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2014年2月22日 (土)

富士塚/富士信仰

 寒中、運動のため自転車で遠出した近郊の田んぼ地帯。
 農家、民家が点在していて、方向音痴にはすぐに方角も分からなくなる風景のなかに迷い込んでしまいました。
 自転車を止めて辺りを見回すと、一角に小さいながらこんもりした茂み(防風林=社の森)が目についたので、立ち寄ってみました。
 古くからその地域に伝わる小さな村社・八幡香取神社がありました。境内には拝殿、本殿、また小さな神楽殿もありました。R0050197

 
 そして鳥居の左脇に小さな築山がありました。R0050196

 手前に大きな石碑①が建っていましたが、風雨に晒された表面の文字はほとんど判読できませんでした。

 
 築山登り口取り付きのところに「再建」②と刻まれた富士山型の石が置かれ、それには、おそらく寄進者と思われる20数名の人々の名前と、世話人、発願主、先達などの文字枠内に数名の人名も読み取れ、また安政五秊※○○・・・四月初申○○・・・の文字も判読できました。Photo

 (※1858年: ちなみにこの時、安政5年4月には「彦根藩主井伊直弼が大老に就任」、その後、幕府は「日米修好通商条約調印」、そして翌六年には「安政の大獄」と、日本の近代史が江戸から明治へと大きく動き始めた幕末の頃です。)

 
 そこから少し登り、さしずめ”中腹(5合目)”に当たるところには、倒れかかった小さめで「小御嶽神社」と刻まれた石碑③と共に、台座に載った、大きめの石碑④があり、その上部に「小御嶽」、中央に「石尊大権現」、そしてこれを挟んで右に「大天狗」、左に「小天狗」の文字が刻まれていました。R0050192_2

 富士五合目にある「小御嶽神社の権現」を模したものでしょう。

 その少し上には、七合五勺の烏帽子岩を模したと覚しき(文字が刻まれた痕跡がある)岩石⑤があり、
 
 そして”頂上”には一番大きな石碑⑥があって「富士大神」と大書されていました。R0050195

 これらから、この塚は、関東各地に無数(500以上)あるとされる「富士塚」(富士信仰に基づき、富士山に模して造営された人工の塚)の一つと分かりました。
 今は、”富士山-信仰の対象と芸術の源泉”として”世界文化遺産”になってしまった富士山です。
 この地域の詳しい歴史を知らないのですが、当時この地に暮らしていた人々はどの様な想いでこの富士塚を再建し、遙(登)拝していたのでしょうか。

 現在はバスで富士五合目にある小御嶽神社の権現には労せずして”レジャー“として参詣できるのですが。

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 ※それにしても、ソチ五輪2/20、真央さん、フリーで3回転6種類8回のジャンプ、歴史に残る演技、そして涙の後の笑顔、何回見ても感動します。日本人の心ですね。

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