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2013年2月14日 (木)

モロッコへの旅(2013/2)(9~11日目)アルジャディーダ、カサブランカそして帰国へ

 (※最終回です。初回の概要はこちらをご覧下さい。)

●9日目:
日程:
 エッサウィラ→アルジャディーダ→カサブランカ泊まで。

・午前:
 朝、ホテルまえから朝日に光るエッサウィラの白い街並みを写真に納めてからAM8:00、バスで、N1号線をアルジャディーダへ向かいます。
 エッサウィラの市街地を抜けるとすぐに緑の大地が広がっています。
 30分ほど走ると、モロッコの最南部に位置するアンチ・アトラス山脈(前アトラス:標高1100~2000m)の裾野に広がる特産のアルガンの森等も眺められました。

 延々続くグリーンベルトを走ります。沿道には、モロッコの絹と呼ばれるリュウゼツラン(繊維を取り出して布を作る)や、生け垣のように境界線に良く植えられていたウチワサボテンの緑の塊、等も目を引きます。
 9時40分過ぎにはシディ・ボー・ゲデラの街を通過。車窓から賑わう市場も見えました。
 10時頃に一度、小さなレストランで小休止(トイレ休憩)です。

 その後もずっと続くモロッコでも一番豊かな穀倉地帯地※を通過します。
 (※モロッコの産業のすべてはオート・アトラス、モアイヤン(中)アトラス及び地中海沿いのリフ山脈に囲まれた西側地域に集中しています。
 そしてその内、農業の耕地面積は約920万ヘクタールで、1992年以降の新たな開墾は頭打ちとなっています。
 また、国土の15%程度が集中的に農業に利用され、45%は未開墾の土地として残っています。
 特に、土地利用が進められている地域は①※エッサウィラ、マラケシュ及びカサブランカを結ぶ三角地帯、および②ラバト、フェズ及びジブラルタル海峡に面するタンジェを結ぶ三角地帯で、農業用の土地の利用率は60%を越えています。
 2つの三角地帯では穀物及び野菜が40%以上の割合で栽培されています。
 なお果物類の生産はリフ山脈周辺が盛んで、その内、オリーブ畑は52万ヘクタールを占め、4万8,000トンのオリーブ油と12万トンのオリーブを生産しています。
 出所:http://nichimo-kyokai.org/sakuhin_takasugi.html)

 砂漠地方のアースカラーとは全くおもむきを異にする緑におおわれた大地には、ソラマメ、小麦、菜の花畑などが広がり、スプリンクラーが稼働している大規模農園も方々に見受けられました。
 11時過ぎにシディ・ズマイルを過ぎると車窓の風景にも街の情景が混じるようになり、間もなくアルジャディーダです。Blg9r

 11時50分前、アルジャディーダに到着しました。

 そしてツアー最後の観光地【アルジャディーダの旧市街、ポルトガル都市(2004年世界遺産登録)】※に向かいます。
  ※ここは、カサブランカから96km離れた沿岸部にある都市で、アルジャディーダ州の州都。そして”ポルガルの小さな港”の趣を残す町でもあります。
 1506年頃ポルトガル人がマサガン砦を築いてから、1542年には街全体が要塞化され、分厚い壁に取り囲まれた堅牢な海辺の城塞都市メディナになりました。
 後、1769年、シディ・モハメド・ベン・アブダラ (Sidi Mohamed Ben Abdallah) によって城塞都市は陥落し、ポルトガル人は撤退しましたが、それまでポルトガル領だったため、ヨーロッパとアラブ双方の文化が残る街並み/メディナとなっていて、2004年にこのポルトガル都市は世界遺産に登録されました。

☆見学:
 バスはアルジャディーダ新市街を通り旧市街へ。
 旧市街(メディナ)入り口から歩きます。
 最初の見所は旧市街の地下にある地下貯水槽。入り口は民家と間違えるほどの小さいものですが、地下に巨大な空間が広がっていて、天窓(吸水口)から雨水が流れ込むようになっています。
 薄暗い空間には見学者用の照明がありますが、やはり薄暗くて構造の詳細は良く分かりませんでした。Blg9

 
 貯水槽の見学を終えて、旧市街を通り、「稜堡展望台]へ。そして展望台傍の修復中の旧市街も目にしながら「スカラ(海の城塞)」の見学へ。
 それほど規模の大きな都市ではないのでスカラの高みから、先まで見通せます。

 海上から攻めてくる敵艦を迎え撃った砲台跡を眺めながら、映画アラビアのロレンスで、ロレンスが、《砂漠を横断して背後から攻撃が行われることなど想定外だった》敵陣「海の要塞」に奇襲攻撃をかけて陥落させる“ゲリラ戦”のシーンを思い浮かべたりしたものです。

 砲台跡や港などを眺めながら散策後、そこから見通した先の「稜堡」にむかいました。
 稜堡すぐ近くのユダヤ人墓地など、稜堡まわりの景観を眺めてから再び旧市街を通り、”ポルトガル時代”からの公衆浴場や世界遺産登録記念碑など眺めながらバスに戻ります。
 海辺のホテル/レストラン(ibid)で魚料理の昼食と休憩をとりました。休憩時間にすこしばかり海辺を散策。きれいな海でした。Blg9

 
・午後:
 午後2時過ぎにアルジャディーダを発ちカサブランカへ向かいます。途中、今回の旅行中ではじめて雨に遭いましたがもちろんバスの中。
 カサブランカに近くなった頃には雨は上がりました。そして15時半頃にはカサブランカの市内に入りましたが大渋滞でした。
 途中、市内にある、映画「カサブランカ」ゆかりのRick’s Caféで写真ストップ。
 (なおここは既述のようにすべてセットで撮影された映画シーンの内容をそっくりに再現して、後から造られたところで、映画のロケが行われたわけではありません。)
 ホテル到着は渋滞のせいで予定より遅れて午後5時。チェックインを済ませてから近くのスーパーマーケットへ出かけて最後の買い物なども。Blg_2

 帰ってから夕食はホテルで。     (カサブランカ泊)

 
●10日目:
 帰国の途に。
 朝食後、出発まで2時間ほどの自由時間つぶしの散策に、ホテルの近くにある中央市場に出かけてみました。
 市場はすでに開いている店もあれば準備中の店も。
 忙しそうに開店準備をしていた青果店先で、オジサンの邪魔になりながらも“品質AA”ランクのナツメヤシを分けてもらいました。

 ホテルに戻り空港へ。空港で、お世話になったスルー・ガイドのRさんとお別れし、チェックイン。
 エミレーツ航空でカサブランカ発14:15、空路、乗継地のドバイへ。
Blg1011

  (所要時間約7時間15分)           (機中泊) 

 
●11日目:
 深夜(01:30)ドバイ着、乗り継ぎ、ドバイ発02:55→成田へ。(所要時間約9時間25分)
 ほほ予定通りに成田着17:20、無事帰国しました。

 
《あとがき》:
 民衆の抗議デモが長期独裁政権を倒した”アラブの春”2年後、「テロの弧」南サハラに伸長」”(2月3日読売新聞朝刊):
 出かける直前に、先のアルジェリアで発生した痛ましいイスラム・テロリズムの犠牲にも触れながら、”民衆の抗議デモが長期独裁政権を倒した『アラブの春』から2年を経た中東・北アフリカ世界は長い夜に入ったかのようだ。~中略~。
 見過ごしてならないのは、アルカイーダ系の「テロの弧」が南西アジアのアフガニスタンやパキスタンから、中東のアラブ地域だけでなく、アラブ人、ベルベル人、トゥアレグ人などの交差するサヘルと称されるサハラ砂漠の南縁ベルト地帯まで広がっている事実である“、との記事を読みました。

 旅行後にも、先のテロ事件の真相はまだ完全に解明されたわけではありませんが”ジハード”と称して外国人を標的にする武装テロ組織は拡大を続け、北アフリカ一帯は今後さらに危険な状況になるのと分析/予測がされているという報道にも接しました。
 中東・北アフリカ世界は再び混迷の様相を呈しはじめているように思われます。

 この度、訪問したモロッコは、北アフリカでは安定した国とされていますが、この先、混迷に巻き込まれないようにと願うばかりです。

 イスラムについては日常生活の中では特に意識することもなく、その昔「イスラーム生誕」(井筒俊彦著、中公文庫1990/8刊)を読んだくらいでほとんど知識はありません。
 出発前に、時間つぶしのために持参した新書(「イスラームから世界を見る」 内藤正典著、ちくまプリマー新書2012/8刊)を熟読することができました。
 あの2001.9.11テロ事件以来、部分的にしか知らないためにイスラーム/ムスリムはテロ、暴力的、好戦的と短絡しがちですが、本当のイスラームはそうではないということです。

 難しそうでも、いっそうの相互理解を深めることによってイスラームと世俗主義/政教分離という西欧巨大文明との衝突はなんとしても避けなければならないと痛感したことでした。

 卑俗で些細な例ですが、今回、マラケシュのバヒア宮殿を見学しました。
 その際、ガイド氏からイスラム王朝の歴代スルタン(王)がどれほどの権力があったかは建物の中を見ると分かる、すなわち4人の妻と24人の側女の部屋がある!
 ただ4人の妻は平等に扱われなければならない。【コーランでは孤児のことを案ずるならば、2人、3人、4人の妻と結婚してもいい、但し妻を平等に処遇できないならダメだ】と定められている、という。
  付け加えるなら、現在社会では複数の妻を持つことは”経済的”にも困難で、さらに教育の普及や女性の社会的地位向上等もあって、コーランの記載はかつての戦災孤児とその母親に対する例外規定であって、一夫多妻制、ハーレム容認という批判は的はずれで単なる誤解、と聞きました。

 ともあれ、上記著書のあとがきに記されていた『今のイスラーム世界で起きている事柄を通じて、ムスリムと非ムスリムの対話のために何が必要なのか』を、あらためて考える必要があること、そしてまたその必要性について、今まで何の努力もなされずに来たわけではないだけに、そんなに簡単なことではないな、と感じたことでした。

                 (完)

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