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2013年8月23日 (金)

奴奈川姫と建御名方命の像(糸魚川)

 8月中旬、所用のため車で出かけたついでに、糸魚川駅前のヒスイロードに立ち寄ってきました。
 糸魚川と言えば古代からヒスイで有名ですが、出雲神話との係わりでも有名です。素養のないものには単なる物見に過ぎませんでしたが。

 駅前は工事中でした。駅前にヒスイロードの案内板と、奴奈川姫(ヌナカワヒメ)の像があります。
 近くに駐車場が見つからないため、道路脇に一時停車して、慌ただしく写真だけ数枚撮って、すぐ移動。

●駅前、ヒスイロード:
 (以下の画像はクリックで拡大します)
Img_0642trmcc Photo

 
 次いで、ヒスイロードの突き当たり、「海望公園」にある奴奈川姫像の見学に。
 まだ午前九時過ぎでしたが、“完璧な”逆光で、撮影には悪条件でしたが、何とか姫と和子の姿を撮ってきました。ただそれだけでそそくさと帰路に。

●奴奈川姫と建御名方命(タケミナカタノミコト)の像:
 (海望公園)Img_0658trmcc Hahako1 Hahako2

 奴奈川姫(沼河比売ヌナカワヒメ)は、日本神話に登場する神ですが、『日本書紀』には登場せず、『古事記』の大国主の神話の段に登場します。
 そこでは、八千矛神(ヤチホコノカミ=大国主)が高志国の沼河に住む沼河比売を妻にしようと思い、高志国に出かけて沼河比売の家の外から求婚の歌を詠みました。
 沼河比売はそれに応じる歌を返し、翌日の夜、二神は結婚した、ということですが、『古事記』にはこれ以外の記述はありません。
 新潟県糸魚川市に残る伝承では、大国主と沼河比売との間に生まれた子が建御名方神で、姫川をさかのぼって信濃国の諏訪に入り、諏訪大社の祭神になった、と語られています。

 奴奈川姫像の基壇にはめ込まれた銘板には次のように刻まれていました。
 (浅学のため一部読めない字があり、また読み間違いもあるかも知れません。)

 糸魚川は昔 奴奈川郷と稱し 奴奈川姫の居ましし處である 
 八千矛尊遠く出雲より能登を経てこの地に上陸し姫と契り
 建御名方命を生ましめ給う
 命は国譲りの後 追われて姫川渓谷に入り 難を信濃路に免れ
 諏訪○宮居し 当時最も優れていた農耕漁労織布医薬窯業玉造
 などの文化を関東東北方面に宣布せられた糸魚川はその基地であったのである

 昭和三十五年十月二十四日
 奴奈川神社秋季大祭の日
 糸魚川市長 中村又七郎 撰並書
 
 日本神話に刻まれた一つのロマンです。

付記:
 なお、古事記の神話の1/3は出雲に関するものですが、その出雲神話の情景を身近に彷彿とさせる好著があります。

 書籍 『私の出雲神話』 
 発行者:神話散歩の会(代表 中尾 繁) 
 販売所:ギャラリー高瀬川
      〒693-0001 島根県出雲市今市町678
        電話:0853-22-3188
      URL:http://www.takasegawa.com/  
      発行所:(株)島根日日新聞社(平成23.11.3初版発行)

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