はがきもありました。アルガンの果肉は分厚く硬くて苦いそうですが、ヤギは好んで食べるということですし、確かにヤギは高いところに登るのが好きなのは事実です。
 アルガン・オイルの採れる実が成る「アルガンの樹」は、世界でもモロッコの南西部に位置する、石灰質で半砂漠のスー(Sous)谷に(他にはアルジェリアの南西部ティンドーフ(Tindouf)にも)自生する固有の樹木です。
 この木は地中深くに根を張って水分を吸収し、乾燥した厳しい風土の中でも育つ被子植物で「モロッコのオリーブの木」ともよばれる常緑樹です。
 樹高は8~10mになり、寿命は150~200年くらいあるという。そのアルガンの森が一時期、絶滅の危機にさらされたことがあり、爾来、モロッコのアルガンの森は、ユネスコの生物圏保護区に指定され、現在は80万ヘクタールの広範囲に広がっているそうです。
 古来、サハラ砂漠のベルベル人はアルガンの木の実から搾油して利用し、現在でも(ベルベル人は)オリーブ・オイルの代用品としてアルガン・オイルを用いているのだそうです。

 アルガンの実は、未熟時は黄緑色で、1年以上かかって黒く熟し、ラグビーボール状の形をした3~4cmの大きさで、分厚く苦い果皮で覆われた堅果になります。
 (実際、翌日に見学したアルガンの木に稔っていた果実は黄緑色でしたが)、夏に黒くなって乾燥し、落下したものが収穫されますが、収穫量は法律と慣習によってコントロールされているのだそうです。
 集めたアルガンの実は、いったん乾燥して保管されます。そしてアルガンオイルを採油する時に、硬い果皮を剥き、種を取り出します。
 取り出した種はとても硬く、その種を石で叩いて割ると中に、仁(ジン)と呼ばれる白い核が入っています。
 その仁を取り出して、石臼で挽いて絞ることで、その中に最大50数%含まれているというアルガンオイルが採れるのです。
 アルガンの成木1本から30kgの実が採れて、それから1リットルのCrude(未精製)オイルが得られ、さらに精製加工した高純度の製品になるとその1/3くらいになるそうです。
 ですから、およそアルガンの実100kgから採取できる精製オイルはわずか1リットルということで、大変希少価値のあるオイルなのです。

 アルガンの枝には短く鋭い刺(トゲ)がたくさんあるため、アルガンの木に登れるのは「ヤギ」だけで、数頭のヤギが木にのぼって果実を食べている有様が「ヤギのなる木」のコマーシャル写真。
 (なお、翌日、マラケシュからエッサウィラに向かう道路沿では、アルガンの樹が植えられた畑地や森などは随所に見ることが出来ました。
 そして樹木の下にヤギがいるのも確かに目撃しましたが、その時には”木登りしたヤギ”は見られませんでした。)

☆見学:
 立ち寄った工房では、若い女性が見学者のためにアルガンオイルの伝統的な製造工程順に並んで座り、各工程を実演して見せながら説明してくれました。
 手作業で果実を2つの石にはさんで割って硬い果肉を除去し、次に、取り出した種をやはり石で叩いて割って、中の白い仁(ジン)取り出し、それを石臼で挽いてペースト状にして、オイルを抽出するという工程です。
 石臼で挽くのをやってみろ、というので、石臼を回してみました。びっくりするくらい軽く回ります。そのはずですね、潤滑油を石臼の間に常時、差しているのと同じですから。
 一通り見学後、アルガン・オイル製品のお店も見学、そしておみやげも・・・。

 先述のように、100kgの実から精製オイルは1リットルしか採れないという希少価値の高いオイルを含む多種類の「開発商品」が展示販売されていました。
 美顔、美容、保湿、また”シワ取りクリーム“などの化粧品類や、踵のひび割れ専用とか手荒れ専用など、また各種石けん等々“アイデア商品”もたくさん。
 “各種商品の効果”のほどは分かりませんが、買われた人もたくさん。
 食用のアルガン・オイルもあって、こちらは蜂蜜を混ぜてパンに付けると美味しいという。
 (なお、アルガン製品は、翌日訪れるエッサウィラが「本場」で、買い物はそちらでも可能、とガイドさんの話。言われて、商品のラベルを見ると、製造会社の所在地はエッサウイラと記載がありました。)
 買い物には関心の薄い”おっさん達”は外に出てぶらぶら時間つぶし。周囲は山に囲まれていて特別関心を引くものはありません。
 なぜかタジン鍋の販売店があったりして、タデルトの村は長距離バスや多くのRV車ツアーの休憩地にもなっているため、商売になるのでしょうね。

  タデルトを出発し、さらに続く道路を40分ほど下って視界が開けて来たあたりで、車窓左側(西方)にアトラス山系の雪山が見えました。
 ただし、モロッコ最高峰のツブカル山(4,167m)ではありません。http://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Snow_in_Jbel_Toubkal?uselang=ja
 オート・アトラスの南西部に位置するツブカル山は、天気が良ければマラケシュの平野部からは南の方角に見えそうですが、このルート(N9)からは地勢的に見えないようです。
 (なお、余談ながら、※イムリル(1,740 m)は、ツブカル山登山の基地で、マラケシュからR203をほぼ真南に55kmほど走ったところに位置する小さな寒村。
 登山シーズンには主に旧宗主国のフランスや隣国スペインからの登山者で賑わうそうです。)Blg7_3

☆雪山の見えたところを過ぎてからしばらくで、道が広くなったせいかバスの速度が増し、ハウズ平野まで来るとマラケシュまであと30kmほど。
 周りの田園風景が後ろの方に飛んで行くようになり、果樹や並木道の樹木がだんだん多くなって、ほどなく宿泊地マラケシュに“無事”着きました。

 マラケシュのニックネームは“赤い町”。街並み/建物はすべて「砦」の「赤茶色」で統一されています。
 ホテル到着は5時過ぎでした。チェックインを済ませてから、休む間もなく、夜の雑踏が始まるジャマ・エル・フナ広場※の見学へ。

 なお、マラケシュ旧市街(メディナ)は1985年世界遺産に登録されていましたが、ジャマ・エル・フナ広場の文化空間※については、2009年9月、初の「世界無形遺産」に正式に登録されました。

※ ジャマエルフナ広場の文化空間:
  城壁に囲まれた旧市街の中心にある約400m四方のジャマ・エル・フナ広場は、文化と交易の中心として栄えてきました。
 現在では、屋台や大道芸でたいへんな賑わいを見せています。なお、ジャマ・エル・フナ (Djemaa el Fna) とは、アラビア語で”死人の集会場”を意味するのだそうです。夜になると大勢集まってくるのは幽霊?

★ジャマ・エル・フナ広場:
 広場を見下ろすビューポイントから雑踏の広場を見渡した後、広場の見学/散策に。
 陽が落ちてあたりが暗くなるとどこからともなく人々が集まってきます。
 赤ん坊を抱いた若いカップルや、家族、友人同士、等々、老若男女こもごも、多くの人々が集まり、それに観光客も混じって広場は大勢の人で活気を呈し賑わいました。
 ただ、もっと騒々しい喧噪を想像していましたが、あふれんばかりの人出の割には、静かな印象で、若者が集まって飲んでいるのは例外なくミントティーで、何より「酔っ払い」がいないからでしょうか。

 見学を楽しんだあと、メディナのレストラン(REST PALAIS ARABE)でモロッコ名物”クスクス”の夕食。
 食後、一度ホテルに戻り、身支度をしてから、再びバスで30分ほどの、マラケシュ郊外にあるファンタジア・ショーの見学会場へ。

★ファンタジア・ショー(モロッコに古くから伝わる伝統的なアクロバット騎馬ショー):
 会場に到着すると勇ましい騎馬隊に出迎えられて、会場の門をくぐり、場内のレストランへ入ります。
 ショウが始まるまでの時間は、レストランでドリンクサービスがあり、民族衣装に身を包んだ色々な部族がテーブル毎に来て、民俗音楽やダンスを披露したり、耳元で太鼓やびっくりするほどの大きな奇声を響かせたり、またベリーダンスで2,3回腰を振ったら、さっさと行ってしまったりと、どうもいずれも今ひとつ。
 そうして時間を費やしてから、騎馬隊のアクロバットショー開始時間になり、屋外の会場へ出ました。
 ショーが始まりましたが、ショウの内容についての説明やパンフレットなどの資料サービスはなにもなく、ラウドスピーカーからは良く分からない音(音楽)が流れ、騎馬隊が、一気に広場を駆け抜け空砲を撃つ、そのスピードと爆発音には、最初だけは驚きましたが、繰り返しは単調ですぐに慣れてしまいました。
 見所は最後の方で演技されたアクロバティックな曲乗りで、これはさすがでした。最後は出演者全員のパレードで終了し、ショー・タイムは約45分ほどでした。
 この間、屋外桟敷席は足元から冷えましたね。
Blg7_2

 個人的な感想としては正直なところ、今ひとつ、でしたね。
 ショーが終わってホテルに戻ったのが12時。それから風呂に入ってベッドに入ったのが1時過ぎ・・・
 明日は午前中マラケシュのメディナ(旧市街)を観光して、エッサウィラに向かいますが、寝不足、になるかな。
                   マラケシュ泊
                 --- 8日目に続く---

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