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2013年2月

2013年2月28日 (木)

ジョウビタキ(♀)

 昨夜の雨が上がり、辺り一面、霧に包まれた朝になりました。そして本日だけ急に暖かくなり、15℃、3月下旬くらいの気温になるという予報ですが、冷え込みが続いて春もすり足忍び足だった2月が終わります。
 それはともかく2月のトリをとって登場する鳥は、旅立ちの準備をする時期も近づいてきたジョウビタキの雌です。
 何度か出会いがありましたが、ちゃんと撮れたのは1回だけでした。
 やはり寒風の吹きすさぶ日、散歩コースの水路沿い枯れヨシ原。
 ふくら雀ならぬ、ふくらジョウビタキ(雌)でした。P2025521_2

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 明日の当地は、気温も高めで春一番が吹き、雨降りの荒れ模様になるというありがたくない予報。
 加えて大陸からの黄砂や注目を浴びるPM2.5、おまけのスギ花粉と閉じこもりになりそうですが・・・

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2013年2月27日 (水)

ジョウビタキ♂

 25日、当地にも”わかりにくい”長期予報が出ましたが、気温の予想で一番高い確率を拾うと、3月は平年より高く、4月は平年並み、5月は平年並みか高いか5分5分、6月~8月も同様平年並みか高くなるかのどちらか5分5分という。
 当たっても当たらなくても、もはや関係ありませんが。

 冬鳥達も春になったらぼちぼち北へ帰る準備をしなくてはならないのでしょうが、鳥は賢いから、長期予報なんて必要としていませんね。きっと。

 その賢い小鳥の一つ、ジョウビタキです。2月中に立ち枯れのヨシ原で見かけた”ロマンス・グレー”のダンディーな♂です。何時までいるでしょうか。
                   (画像はクリックで拡大します)2013131_6trmcc

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 終日寒風の吹きすさんだ日には、寒そうに羽を膨らませていました。Photo_5

 
 2月の終わりに見かけた個体。いそがしそうに餌を探していました。P2195616

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2013年2月26日 (火)

春を告げるフクジュソウ、ミスミソウ(2013/2)

 2月もあと少しというのに当地も寒気が抜けないで、春の足音がなかなか聞こえてきません。
 そんな折柄、春を探しに出かけた先の日曜日。出かけた先の関東平野には強風が吹き荒れて、乾ききった田畑から巻き上げられた土埃微粉塵で地上付近の大気は茶色の靄になっていました。
 しかしながら、里山の林の中では強風もだいぶ遮られて、木々の梢のざわめきや、傾いて交差した樹幹どうしが擦れ合い軋むギィギィ、キーキーいう音は聞こえてきますが、カメラ片手のハイキングにはさして支障はありませんでした。R0031642hcc1

 やはり、里山のハイキングコースで春を告げる花の名所もさっぱりで、多くの草木は芽吹きも見まだ先のように見受けました。
 しかし、ようやく落ち葉の布団から顔をだした福寿草や、寒さに負けないミスミソウのきれいな姿を見つけることが出来て、出かけた甲斐がありました。

 
●フクジュソウ(福寿草)(キンポウゲ科):
 多年草です。よく知られているように毒草です。春に先立ち、地面から芽を出したばかりの頃、フキノトウと間違えて食べて中毒事故になることがあります。
 日本各地の山林に自生していますが、早春に光沢のある黄色い花を咲かせ、夏までに光合成をおこない、それから翌春までを地下で過ごす、典型的なスプリング・エフェメラルの仲間です。Photo

 
●ミスミソウ(キンポウゲ科ミスミソウ属):
 ミスミソウはユキワリソウ(雪割草)とも呼ばれ、本州中部以西から九州にかけて分布する多年草で、やはりスプリング・エフェメラルのひとつ。
 落葉樹林の林床や崖などに自生し、石灰岩地域に多く分布しています。
 葉は常緑で寒さには強く、雪の下でも緑を保っています。根出葉は三裂し、裂片の先端は鈍角三角(ミスミ)形。
 2月中旬くらいから4月にかけて、地下茎から高さ10~15cmの花茎を出し、頂端に1つの花を咲かせます。
 顎片のように見えるのは茎葉で、また花弁のように見えるのが顎片で、花弁はありません。
 (花弁のように見える)顎片の数は6~10と変異があり、また色にも白色から淡いピンク、青、紫、赤色を帯びるもの等の変化があり、美しいです。
 園芸品種もたくさんあり愛好家も多い山野草の一つです。Photo_2

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2013年2月25日 (月)

カシラダカ(冬鳥)

カシラダカ(ホオジロ科):
 良く晴れた日、原っぱに自生した木の枝に小さな群れでいるのを見かけました。
 遠目に肉眼で見た時にはスズメのように見えたのですが、後で写真を見ると特徴の冠羽が立っていて、カシラダカと分かりました。
 本種は冬鳥として、九州以北の林や平地に渡来しますが、関東以北では少ないそうです。 
 ほぼスズメ大で、体長15cmほど。背は赤みのある褐色で黒い縦斑があります。
 後頭部に短い冠羽があり、冠羽が立っていることが多く、この時には識別が容易です。P2015478_7cc

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 冬期、各地の林や平地の農耕地や草原に来て小さな群れで生活し、草木の種子などを採食しています。
 4月の途去前には、雄の中には顔が黒い夏羽根に換わった個体が多く見られるようになるそうです。

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2013年2月24日 (日)

2月、時々のホオジロ

 2月、日射しがあり、風もほとんどない日、田んぼ畦道の枯れ草に止まったホオジロ。元気良さそうなお姿でした。P1295339_2

 
 別の日、やはり晴れでしたが、強風が吹いていました。あたりには小鳥の姿がありません。帰ろうとした時、少し遠い草原の立ち枯れヨシの中から美声のさえずりが聞こえてきました。
 声の方を見やるとやはりホオジロでした。
 かなり長い囀りでしたが、近くに同類はいなかったようです。P1295339_3

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 そして曇り空のもと寒風の吹き抜ける日陰で、枯れヨシが折り重なった地面に寒そうに羽を膨らませて下りていたホオジロです。P2025505

 もうすぐ2月も終わるというのに春の歩みはゆっくりです。

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2013年2月23日 (土)

カイツブリ、2月

 冷え込みの続く2月の池。住み着いているカイツブリはいつものように黙々と、浮いては振り返り、そして潜る、また浮いては振り返り潜る、を繰り返していました。
 まだ一度もこちらに向かってやってくる姿をとらえたことがない、見返りカイツブリです。
 それにしても、ほんとに小さな尾羽です。どんどん遠ざかり、いつしか見えなくなりました。
 ただそれだけの暇人日記の1ページです。Photo

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2013年2月22日 (金)

カワラヒワ

 枯れたヨシ原にカワラヒワの群れがやってきます。移動の途中の一休みのようで長居はしません。
 たいていは草地に降りて地面に残っている枯れ草のタネなどをついばんでいます。
 ヨシの間にいるときはいそがしく動き回るのでなかなかピント合わせが出来ないでピンぼけ写真ばかりでしたがとりあえず掲載しました。
 顔の黒いのが♂で、全体に色の淡いのが♀です。P2025573trmcc

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2013年2月21日 (木)

ミチタネツケバナ

 屋外水槽には毎日氷が張る寒さが続いています。サンシュユのつぼみも黄色くなっていますが足踏みを続けてまだ開く気配はありません。
 スイセンの緑芽は数センチメートル顔をのぞかせているだけ。Photo

 山野草の開花も遅れているようです。

 
●ミチタネツケバナ:
 散歩コースで、田んぼの南斜面で日当たりのよい裸地に、ミチタネツケバナ一株が白い花を付けているのを見かけました。
 ミチタネツケバナはヨーロッパ原産の帰化植物で、在来種のタネツケバナによく似ていますが、やや小型で草丈は20cmほど。
 果実は花を挟むように直立して付いています。花期は少し早くて、2~3月頃です。見かけたのはまだ小さめの株ですが、やはり雑草は元気です。R0031603trmcc

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2013年2月20日 (水)

ダイサギ、漁は下手くそ

 変わり映えしませんが、ダイサギです。
いつもの水路に降りて、いつものように小魚を狙っています。

狙い定めてPhoto

 
 華麗なジャンピング・アタック。グエーッ。着水して口からこぼれ落ちたのは水ばかり。Photo_2

 
 気を取り直してもう一度、今度こそと狙い定めてPhoto_3

 
 ジャボッ! 捕まえたのは、ゴミ!!。浅い水底でも水は濁っているので仕方ないか・・・Photo_4

 ウッ マ、悠々やるさ・・・ ウサギ じゃないから

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2013年2月19日 (火)

冬、鳥の餌になるピラカンサ、アキニレ、エンジュの実

 食料が少なくなる冬の間、小鳥の餌になる実をつける公園植樹がいくつかあります。

●ピラカンサ
 林のゾーンにあるピラカンサ(トキワサンザシPyracantha coccinea)は、晩秋には、葉も隠れてしまうほど赤い実をびっしりつけていましたが、1月中旬には1粒残らず完全に食べられていました。
 ヒヨドリやムクドリ、またキジバトや時にはツグミもついばんでいたようです。R00315511

 
 同じ日、公園内で林から少し離れた広場前にある大株のピラカンサは、黄色の実(タチバナモドキP.angustifoliaかも)ですが、殆ど食べられないで残っていました。
 広場にはいつも人影がありますから敬遠されていたのでしょうか、それとも赤い実ほど美味しくないのでしょうか。Photo

 
 しかし1月下旬に見たときにはもうすっかり”空っぽ”でした。Img_3358_21

 余談ながらピラカンサには青酸配糖体のアミグダリンが含まれていて有害ということで(食べてみたたことはありませんが)、鳥が食べるとしてもその絶対量や、時期的な含有量の消長なども関係があるのでしょうか。

 
●アキニレ
 公園内に数本植樹されている高木です。小さく扁平なたくさんの果実が出来ています。
 遊歩道に近い下枝にはまだたくさん残っていますが、梢の方はだいぶまばらになっていました。
 実を食べにやってくるのはアトリマヒワ、カワラヒワなどで、皮を剥いて中の種を食べるのに適した嘴をもった小鳥たちです。Photo_3

 
●エンジュ
 大きな木になります。秋にはくびれたインゲン豆のような細長い鞘の果実がたくさんぶらさがっています。
 冬になるとやはりムクドリやもっぱらヒヨドリがやってきて盛んに囓っています。梢の方はもうほとんど食べ尽くされていました。
 実を一つ取って指先で鞘を剥いてみると指先がべとべとします。なめてみると少し甘い味です。タネは黒く扁平で硬くて、食べても素通りしそうです。
 もっぱらヒヨドリのような大柄な鳥しかやってこない理由でしょうか。Photo_2

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2013年2月18日 (月)

オオイヌノフグリ、コバノタツナミ、キュウリグサ(2月)

 相変わらず厳しい冷え込みで屋外水槽には分厚い氷が張りましたが日中には融けました。
●オオイヌノフグリ
 日溜まりになる畑斜面にはオオイヌノフグリが花を開いていました。Photo

 
●コバノタツナミ
 庭の片隅にはコバノタツナミ(園芸種かも)が、タネがこぼれて広がったらしく、日陰になるのに、ささやかな花を付けていました。Img_0012

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●キュウリグサ
 どこからやって来たのか雑草のキュウリグサが一株だけ、ロゼット状に葉を広げているのも見つけました。草取りしないでそのままに。Img_0010

 
●アマガエル
 日中、庭木の植え替えのため穴を掘っていたところ、冬眠中のアマガエルを掘り出してしまいました。ケガさせなくてよかったです。元のところに浅く埋めておきました。
 夢うつつで微かな春の足音を聞いていたでしょうか。R0031594

 スギ花粉が飛散がしています。

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2013年2月17日 (日)

カワセミ

 やはり飛び立たれて分かるカワセミ。用水路対岸の光が当たる正面に飛んだのを見届けてから移動。
 飛んだあたりを確認した途端、チャポンと水路に飛び込み、姿を見失いました。
 少し離れたところに再びその姿を見いだして2枚撮れたところで、またすぐに視界から消えました。
 あとで写真を見ると小魚がとれていたようです。P12752901

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2013年2月16日 (土)

バンとカルガモ(留鳥)

 バンとカルガモはいつも水路にいるので、話題がないときの埋め草です。
バンの方はごく少数しかいませんが、冬の間はここにいて、お互い、特に争うこともなく暮らしています。
 バンは人影に気づくとすぐに泳いで逃げて物陰に隠れます。Photo_10

 
 この時は急いで対岸の草地に上ってから、Photo_11

 
 カルガモが盛んにイネ科の雑草のやわらかな葉を食べている間にとことこ入込んでいきました。Photo_12

 
 そして、特に追われることもなく草を食べていました。カルガモと同時に見ると、バンはかなり小柄です。P1064826

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2013年2月15日 (金)

コガモとマガモ(冬鳥)

 普段はもっぱら広い池に群れている小ガモとマガモですが、強風で池が波立つような日には、流れも小さく、堤防で風よけもできる用水路に避難?してくるのを見かけます。
 こちらの方が狭いので、写真撮りには好都合ですがその分、逃げ足も速いのです。

●お洒落なコガモ♂:
 ♀が少し離れるとすぐにピリッ、ピリッと呼びつけます。神経質というか、口やかましいというのか・・・
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 地味なコガモ♀:神経質なのは♂と同じです。P1064713

 
●マガモ:
 青首と呼ばれる♂、やはり渋好みの♀。Photo_9

 
 ペアーです。 P1064718trmcc

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2013年2月14日 (木)

モロッコへの旅(2013/2)(9~11日目)アルジャディーダ、カサブランカそして帰国へ

 (※最終回です。初回の概要はこちらをご覧下さい。)

●9日目:
日程:
 エッサウィラ→アルジャディーダ→カサブランカ泊まで。

・午前:
 朝、ホテルまえから朝日に光るエッサウィラの白い街並みを写真に納めてからAM8:00、バスで、N1号線をアルジャディーダへ向かいます。
 エッサウィラの市街地を抜けるとすぐに緑の大地が広がっています。
 30分ほど走ると、モロッコの最南部に位置するアンチ・アトラス山脈(前アトラス:標高1100~2000m)の裾野に広がる特産のアルガンの森等も眺められました。

 延々続くグリーンベルトを走ります。沿道には、モロッコの絹と呼ばれるリュウゼツラン(繊維を取り出して布を作る)や、生け垣のように境界線に良く植えられていたウチワサボテンの緑の塊、等も目を引きます。
 9時40分過ぎにはシディ・ボー・ゲデラの街を通過。車窓から賑わう市場も見えました。
 10時頃に一度、小さなレストランで小休止(トイレ休憩)です。

 その後もずっと続くモロッコでも一番豊かな穀倉地帯地※を通過します。
 (※モロッコの産業のすべてはオート・アトラス、モアイヤン(中)アトラス及び地中海沿いのリフ山脈に囲まれた西側地域に集中しています。
 そしてその内、農業の耕地面積は約920万ヘクタールで、1992年以降の新たな開墾は頭打ちとなっています。
 また、国土の15%程度が集中的に農業に利用され、45%は未開墾の土地として残っています。
 特に、土地利用が進められている地域は①※エッサウィラ、マラケシュ及びカサブランカを結ぶ三角地帯、および②ラバト、フェズ及びジブラルタル海峡に面するタンジェを結ぶ三角地帯で、農業用の土地の利用率は60%を越えています。
 2つの三角地帯では穀物及び野菜が40%以上の割合で栽培されています。
 なお果物類の生産はリフ山脈周辺が盛んで、その内、オリーブ畑は52万ヘクタールを占め、4万8,000トンのオリーブ油と12万トンのオリーブを生産しています。
 出所:http://nichimo-kyokai.org/sakuhin_takasugi.html)

 砂漠地方のアースカラーとは全くおもむきを異にする緑におおわれた大地には、ソラマメ、小麦、菜の花畑などが広がり、スプリンクラーが稼働している大規模農園も方々に見受けられました。
 11時過ぎにシディ・ズマイルを過ぎると車窓の風景にも街の情景が混じるようになり、間もなくアルジャディーダです。Blg9r

 11時50分前、アルジャディーダに到着しました。

 そしてツアー最後の観光地【アルジャディーダの旧市街、ポルトガル都市(2004年世界遺産登録)】※に向かいます。
  ※ここは、カサブランカから96km離れた沿岸部にある都市で、アルジャディーダ州の州都。そして”ポルガルの小さな港”の趣を残す町でもあります。
 1506年頃ポルトガル人がマサガン砦を築いてから、1542年には街全体が要塞化され、分厚い壁に取り囲まれた堅牢な海辺の城塞都市メディナになりました。
 後、1769年、シディ・モハメド・ベン・アブダラ (Sidi Mohamed Ben Abdallah) によって城塞都市は陥落し、ポルトガル人は撤退しましたが、それまでポルトガル領だったため、ヨーロッパとアラブ双方の文化が残る街並み/メディナとなっていて、2004年にこのポルトガル都市は世界遺産に登録されました。

☆見学:
 バスはアルジャディーダ新市街を通り旧市街へ。
 旧市街(メディナ)入り口から歩きます。
 最初の見所は旧市街の地下にある地下貯水槽。入り口は民家と間違えるほどの小さいものですが、地下に巨大な空間が広がっていて、天窓(吸水口)から雨水が流れ込むようになっています。
 薄暗い空間には見学者用の照明がありますが、やはり薄暗くて構造の詳細は良く分かりませんでした。Blg9

 
 貯水槽の見学を終えて、旧市街を通り、「稜堡展望台]へ。そして展望台傍の修復中の旧市街も目にしながら「スカラ(海の城塞)」の見学へ。
 それほど規模の大きな都市ではないのでスカラの高みから、先まで見通せます。

 海上から攻めてくる敵艦を迎え撃った砲台跡を眺めながら、映画アラビアのロレンスで、ロレンスが、《砂漠を横断して背後から攻撃が行われることなど想定外だった》敵陣「海の要塞」に奇襲攻撃をかけて陥落させる“ゲリラ戦”のシーンを思い浮かべたりしたものです。

 砲台跡や港などを眺めながら散策後、そこから見通した先の「稜堡」にむかいました。
 稜堡すぐ近くのユダヤ人墓地など、稜堡まわりの景観を眺めてから再び旧市街を通り、”ポルトガル時代”からの公衆浴場や世界遺産登録記念碑など眺めながらバスに戻ります。
 海辺のホテル/レストラン(ibid)で魚料理の昼食と休憩をとりました。休憩時間にすこしばかり海辺を散策。きれいな海でした。Blg9

 
・午後:
 午後2時過ぎにアルジャディーダを発ちカサブランカへ向かいます。途中、今回の旅行中ではじめて雨に遭いましたがもちろんバスの中。
 カサブランカに近くなった頃には雨は上がりました。そして15時半頃にはカサブランカの市内に入りましたが大渋滞でした。
 途中、市内にある、映画「カサブランカ」ゆかりのRick’s Caféで写真ストップ。
 (なおここは既述のようにすべてセットで撮影された映画シーンの内容をそっくりに再現して、後から造られたところで、映画のロケが行われたわけではありません。)
 ホテル到着は渋滞のせいで予定より遅れて午後5時。チェックインを済ませてから近くのスーパーマーケットへ出かけて最後の買い物なども。Blg_2

 帰ってから夕食はホテルで。     (カサブランカ泊)

 
●10日目:
 帰国の途に。
 朝食後、出発まで2時間ほどの自由時間つぶしの散策に、ホテルの近くにある中央市場に出かけてみました。
 市場はすでに開いている店もあれば準備中の店も。
 忙しそうに開店準備をしていた青果店先で、オジサンの邪魔になりながらも“品質AA”ランクのナツメヤシを分けてもらいました。

 ホテルに戻り空港へ。空港で、お世話になったスルー・ガイドのRさんとお別れし、チェックイン。
 エミレーツ航空でカサブランカ発14:15、空路、乗継地のドバイへ。
Blg1011

  (所要時間約7時間15分)           (機中泊) 

 
●11日目:
 深夜(01:30)ドバイ着、乗り継ぎ、ドバイ発02:55→成田へ。(所要時間約9時間25分)
 ほほ予定通りに成田着17:20、無事帰国しました。

 
《あとがき》:
 民衆の抗議デモが長期独裁政権を倒した”アラブの春”2年後、「テロの弧」南サハラに伸長」”(2月3日読売新聞朝刊):
 出かける直前に、先のアルジェリアで発生した痛ましいイスラム・テロリズムの犠牲にも触れながら、”民衆の抗議デモが長期独裁政権を倒した『アラブの春』から2年を経た中東・北アフリカ世界は長い夜に入ったかのようだ。~中略~。
 見過ごしてならないのは、アルカイーダ系の「テロの弧」が南西アジアのアフガニスタンやパキスタンから、中東のアラブ地域だけでなく、アラブ人、ベルベル人、トゥアレグ人などの交差するサヘルと称されるサハラ砂漠の南縁ベルト地帯まで広がっている事実である“、との記事を読みました。

 旅行後にも、先のテロ事件の真相はまだ完全に解明されたわけではありませんが”ジハード”と称して外国人を標的にする武装テロ組織は拡大を続け、北アフリカ一帯は今後さらに危険な状況になるのと分析/予測がされているという報道にも接しました。
 中東・北アフリカ世界は再び混迷の様相を呈しはじめているように思われます。

 この度、訪問したモロッコは、北アフリカでは安定した国とされていますが、この先、混迷に巻き込まれないようにと願うばかりです。

 イスラムについては日常生活の中では特に意識することもなく、その昔「イスラーム生誕」(井筒俊彦著、中公文庫1990/8刊)を読んだくらいでほとんど知識はありません。
 出発前に、時間つぶしのために持参した新書(「イスラームから世界を見る」 内藤正典著、ちくまプリマー新書2012/8刊)を熟読することができました。
 あの2001.9.11テロ事件以来、部分的にしか知らないためにイスラーム/ムスリムはテロ、暴力的、好戦的と短絡しがちですが、本当のイスラームはそうではないということです。

 難しそうでも、いっそうの相互理解を深めることによってイスラームと世俗主義/政教分離という西欧巨大文明との衝突はなんとしても避けなければならないと痛感したことでした。

 卑俗で些細な例ですが、今回、マラケシュのバヒア宮殿を見学しました。
 その際、ガイド氏からイスラム王朝の歴代スルタン(王)がどれほどの権力があったかは建物の中を見ると分かる、すなわち4人の妻と24人の側女の部屋がある!
 ただ4人の妻は平等に扱われなければならない。【コーランでは孤児のことを案ずるならば、2人、3人、4人の妻と結婚してもいい、但し妻を平等に処遇できないならダメだ】と定められている、という。
  付け加えるなら、現在社会では複数の妻を持つことは”経済的”にも困難で、さらに教育の普及や女性の社会的地位向上等もあって、コーランの記載はかつての戦災孤児とその母親に対する例外規定であって、一夫多妻制、ハーレム容認という批判は的はずれで単なる誤解、と聞きました。

 ともあれ、上記著書のあとがきに記されていた『今のイスラーム世界で起きている事柄を通じて、ムスリムと非ムスリムの対話のために何が必要なのか』を、あらためて考える必要があること、そしてまたその必要性について、今まで何の努力もなされずに来たわけではないだけに、そんなに簡単なことではないな、と感じたことでした。

                 (完)

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2013年2月12日 (火)

モロッコへの旅(2013/2)(8日目)マラケシュ、エッサウィラ

8日目日程:
 朝食後、バスでマラケシュ市内に向かいます。
 午前中はマラケシュ旧市街観光。そして昼食後、バスでマラケシュを発ち、エッサウィラへ。着後、エッサウィラ旧市街の観光後、エッサウィラ泊。

・午前:
 朝食後、出発前の余裕時間にホテルの庭を散策してから、バスで【世界遺産マラケシュ旧市街】の見学に向かいました。

※マラケシュ旧市街(1985年世界遺産登録):
 マラケシュは、モロッコ中央部に位置し、ベルベル語で「神の国」を意味する古都。
 人口は約106万人(2012年)で、カサブランカ、ラバトにつぐモロッコ第3の都市。
 アトラス山脈のうち最も標高の高い3,000~4,000m級の山脈が連なるオート・アトラス北部の麓、標高約450mの肥沃な大地に広がるオアシスに築かれ、「モロッコの楽園」、「南方産の真珠」とも称えられてきました。
 南方45kmには北アフリカ最高峰のツブカル山 (4,167m) が聳え、また郊外にはオアシスが点在しています。
 
  市街地は、ギリーズと呼ばれる(フランス人が作った)新市街、そしてメディナ(旧市街)、および王宮のあるメディナの南側の史跡地区の3つに分けられます。

  新市街は近代的な建築物が建ち並ぶ現代のモロッコそのものですが、旧市街(メディナ)は、世界一の迷宮メディナがあるフェズに次ぐ歴史を持つ古都でもあり、すべての建てものが赤土(ラテライト)の日干し煉瓦で作られた全域赤茶色の街。
 そしてこの赤い町をナツメヤシやオリーブの緑が囲み、さらに冬から春には冠雪のオート・アトラスが映えるという、地域最大の観光スポットです。
 ここ(旧市街)には世界無形遺産ジャマ・エル・フナ広場や、クトゥビアの塔、バヒア宮殿、マジョレル庭園など歴史的建造物が豊富で、1985年世界遺産に登録されています。
 そして史跡地区も、メディナの一部で、宮殿や史跡などの見学エリアになっています。

●見学:
  (昨日の夕刻には、大勢の人で賑わう熱気に包まれたジャマ・エル・フナ広場を見学しました。)
 今日はマラケシュで著名な日本語ガイドMさんの名調子ガイダンスで、旧市街を回ります。

☆クトゥビアの塔見学:
 バスを下りてまず先に、メディナの西に聳えるマラケシュのシンボル「クトゥビア」の塔見学に。
 周囲には緑が多く、オレンジの植え込みや大きなナツメヤシなどの緑と赤茶色の建築物のコントラストもきれいです。
 まずガイドMさんの解説。“モロッコの方々でオレンジの木をご覧になったでしょう。ここにもあります。
 実は苦くて食べられないものと、皆さんがホテルで食べた甘くて美味しいオレンジの成る2種類の木があります”。
 ”ここの実を適当にもぎとって食べちゃダメですよ。とても苦いから”。
 ”でもどうして見分ける?それは葉っぱの形。大きな葉の先にもう一つ小さな葉が2段になっているでしょ”。なるほどわかりやすい。ガイドのMさんはこんな案内も。
 そして周囲に立つ大きな「偽ヤシの電柱」?に目を惹かれたりして注意散漫になりながら、未完のモスクに建つ「クトゥビアの塔」を見学しました。
 現在モスク部分は残っていませんが、高さ約77mのきれいなミナレット(塔)で、4面それぞれ異なる装飾を持つムーア様式建築。
 ”塔屋に立つ「だんご3兄弟」は現世、来世、そして神の世を表し~云々”、”またその傍にある三角形に見える避雷針はメッカの方向を向いている、塔屋の窓に白いスピーカーが見えるでしょ、アザーンが流れてきたらお祈りの時間、ムスリムはメッカの方角にむかってお祈りをするのです、その方向が分かるように・・・”等々。
 日本のアニメ文化にも詳しいMさんの見事な解説にいちいち肯き、感心しながらも、まずモロッコで最初に見て、正直その”豪華さ”に驚いた世界一高い【ハッサン2世モスク(カサブランカ)】のミナレットをはじめとして、これまで方々のミナレットを見学して、また道中通過したあちこちの街中や集落でも、車窓からたくさん見てきたので、どうもミナレッテしまったミナレッ塔です。

 一通り見学したところで、バスに乗り次の見所、バヒア宮殿のある地区まで移動します。
 バスを下りてから旧市街を歩き、ファティマの手をかたどったドア・ノッカー/ノブ※やハマム(公衆浴場)や郵便局などを横目に見ながら、バヒア宮殿まで歩きます。
 (※ファティマの手:メディナの中を歩くと手の形をしたドアノッカーが目に付きます。これはイスラム教の預言者モハメッドの娘ファティマが、理想の女性として死後に尊敬された事に由来して彼女の手をかたどったとされる護符です。ドアに付けると魔除けとして家を守ると信じられているとか・・・・)
Blg8250

 
☆バヒア宮殿の 門をくぐり、中に入ると途中の植え込みにはハナイカダもありました。
 時に駄洒落も交えた名調子のMさんの解説に肯きながらバヒア宮殿内を見学。
 大邸宅の周囲に広大な庭園があり、豪華な個室が並んでいます。
 愛妾用の会議室(何の?)や個室には彩り鮮やかなタイルが貼られ、アトラスシーダー材の天井には細密画が描かれています。壁や柱の彫刻もすばらしい。
 奥には,また広くて明るい庭があり、周囲の建物は4人の妃と24人(もいた)愛妾達の部屋だったということです。
 イスラムの教えでは奥さんは4人までOK、但し”平等”に愛さなくてはならない、が、しかし、ここの部屋は明らかに別格の豪華な造りで3番目の奥さんの部屋でした。
 なかなか建前のとおりには行かない証拠と、ガイドM氏の解説を聞きながら、奥さんだけでも大変なのに、他に24人も面倒見るのはもっと大変だなあ、何処かのお国のスルタンもまた同じようだったなあ、などと実感のこもる親父どものつぶやきも。
 他に見られるのは息子達の勉強部屋とその隣のお祈りの部屋。また宮殿を執りしきる宰相が使う夏と冬の執務室なども見学。Blg8

 
 見学を終えて外に出て、ユダヤ人旧市街を通り抜け、カスバ(砦)も残るメディナのスーク(市場)を見学し、またモロッコ国営デパートも見学と買い物などに。

◇余談:
 街中の高い構築物には、例によってコウノトリ(の巣)をあちこちに見かけました。
 ”コウノトリ※はエスカルゴが大好物で、夏はフランス、アルザス地方にたくさんいるが、冬になると暖かく、エスカルゴのたくさんあるモロッコにやってくる。
 何しろビザが不要だから、そして最近は帰りたがらないでずっといる”とガイドM氏のお話。
 (※:コウノトリは、コウノトリ亜科に属する鳥類の総称で、ヨーロッパとアフリカ北部に分布するのはクチバシの赤いシュバシコウ(Ciconia ciconia)。
 夏は涼しいヨーロッパで過ごすが冬には暖かいモロッコなどのアフリカ北部に移動する渡り鳥です。)

 
☆午前の見学を終えて、バスでレストラン(COLISEUM)に向かい、ピザの昼食をとりました。Blg82200

 
・午後:
 昼食後13:30、マラケシュを発ち、バスで一路、エッサウィラに向かいます。(所要時間は約3時間。)

 窓外に流れる砂漠地帯とうって変わった緑豊かな穀倉地帯の風景を眺めながら、途中で、モロッコの重要な樹林アルガンの森を間近に見るところで写真ストップ。

☆かつては、一時絶滅が心配されたというモロッコのアルガンの森は、ユネスコ(UNESCO)の生物圏保護区に指定され保護されてきた結果、今ではモロッコ南西、大西洋海岸に並ぶ街、エッサウィラ、アガディール、ティズニット、 タルーダント近郊及びアトラス山脈に面した地域80万ヘクタールの範囲に広がりを見せているそうです。
 まだ青い実がついている時期、ヤギが好んでアルガン(Argania spinosa)の木に登り、苦い実を食べるそうです。
 そして確かに樹の下にヤギがたむろしている姿は目撃しましたが、木登りヤギは見られませんでした。(写真は絵はがき。)

  エッサウィラまで後15分ほどのところに、エッサウィラ全域が眺められるビューポイントがあり、写真ストップ。Blg8

 
 そしてほどなくエッサウィラ※(「小さな要塞」の意。ここはまた文芸家の集まる街))に到着。

※【エッサウィラのメディナ(旧市街)(2001年世界遺産登録)】:
 マラケシュの西、大西洋岸にある紀元前から栄えた港湾都市。海に面した白い旧市街(メディナ)は15世紀にポルトガル人により築かれ、西アフリカ沿岸部の軍事、貿易の拠点として栄えました。
 その後、18世紀にフランス人建築家の手によって整備され、計画都市となりました。
 白い壁とブルーの窓が美しい街です。

☆旧市街(メディナ)の見学:
 午後5時前前、エッサウイラ到着。バスを下りてメディナに向かいます。
 海沿いにだけ生育するというコニファーの一種「アロカリア」を物珍しげに眺め、傍に設けられていた映画「オセロ」ロケ記念のオーソン・ウェルズ・モニュメントも歩き見しながら、「ムーレイ・エル・ハッサン広場」(ここは最後に立ち寄りました)を通り抜けます。
 日陰は暗いメディナの狭い通りを歩いて、軒を連ねる寄木細工などの雑貨や絵の店、また食料品、衣料品など庶民生活が見える通りを抜けていきます。
 そして最大の見所、北稜堡の展望台と北のスカラ※(「海の要塞」)の見学です。

 (※スカラとは海の門の西側と、メディナ北側の絶壁沿いに突き出した城塞で、海に向かって大砲を配置した砲床(見張り台)のこと。
 (ここは1949年にオーソン・ウェルズ監督作品「オセロ」のロケ地にもなりました。)

 見学後、メディナの別の街路を歩いて通り抜け、再びムーレイ・エル・ハッサン広場を通過し,今度は海沿いの道を歩いて、南のスカラに向かいます。
 途中で、カモメなど海鳥の飛び交う海辺から振り返ると、西日を浴びて白く光る北のスカラ方面のメディナの景観が印象的でした。
 さらに歩いて、南のスカラ、海の門、造船所、港などを見学、また魚市場ものぞいたりして周辺を散策。
 お終いに、日中最も賑わうという四角の広場「ムーレイ・エル・ハッサン広場」に戻りました。 
 広場に戻ったのは既に日暮れ時で、人出はもう少なく、海鳥の飛び交う海の向こうに沈んでいく夕日を眺めてから、バスに戻りました。Blg8_2

 ホテルはここから近く、(といっても、歩けば30分近くかかりますが)午後6時頃に到着。夕食はホテルで。
                  (エッサウィラ泊)
                    →9日目に続く

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2013年2月11日 (月)

モロッコへの旅(2013/2)(7日目)アイドベン・ハッドゥ見学、オート・アトラス山越え、マラケシュへ

●7日目日程:
 ワルザザート→ティフルトウトのカスバ(映画「アラビアのロレンス」のロケ地)→アイト・ベン・ハッドゥ→オート・アトラス山脈のティシュカ峠(標高2,260m)越え→タデルト→ハウズ平野→マラケシュまで。
 夕刻、マラケシュのジャマ・エル・フナ広場見学、また夜、モロッコ伝統のアクロバット騎馬ショー見学も。

・午前
 朝食後バスでワルザザートを発ち、ティフルトウトのカスバ(砦)に立ち寄り、写真ストップ小休止だけで、すぐにアイト・ベン・ハッドゥへ向かいます。

 ワルザザートを出発してすぐに、映画スタジオ(アトラス・コーポレーション・スタジオ)があり、さらに1.2kmほどの町外れに★タウリルトのカスバがあります。
 ここは映画『シェルタリング・スカイ』の舞台にもなったことでも知られています。また道を挟んでカスバの反対側に★芸術村(Ensemble Artisanal)があります。
 いずれも写真ストップの立ち寄りだけでスルーです。
 そしてさらに(ワルザザートの町から)西に8kmほど行ったところに★ティフルトウトのカスバあり、ここも写真ストップのみ。
 ここはアラビアのロレンス映画撮影にも使われたところで、映画の中にも建物のシーンがあります。
 そこから少し過ぎた辺りの★礫砂漠地帯(写真)でも、ロレンスの映画が撮影されたそうです。その先では、★ワルザザート谷が俯瞰できました。
 さらに進んで★アイト・ベン・ハッドゥの全景が見えるビューポイントでバスストップ。
 遠くにはアトラス山脈が、また集落のまわりにはアーモンドの花が咲いているのが遠目にも確認できました。(以下の画像はクリックで拡大します。)Blg7_2

 そしてほどなく本日の見学メインスポットのアイト・ベン・ハッドゥ到着。

●世界遺産※要塞都市アイト・ベン・ハッドゥ(1987年登録):
 ワルザザートの町から西へ33Kmに位置するアイト・ベン・ハッドゥは(要塞化された村)『クサル』です。ここは350年ほど前に出来たクサルで、特別有名な話や歴史などはないままに残ってきて世界遺産になったと聞きました。
 アトラス山脈の麓で、ワルザザートとティネリールを経て、エルフードの近くのエルラシディアを結ぶ街道筋は(カスバ街道と呼ばれる)、商交易の中継地として栄えたところ。
 この地に、7世紀ごろ、アラブ人の支配/迫害を逃れて、アトラス山脈を越えたベルベル人(ハッドウ家一族)が、築いたカスバやその集合体クサルが、今『カスバ街道』とよばれるとおり、多数ありますが、その中で一番保存状態が良く残っているクサの代表格がアイト・ベン・ハッドゥです。
 小川のほとりにある丘の斜面を利用して、いわゆる日干し煉瓦造りの民家集落カスバ()を、外敵の掠奪から村を守るため、さらに高い城壁を巡らして村全体をカスバ(城砦)化した要塞が『クサル』です。
 立体的に構築されたクサルには、敵の侵入を防ぐため入口は一つしかなく、通路は入り組んだ迷路になっていて、急勾配の階段を上がったり下りたり、また暗がりを歩く道は狭く、家の1階には窓がなく換気口のみ。
 さらには銃眼を備えた塔(ティグレトム、またはアガディールと呼ばれる穀物倉庫兼、見張り台)が一定の間隔をおいて何本もそびえ、 くわえて、要塞の最上部には篭城に備えて食料庫があるなど、まか不思議な、まさに難攻不落の要塞そのものです。
 日干し煉瓦造りの家は、耐用年数が短く、20年くらいで修復が必要になると聞きましたが、現在、やはり家々の傷みはかなり進んでいます。
 そして、かつての居住者のほとんどは小川の対岸に造られた新しい村の方に移り住み、“旧村”は廃墟に近い様相ですが、モロッコでの他の村々に較べて保存状況は格段によくて美しいといわれ、1987年に世界遺産に登録されました。
 そして現在もユネスコの関係機関と協議しながら修復が進められています。実際にその修復作業の現状も目にしました。
 なお余計なことかも知れませんが、クサルの頂上にあるティグレトム(食糧倉庫)は、古いガイドブックの廃墟風の写真と違って完全に修復された「新築」で、きれいすぎる、と思ったものでした。
 ともあれ、その景観は多くの映画のロケ地としても使われているほどにインパクトがありますが、一方で、そこまでしなければ平和な日常が保てなかった背景というものが、その国のその時代の事情を知らないものには、なかなか推し測り難いことでした。
 日本の歴史の中に、隠れ里などとは異なりますが、そのような類似の時代や史実はどれほどあったのでしょうか。

☆見学:
  さて、見学の現地ガイドは、現在もそこに住んでいる(6家族がお住まいと聞きましたが)お一人で、そのお宅も訪問し、見学・案内していただきました。
 クサルの見学には、まず小川にかかった橋を渡ります。以前は、河床に並べられた飛び石伝いに渡ったそうで、わざわざそちらから行っている人達の姿も見えました。
 複雑な迷路をガイドさんにくっついて、頂上を目指しながら、息を切らしながら歩いていきます。
 中腹まで上がって見降ろした景色から、これなら襲って来る外敵の動静は歴然で、迎え撃つ体勢も的確に出来たのだろうな,と、あらぬ事を考えてしまいました。
  クサルの頂上は360度のパノラマで、アトラス山脈も遠望できました。頂上に設けられたティグレムト(穀物貯蔵庫)には、籠城に備えて特に重要な物品が貯蔵されていたそうです。Blg7225

 しばし景観を楽しんでから下りに。途中の岩場には、表面に岩塩が晶析しているところもありました。
 また途中の「アーティスト」の“あぶり出しの絵”製作現場や、その作品販売所にも立ち寄りました。色付けはすべて自然の素材、原料を使っているそうです。
 その後に、ガイドさんのお住まいの見学、案内をしていただきました。
 1Fというか1段低いところにはロバが飼われていて、そこから1段高いところ(2F)に住居があります。
 建物の壁を挟んで何かを燃やす竈?だか何か良く分からない”設備”があり、部屋の天井?か屋根?は茅葺きだったり、また水道の蛇口は目にとまりましたが、明かりは自然採光のようで、電気やガスなどは無さそうでした。
 やはり住居の造りは少し変わっていて、戸外に出て上り段をあがり、もう出口かと思ったら、その先に庭と出口、脇に屋外トイレがあったりして・・・。
 それでも住めば都、なのでしょうね。

 見学を終えて出口に向かう途中に見下ろした、狭い通りに、土産物屋さんが並んでいました。
Blg7_4

上り下りは結構暑かったです。

 一通りの見学を終えてから、ローカル・レストラン(OASIS D’OR)に入り、少し早めの昼食(オムレツ料理)を済ませました。
 昼食後、オート・アトラス山脈を越えてマラケシュに向かうバスの長旅になります。

 乗り物酔いが心配な方は酔い止め薬を服用。食後の午睡タイムにもなったようです。
 ここからバスは結構なスピードでワルザザートとマラケシュを結ぶカーブの多いアトラス越え山岳道路(N9号線)を走り、高度を上げて行きます。
 途中、沿道には、廃屋かと思うような日干し煉瓦造りの家々が点在し、時にぽつんと人影が見えたりして、よくぞこんな厳しい自然環境下に生活を築いているなと、驚いたり、また突然、小さな川が流れているのを不思議に思ったり、そしてまた、その周辺にはアーモンドの林があって、ちょうど花時で、遠く聳えるオートアトラス山脈を背景に、これぞ山上の桃源郷かと感動するような光景も目に飛び込んできて、居眠りをする暇はありませんでした。
 きつい勾配を登り切ると、ほどなくティシュカ峠(風の峠:2,260m)に到着しました。
 そこはモロッコの車道の最高地点です。峠で写真ストップ。

 峠を越えると、また続いて大蛇のようにくねるカーブが続きます。下りになると風景が一変し、ガードレールのないところも多く、黒い山肌が続き、殆どハゲ山になったり、崖崩れはしないのかと不安になるような山肌が迫ったりしますが、バスの運転手はお構いなしで、かなりのスピードで走ります。
 さすが、というか・・・・聞けばトラックが転落して運転手が死亡したりする事故などあるということでしたが・・・
 谷側の赤と黄色に塗られた棒は積雪時、道路の位置を示すもの。
 時に緊張しながらも、標高1,650m付近まで下りてくると、日干しレンガの家にパラボラアンテナの着いた家並みが、崖に貼り付くように点在するベルベル人の集落に着きました。タデルト(Taddert)の村落です。

 ここにアルガン・オイルの工房/お店があり、トイレ休憩をかねて見学に立ち寄ります。そのついでにお土産も。

☆アルガンの樹、実、オイルについて:
 「ヤギ(山羊)のなる木」という、(高価な)『アルガン・オイル』のコマーシャルがあります。 
 絵はがきもありました。アルガンの果肉は分厚く硬くて苦いそうですが、ヤギは好んで食べるということですし、確かにヤギは高いところに登るのが好きなのは事実です。
 アルガン・オイルの採れる実が成る「アルガンの樹」は、世界でもモロッコの南西部に位置する、石灰質で半砂漠のスー(Sous)谷に(他にはアルジェリアの南西部ティンドーフ(Tindouf)にも)自生する固有の樹木です。
 この木は地中深くに根を張って水分を吸収し、乾燥した厳しい風土の中でも育つ被子植物で「モロッコのオリーブの木」ともよばれる常緑樹です。
 樹高は8~10mになり、寿命は150~200年くらいあるという。そのアルガンの森が一時期、絶滅の危機にさらされたことがあり、爾来、モロッコのアルガンの森は、ユネスコの生物圏保護区に指定され、現在は80万ヘクタールの広範囲に広がっているそうです。
 古来、サハラ砂漠のベルベル人はアルガンの木の実から搾油して利用し、現在でも(ベルベル人は)オリーブ・オイルの代用品としてアルガン・オイルを用いているのだそうです。

 アルガンの実は、未熟時は黄緑色で、1年以上かかって黒く熟し、ラグビーボール状の形をした3~4cmの大きさで、分厚く苦い果皮で覆われた堅果になります。
 (実際、翌日に見学したアルガンの木に稔っていた果実は黄緑色でしたが)、夏に黒くなって乾燥し、落下したものが収穫されますが、収穫量は法律と慣習によってコントロールされているのだそうです。
 集めたアルガンの実は、いったん乾燥して保管されます。そしてアルガンオイルを採油する時に、硬い果皮を剥き、種を取り出します。
 取り出した種はとても硬く、その種を石で叩いて割ると中に、仁(ジン)と呼ばれる白い核が入っています。
 その仁を取り出して、石臼で挽いて絞ることで、その中に最大50数%含まれているというアルガンオイルが採れるのです。
 アルガンの成木1本から30kgの実が採れて、それから1リットルのCrude(未精製)オイルが得られ、さらに精製加工した高純度の製品になるとその1/3くらいになるそうです。
 ですから、およそアルガンの実100kgから採取できる精製オイルはわずか1リットルということで、大変希少価値のあるオイルなのです。

 アルガンの枝には短く鋭い刺(トゲ)がたくさんあるため、アルガンの木に登れるのは「ヤギ」だけで、数頭のヤギが木にのぼって果実を食べている有様が「ヤギのなる木」のコマーシャル写真。
 (なお、翌日、マラケシュからエッサウィラに向かう道路沿では、アルガンの樹が植えられた畑地や森などは随所に見ることが出来ました。
 そして樹木の下にヤギがいるのも確かに目撃しましたが、その時には”木登りしたヤギ”は見られませんでした。)

☆見学:
 立ち寄った工房では、若い女性が見学者のためにアルガンオイルの伝統的な製造工程順に並んで座り、各工程を実演して見せながら説明してくれました。
 手作業で果実を2つの石にはさんで割って硬い果肉を除去し、次に、取り出した種をやはり石で叩いて割って、中の白い仁(ジン)取り出し、それを石臼で挽いてペースト状にして、オイルを抽出するという工程です。
 石臼で挽くのをやってみろ、というので、石臼を回してみました。びっくりするくらい軽く回ります。そのはずですね、潤滑油を石臼の間に常時、差しているのと同じですから。
 一通り見学後、アルガン・オイル製品のお店も見学、そしておみやげも・・・。

 先述のように、100kgの実から精製オイルは1リットルしか採れないという希少価値の高いオイルを含む多種類の「開発商品」が展示販売されていました。
 美顔、美容、保湿、また”シワ取りクリーム“などの化粧品類や、踵のひび割れ専用とか手荒れ専用など、また各種石けん等々“アイデア商品”もたくさん。
 “各種商品の効果”のほどは分かりませんが、買われた人もたくさん。
 食用のアルガン・オイルもあって、こちらは蜂蜜を混ぜてパンに付けると美味しいという。
 (なお、アルガン製品は、翌日訪れるエッサウィラが「本場」で、買い物はそちらでも可能、とガイドさんの話。言われて、商品のラベルを見ると、製造会社の所在地はエッサウイラと記載がありました。)
 買い物には関心の薄い”おっさん達”は外に出てぶらぶら時間つぶし。周囲は山に囲まれていて特別関心を引くものはありません。
 なぜかタジン鍋の販売店があったりして、タデルトの村は長距離バスや多くのRV車ツアーの休憩地にもなっているため、商売になるのでしょうね。

  タデルトを出発し、さらに続く道路を40分ほど下って視界が開けて来たあたりで、車窓左側(西方)にアトラス山系の雪山が見えました。
 ただし、モロッコ最高峰のツブカル山(4,167m)ではありません。http://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Snow_in_Jbel_Toubkal?uselang=ja
 オート・アトラスの南西部に位置するツブカル山は、天気が良ければマラケシュの平野部からは南の方角に見えそうですが、このルート(N9)からは地勢的に見えないようです。
 (なお、余談ながら、※イムリル(1,740 m)は、ツブカル山登山の基地で、マラケシュからR203をほぼ真南に55kmほど走ったところに位置する小さな寒村。
 登山シーズンには主に旧宗主国のフランスや隣国スペインからの登山者で賑わうそうです。)Blg7_3

☆雪山の見えたところを過ぎてからしばらくで、道が広くなったせいかバスの速度が増し、ハウズ平野まで来るとマラケシュまであと30kmほど。
 周りの田園風景が後ろの方に飛んで行くようになり、果樹や並木道の樹木がだんだん多くなって、ほどなく宿泊地マラケシュに“無事”着きました。

 マラケシュのニックネームは“赤い町”。街並み/建物はすべて「砦」の「赤茶色」で統一されています。
 ホテル到着は5時過ぎでした。チェックインを済ませてから、休む間もなく、夜の雑踏が始まるジャマ・エル・フナ広場※の見学へ。

 なお、マラケシュ旧市街(メディナ)は1985年世界遺産に登録されていましたが、ジャマ・エル・フナ広場の文化空間※については、2009年9月、初の「世界無形遺産」に正式に登録されました。

※ ジャマエルフナ広場の文化空間:
  城壁に囲まれた旧市街の中心にある約400m四方のジャマ・エル・フナ広場は、文化と交易の中心として栄えてきました。
 現在では、屋台や大道芸でたいへんな賑わいを見せています。なお、ジャマ・エル・フナ (Djemaa el Fna) とは、アラビア語で”死人の集会場”を意味するのだそうです。夜になると大勢集まってくるのは幽霊?

★ジャマ・エル・フナ広場:
 広場を見下ろすビューポイントから雑踏の広場を見渡した後、広場の見学/散策に。
 陽が落ちてあたりが暗くなるとどこからともなく人々が集まってきます。
 赤ん坊を抱いた若いカップルや、家族、友人同士、等々、老若男女こもごも、多くの人々が集まり、それに観光客も混じって広場は大勢の人で活気を呈し賑わいました。
 ただ、もっと騒々しい喧噪を想像していましたが、あふれんばかりの人出の割には、静かな印象で、若者が集まって飲んでいるのは例外なくミントティーで、何より「酔っ払い」がいないからでしょうか。

 見学を楽しんだあと、メディナのレストラン(REST PALAIS ARABE)でモロッコ名物”クスクス”の夕食。
 食後、一度ホテルに戻り、身支度をしてから、再びバスで30分ほどの、マラケシュ郊外にあるファンタジア・ショーの見学会場へ。

★ファンタジア・ショー(モロッコに古くから伝わる伝統的なアクロバット騎馬ショー):
 会場に到着すると勇ましい騎馬隊に出迎えられて、会場の門をくぐり、場内のレストランへ入ります。
 ショウが始まるまでの時間は、レストランでドリンクサービスがあり、民族衣装に身を包んだ色々な部族がテーブル毎に来て、民俗音楽やダンスを披露したり、耳元で太鼓やびっくりするほどの大きな奇声を響かせたり、またベリーダンスで2,3回腰を振ったら、さっさと行ってしまったりと、どうもいずれも今ひとつ。
 そうして時間を費やしてから、騎馬隊のアクロバットショー開始時間になり、屋外の会場へ出ました。
 ショーが始まりましたが、ショウの内容についての説明やパンフレットなどの資料サービスはなにもなく、ラウドスピーカーからは良く分からない音(音楽)が流れ、騎馬隊が、一気に広場を駆け抜け空砲を撃つ、そのスピードと爆発音には、最初だけは驚きましたが、繰り返しは単調ですぐに慣れてしまいました。
 見所は最後の方で演技されたアクロバティックな曲乗りで、これはさすがでした。最後は出演者全員のパレードで終了し、ショー・タイムは約45分ほどでした。
 この間、屋外桟敷席は足元から冷えましたね。
Blg7_2

 個人的な感想としては正直なところ、今ひとつ、でしたね。
 ショーが終わってホテルに戻ったのが12時。それから風呂に入ってベッドに入ったのが1時過ぎ・・・
 明日は午前中マラケシュのメディナ(旧市街)を観光して、エッサウィラに向かいますが、寝不足、になるかな。
                   マラケシュ泊
                 --- 8日目に続く---

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2013年2月10日 (日)

モロッコへの旅(2013/2)(6日目)エルフードからサハラ砂漠、トドラ渓谷、そしてワルザザートへ

★6日目日程:
 エルフード⇔サハラ砂漠(メルズーガ大砂丘)往復→トドラ渓谷→→カスバ街道→ワルザザートまで。Blg6ccs1

 
●砂漠の日の出鑑賞:
 ・早朝5時10分、エルフードから4輪駆動車(もちろん日本車)に分乗し、まだ明けやらぬ砂丘のオフロードを、砂塵を巻いて走る前車の後について揺られながら、約50km先のサハラ砂漠(メルズーガ大砂丘)にあるラクダ基地へ向かいます。所要時間は50分ほど。
 荒れた台地を意味する「サハラ」、だから日本語で「サハラ砂漠」というと、”サバク砂漠になってしまうという。
 それはともかくサハラ砂漠は世界最大の砂漠で、その面積はアメリカ合衆国に匹敵する約910万平方キロメートルという。
http://commons.wikimedia.org/wiki/File%3AWorld_largest_deserts.jpg
 到着後、ラクダ基地からラクダに乗り、本日のハイライト”砂漠の日の出”ビューポイントまで向かいます。
 ビューポイントに陣取って日の出を待つ間、馬子ならぬ駱駝牽き氏が砂漠の東方を指さしながらいう、向こうがヨルダン、こちらがアルジェリア。そして、この方角には勝手に入っていっては危険、とも。
 また、日本人は特別に日の出が好きのようだが、朝日も夕日も同じ太陽ではないか、とテツガク的なお話も。
 ポケットからラム酒入りのチョコレートを取り出すと、まわりから手が伸びてあっという間に空っぽに。アレッ、ムスリムはアルコール禁止ではなかったか、そうだ、日本のチョコレートだとしか言わなかったな。
 そうこうしているうちに、日頃の行いには無関係に、今日も絶好の天気に恵まれ、ほぼ無風で、砂嵐などの心配は全くない裡に、日の出時刻を迎えました。Blg

 
 黄金の旭光が煌めいたのは7時8分。そして、あっという間に陽は昇り、明るくなります。
 あらためて眺めたローズサンドと呼ばれる赤い砂が広がる風景は、とても印象深いものでした。
 基地から往復のラクダは楽でしたが、写真を撮るには揺れすぎて難点も。帰りは歩けば良かったかな・・・Blg_2

 ラクダ基地にあるベルベル式テント漠で、砂漠の風を感じながら朝食。その後、再び4WD車でメルズーガからエルフードに戻ります。
 
●化石探し:
 エルフードに戻る途中に、化石が露出している平原があります。数億年前は海底だったと言われるモロッコは世界的な化石の産地で、一帯の山地には採掘場もあるようです。
 地表に、アンモナイト、オウムガイの仲間(トレプトセラスなど)、ゴニアタイト等々、海の生物化石が露出している化石地帯に立ち寄り、しばしの時間、化石探しに。
 足もとの大きな露岩(写真)には、探すまでもなく見事な化石が無数に見られました。
 (このような原石は切り出されたあとで、専門の加工工場で石板やテーブルなどにも製品化されています。
 エルフードのホテルの洗面台もそのような見事な石盤が使われていました(写真))。
 ポケットに入るくらいの“小さな石ころ“で、しかも”きれいな化石“が埋め込まれているものを探すとなると、やはり熱心に探さなければ拾えません。
 それでもオウムガイの仲間(2種類(写真)や、ゴニアタイト(写真)が含まれているものなど適当に3、4個を拾ってから、傍らのショップに立ち寄り、きれいに掘り出された小さなアンモナイトの化石(写真)をいくつか買い求めました。(単なる記念)

●ホテルに戻り、身支度をしてエルフードを出発:
 この後の概略行程は、トドラ渓谷に向かい、渓谷内にあるレストランで昼食を済ませてから渓谷を見学、そこから途中何回かトイレ休憩など挟みながら、カスバ街道を約320km(所要約3時間)、宿泊地のワルザザードまで走ります。

☆車中での余談:
 モロッコ人の平均月収は約3万円。人気職業は、農業がトップ!次に教師。年収は、農業、公務員、教師でほとんど差が無いとのこと。
 平均年齢の若い国で、教育には国としても力を注いでいて、2012年には(しばらく前まで低かった)識字率も80%を越えるまでになっているそうです。

●カナート(地下水路(井戸)):
 エルフードを出発して1時間ほど走ると、高原台地にモグラの孔のような土の盛り上がりが連なっている光景を目にします。
 ”カナート”と呼ばれる水道(井戸)です(写真)。
 アトラス山脈に降った雨や雪が地下に浸透してできた地下水路を利用した水道(井戸)設備で、今は観光用の遺構になっています。
 その一つの井戸穴に下りて地下水路底から上方、地下水路左右(写真)を見学。今は、水はありません。

 カナートの見学と小休止の後、トドラ渓谷に向かいます。

●途中ティネリールの町を通過します。
 この町はカスバ街道のほぼ中間点の町で、ちょうど下校時間だったらしく、市街地では通学自転車に乗ったまま大型トラックの後につかまって楽をしている悪ガキの姿(写真)や、また郊外ではカスバ(要塞)跡(写真)なども眺められました。
 (なおこの町はトドラ渓谷から戻るときにも再度通りますので、その時にあらためて写真ストップ)。

●トドラ渓谷:
 トドラ渓谷に到着後、先に渓谷内のホテル/レストランYASMINA(建物写真)で少し遅い(1時半頃)昼食(モロッコ名物のタジン鍋)をとりました。
 食後、”モロッコのグランドキャニオン”と呼ばれる、赤茶けた岩肌をアトラス山脈の雪解け水が削ってできた景勝地(写真)の見学に。前面露出するジュラ紀前期石灰岩層で、200~300mを越える絶壁には、欧州のロッククライマーも、岩登りの練習に訪れる名所という。
 しかし、正直なところ、“グランドキャニオン”には名前負けしていると思いました。Blg_3

 
●再びティネリールの町:
 トドラ渓谷見学後、(往時には素通りした)ティネリール(Tinghir)のオアシス(写真)で写真ストップ。
 緑濃い椰子の木の茂るオアシスの町で知られるティネリールは、トドラ渓谷に近く、またトドラ渓谷沿いにあるカスバも見所の一つ。
 好みによってはトドラ渓谷よりティネリールのオアシス散策/見学の方がお勧めらしいです。

 エルラシディアからティネリール、ワルザザートを結ぶルートはカスバ街道と呼ばれ、街道沿いには名前のとおり城塞跡が続いていて、だんだん慣れっこになってしまいました。

●アーモンド花盛り:
 そしてこの時期、良かったのは、道路沿にも栽培されているアーモンド(写真)が花盛りになっていたこと。
 サクラに似た白い花がきれいで、バスを停められるところでしばし写真ストップ。

●ブーマレン・ダディス:
 その後、ティネリールから約53km、1時間ほど走ったところでダデス川沿いの村ブーマレン・ダディス(写真)に至ります。ここで小休止。ここから内陸に入っていくとダディス渓谷があり、ヨーロッパ人には人気スポットだそうです。

●エル・ケラア・メグナ:
 そこからさらに1時間ほど走って、午後5時過ぎに、エル・ケラア・メグナの村に着きました。 
 この村一帯はブルガリアと並び有名なモロッコのバラ(ダマスクローズ)産地です。
 バラ・エッセンス製品はフランスなどに出荷され、ブランドものの香水になったりするそうです。
 近くにバラ・エッセンス (ローズウォーター)を蒸留する工場があり、またそれを売る土産品店があります。 
 ここに、トイレ休憩をかねて立ち寄りました(写真)。
 ご婦人方はより美しく香しくなるというバラ・エッセンスをお買い求めですが、男共は手持ちぶさた。

●カスバ・スタイル個人邸宅で、現在は新装のホテル:
 そして日が傾いてワルザザートに近くなった辺りで、カスバ(要塞)スタイルの個人邸宅があるというので写真ストップ。
 フランス統治時代に活躍した実業家のお宅でしたが、現在は新装されたホテルだそうです。経済戦争中でしょうか。

●午後6時5分頃、地平に沈む夕日(写真)を(日の出と変わらないか、と)眺めながら、ほどなくワルザザートに着きました。Blg_4

                         (ワルザザート泊)
                          (→7日目に続く

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2013年2月 9日 (土)

モロッコへの旅(2013/2)(5日目)フェズからイフランそしてエルフードへ

★本日5日目は移動日です。

Ⅰ)行程地図:
 フェズ出発→→(モロッコのスイスと称される)イフラン→→そしてアトラス山脈の峠を二つ越え→→宿泊地エルフード(サハラ砂漠入り口の街)まで、約480km/約7時間30分の長々、バスの旅です。
 (以下、画像はクリックで拡大します)Blg5200

 
●午前:

Ⅱ) 朝食後バスでフェズ発→アトラス山脈を越え→イフランへ。
 ☆【宿泊ホテル】①8時半出発。市街地を抜けると広々とした高原台地の風景が眺められるようになります。 50分ほどを走ると、標高約1300mに位置する☆【イムザール】②の町(ベルベル人が多く住むという)を通過します。
 さらに40分程で、ヨーロッパ調の街並みがきれいな“モロッコのスイス”と呼ばれるイフランに到着。
  ☆【イフラン】③標高1650mに、トイレ休憩をかねて立ち寄り小休止。レストランで評判のコーヒー(エスプレッソ)を飲んで、大きなライオンの石像(絶滅したアトラスライオンという)の前で記念写真を撮ってから出発。
 標高はだんだん高くなり、☆【アトラス杉の森が広がる山地】④には雪が見られるようになり、標高が上がってきたことが分かります。
 遠くには雪のある☆【モアイヤンアトラスの山並み】⑤も見えました。☆【スキー場】⑥も2か所ありました。
 (なおモアイヤンアトラスの最奥にひときわ白い高山がチョッピリ見えましたが、これはオートアトラス山系のムガウン(M’Goun)山4071mだったのでしょうか?)52

 
Ⅲ) その先、標高1800mの☆【シマート】⑦辺りは、どこに牧草があるのかと見えるような高原でしたが、羊の高原放牧地だそうで、随所にたくさんの羊の群れが見えました。
 ここを過ぎるとさらに標高が上がり、やがてアトラス杉の生えている☆【ザード峠】⑧2178mに到着です。
 途中適当なトイレ休憩が取れるところがなくて、次の昼食休憩まで“持たない”人達はここで青空トイレに。(私は必要ありませんでしたが、“利用者”の感想としては「久しぶりに爽快感を味わった」そうです)。
 峠を下って☆【ザイダ】⑨の街が近くなる辺りからオートアトラスの雪山☆【エアシ山3747m】⑩(→http://www.naturetrek-maroc.com/prog_trek_ayachi8J.htm) が見えるようになりました。
 ザイダを過ぎてほどなく☆目立つところには【「アラーの為に、国王の為に、国民の為に」】、と国軍の標語⑪が書かれていました。
 それからほどなく昼食、休憩地の街☆【ミデル(ト)(MIDELT)】⑫に到着(12時40分)しました。53

 
●午後:

Ⅳ) 街のレストランで☆【マスのグリル】⑬の昼食。大きなマスだけでお腹いっぱいに。ご飯(お米)は「サラダ」なのでした。
 昼食後、市街地を通過します。ミデル(ト)はリンゴの特産地で、街の中心部に☆【大きなリンゴのモニュメント】⑭がありました。
 ミデル(ト)を出てから35分くらいで☆【タルゲート峠(Col Tizi N'talghaumt)1907m】⑮を越えて行きます。
 ☆【オートアトラスの高原】⑯を走り、☆【ジズ(Ziz)川】⑰を越えてさらに高原の道を走ります。
 やがて見所(それほどでもない)☆【ジズ渓谷】⑱へさしかかり、ここで写真撮影ストップ。54

 
Ⅴ) その先では、かつて部族間の抗争が激しかった歴史を物語る【カスバ(要塞)スタイルの個人住宅】⑲がたくさん見られる地域を通過します。抗争の大本は一体何だったのか、今もあるのか、島国生まれの凡人には計りがたいところです。
 そんな大きなお世話は無関係に通り過ぎていくと(Google Earthで見たら)大きな“胃袋”のような形の☆【水源ダム湖(ハッサン・アダヒル湖:Barrage Al-Hassan Addakhil)】⑳が見えてきます。
 余談ですが、モロッコの発電事情は、約80%がガス燃料タービンで、残り20%が水力との事で、その水確保のための電源開発用ダムだそうです。もちろん生活用水源としても重要な役割を果たしているとのことでした。
 長大なダム湖畔を通り過ぎ、やがて☆【発電所を見送るとエルラシディアの街に入ります。街のガソリンスタンド】㉑に立ち寄り、トイレ休憩ストップ。
 エルラシディアの街は城壁で囲まれた住宅が多く、住人の約80%が軍関係者という”軍人の多く住む街”だそうです。
 ちょうど☆【中学校の下校時間だったのか大勢の生徒が出てくる様子や、まだ新しい軍隊の訓練場、そこに配備されている多数の軍用車両/戦車】㉒なども垣間見ました。
 エルラシディアを過ぎてしばらくで、一面にナツメヤシが生い茂る☆【オアシス】㉓が見えてきます。午後4時半頃でした。そこでも写真ストップ。
 すぐにナツメヤシの売り子が寄ってきます。辺りではナツメヤシの栽培を生業にしている農家が多いそうです。
 ここから50分程で今日の宿泊地エルフードに到着です。ほぼ予定通り5時20分☆【ホテル】㉔着。夕食時には歓迎のパフォーマンスも。55

                           (エルフード泊)
                          (→6日目に続く) 

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2013年2月 8日 (金)

モロッコへの旅(2013/2)(4日目)フェズ

★4日目:(終日フェズ滞在。移動はバス) 
 ・朝食後、バスで出発。世界で最も複雑な迷宮の街へ。

●世界遺産フェズの旧市街(メディナ)観光

※フェズ旧市街(メディナ)世界で一番大きな迷路といわれる市街(1981年登録):
 フェズはアフリカ北西端、モロッコ王国北部の内陸都市。かつてマリーン朝などイスラム王朝が首都としたところです。
 13世紀から14世紀にかけて大きな発展を遂げ、多数のモスク、マドラサ、大学などが造られました。
 旧市街は巨大な迷路で、古くは9世紀にモロッコの最初の王朝で、一般にはイドリス2世によって造られとされている【実際には既に先代の1世が統治していたという)最古の都市。
 メディナ(旧市街)には細い路地が網の目のように巡らされていて、モスク、パティオのある民家、ハマム(公衆浴場)、スーク(市場)などがひしめいています。
 周囲10km以上といわれる旧市街の内部には、いまだに車は入れず、ロバが貴重な輸送手段となっていて、またベールをかぶった女性も多く見られます。

 歴史建造物・史跡・名所としては、【カラウィーン・モスク】、【カラウィーン大学(神学校)】、【ムーレイ・イドリス廟】、【サファリーン・マドラサ】、【アンダルース・モスク】、【タンネリ(皮なめし工房)】、【貸し鍋屋のスーク(市場)】、【ネジャーリン広場の泉・フォンドック(隊商宿)】など多数。

 
《Ⅰ》
●【フェズの街並み俯瞰】:
 朝一番に、ビューポイントの「南砦」展望台に登り、フェズの街並みを俯瞰します。
 地震大国に住まいする凡夫は、眺めやった途端に地震、大火災が発生したらどうするのかと心配になりました。
 まあ建物の主体は”泥”(日干し煉瓦)がメインですから燃え広がらないのかも・・・。
 現在のフェズ市街は旧市街、新旧市街、そして新市街の3つの地区に分かれています。

●【”ミニタジン”の絵付け体験】:
 ★南砦から街中に下りて、まずはじめに伝統文化のモザイクタイルなどを作る「陶器工房」を訪問しました。敷地内にはオリーブの樹や、花が咲き始めたレモンの木などがありました。
 この工場での製品はすべて手作りで行われていて、彩秞タイルや陶器制作現場の見学と同時に”ミニタジン”の絵付けも”体験実習”しました。
 絵筆など用具が十分でなく、またあらかじめ考えておくようにと言われていた絵付け(絵柄)の才能など全くないので、いい加減に色を塗りつけて真っ先に出来上がり。
 (なお”駄作品”は焼成された後、最終宿泊地、カサブランカのホテルに届けられました。正真正銘の良い駄作記念になりました。)Blg

 
《Ⅱ》
●陶器工場の見学を終えて、次にフェズ市街の見学に向かいました。

 はじめに【新旧市街(フェズ・エル・ジェディド)】の【王宮】見学へ。それから→【ユダヤ人街】を通り抜け→そして【ブー・ジュルード門】をくぐり、巨大迷路・核心地域の【旧市街(フェズ・エル・バリ)】へ。
 この”巨大迷路”見学は、間に昼食をはさみ、午後、さらに迷路をさまよって、→【サファリン広場】を経由し、最後に【なめし皮職人街タンネリ】を見学というフル・コースです。

 まずは、
★新旧市街(フェズ・エル・ジェディド)の王宮見学へ。

☆【王宮】
  80ヘクタールの敷地に建つフェズの王宮は現在でも、国王がフェズに滞在する際やレセプションなどに使用されていて、一般には公開されていません。
 見られるのは建物正面外観だけで、見学に際しては、正面の黄金の門以外は撮影も厳禁。
 近くには警備の人影があり、他の門などを撮影しているところを見つかると、データを消去する様に言われたり、カメラなどを没収されることもあるので要注意、と、ツアー・スルーガイドのRさんから注意と説明がありました。
 真鍮で作られた美しい門は、門の前の広場に植えられているレモンの木から採れたレモンで定期的に磨かれているそうです。
  ブロンズの門の彫刻、明るい色調のモザイク、大理石の彫刻などは全てフェズの職人によるハンドメイド。
 定期的に補修が行われ、またモザイク部分にはフェズのサッカーチームのカラーである黄色と黒のサッカーボールが埋め込まれていて、大理石はイタリアのカラーラ産とのことでした。

★王宮見学後、【ユダヤ人街】の街並みを眺めながら、旧市街へ向かって通り抜けます。
 途中では“歯”の看板(歯医者)もありました。フェズのメディナには歯医者が多いそうです。また建物の高みにはコウノトリの姿も。少し広い通りは車で混み合っています。

★いよいよ核心の旧市街(メディナ)へ向かいます。
 
☆まず【ブー・ジュルード門】:
 美しい門です。門をくぐる前にスルーガイドのRさんから注意。
 「ここからは、”迷子になったらもう2度と帰れません。探すのも困難です。はぐれないように!」。
 それで、現地ローカルガイド二人に前後を挟まれ、最後尾はベテラン添乗員が、さらに現地ボランティア・ガイドの若者が付き添ってくれました。
 前、後に行ったり来たりしながら、ポイント毎に、右です、右です、左です、左です、足もと気をつけて、とサポート・ガイドをしてくれました。
 (下の地図には、太い道しか表示がありませんが、実際にはこの地図に表示されない”毛細血管”のよう細い迷路が入り組んでいるのです。)
 
 ブー・ジュルード門はフェズで一番有名な門で、1913年建築され、タイル装飾が美しい、旧市街(フェズ・エル・バリ)への入り口になっています。
 位置的には、フェズ・エル・バリとフェズ・エル・ジェディドを結んでいます。フランス保護領時代には門には扉が付けられていて、夜は閉められていたという。
 外側の青色は水の町フェズの象徴、また内側の緑色はイスラムを象徴しているそうです。Blg4

 
《Ⅲ》
 ブー・ジュルード門をくぐるとすぐに、もうどこにいるのか分からなくなってしまいます。迷路の光景は”♪ただ珍しく面白く、月日の経つのも夢の裡”の気分です。
 ・[ウチワサボテンの実](この時期売られている赤色のものは酸っぱくて美味しくないとのこと)、・[多種類の果物]、・[焼きたてのパンやクレープ風の食べ物]、・[一番美味しくて高価だというなラクダの肉も売っている肉屋さん]、・[活きている鶏]も店先に、また・[ロバ通行OKの標識]があったり、到るところにネコがいたり、ともかく何でもありの迷路の中を、きょろきょろ見回しながら、はぐれないよう、歩きます。

 そして、神学校へ。
☆【ブー・イナニア・マドラサ(神学校)】:
 ここは異教徒でも見学可能で、入場して見学です。
14世紀にブー・イナニア王によって建てられたフェズ最大の神学校、ブー・イナニア・マドラサ。
 「マドラサ」は「学校」の意味で、コーラン及び様々な学問を学ぶための寄宿学校。
 生徒は男子のみ。現在でも、コーランを学ぶ人のために、コーランと水が用意されていました。
 18世紀に大幅に立て直され、20世紀に入ってからも修復が行われていて、ところどころモザイクタイルの色が異なる部分が修復跡とのこと。
 壁やドアの繊細な幾何学模様やモザイクタイルの装飾がきれいでした。ネコも数匹いました。コーランを覚えているのかニャー?

 □午前中の予定コースの見学を終えてから、旧市街にある民家訪問へ。
☆【Hさんのお宅訪問】:
 お宅ではモロッコの嗜好品ミントティーの接待をいただきました。ちなみに奥さんは一人だけとのこと(子供さんは登校で不在)、平和で温かな家庭の雰囲気を感じ取りました。

 お礼を言っておいとました後、ブロンズのお店へ立ち寄り。(記念に、”ファティマの手”(魔除けとされる)形の栓抜きを買いました)。それから昼食に行きます。

 ■昼食は、旧市街メディナの旧家を改装したレストラン(PALAIS MNEBHI)でチキンタジン。Blg4_2

 
《Ⅳ》
 ・昼食後、さらに旧市街の迷路をガイドさんの金魚の糞になって彷徨い歩きます。

 まず、
☆【ネジャーリン広場】を見学。
 広場といっても狭い空間です。そこには美しいモザイクで装飾された”泉”(といっても実際は公衆水道のようです)があり、礼拝のためモスクに入るムスリムが手足を清めたりして混雑していました。
 また、傍には隊商宿(フォンドック:18世紀の宿屋で、現在はウード博物館として使用されています。入り口には『ネジャーリン博物館』の表示板がありました)などもあって、メディナ最大の繁華街です。
 良く目にしたのは通りに面した建物の入り口に取り付けられた”ファティマ”の手形のドアノッカー。(※ファティマの手:イスラム教の予言者ムハンマドの娘で、理想の女性として尊敬され、その手形は魔除けやお守りのデザインに使われています。)
 ここからすこし進んで、

☆【ムーレイ・イドリス2世廟】へ。
 ここは、9世紀、モロッコにイスラムをもたらしたイドリス王朝のムーレイ・イドリスの息子で、フェズを首都としたムーレイ・イドリス二世の廟です。(ちなみに父親のほうは近くにある街ムーレイ・イドリスに眠っています)。
 たくさんの信徒が訪れる旧市街では最も聖なる場所で、やはり異教徒入場禁止です。
 開いている入り口から覗いて写真に。
 なお、2013年2月現在も修復が継続されていて、大部分にシートがかけられていましたので、見学できたのは外壁の一部だけ。
 そしてほどなく

☆【カラウィン・モスク】へ。ここも異教徒の入場は禁止です。
 9世紀に建てられたモスクで、その後大学を併設し、「カラウィン大学」としても知られています。
 イスラム世界では屈指の大学の一つで、現在でも、モスク・宗教学の研究施設として機能しているため、異教徒の立ち入りは禁止で中には入れません。
 通りがかりに立ち止まり、開け放たれた入り口から覗き見て、中庭の写真を撮らせてもらいました。
 ”のぞき見”後、狭い”路地”にあふれる人並みをかいくぐるようにして、

☆【サファリン広場】へ。
  「サファリン広場」は金物屋さんがたくさんあるスーク(市場)エリアです。”狭い”広場の真ん中で、職人さんたちがカンカンと鍋のような皿のようなものを作っています。
 売られている鍋類などの金物製品はモロッコの物価を考えるとそんなに安くはなさそうですが、大きな鍋は結婚式などのため大量の料理を作るときの“レンタル用”(貸し鍋)だそうです。Blg4_3

 
《Ⅴ》
 広場を経由し、途中、アメリカ資本によるフェズ川沿いの市街地再開発事業が進められている地区を横目に見ながら通り抜けて、

☆【なめし皮職人街タンネリ】の見学に向かいました。
 ほどなく、フェズ川の周辺に広がるタンネリ街に到着。
 そこでは、皮なめしや染色作業【タンネリ】(フランス語のtanneriesで、「染色」を意味する)の様子が一望できる、「革製品店」の屋上に登りました。
 
 ただ、辺りに漂う特有の臭気が鼻につきます。暑い夏にはさぞかし大変だろうなと思ったものです。
 今回の見学時には、お店の入り口で手渡されたミントの茎葉を鼻に押し当てながらの見学です。
 集められた羊毛の山や、職人さん達が皮なめしや染色作業に勤しんでいる様子、また染料壺の広がる独特の風景などに見とれてしまいました。

 革製品の店にはバブーシュ(モロッコのサンダル)や皮ジャケットなど多品種、大量に売られています。日本から買い付けに来る人もいるそうです。

 予定の見学をすべて終え、バスでホテルに帰る道すがら、新市街地に入ると街路樹にナツメヤシやジャカランダの大木もよく見かけました。
 途中でスーパー(ACIMA)に立ち寄り、少しばかり買い物等も。なおスーパーの敷地内にも数本のジャカランダがあり、実がなっている樹もありましたので写真に。Blg4

 見学を終えて振り返って見ると、たしかに通り過ぎてきた”巨大迷路は聞いていた通り、まさに迷路。
 日中でも照明が必要な狭くて縦横に入り組んだ路地があり、主要な物流手段のロバが通り、手押し車が通り、ネコが到るところにいて、むろん人混みでごった返し、きれいでもあり汚くもある、とても活気にあふれた街でした。
 住めば都。しかしながら、”日出ずる国”の凡人はここに住めるとも、また住みたいとも思いませんでしたが・・・。
                       (フェズ連泊)
                            (→5日目に続く

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2013年2月 7日 (木)

モロッコへの旅(2013/2)(3日目)ラバト、メクネス、ヴォルビリス

★3日目日程:
 カサブランカ→ラバト→メクネス→ヴォルビリス→フェズまで。

・午前
 朝食後、バスでカサブランカ8:00発→モロッコの首都ラバトへ。所要時間は約1時間45分。

 朝の通勤時間帯(8時~8時半頃がピークという)のカサブランカ市街は、確かに車も多かったものの”湧いて出る”ほどの人出はなさそうで、通過したトラムカーも見えた限りぎゅうぎゅう詰めという印象ではありません。
 途中さして渋滞もなく1時間半ほどで、街路樹の剪定作業なども行われていて整然とした街並みのラバト市内に入りました。
 城壁が巡らされていて、王宮前の門からバスに乗車したまま王宮敷地内に入ります。

※首都ラバト
 近代的首都と歴史的都市をあわせもつ遺産(2012年世界遺産登録):
 見所のラバト旧市街(メディナ)は12世紀に築かれたムワッヒド朝の塁壁と17世紀に建造されたアンダルシアの塁壁に囲まれた地区。
 また現国王の祖父ムハンマド5世の霊廟があり、ここは内部の見学が可能です。
 その隣には作りかけのモスクが残されていて、未完成のハッサンの塔は、マラケシュのクトゥビアの塔、またスペインのセビリアにあるヒラルダの塔と同じ建築様式です。
 さらに、今回は訪問しませんが、サレ川のほとりにはラバト発祥の地、ウダイアのカスバ(砦)があり、中にはスペイン風のアンダルシア庭園やカフェムーアがあります。またラバト考古学博物館も見所の一つ。

●世界遺産ラバト見学:
 ラバト市内到着後、まず先に【王宮】を車窓から見学。次いで、同じ敷地内にある
【ハッサンの塔(ムーア様式の代表的な建物)】、続いて【ムハンマド5世の霊廟】を見学。 

★【王宮】の乗車観光。
 ラバト(城壁都市の意)には日常、国王がお住まいの王宮があります。(王宮敷地内は許可を受けてバスに乗車したまま見学(通過)できます。
 バスで城門をくぐると、左右に整備された公園が広がります。そして石畳の広場をまっ直ぐ走ると、遠くに緑色の屋根とクリーム色の壁が見えてきます。現在の国王ムハンマド6世とその家族が住まいされる王宮です。
 しばらくして王族しか礼拝できないアルファ・モスクも見えました。
               (以降の写真はクリックで拡大します)Blg3

 王宮を通り過ぎて10分少々で次の観光見所、ムハンマド5世霊廟のある広場に着きました。 
 ここにはハッサンの塔、反対側に白い大理石造りの博物館、ミナレットの無いモスク、そしてまだ新しいムハンマド5世の霊廟があります。

★【ハッサンの塔】見学。
 ハッサンモスク遊歩道の入り口には真紅の衣装をまとって乗馬した騎馬衛兵が二人いて、写真撮影もOK。
 ハッサンの塔は、ムハンマド5世の霊廟と同じ敷地内にある未完のミナレットです。
 1195年にムワッヒド朝のヤクーブ・マンスールが世界最大のモスク建設に着手し、1199年に建設途中で亡くなったため、モスクと共にミナレットの工事も中断されました。
 完成すれば高さ88メートルの予定でしたが半分の44メートルでストップ。
 ミナレットの高さ比べでは世界一のハッサン2世モスクス(カサブランカ)のミナレット(高さ200m)、次いでセビリア大聖堂(スペイン)のヒラルダの塔(高さ98m/基部14m四方)、そしてマラケシュにあるクトゥビアの塔(高さ 77m)に続く高さ(44m)です。
 塔のまわりに残る円柱はモスクの柱になるはずだったもの。見学後、広場を通り越して、

 続いて、ムハンマド5世の霊廟へ入場し、内部も見学。

★【ムハンマド5世の廟】
 フランスからモロッコ独立を勝ち取った元国王ムハンマド5世の霊廟、1973年完成。
 霊廟の4か所の入り口と、廟内の四隅には、真紅の衣装をまとった衛兵が立哨しています。
 
 霊廟内はとてもきらびやかで、天井のステンドガラスのような金色のランプと白い石棺がまばゆくきれいです。
 中央の白い石棺がムハンマド5世のもので両側には前国王ハッサン2世とムハンマド5世の弟のムーレイ・アブドゥラー王子の棺がありました。(霊廟内の撮影もOKでした。)Blg35

 有名なインドの世界遺産タージ・マハル同様、“立派なお墓”は後に観光資源として外貨獲得、国の財政に貢献するのですね。
 ラバト見学終了後、バスでメクネスに向かいます。所要時間は2時間少々。

 バスの窓外に流れる風景も異国情緒たっぷりです。白い建物の造幣局、高速道路沿いにも見られる13万6000ヘクタールに及ぶというコルク樫の林(ワイン用のコルク栓はモロッコの輸出特産品)、
 これも特産の白いトリュフを売る”道端の店のトリュフをかたどった看板”、そして分離帯を飛び越えて横断する人、高速道路端を走る自転車、また(さすがにインドのように、牛はいませんでしたが)高速道路料金所の高架に巣作りをしているコウノトリ、さらには緑いっぱいに広がる小麦畑やオリーブの果樹園などを目にしながら、居眠りすることはありませんでした。
 (なお、全日程、一人で2座席確保されたゆったりのバス旅です。)

 途中、一度、ガソリンスタンドでトイレ休憩を挟んでさらに走り、やがて城壁に囲まれたメクネス王都の門をくぐり、メクネス市内に入ります。

・午後
 まず、市内のレストランCOLLIER DE LA COLOMBEで昼食(シーフード(イカ)・タジン)を済ませた後、メクネス観光に向かいます。
 メクネスは、フェズ、マラケシュ、ラバトと並ぶかつてのモロッコ王朝の首都の一つ。
 三重の城壁と砦に囲まれた町は新旧二つの顔を持っています。
 なお1755年、リスボンを崩壊させた大地震の影響を受けてメクネスの建造物も相当な被害を被ったそうです。

※古都メクネス旧市街(メディナ)(1996年世界遺産登録)
 首都ラバトから東に130km、フェズの西60kmに位置する都市。城壁に囲まれた都市で17~18世紀に、現モロッコ王朝のアラウィー朝が都と定めた街。
 首都としては半世紀で終わってしまったこの街にある【☆ムーレイ・イスマイル廟】は異教徒も入ることができ、またモロッコ一美しいといわれる【☆エル・マンスール門】とともにイスラム建築の最高傑作とされています。

●世界遺産メクネス旧市街見学:
 ムーレイ・イスマイル門をくぐり、現地ローカルガイドと共に廟の内部見学に向かいます。
 ちなみに現地ガイド氏の服装は民族衣装ジャラバ。三角のフードが着いていて被るとまさに「ネズミ男」

★【ムーレイ・イスマイル廟】
 17世紀、ムーレイ・イスマイルはメネクスに首都を置き、壮大な王都建設に乗り出しましたが、その完成を待たずにこの世を去りました。その墓が安置されています。
 非ムスリムでも入場できる唯一の廟。黄色の壁にモザイクタイルが映える中庭には、噴水があり、またイスラム暦を知らせる日時計が時を刻んでいます。
 廟の内部は豪華な造りで、モザイクタイルで装飾された壁など、時の王朝の権勢を誇示しているようでした。Blg3_3

 廟の見学を終えて、エル・マンスール門の見学に向かいます。すぐ近くです。

★【エル・マンスール門】
 北アフリカで最も美しく、有名な門の一つ。1732年の完成。イスラム教に改宗したキリスト教徒マンスールの設計によるものだそうです。
 エディム広場に面した巨大な門で、王都エリアのメインゲート。馬蹄形のアーチは青と緑のモザイクと彩秞タイルで彩られていて、壁の斜格子の彫刻も大変美しいものです。
 
 ただここまで来ると、目が慣れた、あるいは疲れたからか、あまり新鮮な感動が薄れてしまい、終わりの方は見学もだんだんいい加減になってしまいました。

 エル・マンスール門の正面はエディム(Hedim)広場になっています。中央には大きな噴水があり、その周囲には雑貨屋さんや果物屋、ピーナッツ売り等の売店が、また水売りのオジサンも居たりして、それを取り巻く大勢の人などで賑わっていました。Blg3

 見学後バスに戻りメクネスを出発、次の観光地ヴォルビリス遺跡へ向かいます。

 メクネスを出てから車窓にモアイヤン・アトラス山脈*を眺めながら北方向へ走ります。
 《*アトラス山脈はアフリカ北西部、モロッコからチュニジアにかけて東西に伸びるジュラ紀の地層からなる褶曲山脈で、名称はギリシア神話の巨神アトラスにちなんでいます。
 山脈は、北から南に順に「リフ山脈」、「モワヤンアトラス山脈(中アトラス)」、「オートアトラス山脈(高アトラス)」そして「アンティアトラス山脈(小アトラス)」と4つの山系から形成されています。
 なおモロッコの最高峰は、オート・アトラス山系の西端近くに聳えるツブカル山(4,167m)です。》

 メクネスから22kmほど北に走って、ヴォルビリスに近くなったところで、ザルフォーン山にへばりつくように白い家並みが山頂まで広がっている光景を目にします。
★【ムーレイ・イドリス】です。
 ここには立ち寄らず、写真ストップのみ。

 ムーレイ・イドリスは「聖者の町」と言われ、789年にモロッコ最初のイスラム王朝イドリス朝が開かれた町。
 建国した初代の王様はムーレイ・イドリス1世で、現在でもモロッコで崇められている聖者(ムーレイ)の一人。
 町の中心部にあるホルム(Horm)と呼ばれる聖域にはモロッコ全土から巡礼者が集まるムーレイ・イドリスの霊廟があり、ここにはやはり異教徒は立ち入り出来ないそうです。

 そこからさらに北西に3.5kmほどで、ヴォルビリス遺跡に着きます。

※古代ローマ遺跡ヴォルビリス(1997年世界遺産登録):
 モロッコに現存する最大のローマ遺跡。紀元前40年にローマ帝国の属領となった街で、当時は2万人もの人が住んでいたと言われています。
 40haの敷地にカラカラ帝に捧げられた凱旋門や、神殿、バシリカ(教会堂:礼拝や会議、時には裁判などにも使われた多目的ホール)、広場、ハマム(公衆浴場)、邸宅群などが修復され残されています。
 また床や壁に残るモザイクは当時の状態ほぼそのままに良く保存されています。

 ヴォルビリス着後、
●【ヴォルビリス遺跡】 世界遺産・古代ローマ遺跡:
 遺跡は、のどかに広がる野原と畑の中に突如ぽっかりと現れます。オーッという感じ。
 かつての栄光を物語る列柱群等々が広がり、列柱の天辺にはコウノトリが巣作りをしていましたが、なぜかよく似合っていて遺跡の景観との違和感はありませんでした。

 見学は、キャピタル神殿(列柱の館)、フォーラムとバシリカ(教会堂)、オリーブ油絞り作業場、「ムーレイ・イドリス」が遠望できる畑地など、また先に見た場所とは反対側から眺めたバシリカ(教会堂)、カラカラ帝凱旋門、貯水池、ハマム(公衆浴場:ジャグジー、実際に中に座り込んでみる人も)。
 さらに往時の邸宅の床や壁に残るモザイク【ビーナスの館の”デザルター”(デザルターとは馬から馬へ飛び移りながら2頭以上の馬を走らせる馬術士のこと);バッカスの館の”バッカスとアリアドネ”;ヘラクレスの館の”ヘラクレス12の功業”;その他多数のモザイク】、広場、そしてヴォルビリス遺跡のメイン・ストリート等々、順に巡りました。
 好天に恵まれた1日でしたが、見学が終わった5時過ぎには日もだいぶ傾いていました。Blg3_2

 見学後ヴォルビリス発、宿泊地のフェズへ(バスで約1.5時間)。
 ・夕刻18:30頃、フェズ着後、ホテルへ。
                         (今夜からフェズ2連泊)
                      (→4日目に続く

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2013年2月 6日 (水)

モロッコへの旅(2013/2)(1~2日目)ドバイからカサブランカ

-ヨーロッパとイスラム文化が交差する世界遺産の国モロッコ、その街並みと砂漠その他の自然美を巡る旅-

行程
★1日目:(成田→ドバイ)
 ・成田発22:00→乗り継ぎ地のドバイへ。(所要時間は約12時間)
                             (機中泊)

★2日目:(ドバイ→カサブランカ)

●ドバイ:
 早朝05:00ドバイ着(日本との時差-5時間)。朝日が昇り明るくなった07:50、ドバイ発カサブランカへ乗り継ぎ。
 離陸間もなく、寝ぼけ眼にピンぼけの、金満のお国を象徴するブルジュ・ハリファ(Burj Khalifa:地上高830m)と椰子の木を模した人工島(Palm Tree Island)が見えました。
 (以降、画像はクリックで拡大します)Blg20132xx2

 
 →モロッコのカサブランカの空港(ムハンマド5世空港)へ向かいます。(所要時間は約9時間)。(日本との時差は-9時間)

 
●カサブランカ:
 ※モロッコの玄関口で人口367万人(2009年)を有する最大の都市。見所の一番は街のシンボル【ハッサン2世モスク】。ミナレットの高さ200m、最大2万5千人が同時に礼拝できるというアフリカ最大のモスク。
 他にも【ムハンマド5世広場】などが観光の見どころ。

・午後12:50カサブランカ着後、帰国まで通してお世話になるバス(ドライバーHさん、アシスタントAさん、スルーガイドのRさん)で市の中心部に向かいます。
 市街地に立ち並ぶシンボル・ツリーの街路樹はナツメヤシ。途中渋滞もなく約1時間でムハンマド5世広場に到着しました。

☆【ムハンマド5世広場】:
 噴水のある大きな広場があります。週末の夜には音楽演奏会も開かれる憩いの広場だそうです。
 隣には市庁舎、裁判所があり、また広場を囲むように中央郵便局やシティホール、劇場などが集中しています。
 通りには近代的なトラムカーが走っています。またフランス領事館の中庭には、近代モロッコの経済発展に貢献した指導者リヨテ将軍の記念像もありました。

 観光客相手の(撮影有料)名物”水売り“オジサンが通りをうろうろしていましたが、あまりにも”見世物的“で、写真は撮る気になりませんりません。(他の観光地でも見かけましたが。)
 (画像はクリックで拡大します)5

 
 奥に見える白い壁の建物は裁判所です。
5_2

 見学後、次のお目当て、”モロッコの自由の女神”と称される(現地ガイド氏)、ハッサン2世モスクに向かいます。広場から近くて10数分で到着。

☆【ハッサン2世モスク】:
 美しい光景です。大西洋岸に面した9ヘクタールの敷地には、2ヘクタールを占める広大なモスクの建物があり、ハッサン2世モスクはモロッコ最大。
 シンボルのミナレット(尖塔)の高さは200mで世界一だそうです。外壁を飾るモザイクが見事。
 ミナレット塔屋の3つの玉は現世、来世、そして神の世を現すとのこと。
 それにしても信仰に向かうエネルギーというものはすごいですね。市民の税金も大変だろうと凡夫の下世話。22c

 巨大なモスク内部には2万5000人が収容可能だそうです。「異教徒はモスク内に入れません」とあらかじめ現地ガイド氏から聞いていました。

 モスク外部の門をくぐって少し行くと、地階への階段がありましたが進入禁止でした。モスク入り口の扉は開いていたので、近くまで行って中をのぞいてみました。
 さらに近寄ろうとすると“異教徒はそれ以上近寄るな”と、入り口扉脇の監視人から注意されます。
 ミナレットの入り口も同じで、とりあえず近くまで行って中を覗いてみました。モスクやミナレット内部の”壮大/荘厳さ”はガイドブックの写真や出版物などから想像するしかありません。

 広大なモスクの敷地内には神学校や図書館、そして博物館も併設されています。
 敷地から”大西洋”に下りる階段もあり、海辺で散策する人達の姿も多数見えました。
 広場の端にある芝地には多肉植物で白い花をつけた雑草が生えていたり、花壇には実をつけたウチワサボテンなどもありました。2wc

余談:
 1)モスクの“緑色の屋根は、夏には(暑さ対策にために)開きます”とガイド氏の説明に、“どのように開くのか”、と尋ねると、“それは夏にもう一度来てご覧ください、“とかわされました。
 やはり2万5000人ものムスリムが集まれば、一心にお祈りをしていても暑いのか、と思うとともに、我が国の「禅」には、修業を積んで悟りをひらけば”無寒暑“という言葉があるナということが、チラと頭の片隅をかすめたものでした。
 天正10年(1582年)4月3日のこと、「武田家との恩義を重んじて意に従わないこと」に怒った織田信長が、快川禅師が住する甲斐の恵林寺を急襲して快川禅師以下一山の僧百余人を山門楼上に追い込んで焼き討ちをかけました。
 その時、快川和尚は少しも動ずることなく、燃えさかる楼門の火焔の中にあって、『心頭を滅却すれは火も自ら涼し(滅却心頭火自涼)』と悟りの境界を唱えながら粛然と死についた、という逸話です。
 まあ、凡夫には遠い無縁の世界ではあります。日本の夏は暑く、冬は寒いです・・・・・。
 モロッコの夏はさらに暑い。マラケシュでは日中の日当たりは44~45℃は普通で、50℃を超えることも稀ではない、と現地ガイド氏から聞きました。

 2)どこのモスクのミナレット(尖塔)にもラウド・スピーカーが設置されていて、1日5回、礼拝(サラート)への呼び掛けの肉声”アザーン”が流れてきます。
 アザーンは一日五回の礼拝時間の前に、礼拝の時間が来ることを伝え、周辺に住むムスリム(イスラム教徒)にモスクに集まるよう呼びかけるためのもので、テレビでも放送されています。
 宿泊したホテルで、早朝、隣室のテレビから流れてくるアザーンの声に目が覚めたこともありました。無信心の異教徒はそのまま寝てしまいましたが。

 見学後、17:00頃早めにホテルへ。
                        (カサブランカ泊)
                        (→3日目に続く

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2013年2月 5日 (火)

モロッコへの旅(2013/2)概要

 =☆「日出ずる国」日本から、「日の没する大地(マグレブ)」西端の国モロッコへ=☆
 -ヨーロッパとイスラム文化が交差するモロッコ世界遺産の街並み、またサハラ砂漠や美しい自然の景観に親しむ11日間の旅-

Ⅰ)はじめに:
 モロッコ王国(モロッコ)概要

●現在のモロッコには先史時代から先住民族であるベルベル人が住んでいたと考えられています。
 古代にはローマ帝国、ビザンチン帝国の支配を受けましたが、8世紀初頭からのアラブ人到来と共に次々にイスラム王朝が興り、18世紀までにアラブ文化の全盛期を迎えました。
 しかし19世紀になるとヨーロッパ列強の勢力争いに巻き込まれ、20世紀初頭には国が3つに分断されました。
 そして第2次大戦後の1956年、それらが一つとなり、主権が回復されました。その後も曲折を経ながら、現在の国王を元首とする立憲君主制国家になっています。

 人口3,195万人(2010年、世銀)。構成民族はアラブ人、ベルベル人、その他ヨーロピアン。首都はラバト。最大の都市はカサブランカ。国教はイスラム教。
 主要な資源はリン鉱石(世界2位)、コバルト(世界8位)、石炭、鉄鉱石など。
 その他産物としてオリーブ、オレンジ、ナツメヤシ、ワイン、コルク樫、白トリュフ、また日本にも輸出されているタコ、モンゴウイカやマグロなど。

 なお最近の出来事としては2011年2~4月、”アラブの春”の影響で憲法改正要求のデモが起きたことなどありますが、現在の世情は安定していています。

●モロッコ経済のGDPは 972億ドル(2012年 IMF推計値)。その中で、観光収入は22億ドルを越え、それを支える主要な観光資源の一端を担うものとしてユネスコ世界遺産リストに登録された9件の文化遺産があります。

登録年度順に
 ①フェズ旧市街(メディナ):世界で一番大きな迷路といわれる。(1981年登録)
 ②マラケシュ旧市街:モロッコ最大の旧市街を誇る。(1985年登録)
 ③要塞都市アイト・ベン・ハッドゥ:(1987年登録)
 ④古都メクネス:旧市街(メディナ):(1996年登録)
 ⑤古代ローマ遺跡ヴォルビリス:(1997年登録)
 ⑥ティトアン旧市街:(1997年登録) (*今回のツアーでは行きません)
 ⑦エッサウィラのメディナ(旧市街):(2001年登録)
 ⑧アルジャジーダの旧市街:ポルトガル都市。(2004年登録)
 ⑨首都ラバト:近代的首都と歴史的都市をあわせもつ遺産。(2012年登録)

 なおその他の見どころとしては、
●カサブランカ:
 モロッコの玄関口で人口367万人(2009年)の最大都市。見所の一番は街のシンボル「ハッサン2世モスク」。
 ミナレットの高さ200m、最大2万5千人が同時に礼拝できるというアフリカ最大のモスク。
 他にも「ムハンマド5世広場」など。
※余談:
 1943年に第16回アカデミー賞受賞の映画『カサブランカ』は、(フランス領時代の)モロッコ、カサブランカを舞台にしたラブロマンスを描いた1942年製作のアメリカ映画ですが、
 ロケは、モロッコではなく、すべてハリウッドのスタジオで撮影されています。これに関連して造られた見所として、カサブランカ市内の「Rick's Café」*があります。
 カフェ(レストラン)の中には映画でお馴染みの”「バー、Café American」”がそのままにイメージして再現されています。(*http://en.wikipedia.org/wiki/Rick's_Caf%C3%A9_Casablanca)
                                (筆者撮影)Photo_3

 
●砂漠地方:
 砂漠へ向かう東のベースキャンプ「エルフード」。ここから4輪駆動車で1時間ほど南東へ走行したところにメルズーガの大砂丘があります。
 赤みを帯びた砂丘が折り重なり、地平線から昇る朝日や沈む夕日鑑賞のメッカです。                       (筆者撮影)Dcf00109

※余談:
 学生時代に見た懐かしい映画のひとつ『アラビアのロレンス』
英国人T.E.ロレンスの生涯を描いたデビッド・リーン監督、1962年、第35回アカデミー賞受賞作品。

 第一次世界大戦最中のアラビアで、イギリスから送り込まれた若き戦略家ロレンスが、アラブ王族のファイサル王子の軍事顧問となって独自のゲリラ戦法を駆使して反乱軍を指揮し、アラブ国民から砂漠の英雄とうたわれるようになる。
 しかし、“華やかな論争”に明け暮れるイギリス軍政の姿と、自分はその上層部に利用されていることを知り、またアラブ民族も、部族間の対立からロレンスを裏切ってゆく…というもの。
 今、再びDVD(216分の長編)を見ると、その時の感動が蘇ります。
 ロケは世界各国各地で行われています。中でも砂漠を舞台にしたひときわ感動を呼ぶ美しくも、また過酷な砂漠シーンの主な撮影地はヨルダン(Jebel Tubeiq, Jordan)のようですが(*)、一部はモロッコのワルザザート(Ourazazate)、アイト・ベン・ハッドゥ(Ait Benhaddou)の近郊砂漠でも行われたそうです(**)。       (筆者撮影)P2101533_2 *http://www.nytimes.com/packages/html/movies/bestpictures/lawrence-ar1.html
**http://www.imdb.com/title/tt0056172/locations

 イスラム国家モロッコです。イスラムの誕生から、今日、世界の注目を浴びるアラブ/イスラム社会ついて、さほどの知識もなく、また特定の信仰も持たない身には、イスラム本質の理解はなかなかが難しく、単なる観光旅行で何かが分かるわけではありません。
 叶わないことはさておいて、その上辺だけでも見えたらというささやかな願いも込めてこの度のツアーに参加しました。

 ※今回は⑥ティトアン旧市街(1997年登録)を除く8か所の世界遺産と、サハラ砂漠(の日の出鑑賞)や冠雪のアトラス山脈、トドラ渓谷などの景勝、また季節としては最適で、サクラによく似たアーモンドの花が咲き競うカスバ街道沿線の風景など、モロッコ世界遺産の街並みと美しい自然の世界を訪ねる旅です。

Ⅱ)旅程:
 ★1~2日目:成田発、ドバイ経由カサブランカ(泊)。
 ★3日目:カサブランカ→ラバト→メクネス→ヴォルビリス→フェズ(泊)。
 ★4日目:終日フェズ(泊)。
 ★5日目:フェズ→アトラス山脈を越え→イフラン→エルフード(泊)(約480km/約7時間30分)。
 ★6日目:エルフード→サハラ砂漠往復→カスバ街道→トドラ渓谷→カスバ街道→ワルザザート(泊)。
 ★7日目:ワルザザート→ティフルトウトのカスバ→アイト・ベン・ハッドゥ→ティシュカ峠(標高2260m)を越え→マラケシュ(泊)。
 ★8日目:マラケシュ→エッサウィラ(泊)。
 ★9日目:エッサウィラ→アルジャディーダ→カサブランカ(泊)。
 ★10~11日目:カサブランカ発→ドバイ経由→成田帰国、というスケジュール。Blgaa

                        (→1~2日目に続く

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2013年2月 3日 (日)

シメ(冬鳥)

 枯れヨシの残る草原に数羽いました。ずんぐりした太いくちばし、短い尾が特徴です。群れで移動の途中だったようで、すぐに飛び去りました。
 普段はなかなか気がつかないトリです。全体の羽色が分かるアングルの写真はピンぼけしか撮れませんでした。P1265263_1

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シメ(スズメ目アトリ科):(冬鳥)
 日本では北海道や本州の中部以北で繁殖するほか、冬鳥として各地の山地の雑木林や市街地の公園、人家の庭でも見られるようです。
 全長約18cmで、スズメより大きくヒバリくらいの大きさです。雄は、頭の上部と耳羽が茶褐色、頸の後ろは灰色。
 嘴は円錐で太く大きく、冬羽になると肌色になります。目からくちばしの周りやのどにかけて黒色で、胸以下の体下面は淡い茶褐色。
 雌は雄より全体的に色が淡く、風切羽の一部が灰色。
 公園にも植樹されていますが、ムクノキ、エノキ、エゴノキ、カエデなどの種子を主食としています。
 果肉の部分は摂取せず、太い嘴で硬い種子を割って中身を食べています。

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2013年2月 2日 (土)

ジョウビタキ♂(冬鳥)

ジョウビタキ(スズメ目ツグミ科(ヒタキ科)):
 用水路沿縁の開けた草地にいました。全長15cmほどで、ほぼスズメ大。冬鳥として全国に飛来します。
 林の周辺、河川敷また街の公園や空き地などやや開けた環境を好み、通常群れずに単独でいます。近所で見かける機会はさほど多くはありません。
 雄は頭部が銀灰色で、胸から腹は橙色。翼に白い斑があります。澄んだ声でヒッ、ヒッ、時にカチッカチッと鳴きながら、時々ピョコンとおじぎをして尾を震わせる独特のしぐさが見られます。
 つぶらな瞳です。1_p1275321

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 自宅の狭い庭にがやってきたことがあります。

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2013年2月 1日 (金)

アオジ(留鳥/漂鳥)

 2月。春の跫音を聞くよりも、音もなく忍び寄るスギ花粉の飛散開始の方がずっと気になる我が身です。

アオジ(スズメ目ホオジロ科):(留鳥/漂鳥)
 
小さな群れで、用水路沿いの草むらや雑木を行き来していました。全長16cmほどでスズメよりやや大きめ。

 雄の頭部は暗緑色、目先は黒色、下面は黄色っぽく縦斑があるのが特徴です。P1245102

 
 こちらは雌でしょうか。P1245105

 
 後ろ姿は、スズメに見えますが、腹部の薄い黄緑色が特徴です。P1245106cctrm

 
 頭を隠せば、スズメそっくりです。P1245107_2

 信州から北海道まで広く北日本の林で繁殖していますが、冬は暖地へ移動します。
当地(埼玉東部)では漂鳥/冬鳥のようです。

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