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2015年2月18日 (水)

マヤ文明とメキシコ7つの世界遺産を訪ねる旅(2015/2):3日目(午前)

 3日目:メキシコシティからメリダへ。
 本日は午後から、今回訪問予定7つの世界遺産のうち、5つ目の「テオティワカン遺跡」見学があります。

 (冗長な記事になっています。)

■朝、メキシコシティ発、
*まず先に、(既に昨日のフリータイム時間に見学済みですが、あらためて写真撮りのため)「独立記念塔」で写真ストップ。Photo

 
 その後、本日のメイン訪問・見学先の「国立人類学博物館」へ。
 開館時間午前9:00前には到着し、少し待機。Img_2359ht

 
●「国立人類学博物館」:
 広大な規模を誇る博物館です。メキシコ古代文明が集大成された展示内容について見学するだけでも数日かかるという。
 観光ツアーでの限られた時間に、ガイド氏の専門的な解説を聞きながら、ということになると、きわめて限定的な見学になります。
 多岐にわたる専門的な内容は、素養のない者には少々退屈でもあり、理解困難。
 ただし、この後の日程で現地訪問する遺跡の”学術的情報“は全て事前学習として講義されたことになって大変役立ちました。
 (なお、見学後、館内売店で日本語版の『メキシコ国立人類学博物館』書籍を購入しました。買っただけの気休めですが・・・。
 余談ながらかなりひどい落丁がありました。まあ気にしないことに。) 

※国立人類博物館入り口
 *大理石ファサードに浮き立つ紋章。
 サボテンの上に立ち大蛇を呑み込もうとする鷲を象ったもの。
 余談ながら紋章はコインにもデザインされています。801

 
 *大きな日陰を造る独立した屋根状オブジェを持つ博物館内部の中庭パティオ(スペイン様式の中庭)。
 ハスの花やパピルスの茂る池、その間に、内部に時計を備えて”トランペット”の音を奏でる金属製のカタツムリのモニュメントがあります。
 また画面奥に屋根を支える円柱があり、噴水の役割もする円形大噴水になっています。Photo_2

 
 そしてパティオをコの字型に取り囲むように2階建ての建物が配置されていて、1Fの考古学フロアには12室があり、2Fの民俗学フロアにある10室には現在に生きる先住民をそれぞれの部族単位で衣食住から宗教、文化まで総合的に展示、解説されています。R0085328

 今回の見学は所要時間の制約のためきわめて限定的で、詳細な解説を聞きながら見学したのは1Fの第10室マヤと第7室アステカだけになりました。
 まあ当然のことと思います。 
 他の第6室トルテカはソチカルコ遺跡展示を横目に見て(ソチカルコ遺跡のケツァルコアトル神殿は前日、先に見学済み)、
 第5室テオティワカンは(実物大に復元された巨大なケツァルコアトル神殿レプリカや月のピラミッドの前にあった雨神チャルティトゥリクエ像の巨大な実物など展示されている)本日の午後テオティワカン遺跡現地を訪問するので、ほとんど通過しただけに。

 
※マヤ文明室(第10室):
 ・マヤ文明の最高傑作とされるチチェンイツァ遺跡のピラミッド、戦士の神殿、天文台などの関係資料が展示されています。

 写真は順に
 *「パレンケ遺跡出土の「キン・太陽の神」、葬礼用テラコッタ製、彩色土器」Photo_3

 
 *「マヤの権力と社会階級の象徴であるジャガーの頭飾りを冠った妻から、”ジャガーの盾”を受け取る統治者のレリーフ」Img_7735thct

 
 *「正装(豪華な衣裳とケツァルの羽毛)して王笏『風の頭蓋』を持つ神官とその従者のレリーフ」Photo_4

 
 *「(マヤ室の庭に造られた)『マヤ古典期ホチョブ神殿・ファサード』の復元。中央入口が”雨神・チャク”の口になっている」Photo_5

 
 *何といっても”目玉”はマヤ室の地階にある、パレンケ遺跡で発掘された碑文の神殿の地下王墓が実物大の復元模型として展示されていること。
 王墓石棺の蓋のレリーフは「宇宙船を操縦するマヤの神」エピソードの絵柄が人気で、お土産用のレプリカもあります。Photo_6

 
 また、発見されたパレンケ遺跡王墓内から出土した多数の埋葬品も保管されていて、中でも
 *パカル王の翡翠の仮面が特に有名。Photo_7

 
 *頭部装飾を持つ若い貴族の化粧漆喰の人面像も。Img_2371

 
 *チェチェン・イツァの”金星の神殿”から発見された「チャック・モール像」には、お腹に、生け贄の心臓を捧げる丸い穴(皿)があります。供え物の生け贄心臓を神の元に運ぶ使者という。Photo_8

 
 *その他、「右端に碑文の神殿が写っているパレンケ遺跡の写真」なども含む、マヤ室展示物の一部。Photo_9

 
※アステカ文明室(第7室):
 中央部の広いフロアに配置されたこの博物館最大の見所です。
 *その中心は太陽の石(俗にアステカ/カレンダー)。Img_989236m

 
 ホールの左側にはアステカ人が崇拝した神々の石像があります。
 *「コアトリクエ」(については諸説があるようですがその一つ、)アステカ神話における大地の女神で、死の神でもあり、更にほかの神々を産む地球の大母神とされる。
 蛇の腰衣(スカート)を纏い、頭部を切り落とされた首から吹き出した二筋の血潮が蛇の形で頭部として現れていて、その首には、人間の手首4つと心臓2つを繋いで頭蓋骨を吊った「首飾り」をしている。
 そして手足には鉤爪があるという姿で(像前面)、また切られた頭は背の中ほどにぶら下がっている (像背面)という。
 よくは分からないものの何とも気味悪いこの石像は1790年にメキシコシティから発見されたもの。Photo_10

 
 *スペイン人エルナン・コルテスに征服される前のメキシコシティ、テノチティトランの復元模型、またテノチティトランの鳥瞰図には、かつてこの都市が湖に浮かぶ島だった頃の景色が描かれています。Photo_11

 
 *ほかにも、3万人もの人々が集まって賑わう市場の賑わいなどがジオラマで立体的に展示表現されています。Photo_12

 その、(現在のメキシコシティのソカロ(広場))周辺にはピラミッドが立ち並び、毎日生け贄の儀式が行われていたということで、ただ驚くばかり。  
 はじめてその様子を目にしたスペイン人には、血塗られたおどろおどろしい光景にしか見えなかったことでしょう。

 ここから冗長な長談義です。読み飛ばして下さい。

 *アステカ文明太陽の石/太陽信仰:
 幸いさほどの混雑もなくて、他の来館者の邪魔にならないところに座り込んで長い解説を聞きました。 
 直径3.6m、重量24トンという巨石。メキシコ考古学史上もっとも有名。
 マヤ文明の後を継いだアステカ文明が残したもの。
 スペイン軍侵入によるアステカ帝国崩壊、施設破壊後も「太陽の石」は放置されていたが、インディへナ(先住民)達が礼拝するのを見たメキシコ大司教の命令で地中に埋められてから行方不明に。
 そしてその後1,790年12月17日にメキシコシティのテンプロマヨール遺跡で再発見、発掘された。
石は当初メキシコシティの中央広場、大聖堂の外に1885年まで置かれていたが、その後、メキシコ国立人類学博物館に収蔵されて最も重要な位置を占めている遺物。
 「太陽の石」の右横に太陽の石の模写パネルがあり、英文の短い概要説明もつけられています。Photo_13

 
 その前に腰を下ろしてガイド氏の解説拝聴。
・アステカの太陽信仰(さわりだけです)。
 石の中心にあるのが現在の太陽(トナティウ:第五番目の太陽)で、舌(黒曜石のナイフ)を出しています。生贄の血が欲しいそうです。
 太陽(トナティウ)が夜沈み、翌朝出てきた時に活力が失われていると、宇宙の秩序が乱れて天変地異が起こるので、常に太陽に活力を与えるためは毎日、人間の(生贄)心臓:血を捧げることが必要であること。
 そしてその生贄に選ばれることは大変名誉なことであって、その対象には諸説あるが、選ばれた、あるいは進んで献げられた人間は、祭事まで非常に丁重に扱われたという。
 その周りに四角で囲まれた4つの顔がありますが、これは今まで滅んだ4つの太陽の顔だそうです。
 さらのその外周にはアステカの暦と宇宙起源論との関連を示す絵文字/記号が配置されていて「アステカの暦」とも呼ばれ、そのカレンダーには、地球誕生から現在、さらに未来の出来事が記されているという。  
 なお、余談ながら、その解読/解釈についてはバリエーションがあるようで、5番目の太陽が死んで世の中が滅ぶのは2012年と読み解いた(すでにハズレでしたが)オカルト風の解説など、好事家にとっては話題に事欠かないシロモノのようです。
 何時の世にあっても変わらないニンゲンの形而上、形而下学的脳内世界。

 
 (なお余談ですが、この”目玉”については当然博物館のショップに大小数種のレプリカのお土産があります。大きいものは結構重くて高価です。この後に訪問したテオティワカン遺跡のお土産店コーナーで、”安物”ですが、自分用に直径24cmほど、板厚は7mmほどのストーンレジン製(と思われる)で、裏側に英文の解説(といってもごく簡単ですが)プリントが貼り付けられている、壁掛け用のレプリカを買いました。
 残り少ない人生を太陽信仰に捧げる、・・ことは出来ませんが。)2

 
 【冗長な蛇足】 
 解説パネルに簡潔な英文の説明表示もありました。 
 単純な暇つぶしに、帰宅後その英文を読んでみました。
 それまで聞いて勝手にイメージしていたものとは少し違うように思いましたので、くどいですが原文(,英文)と勝手に訳した(内容についての責任は一切持てない)ものを以下に記載。

 ●原文:
 Stone of the Sun

 The one sculpture which identifies the Mexicas above all others is the Stone of the Sun, discovered in December, 1790, in the Plaza Mayor of the capital of New Spain.
 Because of its symbolic content, with the names of the days and the cosmogonic suns, it was incorrectly identified as the Aztec Calendar.

 This is a large gladiatorial sacrificial altar, known as a temalacatl, which was not finished because of a deep crack that runs from one side to the center of the piece at the rear. Despite the fracture, it must have been used to stage the fights between warriors in the tlacaxipehualiztli ceremony.

 In the design of the disk, the face of Xiuhtecuhtli - emerging from the earth hole, holding a pair of human hearts and showing his tongue transformed in a sacrificial knife - can be recognized; he is surrounded by the four suns that preceded the Fifth Sun, in turn inscribed in the sequence of the 20 day signs. framed with the figure of the Sun with its four beams symmetrically accompanied by sacrificial sharp points. The star is surrounded by two Xiuhcoatl or "Fire serpents", which carry it across the heavens. 

 太陽の石
 1970年12月、他の何物よりもアステカ文明(Mexicas)を象徴する1個の石像彫刻「太陽の石」が新スペインの首都(現メキシコシティ)のマイヨール広場から発見された。
 宇宙起源論・創世神話(cosmogonic)を象徴する太陽と、日にちを表すシンボル彫刻が含まれていたため、石は当初、「アステカの暦(カレンダー)」として間違えて(incorrectly)判定(同定)された。

―――――――――――――――――――――

 これ(太陽の石)は大規模な犠牲祭壇(sacrificial altar*)で行われる戦争捕虜の戦士を生け贄にする時の石の円盤(temalacat**)として知られているものの1つ。
 ただ、石の片側から裏側の中央まで深い亀裂があるために(石の円盤としては)未完成だ。
 しかし未完成にもかかわらず、戦争捕虜の戦士間の戦いを上演し、その後犠牲祭壇で生け贄にする戦士の首切りを行うアステカの宗教儀式(tlacaxipehualiztli ceremony***)のために使用する必要があったのだ。

―――――――――――――――――――――

 石盤のデザインで、アステカの火の神(Xiuhtecuhtli****)(真ん中にある現在の時代を示す第5の太陽像トナティウ)の顔は-彼は地球の(中心アステカの地下の)穴から出てくるのだが-鷲の爪につかまれた左右2つの(生け贄の)心臓を持ち、また生け贄の血を求める黒曜石のナイフに変化した舌を出していることが見て取れる;彼は先述の第5番目の太陽だが、周囲を4つの太陽に囲まれている。
 合わせて5つの太陽のすぐ外側の輪には、アステカ暦ひと月20日の、それぞれの日のシンボルが表されている。
 その20日のシンボルの輪はシンメトリカル(対称的)に配置された4本の太陽光線と、(生け贄の胸を切り開く)先が鋭く尖った犠牲ナイフとで囲まれている。 
 一番外側の輪-(の上中央には“太陽の誕生を表す”「数13アカトル」のシンボルがあり、そこから2匹の蛇が円周に沿って下に降りていて、輪の下部で2匹の蛇は、顔を見合わせている)-の星々は、それらを、天空を横断して運ぶ2匹のシウコアトル(Xiuhcoatl *****)または”火の蛇“に囲まれている。
 【補足:火の蛇は背に12個の炎をつけていて、その炎は同時に12の星座を表現している、という】

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*sacrificial altarアステカ独特の「犠牲祭壇」
** Temalacatl(ナワトル語): 「石の円盤」の意。 アステカの重要な祭礼儀式の際に、犠牲祭壇(sacrificial alter)で行われる戦争捕虜の生け贄戦士を、白いロープで結びつけるために中央に穴が開けられた石の円盤で、戦争や捕虜を掴まえる場面など多くのデザイン彫刻が施されたホイールのこと。
*** tlacaxipehualiztli ceremony.: 戦争捕虜戦士の間での戦いを上演し、その後、犠牲祭壇で戦士の生け贄の首切りを行うアステカの宗教儀式。
**** Xiuhtecuhtli(ナワトル語): すべての生命の創造者であるアステカの火の神。地球の(中心アステカの地下の)穴から(地球を通過して)天に昇り、すべての生命の創造、再生を司る。
***** Xiuhcoatl (ナワトル語)or "Fire serpents": アステカ宗教の神話の蛇、または火の蛇神 ――――――――――――――――――

 
 その他アステカ室展示物など。
 *アステカ室中央にあるクアウシリカという生け贄の心臓を入れるのに使われたジャガーの姿の容器。Img_2380ht

 
 *円筒形のティソクの石碑。暦として使っていた。
 周囲に施されたレリーフには、敵対する他民族の神の髪の毛を掴み捕らえようとするアステカの神の凱旋が描かれている。
 捕虜は生贄にするという。Photo_14

 
 *その他など。Photo_15

 
 *第9室は入り口からのぞいただけ。通過する際に見えたのがオルメカ文明の玄武岩製・巨石人頭像。9img_7748ht

 
 人類学博物館の見学を終えて、次のグァダルーペ寺院見学へ。
※グァダルーペ寺院:
 グァダルーペ寺院の旧聖堂は、レフォルマ通りの北東の終点に位置しています。  
 まず寺院周辺の風景を観察しながらガイド氏の解説に耳を傾けます。
 ここグァダルーペ寺院は、スペイン軍の侵入以前から神殿のあったテペヤックの丘を占拠する広大なカトリック寺院で、メキシコ国民の精神的な支えであるグァダルーペの聖母が祀られています。
 この聖母は黒い髪と褐色の肌を持つという、カトリックの聖母としては異色の存在。
 特に貧しい先住民の人々からは圧倒的な信頼を得ているという。
 絶大な信仰のもとは、この聖母にまつわる“奇跡“。
 その奇跡伝説の物語をうかがいましたが、奇跡を信じる能力もなければ、霊感もない鈍感な輩には理解困難な世界ではありました。
 (*グァダルーペの聖母は、伝説によれば1531年に、先住民フアン・ディエゴのマントに現れた聖母マリアだという。それが「奇跡のマント」、この奇跡が「グァダルーペの奇跡」と呼ばれるもので、ローマ・カトリック教会が認める三大奇跡の一つという。
 この奇跡のマントがグァダルーペの新聖堂に飾られているのです。) 
 実際に、膝行参拝といって、特別な願いをかけるひたむきな信者が、広い石畳の境内をずっと堂内の祭壇まで、着衣もすり切れて血のにじむ膝の傷みに耐えながら、また健常者に支えられながら懸命ににじり寄り進む姿を目の当たりにして、もちろんカメラを向けたりしませんが、当方などまったく持って場違いなところに来てしまったと感じたことでした。

●写真:
 寺院裏側の見える小高い丘は”奇跡“があったというテペヤックの丘で、麓から飾り階段が続いていて、頂上には礼拝堂が建っています。
 寺院周辺広場からは、あいにく遠景は霞んではいましたが、雪を頂いた高山や、メキシコ最高峰の富士山型をしたポポカテペトル(標高5,426m、現在も噴火中の活火山)も確認できました。
 また、広場正面に向かって建つのが゙、1709年建設の旧聖堂ですが、地盤沈下のために傾き、前と後半部が離れてしまったそうで、変わって1976年に建設されたのが隣の新聖堂です。
 約2万人が収容できるということで、随時ミサが行われているということでした。
 この新聖堂中央祭壇に、額に入った『奇跡のマントに現れた褐色の聖母マリア像』が飾られていて、多くの参拝者(異端・異邦人の私も含めて)が額の前で足を止めて見入ってしまうため、展示の前には往復する動く歩道が設置されていました。
 動く歩道から望遠レンズで拝顔させて頂いた褐色の聖母マリア様です。
 どうぞ罰だけは頂かないようにと、そっと静かに退出しました。Photo_16

(→3日目午後、世界遺産⑤【テオティワカン遺跡】続きます。)
            

 

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