« 2015年1月 | トップページ | 2015年3月 »

2015年2月

2015年2月28日 (土)

『WindowsUpdateで更新プログラムを確認できなくなったトラブルの対処方法』

 5年前に購入したOS「Windows7Starter」搭載のハンドヘルドPCのトラブルです。
 最近はほとんど出番もなくて放置していたのですが、数ヶ月ぶりに先日思い立って、WindowsUpdateを実施しようとしたところ、思い当たる節はまったくありませんが、

 「現在サービスが実行されていないため、Windows Update で更新プログラムを確認できません。
 このコンピューターの再起動が必要な可能性があります。」

 とのメッセージ画面表示が出て、その後色々点検確認をしても状況は変わりません。
 PCの使用そのものには何ら差し支えないのでそのままにしていましたが、今般暇つぶしにネット情報を検索すると、結構同じようなトラブル発生例と、その対処法に関して種々の方法が紹介あるいはアドバイスされていました。

 そして私の場合は、ありがたいことに次のURLに記載されていた方法で問題解決をすることができました。
 著者にお礼申し上げます。
http://alphafocus.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/tips-windowsupd.html

 実に66個もの更新プログラムがある、ということで、非力なPCであるため、長時間かかりましたが無事完了しました。
 以下は、素人の私の実行記録メモです。

作業:
①スタート→アクセサリ→メモ帳 を開き、
 上記URL記事に示されている以下のスクリプトをコピー&貼り付け。

net stop wuauserv
cd %systemroot%
ren SoftwareDistribution SoftwareDistribution_old
net start wuauserv
net stop bits
net start bits
net stop cryptsvc
cd %systemroot%\system32
ren catroot2 catroot2_old
net start cryptsvc

名前を「Repair.cmd」としてデスクトップに保存。(*拡張子はcmd)

②デスクトップに作成保存した上記スクリプトを、右クリックで、「管理者として実行」する。
※ダブルクリックすると、「アクセスが拒否されました」とか表示され、何もされずに終了するので、注意。

③PCを再起動する。
 後は上記URLに記載されているような経過を辿りました。

 なお問題が解決し、Updateが正常に行われことの確認後は、先に作成した 「Repair.cmd」スクリプト、及び作成された以下のディレクトリは削除してよいということで削除しました。
・C:\Windows\SoftwareDistribution_old
・C:\Windows\system32\catroot2_old

| | コメント (2)

逃げた2月/ユスリカ大発生

 うかうか些事に紛れている間に、短い2月は逃げ去ってしまいました。
 足早にやって来たのは杉花粉。昨シーズンより多い飛散量という。
 憂鬱ですがお付き合いするしか仕方ありません。

●ユスリカ蚊柱:
 中旬くらいから、気温が上がって風も穏やかな日には、農道や水辺に近い環境の路上にユスリカの”蚊柱”が立つようになりました。
 日によっては、少し大げさに言えば、蚊柱ではなく、逆光の中に、”煙幕”のよう大発生してあたり一面に飛び回る様に少々驚きも。

 
 ・白い点々が道路を飛び回るユスリカの集団。R0084294

 ・目前を飛び回る群れを帽子で振り払うとはらうと、帽子中にいっぱい入りますが動きは活発で、あっという間に飛びだして逃げていきます。R0084292ct

R0084293ct

 啓蟄(2015年は3月6日)を待ちかねての大発生です。

※ユスリカ(ユスリカ科): 
 ハエの仲間ですが種類が多く、日本でも1000種ほどが記録されていて、発生時期も種類によって様々で、冬に発生する仲間もあるようです。 
 幼虫は細長いイモ虫状で、小さな農業水路の水底で体をユラユラ揺すっているのを偶然目にすることもあります。
 水路に堆積した泥や付着物に住み着いて、藻類や有機物を食べて急速に生長し、蛹になると数日を経て成虫になり、水面から一斉に飛び立ちます。
 (なお成虫は口器が退化しているため、食物は摂取しません。)
 そして「蚊柱」を作って乱舞しながら交尾し、産卵を終えると息絶えるという短いライフサイクル。
 群れを成して飛び回り、時に目に飛び込んだりして不快ですが、一方では幼虫が富栄養化した河川や湖沼などの有機物を摂取することで、水質浄化の役割も果たしていると評価される点もありそうです。

 
 話変わって:
 いずれも一株しかない草花から、春の足音が確かになった瞬間を。
●オキザリス・パーシカラー(園芸種):
 冬期に一部は枯れましたが、2月初旬までは閉じた傘のようにして寒さに耐えていたオキザリスの蕾でした。R0084183

 
 ・2月中旬くらいから突然のように、晴れて気温が上がる日には開花するようになりました。待ち遠しかった春を感知したのでしょう。R0084299c

 
●雪割草(園芸種):
 2月中旬、一つ目の花が日中,満開になるようになりました。
 そして写真で気がつきましたが、2つ目の蕾が土を割って”頭を覗かせているのを見つけました。
 順調に暖かくなれば、もうしばらくで開花することでしょう。
212

| | コメント (0)

2015年2月27日 (金)

ハシビロガモ(冬鳥)2015/2

 早くも白鳥の北帰行がはじまったというニュースも聞くようになりました。
 勝手なもので、冬にはもう少しいてほしいと思うこともあれば、早く春になればと思ったり、いい加減なものです。

 しばらく前の休日の午後、カルガモの住み処になっている用水路に、すっかりきれいに着飾ってつがいになったハシビロガモが一組だけいるのを偶然見つけました。Img_9665tcs80m

 渡りの途中で池に降りて一時休憩する、まだエクリプス羽のハシビロガモは観察することがありますが、狭い水路で見かけるのはこれまでもごく稀なことで、おかげで近距離で観察できる良い機会になりました。

 
 2羽はバラバラに、しかし離れすぎると寄り添って、おおきなシャベルのような形で、端に餌を濾し取る毛の生えた嘴で水面をさらうようにして餌採りしながら、上流に向かって泳いでいきます。
 しばらく追っかけしましたが、遠くになり、やがて再び飛び立って行きました。千載一遇の出合いでした。Photo

100m

 
 ♂の頭部~頚部は光によって緑~紫に輝き、衣裳全体、なかなかのものです。
 しかし、大きな”シャベル”はデザイン的にはアンバランスと思うのですが、♀にはそれも含めて魅惑的なのでしょう。
 (画像はクリックで拡大します)Img_9674tcl

 もう、北国に帰るため移動の途中で立ち寄りだったのでしょうか。
 

| | コメント (0)

2015年2月26日 (木)

キンクロハジロ②

 7羽のキンクロハジロ・グループの追っかけ画像です。

 個体識別が出来ないため、同じ個体の繰り返しがあるかも知れません。Img_7909t1

Img_7933t

Img_7939t

Photo_3

 (画像はクリックで拡大します)201412054_1

 この7羽グループを見かけたのは当日1日限りでした。

 余談ながら、遠目には姿形のよく似たスズガモがいます。キンクロハジロには後頭部に寝癖のついたような冠羽があることが識別ポイントですが、アングルによっては見えないこともあります。
 また、スズガモの雌は嘴の付け根から顔に向かって白色部がありますが、キンクロハジロ雌には白色部はありません。
 ただし例外もある、ということで、撮った写真だけで素人には判断できないため、今回の7羽群はすべてキンクロハジロとしました。

 
 その1ヶ月後の1月初旬、やはり1日だけ、つがいと覚しき2羽の姿を見かけています。12

| | コメント (0)

2015年2月25日 (水)

キンクロハジロ①

 今シーズンも冬鳥のキンクロハジロが時折、移動の途中で一時休憩のために池に降りているのを時折見かけて記録していました。
 ただそれだけでのことで、撮った写真は放置したまま片付かないので、時期遅れですが、纏めてブログの埋め草記事にしました。

 昨年末、晴天続きで強風に波立つ池に、突然小さな群れが降りてきました。Img_78327_1

 
 群れは7羽でした。
 見ていた限りバラバラに散らばることなく、さして遠くにも行かないで泳ぎ回っていました。
  
 波風が強くて、ゆっくり休憩する状況になかったからでしょうか。Img_78327_2

Img_78327_3

Img_78327_4

Img_78327_6

 少し追っかけしたものを次のページに載せました。

| | コメント (0)

2015年2月24日 (火)

マヤ文明とメキシコ7つの世界遺産を訪ねる旅(2015/2):7~9日目(最終回)

7日目:
 ■午前、出発時間まで自由時間。
 白砂の海辺散歩など。ビーチ・コーミングを楽しむ人の姿も。Photo_11

 
 正午ホテル出発、カンクン空港へ。
 着後、チェックインに2.5時間もかかり、少々うんざり。
 指1本でキーボードを叩いているのもお国柄でしょうか?
 ■午後15:20、カンクン発、空路、メキシコシティへ(所要時間:約2時間)Photo_12

 ■メキシコシティ22:15発、空路、モンテレイ経由で帰国の途へ (所要時間:約16時間50分)                   
            (機中泊)

 
8日目:
 ■モンテレイにて機内待機後、成田へ。 ~日付変更線通過~ 8
           (機中泊)

 
9日目:
 ■朝6:20、成田着、帰宅。

※メキシコの旅を終えての雑感:
 世界観はどの国家/民族にもあります。 
 未だにその確かな原因は未解明のまま滅び去ってしまったマヤ文明の世界観は、独特の儀礼や風習を生み出し、少々グロテスクに感じてしまうのは血を重んじるという特異のものでした。
 そして、もはや過去のものになりましたが、マヤ暦といわゆる終末思想「世界滅亡の日」が結びつけられて話題にもなりました。
 それはともかくとして、マヤ文明という一つの文明は滅亡してしまったのです。
 そしてここから「歴史は繰り返す」という教訓を得て、現在も地球上で様々な世界観、宗教、価値観に基づく絶えることのない戦争や領土争いをなくし、人類が共存していく知恵を育んでいくことが大事、とつくづく思うことでした。  

               -完-

 ※後で読んだ本:
 『インディアスの破壊についての簡潔な報告』 (岩波文庫)
   ラス・カサス著、染田 秀藤翻訳、改訂第1刷

 『物語ラテン・アメリカの歴史』未来の大陸 (中公新書) 増田義郎著 

 『1492 西欧文明の世界支配』 (ちくま学芸文庫)   ジャック アタリ著

 ※追加記入の余談:
 ローマ法王が中南米の先住民の虐殺や奴隷労働という500年以上も前の歴史を謝罪した、というコラム記事も。(2015.7.11付朝日新聞夕刊 素粒子)

続きを読む "マヤ文明とメキシコ7つの世界遺産を訪ねる旅(2015/2):7~9日目(最終回)"

| | コメント (0)

2015年2月21日 (土)

マヤ文明とメキシコ7つの世界遺産を訪ねる旅(2015/2):6日目

6日目:
 ※終日カンクンで自由時間。午前中はオプションで、本ツアー最後の8つ目の世界遺産トゥルム遺跡」半日観光へ。
  午後はショッピングモールなどにも出かけて過ごしました。

 ●カンクン:
 40年前につくられて急成長したメキシコきってのリゾート観光地。
 東京オリンピックに続いて開催されたメキシコオリンピックでしたがそれを控えてアメリカのマイアミビーチに匹敵するリゾート観光地をつくるという、当時のメキシコ大統領の意向で、マイアミビーチを模してつくられ急成長した、なんと海にワニとサメが出没する!というところまで、マイアミにそっくりという。
 それまではアカプルコが有名でしたが、こちらは現在衰退してしまったということのようです。

 ■午前中に「トゥルム遺跡半日観光」へ。
 カンクンから南へ130km、マヤ文化末期の都市遺跡です。城塞、壁画の神殿などが残る,カリブ海に面したマヤ終焉の地を見学。 

※カリブ海に面したマヤ終焉の地トゥルム: 
 トゥルム遺跡はマヤ文明末期に栄えた城塞都市遺跡。
 チチェン・イッアーが衰退し、栄えていたマヤパンも15世紀に崩壊したが、その後にも存えていた。
 1517年にスペインの進攻を受けるが、スペイン人が最初に遭遇したマヤの都市が、トゥルムだいわれている。 
 カリブ海に面したユカタン半島東海岸の高さ12mの絶壁の上に建てられ、以前から「夜明けの街」を意味するZamaという名前で知られていた、マヤ最後の都市の1つ。
 特に黒曜石の交易通商路として、陸海双方を使った重要な取引拠点として13~15世紀にわたり繁栄し、また降臨する神への礼拝のための重要な場所でもあったそうで、スペイン侵攻のあとも、およそ70年間を生き延びた後、終焉を迎えたという。
 トゥルムは急な海食崖を背にして、陸側の3方面は高さ3~5mの防御壁で囲まれ、南西と北西の角には物見の塔があり、北南の両側に各2箇所、西に1箇所、合計5箇所の狭い出入り口が設けられていた。 
 また壁の北側近くには貴重な水資源として、「セノーテ」(天然井戸)の家もあり、外敵からの侵攻を防ぐ守りを固めた城塞都市でした。

①カンクンホテルの窓からカリブ海の朝:7

 バスで遺跡見学に出発

 
②着後、バス駐車場から遺跡まで歩きます。 
 トゥルム遺跡駐車場には多数の土産店、レストラン等がありまた広場では民族ショー等もおこなわれて賑わっています。
 ここから遺跡の入場ゲートまでは500mほどあり、機関車をかたどったトラム(遊覧車)に乗ることもできます(有料)が、歩いて行きます。
 見ていた限り、大方の人が、老若男女を問わず歩いていました。
 入場ゲート脇にチケット売り場があります。
 北側の入り口まで辿る間に、共同で子育てをする習性があるをいう”青い鳥”や、聖なる樹セイバの若木、陸ガメ、また樹の枝に造られている管状のアリの巣なども眺められました。
 城壁に囲まれていた遺跡の入り口は狭いマヤアーチです。
1ge

2

3img_7943_3

 
③セノーテの家:
 遠方の神殿風景に見とれて通り過ぎそうになりましたが、北側入り口のすぐ脇にセノーテの家があります。
 今は涸れてしまっていますが、この建物の地下にはセノーテがあったそうです。Photo

 
④風の神殿:
 北入口を入ると、まず目に飛び込んでくるのは、カリブ海の断崖にたたずむ風の神殿です。 
 風の神を祀る建物だそうですが、海から来る敵を発見する見張り台のようにも見えます。
 陸側にある大宮殿の一角も目に入ります。Photo_2

 
⑤海側に沿って歩くとウミガメ産卵ビーチがあります。ビーチは遊泳禁止。
 付近の樹上には、管状に延びる通路につながった巨大なアリの巣テラマイト(蟻塚)も見られました。Photo_3

 
⑥大宮殿 :
 遠望しただけで、近くまで行きません(行けません)でした。
 屋根の部分の下には足を上に向けた、逆さま姿の神の像“降臨する神の姿のレリーフ”があります。
 無理な拡大ではっきりしない画像です。Img_2679ht

Photo_5

 
⑦最も注目を集める、エルカスティージョ遺跡:
 大宮殿横を通り、遺跡中心部に向います。
 遺跡中央の海側に、中核になる建物群“降臨する神の神殿”と“カスティージョ”が海に面した断崖の上に並んで建てられています。
 見えてきた建物群で、左の建物が「降臨する神の神殿」、屋根の下には、足が上向きの「降臨する神の姿」のレリーフがあります。
 右側の建物が遺跡で最大のエルカスティージョ。
 現在は規制が厳しく、近寄ることが出来ません。遠巻きに周囲をぐるりと回り、海側に出ます。
 海側に面した建物の壁には小さな四角い穴がありました。
 気象観測用のもので、ハリケーンの襲来などを観測していたのではないかとのことでした。1

 
 途中で通過した「柱の家」。2img_7953ht

 ここは期待しすぎだったのか、何かもう一つインパクトを感じませんでした。

 
⑧カリブ海を望む絶景ポイント、地形学的観察展望台: 
 エルカスティージョの裏にはカリブ海が広がっています。
 海に向かって左手奥(北側)には風の神殿が望まれ、絶景のビューポイントです。
 また反対側(南)を見ると、「地形学的観察展望台」の案内板と共にビーチに降りる階段が設けられています。
 付近にはまだ青い実をつけたアーモンドの木がありました。Photo_6

 
⑨近寄ることも出来ないエルカスティージョの南端を横目に通りすぎて、フレスコ画の宮殿に向かいます。1_2

 
⑩フレスコ画の宮殿:
 1)フレスコ画の案内板:
 Mural Painting -Language and stories in pictures- (フレスコ画-画像内の言語や物語-)1img_2697

 
 2)この2階建ての神殿は、15世紀前半、マヤパンが崩壊し、トゥルムが独立性を確立したころに建てられたもの。
 3回にわたって増築が繰り返され、現在の姿になったとのこと。
 1番最初に建てられた内部の小さな神殿にマヤの神々が描かれたフレスコ画が残っていることで有名なのですが、残念ながら現在、内部は入れません。
 内部は多数のジャッキで支えられていました。
 太陽の動きを追うための観測所として使われていたということで、宮殿の正面は「降臨する神」または「ビーナス神」と呼ばれるマヤのレリーフで装飾されています。
 しかし壁表面の劣化が進んでいるようで、”両目を見開きこちらを見ているような神の顔の正面が見られる”と説明されて撮った画像からも、素人には判別できませんでした。2_2

 
⑪チュルトンの家:
 フレスコ画の神殿の真向かいにあります。
 この建物には地下水槽チュルトンがあります。
 チュルトンはプウク地方によく見られる、雨水を貯めておく水がめのような地下施設です。Photo_7

 
⑫葬儀の台座:
 チュルトンの家の南隣にある葬儀の台座。
 草地の真ん中に穴が開いていて、その下に階段があり、お墓だったそうです。
 中からは黄金やトルコ石、土器が発見されたという。
 階段は、ここを上って甦ると信じられていたから。Photo_8

 
⑬出口へ:
 見学を終えて出口へ向かいながら振り返り見るエルカスティージョ、そして南側の出口へ。 
 周囲を城壁で囲まれているマヤアーチの狭い出口では渋滞も。
 バス駐車場、売店などのある広場まで戻ります。Photo_9

 
⑭バスでカンクンに戻ります。ホテル帰着後昼食。

 ■午後の自由時間にはバスを利用してショッピングモールなどにも出かけてきました。

 
 夕刻、まだ明るかったホテルから眺めた、だんだん暮れていく風景です。Photo_10

 (明日は午後出発、空路帰国の途につきます。)
            (カンクン泊)
         -7日目に続きます。-

| | コメント (0)

2015年2月20日 (金)

マヤ文明とメキシコ7つの世界遺産を訪ねる旅(2015/2):5日目

 本日(5日目)の日程は、今回メキシコツアーハイライトで世界遺産⑦【チチェンイツァ遺跡の見学、その後カンクンに移動、宿泊まで。

 「チチェンイツァ遺跡」はユカタン半島メリダの東にあるマヤ文明古典期最大の遺跡。
 遺跡は6世紀頃マヤ古典期に属する「旧チチェンイツァ」と10世紀以降に栄えた「新チチェンイツァ」の2つのエリアに分かれています。Blgz

 
※概略行程:
 ホテルから徒歩でチチェンイツァ遺跡見学に。
 大神殿「エルカスティージョ」(ククルカンのピラミッド)、ジャガーと鷲の台座、ツォンパントリ(頭蓋骨の台座)、球戯場、セノーテ・シトロク(生け贄の泉)、戦士の神殿、カラコル天文台、尼僧院,東別院と教会を見学後、遊泳可能なセノーテのあるレストランで昼食。
 食後の自由時間に泳ぐ人も。
 遺跡の見学を終えて、バスで暮れなずむドルフィンビーチを眺めながら宿泊地カンクンへ。  
 カンクンホテル着は午後7時。

 
※前置き:
 メソアメリカ、ユカタン半島南部の密林には数々のマヤ文明都市の興亡がありましたが、中でも200年以上にわたりユカタンにおける芸術、宗教、経済の中心地だったというチチェンイツァ。
 以下は持参したガイドブック参照要約。
 チチェンイツァはマヤ語で“泉のほとり”のイツァ人、そして“泉”はユカタン半島で最大の水源地セノーテ(聖なる泉)のこと。そして、ここを中心に繁栄した都市だった。 
 マヤ文明には二つの繁栄時代があり、一つは6世紀頃のマヤ古典期に属するマヤ独特の顕著な特徴を持つ文化(旧遺跡エリア)として栄え、7世紀には隆盛を極めたが、その後マヤ王族は一度自らこの地域を去って行った(定期的に遷都を行っていた)という。
 そして次には10世紀になってマヤ人は再びこの地に戻り、新たな都を築いていったが、その文化には、当時中央高原の覇権を握っていた戦闘部族トルテカ人の影響を受けたことがうかがわれる新しい特徴(新遺跡エリア)が現れている。
 すなわち旧遺跡のカギ鼻の神(雨神チャック、また山神と考えられている)を祀った素朴なモチーフに加えて、新たに好戦的な戦士の像や、生け贄にされた髑髏、そしてトルテカの象徴であるククルカン(羽毛の蛇)が加えられるようになった。
 その後、軍事国家に変貌して栄華を極めたが、13世紀のはじめにマヤパン族との戦いに敗れて滅亡させられ長い歴史を閉じてしまったという。
 ちなみに、この頃の日本は1192年源頼朝が鎌倉幕府を開いた鎌倉時代で、その後1274年には元寇(モンゴル軍襲来)に脅かされていた時代。“神風”が吹いて助かりましたが・・・

 
●見学記録:
①朝ホテル内散策。 
 当然,初めて見る動植物です。 エレファントイヤー(象の耳)の大木には、名前のとおり、象の耳のような形の青い果実はたくさんついていました。
 尾羽の長いカラスのような黒い鳥はオナガクロムクドリモドキ♂*でした。(♀は後に、ドルフィンビーチで見かけました。)5

 (*オナガクロムクドリモドキ(ムクドリモドキ科)、分布は南北アメリカ。 
 全長オス約43cm、メス33cm オスは長い尾をもち、全身が金属光沢のある紺色。
 眼は金色。メスは茶褐色で、尾はオスより短く、眼はよごれたような白色でオスと異なる。
 もともとの生息環境は湿地だが、都市や農耕地などにもすむ。
 都市の公園などを集団ねぐらにすることがある。地上で、昆虫やトカゲ、水辺でカエル、魚などもとる。ほかの鳥の巣から卵やひなをとることもある。
 またカラス類のようにゴミにも集まる。)

 
②徒歩でホテルを出て遺跡に向かいます。
 途中で向かって左奥にカラコル(天文台)が見えます。ほどなく入り口近くの売店/トイレゾーンに到着。1

 ここでしばらく時間調整の待ち時間。その間に、ご婦人方はマヤ文字入りの手作りペンダント注文などのお楽しみなども。(遺跡見学後の帰りに受け取りです。)
 一見ネムの花に似た大きな赤いブラシのような花木が目に入りました。
 後で調べて見ると「プセウドボンバックス・エリプティクム」*と分かりました。2

 (*プセウドボンバックス・エリプティクムPseudobombax ellipticum(アオイ科ボンバックス属):
 本来多肉植物の仲間だそうですが一般的な樹木に近く、成長すると高さ18m、直径2m近い大木に成長します。
 そして大木になると、非常に長い雄しべが密集した、ピンク色の美しい花を咲かせます。
 花の形はヒゲ剃の時、クリームを塗るブラシに似ているため、英語では“シェービング・ブラッシング・ツリー”と呼ばれています。
 分布はメキシコ南部、グアテマラ、エルサルバドル、ホンジュラス。)

 
※余談:
 チチェンイツァの旧遺跡と新遺跡を行き来する敷地内通路沿いには、たくさんの民芸品を売る屋台が並びます。
 それらの出店は、正規のゲートは通らないで、森の中から毎日チチェンイツァ敷地に入りこんで店を広げている違法屋台だそうですが、地元の仕事を確保するために黙認されているのだという。
 朝一番には、確かに森の中から手押し車などを押して現れたり、すでに観光通路沿いに開店準備をしていたりする様子も目にしました。
 見学通路両サイドに並んだ屋台店の民芸品は見るだけでも”異国情緒”たっぷりでした。

 
③エルカスティージョを横目に見ながら通過、ここは最後にじっくり見学に。Photo

 
④ジャガーと鷹の台座:
 生け贄の心臓を捧げる儀式が毎日行われた場所だという。
 壁には片手に心臓を持っているジャガーと鷲のレリーフがあります。
 そして鷲のレリーフの石は出っ張り、ジャガーのレリーフの石は凹んでいるので、鷲の方が強かったという。鷲はトルテカ族を象徴するという。Photo_2

 
⑤頭蓋骨の台座(ツォンパントリ):
 球戯場の隣にある祭壇(台座)「ツォンパントリ」は生け贄の骸骨を大衆にさらす場所だったともいう。
 台座の壁一面には、様々な表情の頭蓋骨、また串刺しにした生贄の頭蓋などが彫り込まれていて、そのおどろおどろしさはマヤの伝統的な文化とは異質で、トルテカ文明の影響の現れという。
 1年の無事を祈願して毎年1本ずつの葦が束ねられ、52年でそれが1つの丸い石の彫刻となり、祭壇内に埋められたともいわれる。(博物館ガイドブックも参照)
 気持ち悪いが、時代はずっと下がった江戸時代の刑場には見せしめのさらし首もあったということだし・・・Photo_3

 
⑥後ろを振り返るとエルカスティージョ。Photo_4

 
⑦ジャガーの神殿:
 球戯場の東壁に造られた小神殿正面にジャガー像が置かれ、壁の内側には戦闘風景が克明に描かれています。
 森に住むジャガーはマヤ人にとっては畏怖の対象で、強さのシンボルでした。Blg

 
⑧球戯場へ:
 全長150mある球戯場は豊穣の神に祈りを捧げるための「聖なる宗教儀式」として競技が行われるスタジアムだったという。
 コートの両側は、上部になるほど内側にせり出していて、音が反響して遠くまで届くように設計されていて、ガイドの勧めで手を叩いて見るとすごく反響することがわかります。
 ゲームは既に述べたとおり、ゴムのボールを手は使わないで、肘や腰にあてて壁の上部に取り付けてある石の輪(ゴール石)にくぐらせたら勝ちで、勝ったチームのキャプテンが“栄光”をになって“生け贄”にされたという。
 (これには異説があり、勝者が敗者を生け贄に捧げたという解釈もあるとのこと。)
 球戯場内壁の基壇部分には勝利者(または敗者)が斬首され、流れる血潮が7条の蛇となってほとばしり、その先から植物が芽を出そうとしているレリーフなどもあります。Blg_2

 
 エルカスティージョを横目に眺めながら、旧チチェンイツァ域の聖なる泉(セノーテ・シトロク)見学に向かいます。

 
⑨聖なる泉(セノーテ・シトロク)見学:
 道の両側に民芸品の屋台が並ぶ新・旧チチェンイツァ域を結ぶ森の中を通り、セノーテ・シトロクまで往復します。
 「聖なる泉」はユカタン半島最大規模で、しかも神話に彩られた聖域でした。
 日照りの時期には若い処女が人身御供として投げ入れられ、また、生け贄と同時に様々な貢ぎ物も捧げられたという。
 後年の調査で泉底からは多数の人骨と共に多量の貴金属製品などが発見されたとのこと。
 見学時には、黄緑色に濁った水が淀んでいて、往時の神秘な面影、雰囲気は感じられなくなっていましたが。
 (※セノーテ:ユカタン半島の湿潤密林地帯には川がなく、地面は石灰岩質の土壌であるため、降った雨は全て地中に浸透し、地下に水の溜まる空洞が出来、その空洞の上の地面が崩落・陥没して出来た泉で、貴重な水資源でした。)Photo_5

 
⑩再び新チチェンイツァに戻り、ハイライトのエルカスティージョ見学へ。
 ●エルカスティージョ:
 「映像などでも度々紹介されていて、つとに有名な「ククルカンの降臨」の現地。
 実際に見た現地現物の第一印象はさしずめよく整備された商業的「テーマパーク」。
 じっくり見学を、といっても現在では”昔“のように頂上の神殿に登ることは禁止されていて、従って、当然神殿内部の見学あたわずで、ただ周辺から眺めるだけ、ということなのです。   
 たとえ、春分あるいは秋分の日に、混雑を承知で、「ククルカンの降臨」が見られることを期待して行ってみても、当然ながらその限られた時間のお天気次第ですから、やはり記録映像で眺めるのが一番、とイージーな感想になりました。
 「心眼で見える」というありがたさを理解する能力に欠ける凡夫は何ともしようがありません。
  「新チチェンイツァ域に建つ大神殿「エルカスティージョ」は城という意味をもつ遺跡の求心的な存在で、それ自体が巨大カレンダーとしてマヤの暦を表しているという。
 マヤの最高神ククルカンを祀る「ククルカンの神殿」とも呼ばれ、高さ24m、1辺56mで9層になっています。
 ピラミッドの4面にある各階段は91段あるので91×4=364、これに頂上の神殿へ登る1段を加えて365になり、太陽暦の1年間を表わすという。
 そして、昼夜の長さが同じになる春分と秋分の日、太陽が西に傾くと、北側階段の側壁に現れる9層の神殿基壇の影が蛇の胴体、明るい部分が羽の形となって階段下部のククルカンの蛇頭像と合体し、巨大なククルカン(羽毛を持つヘビ神)が姿を現す。
 これが「ククルカンの降臨」の仕組み。Photo

 
⑪戦士の神殿へ:
 3層の基壇を持つ「戦士の神殿」。
 周辺は戦士の浮彫がある石柱群に囲まれていて「千本柱の神殿」とも呼ばれています。
 戦闘部族であるトルテカ文明の影響が見られます。
 入り口階段上部には腹部に生贄の心臓を置いたというチャック・モールが横臥しています。現在ここまで立ち入ることは出来ません。Photo_2

 
⑫アオマユハチクイモドキ:
 再び森の道を通り、南の旧チチェンイツァ遺跡に向かいます。
 途中の林にきれいな青い鳥がいました。
 アオマユハチクイモドキでした。Photo_3

 
⑬尼僧院のグループ:
 南前方に①尼僧院が見えてきます。尼僧院は古典期後期の3階建ての大きな建造物です。 
 ②正面階段の一部が崩壊し、また階段右側奥の壁にはダイナマイトで破壊されたという大きな穴が開いています。 建物内には修道女の個室のような部屋がたくさんあったので、スペイン人が勝手に尼僧院と名付けたという。 建物突き当たりを東に沿って進むと, ③④⑥尼僧院東端の左手に⑤教会があります。
 ⑦⑧⑨⑩教会を左から回り込んで 尼僧院東端にある⑪⑫「東別院」正面に出ます。写真撮影のベストスポットです。
 ⑬左が東別院の東正面で、右が教会の裏側(東面)です。両建物の壁面には、マヤ人が信仰した雨神チャックが多数配置されたプウク様式のデザインで、ここではまだトルテカ文化の影響を受けていないことが分かります。
 ⑭東別院と教会の角にあるチャック像のアップ。チャック像の丸まった鼻は先が欠けたものが多いですが、(写真右)教会側のチャックの鼻は完全な形が保たれています。鼻の上には鳥?のような象形も。Photo_4

 
⑭カラコル(古代マヤ人の天文台):
 古代マヤ人の天文台で、旧チチェンイツァを代表する建築物の一つ。
 上部の形は現代の天文台にも相通じるデザインです。
 9mの露台の上に高さ13mの観測台が載っています。観測室の東と北側は崩れ落ちていますが、天体観測用に、西・西南・南の3つの窓が残っています。
 月、太陽、星の運行を肉眼で観測して驚くべき正確な暦を作り上げていたという。Photo_5

 
⑮高僧の墳墓を見学しながら、午前中の集合場所売店/トイレゾーン売店へ戻ります。
 高僧の墳墓と伝えられる旧チチェンイツァの小型ピラミッド型神殿は、発見時、崩壊が激しくほとんど原形を留めていなかったが、近年修復が完了。
 ここから貴重な埋蔵品も発見されたという。Blg

 
⑯昼時を少し過ぎたので、昼食と “泳げるセノーテ”「イク・キル(IK Kil)」見学へ:
 チチェンイツァの3km東に、泳げるように整備された天然のセノーテがあり、レストラン・売店があります。
 トイレ、更衣室、シャワーなどの設備も整備され、遊泳時に必要なら、ライフジャケットも借りられます。
 昼食後の自由時間に泳いできた人もいたようです。上から見下ろしただけですが、泳いでいる人は楽しそうでした。なお画像最後のピンクの花木はマクリース。Blg_2

 
⑰全ての見学を終えてバスで宿泊地カンクンに移動。
 途中暮れなずむドルフィンビーチで写真ストップ。
 オナガクロムクドリモドキ♀を見かけました。 
 ホテルの部屋に落ち着いたのは夕食前の午後7時ちょうどでした。19


              カンクン(2連)泊  
              -6日目に続く

余談の余談:
 チチェンイツァ遺跡の見学を終えての正直な感想は、当初イメージしていたような、もっとスピリチュアルな雰囲気をまとったマヤ文明を象徴する遺跡ではなく、新設の整備されたテーマパーク、という印象になってしまいました。
 しかし、考えてみれば、往時には毒蛇やジャガーなどの猛獣が潜み、黄熱病を媒介する蚊も生息していたというジャングルの中に点在しているままでは、観光ツアー等の了見では近寄ることさえ出来ませんから、こうなっているのが至極当然なのでした。

続きを読む "マヤ文明とメキシコ7つの世界遺産を訪ねる旅(2015/2):5日目"

| | コメント (0)

2015年2月19日 (木)

マヤ文明とメキシコ7つの世界遺産を訪ねる旅(2015/2):4日目午後ウシュマル遺跡

 前ページ「4日目午前」の続きです。

 ■4日目午後:
 世界遺産⑥マヤ遺跡【ウシュマル遺跡1996年登録)見学
 ●ウシュマル遺跡:
 世界遺産 ウシュマル (Uxmal) は、メリダから南へ約78km、ユカタン半島北部の丘陵地帯であるプウク地方の中心都市として、7世紀から10世紀にかけて、政治と経済の中心地として繁栄し、最盛期の人口は、2万5千人ほどと推定されている古代都市です。
 そしてウシュマルはプーク様式【建物の壁一面に、彫刻を施した石を組み合わせて、複雑な幾何学模様や神々、蛇などのモチーフで装飾したり、疑似アーチを作ったりする様式】と呼ばれる特徴的な遺跡を共有するチチェン・イッツアと同盟を結んで、北部ユカタン全域を支配してしたとされています。
 なおこの地域には午前中に訪問した「カバー遺跡」同様に恒久的な(セノーテなどの)水源がなく、農業生産や飲料用水の水資源は基本的には雨水に依存していたため、特に”雨神“「チャック」を崇拝した特異的な文明です。

 その後、12世紀頃から、マヤの勢力はチチェン・イッツアからマヤパンを中心とした連合に移っていったため衰退し、やがて廃墟となり密林に覆われてしまったということです。 
 遺跡全体は森の中にあります。
 観光できる遺跡部分は開かれていますが、高所からの眺望で、森林の中に埋もれている、という雰囲気が感じられました。

 ウシュマル遺跡配置図:1

 ウシュマルはマヤ後古典期後期を代表する遺跡で、「魔法使いのピラミッド」、「尼僧院」、「大球戯場」、「鳩の館」、「大ピラミッド」、「総督の宮殿」を見学しました。 
 密林の中に栄えたという雰囲気が一番残っていた遺跡で、思った以上に”単純に良かった”ところです。

※見学記録:
 ●魔法使いのピラミッド:
 ウシュマル遺跡の入口は、レストラン・売店のある大きな施設。
 入場してすぐに階段を上り、遺跡への道路を歩いて行くとまず目に入るのが、大きな楕円錐形ピラミッド。 
 ・「魔法使いのピラミッド」の東側正面です。なかなか迫力があります。
 上部の神殿に登る階段が東面と反対側の西面に付けられていて、以前はピラミッド上部まで登ることができたそうですが、現在は禁止されています。
 高さは約36mで、マヤのピラミッドの中では特別高いわけではありません。
 ・反時計回りに西側に回り込んでいくと、丸みを帯びた構造と共に、狭くて急な階段が付けられていることがわかります。
 ・ピラミッドの西側にまわってみると、建物は複雑な形をしたものです。
 ・上部には、蛇が口を開けたデザインの入り口を持つ第4神殿があり、その上に斜め格子模様が浮き彫りになった壁を持つ第5神殿が作られています。
 (ただし西正面からは最上階の第5神殿は第4神殿の真後ろに隠されて見えません。)
 ・神殿に上る階段横には「雨の神チャック」の顔が連なっているのが望遠で分かります。21blg

 
 ●次の尼僧院見学に向かう途中で振り返って見ると、魔法使いのピラミッド上部にある第4神殿と、その上の第5神殿入り口も確認できました。22blg45

 
 ●尼僧院:
 魔法使いのピラミッドの西に隣接しています。 
 中庭を方形の回廊状に囲む構造形式の建造物で、内面と外面には精美な彫刻が施されています。
 なお、『尼僧院』とは後年スペイン人によってつけられた名前で、実際には「支配者の宮殿」と考えられているそうです。
 ①尼僧院への通路であるマヤの持ち送り式アーチ(マヤアーチ)(現在通れないものもあります)と見上げた天井3

 マヤアーチをくぐって尼僧院に入ると、広い中庭を囲むように東西南北の高さの異なる4つの基壇の上に、長くて、そして壁面に「雨神チャック」を中心に蛇や人物像など異なったデザインの装飾が施された複合建築が配置されています。

 
 ②南の建物:
 ・画面中央が、中庭と同じ高さに建てられた南の建物(幅80m)で、建物の真ん中に入口のマヤアーチが見えています。
 (なお画面左側にわずかに写っている基壇の上に建つ建物が東の建物です。そして東の建物も撮っていたはずですが、なぜか画像ファイル中に見当たらず、今回、東の建物の写真はありません(^_^;)。)3img_2549t

 
 ③西の建物です。
 ・(東の建物よりは少し大きく)幅54m。入り口より上部の装飾にある3連の雨神チャック像の左右にパイプのように伸びているのはガラガラ蛇(ククルカン:羽毛のある蛇)の胴体です。
 ・蛇の頭部をアップで見ると開けた口の中に人物像が彫られています。
 また蛇の頭の左上には ガラガラ蛇のガラガラ音が出るシッポがぶら下がっています。
 ・さらに、建物中央の装飾には天蓋付きの玉座があって、羽飾りをつけた貴族の頭部の彫刻がありました。人物のアップも。3_2

 
 ④北の建物:
 ・四方の建物の中で北の建物は、一番高い基壇に載っていて長さ100mと一番大きく、また壁面には華麗な装飾が施され、基壇に続く階段の両脇には小さな神殿の部屋が設けられているため、この北側が最も重要な建物であったと推定されています。
 ・建物を東横から眺めると、各入口の上には、雨神チャックの彫刻が施されているのがわかります。
 ・雨神チャックの顔が4つ積み重なったデザイン壁は、彫刻した切り石ブロックをパズルのように組合せて作られています。
 ・また、マヤ民家を模した装飾があり、その入口下には背中合わせになった2頭のジャガーの彫刻がありました。3_3

 
 ⑤バルチェの花:
 ・遺跡内に咲いていました。遠目には花の塊の色から、ジャカランダのようにも見えましたが、傍で見るとまったく別です。3_4

 尼僧院を出て、大球戯場を見ながら鳩舎の矩形に向かいます。

 
 ●大球戯場:
  9世紀後半から10世紀初めにかけて作られた球戯場の一つ。
 901年にウシュマルを統率したチャン=チャク=カクナル=アハウという王によって奉献されたという銘文が刻まれています。
 ・球戯は娯楽スポーツではなく重要な宗教儀式として行われたもの。
 マヤ地域により異なるが、球戯には直径20~35cmの硬いゴム玉が使用され、触って(使って)良いのは腰、肘、膝だけ。競技者は衝撃を和らげるために革製の防護服を身につけていた、と解説がありました。(丸い穴の開いたゴール石に入れば勝ち。)
 ・ゴール石も復元されていました。4blg

 大球戯場を通り過ぎ、鳩舎の矩形の前を通って大ピラミッドに向かいます。

 
 ●鳩舎の矩形:
 ・近くにハトもいました。
 ・写真は鳩舎の矩形の北側の建造物ですが、残っているのはこの面だけで、他の面は 殆ど崩れた状態です。
 建物上部の屋根飾りに小さい四角の窓が沢山ある事から 鳩舎と呼ばれるようですが、何に使用されていたのかは判然としていないそうです。51blg

 
 ●大ピラミッド: 
 高さ32mの大神殿ですが、まだ北側の階段部分しか修復されていないようです。
 (残りの三面は土の中に埋まっている。)
 ・ステップ幅が狭くて急な階段を慎重に登ります。
 ・頂上にはコンゴウインコの神殿があります。その壁にはコンゴウインコのレリーフが繰り返しはめ込まれています。
 中には修復中の「雨神チャック」の大きな顔がありました。
 周囲の外壁にも様々なレリーフがあります。
 ・大ピラミッド頂上からの眺めはなかなかのもので、ウシュマル遺跡の”広告塔”とも言うべきビューポイントです。
 近くでは西側に鳩舎の矩形と呼ばれる山切りカットの外壁が、また遠くに広がる森が見え、東側には「総督の館の裏側」が、見えます。
 そして北側の奥には「亀の家」、そして森の中に浮かび上がる「魔法使いのピラミッド」、また「尼僧院」などを俯瞰することができました。
 ・急な石段は下る時の方が緊張しました。52blg

 
 ●総督の館:
 ・大ピラミッドを降りてからすぐ横の丘の上に建つ「総督の館」と呼ばれる建物へ向かいます。
 途中の木立で、ノウゼンカズラ科テコマ・スタンスの黄色い花が目につきました。
 遠くに魔法使いのピラミッドを見ながら歩いて行くと
 ・ほどなく双頭のジャガーの台座がある広場に出ます。 
 ・正面が総督の館です。建物は横180m、縦152m、高さ12mのテラスを基段とした3層のテラスから構築されていて、マヤ建築の中でも傑作といわれ、プウク様式の壁面のレリーフとシンメトリックな形状が調和しています。  
 ・「総督の館」の正面装飾は、小さい写真では分かりにくいですが、中央に(尼僧院の東の建物に施されているのと同様の)両端に頭がある蛇の意匠が用いられ、上部には雨神チャックの顔が並んでいます。
 これらと渦巻きや斜め格子の幾何学模様のデザインの組合せが調和したモザイクを構成しています。  
 ・また、総督の館の両側にあるマヤアーチ上部には、両角にチャックの顔が重なったデザイン、壁面には渦巻き文様が施されています。6

 
 ●全ての見学を終えて出入り口に戻ります。
 ・途中で樹の枝にぶら下がったハタオリドリの巣と小鳥の姿も目にしました。7

 
 観光後、バスでチチェンイツァへ。所要時間約2時間。

 (チチェンイツァ泊:宿泊はチチェンイツァ遺跡に徒歩で行ける隣接ホテル。)

         - 5日目に続きます

続きを読む "マヤ文明とメキシコ7つの世界遺産を訪ねる旅(2015/2):4日目午後ウシュマル遺跡"

| | コメント (0)

マヤ文明とメキシコ7つの世界遺産を訪ねる旅(2015/2):4日目午前

4日目:メリダからチチェンイツァへ

 ・朝、宿泊ホテル前で。ブーゲンビリアがきれいでした。Photo_3

 
 ■午前、バスでメリダ市内見学:
  ・病院構内に建つ(日本から寄贈された)野口英世像、・ソカロ広場から、・モンテホの家、・州庁舎の壁画ギャラリー鑑賞、・そしてカテドラル入館など。

 ・「野口英世」像:
 道路に面して、メリダ市旧オーラン病院跡地内に建つ野口英世銅像。
 意外にコンパクトな立像でした。
 野口英世は1919年にロックフェラー財団の援助を得て黄熱病の研究と撲滅のための医師団として、メキシコのユカタン州メリダ大学旧オーラン病院(現在のユカタン医科大学)に派遣され、研究成果を挙げたと言われます。
 その縁で日本(玉川学園)から野口英世の銅像が寄贈され、ここに建てられているという。
 なお道路を挟んで反対側にある(ユカタン医科大学内の)地域研究センターにもレプリカ銅像が1体あるそうです。Photo_2

 
 ・ソカロ広場です。あいにく小雨模様に。奥には市庁舎の塔屋が見えます。Photo

 
 ・モンテホの家:
 メリダの街は1542年に、スペイン軍を率いるフランシスコ・モンテホに占領されて以来、先住民族を制圧し、またカトリックに改宗させる基地として機能してきたという。
 モンテホの家は1549年建造の市内最古建築物だそうです。
 その正面入り口上部の壁面を飾るレリーフには、武器を持ったスペイン人が両足元に先住民(マヤ人)の顔を踏みつけていたり、下積みにされていたりする様子が彫られています。
 そのまま残されて、現在は銀行として使われているとのこと。
 マヤの末裔たちは屈託がないのですね。Photo_5

 
 ・メリダ州庁舎の壁画ギャラリー:
 州庁舎2階が壁画ギャラリーになっています。
 マヤ文明をテーマとした27の壁画があります。
 2階への階段の壁に描かれた『トウモロコシからの人類の誕生』が特に有名。
 部屋からは州統治者の権勢を示すかのように、カテドラルや街並みが見下ろせる、豪奢なものです。Photo_6

 
 ・カテドラル入館・見学:
 ソカロ広場の東側に面しています。
 ユカタン半島最大の規模を誇るもので、左奥の礼拝堂には有名な火膨れのキリスト像が飾られています。120

 
 ・教会を出たところに見えた建物:
 古い建物をそのまま、上塗りだけして使っているということを見せるために、わざわざ外壁の一部を切り取って、元の(内部の)壁を見せているのだという。3

 
 見学後、メリダ出発、バスで約60分ほどのメリダ郊外「ウマン村」の市場(メルカド)まで。
 そこには色とりどりの野菜やトロピカルフルーツ、その他豊富な食材が並んでいて、文字通り市民の台所として 賑わっていました。
 安価で新鮮な産品が庶民に好評だそうです。1

 
 ・見学を終えてすぐ近くの広場で小休止。教会も建っていました。
 巨大なマメ果がぶら下がった樹は鳳凰木(現地名フランモヤン)だそうで、赤い花が咲くとのこと。2

 
  その後、バスで【カバー遺跡】見学へ向かいます。
  ・途中の道はどこまでも続く森の中を真っ直ぐ走っています。Blg140

 
 ■カバー遺跡: 
 概要:
 カバー遺跡は(この後、午後訪問する)ウシュマルの南東約22kmのところに位置しています。
 西暦600年ころから1000にかけてウシュマルの姉妹都市として栄えたという遺跡で、サクベと呼ばれるマヤの道でつながっていたそうです。
 まだ多くの部分が森の中に埋もれていていて、発掘、復元等が進んでいるのはまだその一部です。Photo

 発掘遺跡の中には、「コズ・ポープCodz Poop」(巻いた敷物)、別名を「仮面の神殿」と呼ばれる代表的なプウク様式の神殿が建っています。
 カバー遺跡の最大の特徴は (ウシュマル同様に) このプウク地域には恒久的な水源がないため、雨水が貴重な水資源であって、雨水を司る「雨神“チャック”」信仰に基づくカギ鼻の神「チャック」の顔が神殿遺跡壁面のいたるところに残されていて、その数は、壁面全体では300を越えるそうです。
 雨神チャックの顔には2種類あり、鼻が上を向いている時は、「雨を降らせて下さい!」、下を向いている時は、「雨を降らせてくれて有り難う!」を意味するのだそうです。
 またかなり崩れていますが、この神殿の北側には緻密なモザイクが施されていて、壁の上部には不思議な人物像がありました。

 見学:
 ①エントランス周辺風景:
 入り口には各種案内板と事務所があります。
 その周囲で目についた植物などの記録。 
 写真は順に、遺跡案内板、樹上のエアープランツ、樹上のアリの巣、エレファント・イヤー(象の耳)、パパイヤ、そして幹に鋭い棘があるセイバ【マヤの聖木】の若木など。Photo_2

 
 ②遺跡に入ると広い芝地の向こうに、まず目にしたのは「大神殿El Palacio(2層の神殿)」と呼ばれる建物。
 (帰りにもう一度、別角度から撮影しています。)Img_2496el_palacio

 
 ③目を右側に転ずると、一部崩れた基壇上にある建物が、こちらもかなり崩れていますが、雨神チャックの顔で壁面が覆われた神殿コズ・ポープCodz Poopです。
 今回の主要な見学はこのコズ・ポープです。Img_2497

 
 ④コズ・ポープに向かいます。
 西側の階段を上ってみるとコズ・ポープが正面に見えます。Img_9949ct

 
 ⑤コズ・ポープの正面広場からから見たところ。
 この神殿は3段から成り立っていて、2段目がチャック神のレリーフで飾られています。
 チャックの顔は4つの出入り口の横の壁に残っていますが、その上部は左端の一部を除いて崩れ落ちています。
 ⑤-1 コズ・ホープの壁面を埋め尽くすような雨神チャックの顔。1

 
 ⑤-2 コズ・ポープの上の方ではチャックの鼻部分が折れて無くなっている顔もたくさんありましたが、最下層部のチャックの鼻は折れずに残っています。
 神殿正面には5つ入口が口を開けていますが、チャック像の鼻が階段代わりになっていて、鼻に足をかけて 登っていきます。
 この鼻には下向きと上向きがあり、上向きは雨乞いの意味、下向きは雨に感謝という意味だそうです。2

 
 ⑤-3 コズ・ポープ正面の庭には、この遺跡を象徴する地下水槽”チュルトン”(Chultunes)の遺跡と、その案内解説板があります。
 ・解説概要:
 ユカタン半島北部の気候は熱帯性で、11月から4月は乾期、夏が雨期。
 その間の平均年間降雨量は44インチ(→1,118ミリメートル)。(1 inch = 25.40 mm換算) 
 プウク地域内のほかの場所(ウシュマルなど)同様に、恒久的な水源がないため、水資源は雨水に頼るしかなかった。
 そして生活維持のために、チュルトン(Chultunes)とよばれる内径20フィート(→約6.1メートル)の地下貯水槽が、神殿広場の雨神チャックの壁の前に作られている。
 現在、そのチュルトンは修復されて機能している。 とのことです。

 地下貯水槽の地上部は円形堰堤になっていて、中心部に向かって傾斜がつけられ、降雨を受けて流し込む漏斗の役割を果たしているようです。  
 現在も、地下の穴蔵には雨水が溜まっているのでしょうか。
 やはり生活必需品の水も最後は「雨神チャック様」頼りだったようです。 
 なお、遺跡内には複数のチュルトンが作られているそうです。3blg

 
 ⑤-4 またコズ・ポープ前庭には修復途中で組み合わせ不明の彫刻が施されたブロック・パーツが多数並べて置いてありました。4

 
 ⑤-5 ついで裏(東側)に回ると、北面はほとんど崩れてしまっていますが、壁には不可思議な人物像が飾られていました。
 ・「強い手を持つ男」と形容される人物像の手の先はロボットのようで、鍵爪のような指がついている姿の人物像はカバーの王の一人ではないか、また奇抜なアイデアでは宇宙人だ、等の説もあるそうです。
 なおカバー(KABAH)はマヤ語で「強い手の男」という意味とのこと。
 ・また、コズ・ポープ裏(東側)の入口脇柱には、白い石像彫刻が嵌めこまれています。
 戦闘シーンなど色々な場面のレリーフが見えました。5

 
 ⑥予定の見学を終えて、入り口まで戻ります。
 ・少しアングルを変えた見た大神殿El Palacio遺跡です。Elpalacio

 
 ⑦遺跡内の見学途上で目にしたものは、
  ・イグアナ、オレンジの樹など。 
  ・最後に入り口近くから西方の彼方に何やら木の小山のようなものが見えました。
   望遠で覗いたところ、未発掘で埋もれたままのピラミッドということでした。
  ・石の上に黒コンドルが2羽いるのもおまけに見えました。
  また外に出た駐車場周辺の広場では、
  ・木彫りの民芸品をつくって販売していたり、
  ・大木になっている遺跡のシンボルツリーの”セイバ”を前にして、『マヤの聖木/世界樹』まつわる説明をするオジサンもいたり。2c

※セイバ余談:
 見学した遺跡内にも、幹に大きな鋭い棘がびっしりついている若木がありました。(写真前掲)。
 この若木の幹の棘は、大木になると消失し、先端の細枝にだけは残るそうです。 
 そしてセイバ(学名Ceiba Pentanora Caertn)はマヤの聖木として崇拝されていたのだそうです。
 以下は、広場にあるセイバの大木を前にして、解説用の大きな「絵」」(写真上掲)を広げて説明してくれたオジサンのお話。

 セイバは樹高60m、幹の直径は2m以上にもなるという大木になるという。
 このセイバが、「マヤの聖なる木」『世界樹』として祀られたのは、大切な命の源・水資源である降雨の予測が、セイバの木で予測できるとされていたから。 
 セイバは、淡橙色の花をつけるが、花数が多い年は雨が多く、少ない年は雨が少ない、つまりその年の農作物の豊凶を予測する事ができる、ということでを聖なる木として崇められたという。
 そして【マヤの聖なる木 世界樹】の絵の解説。
 世界の宇宙は天界、地界 地下界に分かれている。
 ・天界は13あり、神や月や金星などの住むところ。
 ・地界は人間界
 ・地下界は9つ、一番下に死の神が住んでいる。
 3つの宇宙はまた、4つの方位に別けられる。 
 その世界の中心に母なる大樹、緑のセイバの世界樹が生えている。その枝は天界まで延び、その根は地下界まで延びている。
 その緑のセイバの木が生えているのが世界の中心である。
 そして、4つの方位には、赤、黄色、白、黒のやはり、それぞれの色のセイバの木が生え、その木の上には、聖なる鳥ケッツアルがとまっている。
 


 ■ついでマヤ人の民家訪問。
  マヤの末裔の素朴な住まいと日常生活を家主の案内で見聞。
  今もマヤ人が住んでいるサンタ・エレナ村で、往時のマヤの生活の有様を“観光用に残してある”民家を訪問。
 サンタ・エレナ村は、カバー遺跡からウシュマル遺跡へ向かう途中にある小さな村ですが、もちろん道路は舗装され、電気も通じています。 
 案内された民家は広い敷地があり、敷地内には質素な造りながら、漆喰壁の母屋(リビング/寝室)や、壁は木の枝を並べただけの風通しの良い台所用の建屋、また作業用などと覚しき複数の建屋がありました。
 リビング奥には小さな祭壇があり、キリスト像だけでなく、マヤ人の神も祀られていました。
 現在は二つの神を信仰しているということなのでしょうか。
 部屋の真ん中にはハンモックが吊されていて、寝起きする動作などの実演もありました。 
 また敷地内には果樹園や畑などもあり、家畜も飼われていているようです。
 リュウゼツランの仲間の植物から繊維を取りだしてロープを作る作業や、アーティチョークの実から赤い色素が採れることなども実演。
 余談ですが、見学域には現代風の家具、調度類や道具類などは見当たりませんでしたが、敷地の端奥の建屋には今風の生活用具なども垣間見えて、昔風の部分が観光用に残されている、ということでしょうか。Photo_2

Blg

 
 次にマヤのウシュマル遺跡地区に移動します。
 ちょうどお昼時時になったので、遺跡内内のレストランで先に昼食を済ませます。
 ・昼食のビール:Img_2536

   -次ページ「4日目午後」に続きます。-

続きを読む "マヤ文明とメキシコ7つの世界遺産を訪ねる旅(2015/2):4日目午前"

| | コメント (0)

2015年2月18日 (水)

マヤ文明とメキシコ7つの世界遺産を訪ねる旅(2015/2):3日目(午後)

 前回3日目午前の記事の続きです。

※3日目午後:
 バスで、世界遺産⑤【テオティワカン遺跡地区へ向かいます。

 *メキシコシティ中心街を抜ける辺りの車窓からは、傾斜地にぎっしり立ち並ぶ、あまり高級とは思えない住宅密集地域の続く風景も眺められて、これも“格差”社会の一端かと余計なことも・・・Photo_17

 
 *着後、まず先に昼食を済ませてから、バスでテオティワカン遺跡地区に向かうことに。Photo_18

 
■午後、メキシコ中央高原最大の古代都市遺跡「テオティワカン」を訪問。
 テオティワカンは、メキシコシティから50km北にある遺跡。
 紀元前2世紀頃建設されたメキシコ最大の宗教都市国家で、この巨大なピラミッド都市を建造したのはテオティワカン人と呼ばれる人々とされ、6世紀頃には繁栄の頂点を迎えたが、8世紀頃には謎の滅亡とともにどこに消えたのは現在も未解明という。 
 遺跡はテオティワカン人の宇宙観、宗教観を表す太陽のピラミッド、月のピラミッドそして南北5キロにわたる大通り(「死者の道」)が基点となり、各施設が配置されている。
 ここで祀られた神々は、農業・文化の神「ケツァルコアトル(マヤ文明ではククルカン)」や水神「トラロック、チャルチウィトリクエ」、植物の再生と関係ある「シペ・トテック」など。
 平和的な神制政治が行われていたとされるが、多数の殉教者、生け贄を捧げる風習もあり、戦士の壁画も発見されているとのこと。
 後のアステカ人も、この残された都を崇拝したという。Sc

 
【見学】へ:
 まず「ケツァルパパロトルの宮殿」の、司祭達の住まいであったらしい裏庭を通り抜けて、「ジャガーの宮殿」へ。

 *裏庭の住居跡。
 向こう近くに「月のピラミッド」が見えます。C

 
 *ジャガーの宮殿:
  未だ鮮やかな壁画や彫像が残っていて、ネコ科動物の壁画も数多く見られました。
 ・羽毛の頭飾りをかぶった天空のピューマが星のシンボルの前で、羽根飾りがあるホラ貝を吹いている。ホラ貝は冬至を象徴している、という解説。S

 
 ・またケツァル(鳥)の姿も色鮮やかに残っていました。Photo

 その後、まずは「月の広場」を通って「月のピラミッド」見学へ向かいます。

 
 *「月の広場」周辺風景:
 すぐ目の前に月のピラミッドが、そして「死者の道」へ続く周辺には多数の建造物が並び、広場の真ん中では、おじさんがサボテンに寄生している虫を取りだして白い紙の上で潰すと、虫に含まれている赤色色素コチニールできれいな赤色に染まるというパフォーマンスを披露していたり。
 またその向こうには、大勢の観光客が頂上を目指して登っている太陽のピラミッドが遠望できたりして楽しみに。Photo_2

 
 *「月のピラミッド」:
 高さ47m、底辺150m×130mで、大きさでは太陽のピラミッドに次で2番目。
 太陽のピラミッドより建造物自体は低いが、やや隆起した場所に建っているため、頂上の高さはほぼ同等という。
 このピラミッド前「月の広場」の規模から想像すると、宗教儀礼はこの「月のピラミッド」を中心に行われていたと推定されています。Img_7794cht

 
 急な石段はステップ幅が狭く、段差もそれなりにあります。
 一気に登ると、けっこう息が切れます。ただ、エジプトのピラミッドと異なり、頂上部まで一直線で延びているのではなくて、4層からなる基壇の積み重ねで出来ています。
 そのため途中は”踊り場”風になっていて息を整えられます。
 また、斜面の中央部にある階段には手すりがついていていますが登りはともかく、降りる時には手すりにつかまらないと少々恐怖感を感じるほどでした。
 
 ・月のピラミッド頂上往復。Photo_3

 
 ・月のピラミッド頂上から:
 南方向に目を向けると、この遺跡中で一番と言われる風景、「死者の道」が真っ直ぐ延びる雄大なテオティワカン全景を一望することが出来ました。Img_9926c

 日頃の運動不足もあって、”月”から降りると暑さも手伝い足がだるくなっていました。
 水分補給をしながら「死者の道」を通って太陽のピラミッドに向かいます。
 
 *「死者の道」は遺跡を南北に貫く都市のメインストリートで、延長5 km、幅45 m。
 正確には北から東方向に15度30分傾いていて、道の北端と南端では2.7mの落差があり緩やかに傾斜しているという。
 その内、遺構内に延びる2kmの道の周囲には様々な建造物が立ち並んでいます。

 
 *太陽のピラミッド:
 高さ65m、底辺225m×225m。テオティワカンの中では最大の建造物で、世界で3番目の大きさという。
 宗教儀礼のためのもので、頂上には神殿が建っていたとも。Img_9928c

 
 こちらもかなり急傾斜ですが、全部で248段あるという階段を登ることができます。
 「月のピラミッド」と同様に斜面の中央部にある階段には手すりがついています。
 登ってみると、頂上からの眺めは月のピラミッドからの景観に劣らずなかなかのものでした。
 ・太陽のピラミッド頂上往復。Photo_4

 
 ・太陽のピラミッド頂上から。Img_9939c

  見学後、空路メリダに移動のため、夕食はお弁当。

 ■夜(21:55)メキシコシティ発、空路メリダ(マヤ遺跡の拠点/ユカタン州の州都)へ。

  (所要時間:約2時間)。深夜(23:50)メリダ着 就寝は午前1時頃になりました。

               (メリダ泊)

            -4日目、午前に続きます-

| | コメント (0)

マヤ文明とメキシコ7つの世界遺産を訪ねる旅(2015/2):3日目(午前)

 3日目:メキシコシティからメリダへ。
 本日は午後から、今回訪問予定7つの世界遺産のうち、5つ目の「テオティワカン遺跡」見学があります。

 (冗長な記事になっています。)

■朝、メキシコシティ発、
*まず先に、(既に昨日のフリータイム時間に見学済みですが、あらためて写真撮りのため)「独立記念塔」で写真ストップ。Photo

 
 その後、本日のメイン訪問・見学先の「国立人類学博物館」へ。
 開館時間午前9:00前には到着し、少し待機。Img_2359ht

 
●「国立人類学博物館」:
 広大な規模を誇る博物館です。メキシコ古代文明が集大成された展示内容について見学するだけでも数日かかるという。
 観光ツアーでの限られた時間に、ガイド氏の専門的な解説を聞きながら、ということになると、きわめて限定的な見学になります。
 多岐にわたる専門的な内容は、素養のない者には少々退屈でもあり、理解困難。
 ただし、この後の日程で現地訪問する遺跡の”学術的情報“は全て事前学習として講義されたことになって大変役立ちました。
 (なお、見学後、館内売店で日本語版の『メキシコ国立人類学博物館』書籍を購入しました。買っただけの気休めですが・・・。
 余談ながらかなりひどい落丁がありました。まあ気にしないことに。) 

※国立人類博物館入り口
 *大理石ファサードに浮き立つ紋章。
 サボテンの上に立ち大蛇を呑み込もうとする鷲を象ったもの。
 余談ながら紋章はコインにもデザインされています。801

 
 *大きな日陰を造る独立した屋根状オブジェを持つ博物館内部の中庭パティオ(スペイン様式の中庭)。
 ハスの花やパピルスの茂る池、その間に、内部に時計を備えて”トランペット”の音を奏でる金属製のカタツムリのモニュメントがあります。
 また画面奥に屋根を支える円柱があり、噴水の役割もする円形大噴水になっています。Photo_2

 
 そしてパティオをコの字型に取り囲むように2階建ての建物が配置されていて、1Fの考古学フロアには12室があり、2Fの民俗学フロアにある10室には現在に生きる先住民をそれぞれの部族単位で衣食住から宗教、文化まで総合的に展示、解説されています。R0085328

 今回の見学は所要時間の制約のためきわめて限定的で、詳細な解説を聞きながら見学したのは1Fの第10室マヤと第7室アステカだけになりました。
 まあ当然のことと思います。 
 他の第6室トルテカはソチカルコ遺跡展示を横目に見て(ソチカルコ遺跡のケツァルコアトル神殿は前日、先に見学済み)、
 第5室テオティワカンは(実物大に復元された巨大なケツァルコアトル神殿レプリカや月のピラミッドの前にあった雨神チャルティトゥリクエ像の巨大な実物など展示されている)本日の午後テオティワカン遺跡現地を訪問するので、ほとんど通過しただけに。

 
※マヤ文明室(第10室):
 ・マヤ文明の最高傑作とされるチチェンイツァ遺跡のピラミッド、戦士の神殿、天文台などの関係資料が展示されています。

 写真は順に
 *「パレンケ遺跡出土の「キン・太陽の神」、葬礼用テラコッタ製、彩色土器」Photo_3

 
 *「マヤの権力と社会階級の象徴であるジャガーの頭飾りを冠った妻から、”ジャガーの盾”を受け取る統治者のレリーフ」Img_7735thct

 
 *「正装(豪華な衣裳とケツァルの羽毛)して王笏『風の頭蓋』を持つ神官とその従者のレリーフ」Photo_4

 
 *「(マヤ室の庭に造られた)『マヤ古典期ホチョブ神殿・ファサード』の復元。中央入口が”雨神・チャク”の口になっている」Photo_5

 
 *何といっても”目玉”はマヤ室の地階にある、パレンケ遺跡で発掘された碑文の神殿の地下王墓が実物大の復元模型として展示されていること。
 王墓石棺の蓋のレリーフは「宇宙船を操縦するマヤの神」エピソードの絵柄が人気で、お土産用のレプリカもあります。Photo_6

 
 また、発見されたパレンケ遺跡王墓内から出土した多数の埋葬品も保管されていて、中でも
 *パカル王の翡翠の仮面が特に有名。Photo_7

 
 *頭部装飾を持つ若い貴族の化粧漆喰の人面像も。Img_2371

 
 *チェチェン・イツァの”金星の神殿”から発見された「チャック・モール像」には、お腹に、生け贄の心臓を捧げる丸い穴(皿)があります。供え物の生け贄心臓を神の元に運ぶ使者という。Photo_8

 
 *その他、「右端に碑文の神殿が写っているパレンケ遺跡の写真」なども含む、マヤ室展示物の一部。Photo_9

 
※アステカ文明室(第7室):
 中央部の広いフロアに配置されたこの博物館最大の見所です。
 *その中心は太陽の石(俗にアステカ/カレンダー)。Img_989236m

 
 ホールの左側にはアステカ人が崇拝した神々の石像があります。
 *「コアトリクエ」(については諸説があるようですがその一つ、)アステカ神話における大地の女神で、死の神でもあり、更にほかの神々を産む地球の大母神とされる。
 蛇の腰衣(スカート)を纏い、頭部を切り落とされた首から吹き出した二筋の血潮が蛇の形で頭部として現れていて、その首には、人間の手首4つと心臓2つを繋いで頭蓋骨を吊った「首飾り」をしている。
 そして手足には鉤爪があるという姿で(像前面)、また切られた頭は背の中ほどにぶら下がっている (像背面)という。
 よくは分からないものの何とも気味悪いこの石像は1790年にメキシコシティから発見されたもの。Photo_10

 
 *スペイン人エルナン・コルテスに征服される前のメキシコシティ、テノチティトランの復元模型、またテノチティトランの鳥瞰図には、かつてこの都市が湖に浮かぶ島だった頃の景色が描かれています。Photo_11

 
 *ほかにも、3万人もの人々が集まって賑わう市場の賑わいなどがジオラマで立体的に展示表現されています。Photo_12

 その、(現在のメキシコシティのソカロ(広場))周辺にはピラミッドが立ち並び、毎日生け贄の儀式が行われていたということで、ただ驚くばかり。  
 はじめてその様子を目にしたスペイン人には、血塗られたおどろおどろしい光景にしか見えなかったことでしょう。

 ここから冗長な長談義です。読み飛ばして下さい。

 *アステカ文明太陽の石/太陽信仰:
 幸いさほどの混雑もなくて、他の来館者の邪魔にならないところに座り込んで長い解説を聞きました。 
 直径3.6m、重量24トンという巨石。メキシコ考古学史上もっとも有名。
 マヤ文明の後を継いだアステカ文明が残したもの。
 スペイン軍侵入によるアステカ帝国崩壊、施設破壊後も「太陽の石」は放置されていたが、インディへナ(先住民)達が礼拝するのを見たメキシコ大司教の命令で地中に埋められてから行方不明に。
 そしてその後1,790年12月17日にメキシコシティのテンプロマヨール遺跡で再発見、発掘された。
石は当初メキシコシティの中央広場、大聖堂の外に1885年まで置かれていたが、その後、メキシコ国立人類学博物館に収蔵されて最も重要な位置を占めている遺物。
 「太陽の石」の右横に太陽の石の模写パネルがあり、英文の短い概要説明もつけられています。Photo_13

 
 その前に腰を下ろしてガイド氏の解説拝聴。
・アステカの太陽信仰(さわりだけです)。
 石の中心にあるのが現在の太陽(トナティウ:第五番目の太陽)で、舌(黒曜石のナイフ)を出しています。生贄の血が欲しいそうです。
 太陽(トナティウ)が夜沈み、翌朝出てきた時に活力が失われていると、宇宙の秩序が乱れて天変地異が起こるので、常に太陽に活力を与えるためは毎日、人間の(生贄)心臓:血を捧げることが必要であること。
 そしてその生贄に選ばれることは大変名誉なことであって、その対象には諸説あるが、選ばれた、あるいは進んで献げられた人間は、祭事まで非常に丁重に扱われたという。
 その周りに四角で囲まれた4つの顔がありますが、これは今まで滅んだ4つの太陽の顔だそうです。
 さらのその外周にはアステカの暦と宇宙起源論との関連を示す絵文字/記号が配置されていて「アステカの暦」とも呼ばれ、そのカレンダーには、地球誕生から現在、さらに未来の出来事が記されているという。  
 なお、余談ながら、その解読/解釈についてはバリエーションがあるようで、5番目の太陽が死んで世の中が滅ぶのは2012年と読み解いた(すでにハズレでしたが)オカルト風の解説など、好事家にとっては話題に事欠かないシロモノのようです。
 何時の世にあっても変わらないニンゲンの形而上、形而下学的脳内世界。

 
 (なお余談ですが、この”目玉”については当然博物館のショップに大小数種のレプリカのお土産があります。大きいものは結構重くて高価です。この後に訪問したテオティワカン遺跡のお土産店コーナーで、”安物”ですが、自分用に直径24cmほど、板厚は7mmほどのストーンレジン製(と思われる)で、裏側に英文の解説(といってもごく簡単ですが)プリントが貼り付けられている、壁掛け用のレプリカを買いました。
 残り少ない人生を太陽信仰に捧げる、・・ことは出来ませんが。)2

 
 【冗長な蛇足】 
 解説パネルに簡潔な英文の説明表示もありました。 
 単純な暇つぶしに、帰宅後その英文を読んでみました。
 それまで聞いて勝手にイメージしていたものとは少し違うように思いましたので、くどいですが原文(,英文)と勝手に訳した(内容についての責任は一切持てない)ものを以下に記載。

 ●原文:
 Stone of the Sun

 The one sculpture which identifies the Mexicas above all others is the Stone of the Sun, discovered in December, 1790, in the Plaza Mayor of the capital of New Spain.
 Because of its symbolic content, with the names of the days and the cosmogonic suns, it was incorrectly identified as the Aztec Calendar.

 This is a large gladiatorial sacrificial altar, known as a temalacatl, which was not finished because of a deep crack that runs from one side to the center of the piece at the rear. Despite the fracture, it must have been used to stage the fights between warriors in the tlacaxipehualiztli ceremony.

 In the design of the disk, the face of Xiuhtecuhtli - emerging from the earth hole, holding a pair of human hearts and showing his tongue transformed in a sacrificial knife - can be recognized; he is surrounded by the four suns that preceded the Fifth Sun, in turn inscribed in the sequence of the 20 day signs. framed with the figure of the Sun with its four beams symmetrically accompanied by sacrificial sharp points. The star is surrounded by two Xiuhcoatl or "Fire serpents", which carry it across the heavens. 

 太陽の石
 1970年12月、他の何物よりもアステカ文明(Mexicas)を象徴する1個の石像彫刻「太陽の石」が新スペインの首都(現メキシコシティ)のマイヨール広場から発見された。
 宇宙起源論・創世神話(cosmogonic)を象徴する太陽と、日にちを表すシンボル彫刻が含まれていたため、石は当初、「アステカの暦(カレンダー)」として間違えて(incorrectly)判定(同定)された。

―――――――――――――――――――――

 これ(太陽の石)は大規模な犠牲祭壇(sacrificial altar*)で行われる戦争捕虜の戦士を生け贄にする時の石の円盤(temalacat**)として知られているものの1つ。
 ただ、石の片側から裏側の中央まで深い亀裂があるために(石の円盤としては)未完成だ。
 しかし未完成にもかかわらず、戦争捕虜の戦士間の戦いを上演し、その後犠牲祭壇で生け贄にする戦士の首切りを行うアステカの宗教儀式(tlacaxipehualiztli ceremony***)のために使用する必要があったのだ。

―――――――――――――――――――――

 石盤のデザインで、アステカの火の神(Xiuhtecuhtli****)(真ん中にある現在の時代を示す第5の太陽像トナティウ)の顔は-彼は地球の(中心アステカの地下の)穴から出てくるのだが-鷲の爪につかまれた左右2つの(生け贄の)心臓を持ち、また生け贄の血を求める黒曜石のナイフに変化した舌を出していることが見て取れる;彼は先述の第5番目の太陽だが、周囲を4つの太陽に囲まれている。
 合わせて5つの太陽のすぐ外側の輪には、アステカ暦ひと月20日の、それぞれの日のシンボルが表されている。
 その20日のシンボルの輪はシンメトリカル(対称的)に配置された4本の太陽光線と、(生け贄の胸を切り開く)先が鋭く尖った犠牲ナイフとで囲まれている。 
 一番外側の輪-(の上中央には“太陽の誕生を表す”「数13アカトル」のシンボルがあり、そこから2匹の蛇が円周に沿って下に降りていて、輪の下部で2匹の蛇は、顔を見合わせている)-の星々は、それらを、天空を横断して運ぶ2匹のシウコアトル(Xiuhcoatl *****)または”火の蛇“に囲まれている。
 【補足:火の蛇は背に12個の炎をつけていて、その炎は同時に12の星座を表現している、という】

------------------------------------------
*sacrificial altarアステカ独特の「犠牲祭壇」
** Temalacatl(ナワトル語): 「石の円盤」の意。 アステカの重要な祭礼儀式の際に、犠牲祭壇(sacrificial alter)で行われる戦争捕虜の生け贄戦士を、白いロープで結びつけるために中央に穴が開けられた石の円盤で、戦争や捕虜を掴まえる場面など多くのデザイン彫刻が施されたホイールのこと。
*** tlacaxipehualiztli ceremony.: 戦争捕虜戦士の間での戦いを上演し、その後、犠牲祭壇で戦士の生け贄の首切りを行うアステカの宗教儀式。
**** Xiuhtecuhtli(ナワトル語): すべての生命の創造者であるアステカの火の神。地球の(中心アステカの地下の)穴から(地球を通過して)天に昇り、すべての生命の創造、再生を司る。
***** Xiuhcoatl (ナワトル語)or "Fire serpents": アステカ宗教の神話の蛇、または火の蛇神 ――――――――――――――――――

 
 その他アステカ室展示物など。
 *アステカ室中央にあるクアウシリカという生け贄の心臓を入れるのに使われたジャガーの姿の容器。Img_2380ht

 
 *円筒形のティソクの石碑。暦として使っていた。
 周囲に施されたレリーフには、敵対する他民族の神の髪の毛を掴み捕らえようとするアステカの神の凱旋が描かれている。
 捕虜は生贄にするという。Photo_14

 
 *その他など。Photo_15

 
 *第9室は入り口からのぞいただけ。通過する際に見えたのがオルメカ文明の玄武岩製・巨石人頭像。9img_7748ht

 
 人類学博物館の見学を終えて、次のグァダルーペ寺院見学へ。
※グァダルーペ寺院:
 グァダルーペ寺院の旧聖堂は、レフォルマ通りの北東の終点に位置しています。  
 まず寺院周辺の風景を観察しながらガイド氏の解説に耳を傾けます。
 ここグァダルーペ寺院は、スペイン軍の侵入以前から神殿のあったテペヤックの丘を占拠する広大なカトリック寺院で、メキシコ国民の精神的な支えであるグァダルーペの聖母が祀られています。
 この聖母は黒い髪と褐色の肌を持つという、カトリックの聖母としては異色の存在。
 特に貧しい先住民の人々からは圧倒的な信頼を得ているという。
 絶大な信仰のもとは、この聖母にまつわる“奇跡“。
 その奇跡伝説の物語をうかがいましたが、奇跡を信じる能力もなければ、霊感もない鈍感な輩には理解困難な世界ではありました。
 (*グァダルーペの聖母は、伝説によれば1531年に、先住民フアン・ディエゴのマントに現れた聖母マリアだという。それが「奇跡のマント」、この奇跡が「グァダルーペの奇跡」と呼ばれるもので、ローマ・カトリック教会が認める三大奇跡の一つという。
 この奇跡のマントがグァダルーペの新聖堂に飾られているのです。) 
 実際に、膝行参拝といって、特別な願いをかけるひたむきな信者が、広い石畳の境内をずっと堂内の祭壇まで、着衣もすり切れて血のにじむ膝の傷みに耐えながら、また健常者に支えられながら懸命ににじり寄り進む姿を目の当たりにして、もちろんカメラを向けたりしませんが、当方などまったく持って場違いなところに来てしまったと感じたことでした。

●写真:
 寺院裏側の見える小高い丘は”奇跡“があったというテペヤックの丘で、麓から飾り階段が続いていて、頂上には礼拝堂が建っています。
 寺院周辺広場からは、あいにく遠景は霞んではいましたが、雪を頂いた高山や、メキシコ最高峰の富士山型をしたポポカテペトル(標高5,426m、現在も噴火中の活火山)も確認できました。
 また、広場正面に向かって建つのが゙、1709年建設の旧聖堂ですが、地盤沈下のために傾き、前と後半部が離れてしまったそうで、変わって1976年に建設されたのが隣の新聖堂です。
 約2万人が収容できるということで、随時ミサが行われているということでした。
 この新聖堂中央祭壇に、額に入った『奇跡のマントに現れた褐色の聖母マリア像』が飾られていて、多くの参拝者(異端・異邦人の私も含めて)が額の前で足を止めて見入ってしまうため、展示の前には往復する動く歩道が設置されていました。
 動く歩道から望遠レンズで拝顔させて頂いた褐色の聖母マリア様です。
 どうぞ罰だけは頂かないようにと、そっと静かに退出しました。Photo_16

(→3日目午後、世界遺産⑤【テオティワカン遺跡】続きます。)
            

 

| | コメント (0)

2015年2月17日 (火)

マヤ文明とメキシコ7つの世界遺産を訪ねる旅(2015/2): 2日目

 前回記事の続きです。冗長です。訪問予定の7つの世界遺産のうち、4つ目までの記録。

2日目:メキシコシティ見学
 メキシコには67の文化圏があり、建築物、絵画、など特徴的な1,300を越える遺跡が存在するという重層的な歴史を有する国家です。
 (以下、画像はクリックで拡大します。)

■早朝、ホテルの窓から。
 マキバブラシノキや、見頃の時期で、どこでも目にするジャカランダの花がきれいでした。Photo

 
■朝8:00発バスで。
 まずはじめに
 ●世界遺産②【メキシコ国立自治大学】へ。 
 ここでは1910~1940年頃の革命時代に連動した「メキシコ壁画運動」の影響を受けた『壁画の三大巨匠』アルファロ・シケイロス;ディエゴ・リベラ;そしてフアン・オルゴマン(モザイク画)制作の多数の壁画群中でも著名な、世界最大壁画作品が見学できます。

 バスを下りるとすぐに、既に学園都市「メキシコ国立自治大学」キャンパスの一部であるサッカー競技場(メキシコ五輪の時にメイン会場として建設された「Estadio Olmpico Universitario」競技場。約7万5千人収容出来るとのこと。) を目前にします。
 スタジアム入り口壁面にはディエゴ・リベラの巨大な作品が描かれています。
 写真撮りのみで前を通り過ぎて、地下道をくぐると「メキシコ国立自治大学」中核域へ。
 ほどなく敷地の奥に建つメキシコ国立自治大学(UNAM)とその紋章の本館高層ビル(学長塔(the Rectorate Tower)が目に入ります。
 そこからすぐに、手入れの行き届いた広い芝生地にある本館に到着。
 建物にはアルファロ・シケイロスの作品『民衆から大学へ、大学から民衆へ』というタイトルの立体的な壁画が描かれています。
 なお遠目には分かりませんが、モザイク画です。
 そこから、少し奥の北側に壁画で覆われた中央図書館が見えます。
 少し歩くだけで、フアン・オルゴマン製作による世界最大規模といわれる有名な壁画を目にしてあらためて驚嘆することになります。
 建物の四壁面は、各面の「テーマ」毎に描かれていて、まず目にするのは東側で、太陽と月、天使と悪魔、天動説と地動説、政治を象徴する巨大な壁画です。Blg

 
 北側(下の写真)はアステカ文明を描き、(西側はUNAM校章などを中心として学生達の役割を象徴表現、そして南側はスペイン植民地時代の圧政を表わしたもので、今回ブログには西と南の写真はありませんが)、それらは全てモザイク画で製作された壁画で、その偉容は見るものを圧倒します。
 (なお遠目にはほとんど分かりませんが、壁画はメキシコの自然石を使ったモザイク画で制作されていて、望遠マクロで見ると、確かに「モザイク画」であることが確認できました。)
 余談ながら北側に咲いていた赤い花とその赤い豆果が気になって、ガイド氏に聞くと「コロリン(Colorin、学名は、Erythrina americana)」という名前の樹木で、あちらこちらで目にしました。沖縄に咲くデイゴの仲間のようです。
 他にも本館や校舎の方々に絵があります。
 本館建物には、鷲とコンドルが描かれ、ラテンアメリカの結束を訴える壁画「大学の新しいシンボル」が設置されています。
 また本館棟横にもシケイロスの「手と鉛筆」の壁画があり、壁画の左隅には年代の数字が書かれていました。
 当該年はいずれもメキシコの歴史上、重要な出来事が起こった年です。2

 ◎ガイド氏の説明です。
 ・1520:アステカ帝国滅亡の前年。アステカはスペイン人コルテスによって1521年に滅ぼされました。
 ・1810:スペインの支配に対するメキシコ独立戦争が始まる。
 ・1857:自由主義憲法制定、イグナシオ・コモンフォルトが就任。  
 ・1910:メキシコ革命、始まる。  
 ・19??何を期待していたのか。書き込まれることはなかったようです。

 
 見学を終えた後、バスでメキシコシティから75km南に位置するクエルナバカへ。
 そこはブーゲンビリアの花が一年中咲き乱れる平均気温20℃の「常春の街」。
 現在は富裕層が週末を過ごす別荘地にもなっています。

クエルナバカ着後:
●世界遺産③【ポポカテペトル《標高5,426m富士山形で、現在も噴火中の活火山》山腹にある修道院群(14ヵ所)】のひとつ、クエルナバカ歴史地区の中心に建つ「カテドラル」(「フランシスコ会修道院(長崎の二十六聖人で有名)」)と併設の「修道院」を見学。

 ★クエルナバカ概略史:
  紀元前5世紀頃から栄えた多様な神々を崇拝したマヤ文明、それを継承発展させた最後の古代文明とも称されるアステカ帝国の伝統的文化文明は、スペイン軍による征服後、スペインからの宣教師によってキリスト教が布教され、アステカの「戦士の心臓を太陽神に捧げる」という生け贄の伝統的儀式は、キリスト教的倫理・価値観からすれば蛮行そのものとして直ちに排斥されました。
 また神殿や寺院なども徹底的に破壊され、急速な植民地化が進められて終焉を迎えました。
 そうしてスペインの植民地になってから間もなく、エルナン・コルテスがクエルナバカの町の中心部に館(コルテス宮殿)を構え、1529年にはコルテスの命令でカテドラルなどが建造されてクエルナバカは典型的なコロニアル都市として発展していきました。
 (なお郊外の小高い丘の上にはこの後訪問するソチカルコ遺跡もあります。)

 ・まずピンクの建物はテルセラ・オルデン教会。素通りです。
 ・庭園のような敷地の奥にカテドラルが建っています。
 カテドラル入り口の上部には、十字架の下に髑髏マークが置かれています。
 十字架が上にあるのは、死を超越する意味という。
 このカテドラルは、アメリカ大陸最古の教会の一つで、中心施設である聖堂の内壁には殉教壁画や、豊臣秀吉によって処刑された外国人宣教師と日本人カトリック教徒(日本二十六聖人)を題材にした殉教壁画も描かれています。
 その壁画最上部には[Empeerador Taycosama~(~のために皇帝太閤様が殉教を命じ)と書かれた文字が読み取れました。
 (なおこの日本二十六聖人殉教壁画は長崎の西坂公園にある聖人記念館にも飾られているそうです。)2250

 ・俗人雑念・・・:
 ともあれ、信仰心が薄いか無い、凡俗の輩にとっては無縁の世界ですが、異教に寛容な時もあれば、異教(徒)を弾圧排斥したり、また、されたりと、信仰/宗教世界は何時の時代にもヘゲモニーを競い合うものなのでしょうか。
 700万年の時空を越えて、ヒトがサルから分かれて進化する過程で大脳を発達させ、それに伴って”超越者”を意識するようになり、宗教(心)も生まれたのでしょう。

 ・ 神はしも人を創りき神をしも創りしといふ人を創りき
 ・ 人はしも神を創りき人をしも創りしといふ神を創りき
         香川ヒサ 『fabrica ファブリカ』 (平成8、本阿弥書店):
       (『現代秀歌』 永田和宏 2014/12岩波書店から孫引き)

 幼名日吉丸、あだ名はサル、長じて”太閤様”も、異教徒を弾圧したのです。

 
■見学を終えてクエルナバカ市内での昼食に向かいます。
 ブーゲンビリアの花咲く常春の市街地や、食後に眺めた中心街にあるカテドラルなどの風景もきれいでした。Blg_2

 
■午後:
 昼食後、クエルナバカから35kmほど離れた郊外の小高い丘の上に残る世界遺産④【ソチカルコ遺跡】(1999年文化遺産登録)へ向かいました。
 ここソチカルコ(古典期後半から後古典期初頭(AC700~900の200年間に繁栄))は丘の頂上部にもっとも古 い城市の廃城があり、周囲は防御用と思われる石垣によって幾重にも取り囲まれていて、戦闘的、要塞的性格が 強いことで知られた遺跡です。
 (余談ですが、遺跡には併設の博物館がありますが距離的には少し離れていて立ち寄りません。)Ge

 
 ・遺跡遠望。遺跡入り口の世界遺産標識から南に道路を200mほど辿ると石碑の広場①になります。
 石碑の広場を一周します。
 石碑の広場の中央には、絵文字が記された石碑が立ち、北にはソチカルコ最大の建築物である大ピラミッド②が聳えています。
 また東と西には神殿があります。 
 ガイド氏から遺跡の修復前後の対比など状況解説を聞きながら広場周辺を巡りました。
 広場の西南方向には南の球戯場⑦が眺められ、更にその彼方にロデオ湖も遠望できました。
 一巡後、修復の進んだ大ピラミッド②を眺めながら、その横を北に向かって階段を上って行きます。Photo_2

 
 ・途上に咲くコウシュンカズラの黄色い花など愛でながら、しばらくで、東の球戯場ゾーン③に着きます。
 東の球戯場コートの入り口には球戯場に下るかなりの勾配の斜路があります。
 (進入/通行出来ませんでした。)
 その入り口に、球戯場施設の解説・案内板があります。
 球戯場は東の他に西および南、計3ヵ所あること、また当時球戯は単なる娯楽競技ではなく、神聖な宗教行事のひとつであり、競技に赴く者は、その前に蒸気風呂で身を清めて試合に臨むことになっていました。(その蒸気風呂遺跡もあります。)
 競技者は、手を使わず、ゴール石(直径30cm程の穴の開いた石)の穴にボ-ルを入れ勝敗を競い、穴にゴムボール通した者が勝者になること。
 そして更になんと、”勝者”には、名誉の斬首!があったこと、また心臓は取り出されて太陽神にささげられた、生け贄になる名誉が与えられたという。(ただしこれには”敗者”が生け贄にされたという異説もあるそうです。)
 また競技場に下る斜路には各種の紋様(紋章)が浮き彫りにされた石盤“タイル”が敷き詰められていたそうです。
 判然とはしませんが、紋様の絵合わせしてみました。
 見学はこれまでで、下(球戯場)には降りません。1

 更に北へ向かいます。

 
 ・途上の周辺遺跡や道筋に咲くモミザなども眺めながら、西の球戯場④まで辿ります。
 着後、西の球戯場の上段からコート、ゴール石その他施設など見下ろすところで、とりあえず写真撮影ストップだけにとどめます。
 (ここは、後の残りの遺跡も全て見学した帰りに立ち寄り、通過しました。)2_2

 
 ・次は、進行方向としては少し戻るようになりますが、中央広場⑤に向かいます。
 ここは石碑の広場より少し広く、 また遺跡の中で一番高い位置にあり、西にアクロポリス、東に住居、南に3つの石碑の神殿が配置されています。
 周辺風景の写真を撮ってから、真ん中付近の「羽毛ある蛇」のケツァルコアトルのピラミッド(神殿)へ。
 神殿周囲の基壇全面に施さている、大きく口を開けた蛇のレリーフは、マヤ人にとって、「ククルカン」(羽毛の蛇:羽を持つ蛇)と呼ばれる神で、未開のマヤ人を文明化に導いた神的存在の人物の象徴ということです。
 神殿正面の階段を上って内側を覗くと、壁の内側に仕切りされた空間があり、ここで儀式など行われていたのではないかと推測されています。
 また、神殿には場所の名前、宗教行事、天文学、戦術などについて描かれたマヤ文字があり、ケツアルコアトル(蛇)の間に座ったマヤの神官や、蛇の上に乗ったマヤ神官の像も彫られていて、マヤとソチカルコの強いつながりがうかがわれました。Photo_3

 見学後、天文観測所遺跡へ向かいます。

 
 ・観測所は中央広場 北側から1段下にさがった段の、離れた場所にある小さな洞窟です。
 洞窟入り口に案内板があります。
 観測所は洞窟の天井穴から差し込む光を観測する洞窟構造です。
 洞窟内部は暗くて足元不如意ですが、20mほど進むと、一条の光が差し込む場所に出ます。
 (なお足元まで直線的に光が差し込むのはおよそ4月中旬から8月初旬くらいまで、ということです。)、
 訪問時には洞窟天井の吹き抜け穴の明かりが見えた程度で周囲は間接的にうっすら明るい、という感じでした。
 古代人はこの洞窟に入る光から、春分と秋分の日を割り出し、効率的な営農に役立てていたのだそうです。
 余談ながら遺跡の石組みの上では大きなイグアナが日光浴をする姿もありました。Photo_4

 
 ・見学後、同じレベルの段になっている西の球戯場のコートを通り、ゴール石も目の当たりにしながら出発地点に戻りました。Img_7718c

 
■観光後、メキシコシティへ戻ります。
 (所要時間:約2時間30分)
 メキシコを代表する楽団の様式であるマリアッチ(2011年、ユネスコの無形文化遺産に登録)によるメキシコ音楽を聞きながら夕食。Photo_5

          (メキシコシティ泊)

        3日目(午前)に続きます

| | コメント (0)

2015年2月16日 (月)

マヤ文明とメキシコ7つの世界遺産を訪ねる旅(2015/2):その①

※マヤ文明とメキシコ世界遺産の旅:2月中旬の9日間

前置き:
 以下は、お仕着せ観光ツアーに参加した個人の、何の変哲もない備忘用メモですので、読み飛ばして下さい。

Ⅰ)古代から世界に冠たる先進的な文明/文化とともに成立、発展した都市の多くは、現在著名な古都として世界遺産に名を連ねていますが、それ らは洋の東西を問わず強烈な指導力を持った専制・独裁者の手によって築き上げられていることが多いものです。 
 また近世においても、例えばラテンアメリカは過去500年の長きにわたって先進的な強者の外国によって開発=収奪された歴史の上に現在があります。
 (『収奪された大地-ラテンアメリカ500年』エドゥアルド ガレアーノ、 大久保 光夫訳、1991/11/25、藤原書店)
 さらに世界には、歴史結果の必然として民族問題、宗教問題という今なお解決困難な課題も有れば、過去の歴史は歴史としてとらわれず、未来志向で、という世界もあります。
 ともあれ、今回も単なる観光旅行で眺める世界は、上記の視点からは別次元、という割り切りです。

Ⅱ)人類社会の歴史は世界の様々な場所でそれぞれに異なった発展を遂げてきたことはよく知られたことです。
 そして、教科書で習った世界四大文明とは、人類の文明史の歴史観のひとつで、歴史上、4つの大文明が最初に起こり、以降の文明はこの流れを汲むとする仮説です。
 それらは、
 ①メソポタミア文明(チグリス・ユーフラテス川流域)
 ②エジプト文明(ナイル川流域)
 ③インダス文明(インダス川流域)
 ④(中国)黄河文明(黄河・長江流域)といずれも大河流域で栄えた文明を指します。
 また一方、それらと時代背景や、地勢学的には(近くに川がないなど条件が)異なる場所に成立した、中央アメリカのマヤ/アステカ文明、南米アンデスのインカ文明など、南北アメリカ大陸で成立した文明がありますが、これらは含まれていません。 
 それはともかくとして、現在、それらの文明成立の歴史の差異によって、世界の富や権力は、それを手にして支配する人々と、そうではない人々が存在するという不均衡な形で分配されるという結果を生んでいます。
 人類社会の歴史はなぜこのように、それぞれの大陸/地域によって大きく異なる経路をたどって発展したのでしょうか。
 まあ、世俗の凡人にはおよそ関係のない話ではあります。
 単純に観光旅行の世界に戻ります。
 現在、メキシコには27の文化遺産と、4つの自然遺産、そして1つの複合遺産(合計32ヵ所)の世界遺産があります。
 今回は、その内7つの世界遺産を訪ねる観光ツアー参加記録です。
 訪問先の中に古代マヤ文明遺跡群チチェンイッツァが含まれています。
 つとに有名なこの遺跡は、展覧会や記録映像などで繰り返し見ていて、一応知っているつもりになってはいるものの、やはり一度は実際に見てみたい、というのが単純な動機。
 
 素養もないため、あらためて世界遺産として周知の中南米の文明「マヤ」「アステカ」そして「インカ」について、いくつかの資料を斜め読みして(もちろん多数の学説/諸説があり、門外漢にはその是非は分かりようがありませんが)、読み間違いも含めて概略以下のように理解しましたが、あくまでも自分用のメモです。
 
●マヤ文明:
 中米ユカタン半島(グァテマラ、ベリーズ、ホンジュラス)に紀元前から色々な足跡が残されていますが、文明と言えるレベルのものは古典期と呼ばれる紀元300年~900年、
 そして後古典期と呼ばれる900年~1500年代で、その内マヤ文明としてもっとも繁栄・発展した時期は古典期後期と呼ばれる紀元600年~900年という。
 マヤ文明といえば生贄の話がつきものですが、この習慣が始まったのは、紀元900年頃から始まる後古典期の前期からと言われているようです。
 またマヤ文明は9世紀頃から崩壊がはじまり、後古典期の後期と呼ばれる紀元1200年以降には衰退、やがて消滅してしまう。
 その原因は謎に包まれたままのようですが、諸説あり、異常気象による長期干ばつ説もその一つという。
 特徴として【鉄器は持たない、神殿やピラミッドの建設、二十進法による表記、精密な暦法、神聖文字(ヒエログリフ)/マヤ文字を持つ】こと。  
 中でも特筆されるのは、樹海にひそむ高度な古代文明都市として栄えたチチェンイッツァ。
 春分の日と秋分の日に太陽の光によってククルカンの神殿の階段上につくりだされる影が、あたかもヘビが石段をスルスルと這うように下りてくるような光景(ククルカンの降臨)は、TVドキュメントなどでもよく放映されていますが、現代でもなお新鮮な驚きを持って迎えられるシーンです。(今回のツアー日程ではもちろん見られませんが)
 参考までに、マヤ文明が栄えた6世紀の日本には仏教が伝来し、また7世紀初頭にはイスラム教が開かれた時代です。

●アステカ文明:
 中米メキシコあたりで発展、時代は12世紀~1521、マヤの後に栄えた文明。
 特徴として【都はテノチティトラン、ピラミッド型の神殿、チナンパと呼ばれる独特の農耕、そしてアステカ文字をもつ】こと。
 1521年、スペインからの侵入者コルテスによってアステカ帝国はあっけなく滅ぼされました。
 この頃の日本は鎌倉時代から室町時代の終わり、そして戦国時代の幕開けへ、という時代です。
 日本が攻められていたら、どうなっていたでしょうか。

●インカ文明:
 南米の地ペルー、チリ、ボリビア、アルゼンチンあたりに発展、時代は12世紀頃~1533年。
 特徴として【都はクスコ。文字は持たないが、キープという、ひもの結び目による伝達手段をもつ、道路網が発達していた】こと。
 1533年スペインからの侵入者ピサロによってインカ帝国も滅ぼされました。  
 世界的に人気の観光名所として、世界遺産マチュピチュ遺跡が有名。
 上記3つの文明について、中米(カリブ海側)の文明「マヤ」は「生贄」、「アステカ」は「黄金」、そして南米(太平洋側)の文明「インカ」は「太陽信仰」、というイメージが短絡的に浮かびます。
 マヤ遺跡のほとんどは低地にあり、湿地帯を利用したトウモロコシの浮田農法や文字はマヤ文明の遺産でした。
 そしてマヤが衰退して去ったあと、現在のメキシコあたりに台頭して、その遺跡を再利用したのがアステカ人によるアステカ文明です。
 その文明も、16世紀に侵入してきた外国人によって征服され終焉を迎えてしまいました。  
 また一方、インカは地域的にはかけ離れた南米に成立し、現在のペルーを中心としたアンデス山脈に栄えた文明で、非常に高い山の上の都市が特徴的でした。  
 しかしインカもまた、その後国土が内乱状態にあった時に侵入してきた外国人に虚を突かれて王が捕えられ殺されて、こちらも滅ぼされています。 
 なお、中米に存在した文明はマヤとアステカだけではなく、同様に南米に存在した文明もインカだけではありませんが、強者であった外国の侵入によって征服/滅ぼされた弱者の「最後の時代の文明」としてアステカとインカが目立つのでしょうか。  
 歴史の混迷・混沌に翻弄されながら到達した現代。人間同士が滅ぼしたり、滅ぼされたりした過去の歴史の教訓から、あらためて自分の足元と、世界地図を見直してみることは、常に大切なことでしょう。

 ともあれ、今回の旅はマヤ/アステカ文明遺跡・遺産、その他の、単純な「見て歩き」です。

※概要マップ Blg

 
旅行 (予定) 日程
 ■1日目:成田発、空路→メキシコシティ(メキシコ首都)へ ●世界遺産①【メキシコシティ歴史地区】観光。(メキシコシティ(2連)泊)
 ■2日目: ●世界遺産②【ソチカルコ遺跡】「ケツァルコアトル神殿」見学: ●世界遺産③【ポポカテペトル山腹の修道院群】「フランシスコ会修道院」。 ●世界遺産④【メキシコ国立自治大学】見学。(メキシコシティ泊)
 ■3日目:●世界遺産⑤【テオティワカン遺跡】、「国立人類学博物館」見学。 (メリダ泊)
 ■4日目:●メルカド市場見学、●世界遺産⑥マヤ遺跡【ウシュマル遺跡】と 【カバー遺跡】見学、●マヤ人の一般家庭を訪問、●メリダ市内でソカロ、野口 英世の像、州庁舎の壁画ギャラリーなどを見学。(チチェンイッツァ泊)
 ■5日目:●世界遺産⑦【チチェンイッツァ遺跡(マヤ文明の最高傑作)】観光 ●「神秘の泉・セノーテ」見学。途中ドルフィンビーチ立ち寄り)(カンクン泊)
 ■6日目:●終日カンクン。オプション「トゥルム遺跡半日観光」へ(カンクン泊)
 ■7日目:午前、出発時間まで自由時間。午後カンクン発、空路、メキシコシティ、 モンテレイ経由で帰国の途へ。(機中泊)
 ■8日目:モンテレイで機内待機後~日付変更線通過~成田へ(機中泊)
 ■9日目:朝、成田着、帰宅。

 以上が長広舌の前置きでした。

****************************************

 ここから、日記です。(余談ながらご多分にもれず、実際の日程/内容は、上記予定から変更された記録もあります。)

旅日記:
1日目:成田からメキシコシティへ。
■成田発(午後15時頃)空路→メキシコシティ(メキシコ首都)へ
  (アエロメヒコ航空直行便:所要時間は約13時間)  ~日付変更線通過~メキシコシティ着(14時頃)

■着後、空港からバスで世界遺産①【メキシコシティ歴史地区】観光へ。 
 メキシコシティは標高2,240mで気候は温暖。 
 現在のメキシコシティは、12世紀からアステカ族がテスココ湖上の小島に築いて栄えていたアステカ王国の首部テノチティトランが、16世紀前半(1521年)にスペイン人エルナン・コルテスによって征服破壊され、その廃墟が埋め立てられた上に、スペイン人によって建設された都市。
 1913年、ソカロ付近で工事中にアステカ神殿の基底部や蛇の頭の彫刻が発掘され、ここがアステカ帝国最後の最大都市、テノチティトランの中心にあった大神殿跡であることが証明されました。
 要するに「アステカ遺跡」の上にある首都なのです。
 かつての大神殿はカテドラルやソカロ(広場)に変貌し、その他にも埋没した遺跡が各所にあり、そのため「掘れば遺跡が出る]といわれるように、現在も発掘作業が続いています。
 市街はソカロを取り囲むように、大統領府と大蔵省が入った国立宮殿、最高裁判所、などの官公庁と、アメリカ大陸で最大規模のメトロポリタンカテドラルなど、周辺には植民地時代の建造物が密集しています。
 (以下の画像はすべてクリックで拡大します。)
 
※市街中心部(Googleから):Blg

 なお余談ながら、周辺一帯が湖を埋め立てて造られた軟弱地盤のため、現在も道路や歴史的建造物も含めて建造物のゆがみ、傾きなどが収まらないという。

 
※地盤沈下のため眼で見てはっきり分かるほどに揺らぎ、ゆがむ建造物や道路。
 .本当に大丈夫?Img_7645ht_1

 地震大国日本のセンスではフラストレーションが溜まりそうな話と現実でした。

 
 ともあれ、ガイドさんの説明をききながら、
※国旗たなびく ソカロ(広場):Photo

 
※国営質店(宝石、貴金属など扱っているそうですが、買い物は素人には難しそう):Img_2234cmonte_de_piedad

 
※国立宮殿:Img_2241c

 
※最高裁判所(画面奥中央):Img_7638c

 
※ラテンアメリカ最大の規模を持つメトロポリタン大聖堂&隣接するアスンシオン礼拝堂正面(ファサード)見学入場:
 国立宮殿と同様に、アステカ神殿跡に建造されたもの。破壊した神殿の石材を使用して建造されたという。Blgs

Blgmg_2256hct

 
※さらにカテドラルの裏に残るアステカの神殿跡「テンプロマイヨール遺跡」見学。
 テノチティトランの中央神殿跡です。傍らにはメキシコ国立人類学歴史研究所とテンプロマイヨール博物館があります。
 高さ45mを誇った巨大な建造物は、7層も積層されて築かれた遺構であることが分かるよう発掘が進められていました。
 また近くの広場路上には透明強化ガラス板が埋め込まれていて、そこからは、埋め立てられて現在は地下になってしまっている、階段遺構がみえるところもありました。Photo_2

 
 一連の見学を終えて宿泊ホテルへ向かうバスの車窓から:
※(アステカ、植民地時代、そして現代の3文化が一堂に会する)「三文化広場」、
 また、各種の銅像(画像下左コロンブス、右クアウテモック記念像(アステカ帝国最後の皇帝)や独立記念碑(画像下2枚目)が立ち並ぶ大通りレフォルマなどの風景を眺めながら宿泊ホテルへ。36m

 
※市内随所にちょうど花期を迎えた紫の花ジャカランダが咲きみだれ、ホテル前の路上には小柄で”うろこ模様”が特徴の「インカ鳩」がウロウロ(写真ピンぼけ)。Photo_3

 余談1:
 メキシコはビールの種類も豊富で、食事の際は、たいていどこに行っても6種類ほどの銘柄が出てきます。

■夕食までの自由時間に、(途上バスの車窓から見えたすぐ近くの、独立記念塔(1910年建造、高さ36mのコリント様式の塔。頂上には天使像が飾られている)など市内散歩・見学にも。
(→なお、独立記念塔には、3日目朝、メキシコシティ出発時に再度立ちより下車、見学しました。) 

★余談2:
   現地日本語ガイド氏との雑談の中で:
 クリストファー・コロンブスは1492年「新大陸」を「発見」した世界史上の“偉人“の一人として習ったものでした。
 (この頃日本では北条早雲が八丈島を探検させていましたが。)
 その実は、スペインのイサベラ女王の援助を得て、1492年に現在のバハマ諸島の一角サン・サルバドル島に上陸、「西欧人による新大陸発見」を成し遂げ、さらに4次に渡る航海でカリブ海一帯を探検、中米および南米大陸をのぞむところまで到達しました。
 発見した「新大陸」は、発見前から独自の高い文明を持つ民族が住んでいたのですが、彼は自分が到達した場所はインドであると最後まで信じ続けていたそうです。
 これを機にやがてアステカ帝国の歴史文化文明も失われていく運命をたどりました。
 コロンブスによって発見された「新大陸当事者の末裔」の人々にとって、彼に対する評価・感情は”偉人”とはほど遠いものです、というガイド氏の話しは無理からぬことと思ったことでした。      
                (メキシコシティ(2連)泊)
 
             次ページ2日目に続きます。

| | コメント (0)

2015年2月14日 (土)

冬芽と葉痕・維管束痕:クサギ/センダン/フジ/ネジキ

◎お知らせ:
 

 2/15~2/24まで、ブログは休みました。
 

_________________________

 (続4)冬芽と葉痕・維管束痕

クサギ(クマツヅラ科クサギ属):
 ・冬芽(頂芽)は水滴形。裸芽で暗赤紫色の毛が密生。
 ・葉痕は半円形~ハート形で隆起。
 ・維管束痕は7~9個がU字形に並ぶ。Photo

 
センダン(センダン科センダン属):
 ・冬芽はややつぶれた球形で星状毛が密生。
 ・葉痕は大きなT字形で隆起。
 ・維管束痕3個。葉痕と合わせて動物の顔に見える。Photo_2

 
フジ(マメ科ヒジ属):
 ・冬芽の基部は両横に膨らむ。
 ・葉痕は楕円形。
 ・維管束痕はやや不明瞭な5個。葉痕と合わせて顔にも見える。Photo_3

 
●ネジキ(ツツジ科ネジキ属):
 ・一年枝の細い枝は赤色で艶があってきれい。
 ・冬芽は水滴形で赤色の艶のある2枚の芽鱗に包まれる。
 ・葉痕は半円形。
 ・維管束痕は弧状の1個。Photo_4

※参考図書:冬芽ハンドブック
    (広澤 毅/林 将之 文一総合出版2011年11月20日初版)

                   (完)

| | コメント (0)

2015年2月13日 (金)

冬芽と葉痕・維管束痕:モミジバフウ/ヤマグワ/コブシ/オニグルミ

 (続3)冬芽と葉痕維管束痕

モミジバフウ(マンサク科フウ属):
 ・冬芽は水滴形で赤く艶がある。
 ・葉痕は半円形~腎形で隆起。
 ・維管束痕は大きく明瞭に3個。
 目鼻立ちのはっきりした可愛い坊やに見えます。
 真ん中の維管束痕(口に見える)に水滴がポツンと出ていました。R0083474_2t

 
●ヤマグワ(クワ科クワ属):
 ・冬芽は水滴形で淡褐色。
 ・葉痕は半円形~円形。
 ・維管束痕は多数が輪状に並ぶ。R0083666t

 
コブシ(モクレン科モクレン属):
 ・冬芽(花芽)は大きく長い軟毛に覆われる。
 ・葉痕はV字形。
 ・維管束痕は多数がV字1列に並ぶ。R0083747t

 
●オニグルミ(クルミ科クルミ属):
 ・冬芽(頂芽)は大きく裸芽で円錐形、褐色短毛が密生。
 ・葉痕は大きく、T字形。
 ・維管束痕は3か所に集まり、葉痕と合わせてヒツジの顔に見え、この“分野”トップクラスの人気者。R0083931_3

            =次ページ続4へ=

| | コメント (0)

2015年2月12日 (木)

冬芽と葉痕・維管束痕:ヌルデ/ハゼノキ/イチジク/アキニレ/サクラ

 (続2)冬芽と葉痕・維管束痕

●ヌルデ(ウルシ科ウルシ属):
 ・冬芽は黄褐色半球形、縮毛が密生。  
 ・葉痕はU字~V字形。 
 ・維管束痕は多数。Blg

 
●ハゼノキ(ウルシ科ウルシ属):
 ・冬芽は長さ6mmほどの赤褐色広卵形で先は尖る。ほぼ無毛。
 ・葉痕はハート形~半円形~三角形。
 ・維管束痕は多数。Blg_2

 
●イチジク(クワ科イチジク属):
 ・冬芽(頂芽)は緑褐色の大きな水滴形で先端が尖る。
 ・葉痕は半円形~円形 。
 ・維管束痕は多数が輪状に並ぶ。R0083357_1t

 
●アキニレ(ニレ科ニレ属):
 ・冬芽は卵形。
 ・葉痕は小さく、半円形~楕円形。
 ・維管束痕は明瞭に3個。R0083465_8ctblg

 
●サクラ(バラ科サクラ属):
 ・冬芽は水滴形。
 ・葉痕は三角形~半円形。
 ・維管束痕は3個。R0083468t

 
            =次の続3ページへ=

 

| | コメント (0)

2015年2月11日 (水)

トチノキ冬芽と葉痕・維管束痕/ 付記:これまで記載の冬芽関連記事タイトル一覧

※おだやかな冬日には、ポケットに虫眼鏡を忍ばせて、里山の雑木林や街中の公園林などで、葉を落とした樹木の枝を覗いてみると、ときに動物や人の顔などを連想させる「冬芽と葉痕・維管束痕」から構成された「小さな造形」を発見することができます。
 枯れ野の広がるフィールドには、ややもすれば出かけるのがおっくうになりますが、観察には好適の時節です。
 もっとも公園などでは、一人で木の枝を覗きこんでいたりすると、何をしているのかと声をかけられたり、不審者と怪しまれている視線を感じたりすることもありますが・・・

 ・冬芽:晩夏から秋にかけて生じ、冬は休眠状態で越して春に生長する芽。
 ・葉痕:葉が枯れ落ちた後に残る痕。
 ・維管束痕:葉痕の中に見える維管束(葉や葉柄で、水分や養分の通路になっている管の集まり)の断面。

 
 今シーズンも散策時に目にした『冬芽と葉痕/維管束痕』の画像で、未掲載で残っているものを4回にわけて連載します。

※なお、これまで懲りもせず、毎シーズン記録した記事の羅列があります。
 それら冬芽と葉痕/維管束痕を含む関連記事のタイトル/URL一覧を別ページに掲載しました。
 当然のように繰り返しが多く、ご覧頂いても時間の無駄になりそうな代物ですのでご留意を。

___________________________

 
●トチノキ(トチノキ科トチノキ属):
 ・冬芽は大きさ10mmほどで赤褐色、砲弾形で無毛。
 ・葉痕はハート形~三角形。
 ・維管束痕は5~9個。Img_8378_1t

Img_8378_2t

Img_8378_4t

Img_8378_5tt

Img_8378_6ct

              =次のページ続2へ=

| | コメント (0)

当ブログ『冬芽と葉痕・維管束痕』画像を含む関連記事URL一覧

※2015.2.1現在の当ブログ『冬芽と葉痕・維管束痕』画像を含む関連記事タイトル一覧です。
 記事はタイトル後のURLをクリックすると開きます。繰り返し記事が大変多いです。

・ニワトコ/ニワトコヒゲナガアブラムシ&冬芽/葉痕維管束痕 15/01/30  http://kuromedaka-saitama.cocolog-nifty.com/blog/2015/01/post-9edd.html

・ハンノキ開花(2015/1) 15/01/29 http://kuromedaka-saitama.cocolog-nifty.com/blog/2015/01/20151-0bd6.html

・アシナガグモの仲間?(2015/1) 15/01/15 http://kuromedaka-saitama.cocolog-nifty.com/blog/2015/01/20151-4d43.html

・オニグルミ・冬芽と葉痕/維管束痕(2014大晦日)14/12/31 http://kuromedaka-saitama.cocolog-nifty.com/blog/2014/12/2014-2009.html

・クサギ(冬芽と葉痕/維管束痕) 14/03/14 http://kuromedaka-saitama.cocolog-nifty.com/blog/2014/03/post-2bcc.html

・ネコヤナギ、綿毛に包まれた花芽/冬芽と葉痕・維管束痕 14/02/26 http://kuromedaka-saitama.cocolog-nifty.com/blog/2014/02/post-a6ff.html

・不明のクモ、カキの冬芽と葉痕・維管束痕 14/02/18 http://kuromedaka-saitama.cocolog-nifty.com/blog/2014/02/post-d220.html

・雪、カナメモチ、キリの冬芽と葉痕・維管束痕 14/02/14 http://kuromedaka-saitama.cocolog-nifty.com/blog/2014/02/post-5449.html

・モミジバフウ、ドングリ工作/ネズミ? 14/01/29 http://kuromedaka-saitama.cocolog-nifty.com/blog/2014/01/post-f762.html

・冬のボタンヅル、アブラチャン、オニグルミ、クズ、刺なしタラノキ 13/12/30 http://kuromedaka-saitama.cocolog-nifty.com/blog/2013/12/post-9545.html

2013/4下旬の山地で(アカヤシオ、コバイケイソウ、ヤマトリカブト、ヤマウルシ冬芽、カワラタケ) 13/05/08 http://kuromedaka-saitama.cocolog-nifty.com/blog/2013/05/post-5acb.html 

・能登・輪島の旅(2013/3) その2 13/03/16 http://kuromedaka-saitama.cocolog-nifty.com/blog/2013/03/post-e512.html

・ダンコウバイ(冬芽と葉痕、維管束痕) 13/03/11 http://kuromedaka-saitama.cocolog-nifty.com/blog/2013/03/post-3aad.html

・アブラチャン(冬芽と葉痕、維管束痕) 13/03/10 http://kuromedaka-saitama.cocolog-nifty.com/blog/2013/03/post-8808.html

・早春の里山で(コウヤボウキ、ゴンズイ、ヤマウルシ、ヤママユ抜け殻) 13/03/04 http://kuromedaka-saitama.cocolog-nifty.com/blog/2013/03/post-2e97.html

・モミジ、イチョウ、カツラ(冬芽と葉痕、維管束痕) 13/01/07 http://kuromedaka-saitama.cocolog-nifty.com/blog/2013/01/post-504c.html

・エゴノキ(冬芽と葉痕、維管束痕) 13/01/05 http://kuromedaka-saitama.cocolog-nifty.com/blog/2013/01/post-a99f.html

・オノエヤナギと虫こぶ(オノエヤナギメフクレフシ) 12/12/05 http://kuromedaka-saitama.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/post-ae22.html

・サイカチ(冬芽と葉痕/維管束痕) 12/03/20 http://kuromedaka-saitama.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-22dd.html

・アカメガシワ(冬芽と葉痕/維管束痕) 12/03/19 http://kuromedaka-saitama.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-5bdd.html

・ネコヤナギ冬芽と葉痕/維管束痕;アオサギ 12/02/10 http://kuromedaka-saitama.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/post-b12f.html

・クズ、冬芽と葉痕・維管束痕 12/02/05 http://kuromedaka-saitama.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/post-cb1a.html

・立春、アジサイ、トネリコ、カツラの冬芽と葉痕維管束痕 12/02/04 http://kuromedaka-saitama.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/post-1094.html

・オニグルミ、冬芽と葉痕・維管束痕(2012/1 12/01/14 http://kuromedaka-saitama.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/20121-34e8.html

・謹賀新年(モミジバフウ、冬芽と葉痕・維管束痕) 12/01/01 http://kuromedaka-saitama.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-b871.html

2011/3月末の信州路を歩く(その4) ウリハダカエデ、タラノキ葉痕、フキノトウ、コケ、マンネングサの仲間 11/04/07 http://kuromedaka-saitama.cocolog-nifty.com/blog/2011/04/201134-c015.html

2011/3月末の信州路を歩く(その3)冬芽と葉痕、維管束痕(オニグルミ、ハリエンジュ、タムシバ、ヤマウルシ、キハダ) 11/04/06 http://kuromedaka-saitama.cocolog-nifty.com/blog/2011/04/2011332-84df.html

・カツラ、冬芽と葉痕・維管束痕 11/03/10 http://kuromedaka-saitama.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/post-1ed6.html

・ヤマグワ(別名クワ)の冬芽と葉痕・維管束痕;ナガミヒナゲシ 11/03/09 http://kuromedaka-saitama.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/post-5edd.html

・ムラサキシキブ、冬芽と葉痕・維管束痕 11/02/21 http://kuromedaka-saitama.cocolog-nifty.com/blog/2011/02/post-4fa2-1.html

・ニワトコ、冬芽と葉痕・維管束痕、そしてニワトコヒゲナガアブラムシ(別名:ニワトコフクレアブラムシ) 11/02/20 http://kuromedaka-saitama.cocolog-nifty.com/blog/2011/02/post-8717.html

・アキニレ:葉と種、冬芽と葉痕・維管束痕 11/02/18 http://kuromedaka-saitama.cocolog-nifty.com/blog/2011/02/post-0c67.html

・アブラチャン冬芽、シロモジ(またはクロモジ?)冬芽 11/02/07 http://kuromedaka-saitama.cocolog-nifty.com/blog/2011/02/post-2760.html

・マンサク、ゴンズイ、クサギの冬芽と葉痕・維管束痕 11/02/03 http://kuromedaka-saitama.cocolog-nifty.com/blog/2011/02/2-8b5e.html

・カナヘビ、モズの早贄に、サンショの冬芽と葉痕 11/01/27 http://kuromedaka-saitama.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/post-e4d3.html

・ミノムシ、オオミノガヤドリバエ、キアシブトコバチ 11/01/18 http://kuromedaka-saitama.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/post-69dd.html

・冬将軍到来、フジの冬芽と葉痕・維管束痕 11/01/17 http://kuromedaka-saitama.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/post-29d7.html

・センダンの実とヒヨドリ 11/01/16 http://kuromedaka-saitama.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/post-998f.html

・イチョウの冬芽と葉痕・維管束痕 11/01/09 http://kuromedaka-saitama.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/post-8aee.html

2010/12 モミジバフウ:冬芽と葉痕・維管束痕 10/12/31 http://kuromedaka-saitama.cocolog-nifty.com/blog/2010/12/201012-243b.html

2010/12 天空列車で行くチベットへの旅⑥ 余話:ジャマの木/冬芽と葉痕 10/12/30 http://kuromedaka-saitama.cocolog-nifty.com/blog/2010/12/201012-1ebc.html

・クズ/冬芽と葉痕・維管束痕 10/12/11 http://kuromedaka-saitama.cocolog-nifty.com/blog/2010/12/post-f877.html

・オニグルミ/冬芽と葉痕・維管束痕(2010/12 10/12/10 http://kuromedaka-saitama.cocolog-nifty.com/blog/2010/12/201012-509e.html

・センダン/冬芽と葉痕・維管束痕 10/12/09 http://kuromedaka-saitama.cocolog-nifty.com/blog/2010/12/post-784e.html

・ハリエンジュ冬芽と葉痕、維管束痕 10/11/28 http://kuromedaka-saitama.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/post-52ba.html

・ニワウルシ(シンジュ)冬芽と葉痕、維管束痕 10/11/27 http://kuromedaka-saitama.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/post-52ba.html

・アブラチャン(油瀝青)の冬芽 10/03/04 http://kuromedaka-saitama.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/post-a807.html

・冬芽と葉痕・維管束痕(ハンノキ) 10/02/19 http://kuromedaka-saitama.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/post-8531.html

・冬芽と葉痕・維管束痕(ハナノキ)/雪の結晶 10/02/18 http://kuromedaka-saitama.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/post-e28a.html

・冬芽と葉痕・維管束痕(カキ) 10/02/13 http://kuromedaka-saitama.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/post-3248.html

・冬芽と葉痕・維管束痕(アジサイ) 10/02/12 http://kuromedaka-saitama.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/post-65ee.html

・冬芽と葉痕・維管束痕(サンショ) 10/02/11 http://kuromedaka-saitama.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/post-6acb.html

・冬芽と葉痕・維管束痕(センダン、オニグルミ) 10/02/04 http://kuromedaka-saitama.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/post-0b7c.html

・冬芽と葉痕・維管束痕(ユズリハ) 10/02/01 http://kuromedaka-saitama.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/post-87f8.html

・冬芽と葉痕・維管束痕(モミジバフウ) 10/01/18 http://kuromedaka-saitama.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/post-f547.html

・冬芽と葉痕・維管束痕(ハクモクレン) 10/01/17 http://kuromedaka-saitama.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/post-7fc5.html

・冬芽と葉痕・維管束痕(メグスリノキ) 10/01/16 http://kuromedaka-saitama.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/post-90e7.html

・冬芽と葉痕・維管束痕(不明の植栽低木) 10/01/15 http://kuromedaka-saitama.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/post-aa43.html

・冬芽と葉痕・維管束痕(不明の雑木2種) 10/01/14 http://kuromedaka-saitama.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/2-91d3.html

・冬芽と葉痕・維管束痕(カワヤナギ、イチジク) 10/01/10 http://kuromedaka-saitama.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/post-d1b0.html

・冬芽と葉痕・維管束痕(不明の雑木1 10/01/09 http://kuromedaka-saitama.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/1-25ae.html

・冬芽と葉痕・維管束痕(キリ、カツラ、フジ) 10/01/08 http://kuromedaka-saitama.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/post-1a36.html

・イロハモミジ(イロハカエデ):冬芽と葉痕・維管束痕 10/01/03 http://kuromedaka-saitama.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/post-f14c.html

・雪のお正月;ナナカマドの冬芽と葉痕・維管束痕 10/01/02 http://kuromedaka-saitama.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/post-fb91.html

・新しい年を迎えて;オニグルミの冬芽と葉痕・維管束痕 10/01/01 http://kuromedaka-saitama.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/post-ecd7.html

・オニグルミ、アカメガシワ、オオベニタデ、ツルマメ、コマツナギ 09/09/21 http://kuromedaka-saitama.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/post-c91a.html

・コウヤボウキ 09/03/22 http://kuromedaka-saitama.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-7ca0.html

・リンゴ冬芽と葉痕・維管束痕 09/01/31 http://kuromedaka-saitama.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-b118.html

・タラノキ冬芽と葉痕・維管束痕 09/01/30 http://kuromedaka-saitama.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-fa23.html

・サンショ(山椒)冬芽と葉痕・維管束痕 09/01/29 http://kuromedaka-saitama.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-c829.html

・ヤナギ科の樹木冬芽と葉痕・維管束痕 09/01/28 http://kuromedaka-saitama.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-9cfe.html

・アカメガシワ冬芽と葉痕・維管束痕 09/01/27 http://kuromedaka-saitama.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-04c8.html

・アジサイ冬芽と葉痕・維管束痕 09/01/26 http://kuromedaka-saitama.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-8441.html

・ハナノキ(ハナカエデ)冬芽と葉痕・維管束痕 09/01/21 http://kuromedaka-saitama.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-9491.html

・オニグルミ・冬芽と葉痕・維管束痕 08/12/17 http://kuromedaka-saitama.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-5c63.html

・サクラ・冬芽と葉痕・維管束痕 08/12/16 http://kuromedaka-saitama.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-c04b.html

・オニグルミとムラサキイラガ幼虫 08/11/20 http://kuromedaka-saitama.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-68b3.html

・モミジバフウ(冬芽と葉痕) 08/11/15 http://kuromedaka-saitama.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-26f9.html

・冬芽と葉痕(18)オニグルミ 08/03/16 http://kuromedaka-saitama.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/18_5135.html

・冬芽と葉痕(17)サワグルミ 08/03/15 http://kuromedaka-saitama.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/17_d00d.html

・冬芽と葉痕(16) 08/03/14 http://kuromedaka-saitama.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/16_184d.html

・冬芽と葉痕(15) 08/03/12 http://kuromedaka-saitama.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/15_f6c5.html

・冬芽と葉痕(14) 08/03/11 http://kuromedaka-saitama.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/14_44fc.html

・冬芽と葉痕(13)東北地方の雑木5 08/03/06 http://kuromedaka-saitama.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/135_9644.html

・冬芽と葉痕(12)道端のアカメガシワ 08/02/29 http://kuromedaka-saitama.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/7_1b92.html

・冬芽と葉痕(11)ケヤキ 08/02/27 http://kuromedaka-saitama.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/11_5967.html

・冬芽と葉痕(10)アキニレ 08/02/26 http://kuromedaka-saitama.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/10_c0e0.html

・冬芽と葉痕(9)クズ-2 08/02/25 http://kuromedaka-saitama.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/102_67f1.html

・冬芽と葉痕(8)クズ-1 08/02/24 http://kuromedaka-saitama.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/91_1c65.html

・冬芽と葉痕(7)リンゴ 08/02/23 http://kuromedaka-saitama.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/8_bbae.html

・冬芽と葉痕(6)サクラ 08/02/22 http://kuromedaka-saitama.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/7_89e2.html

・冬芽と葉痕(5)サンショウ 08/02/21 http://kuromedaka-saitama.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/5_4698.html

・冬芽と葉痕(4)ロウバイとコナラ 08/02/18 http://kuromedaka-saitama.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/4_ebbe.html

・冬芽と葉痕(3)カキとライラック 08/02/17 http://kuromedaka-saitama.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/3_15fb.html

・冬芽と葉痕(2)サンシュユとレンギョウ 08/02/14 http://kuromedaka-saitama.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/2_d5e3.html

・冬芽と葉痕(1) 08/02/11 http://kuromedaka-saitama.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/1_c159.html

 

| | コメント (0)

2015年2月10日 (火)

冬のメジロ、コゲラ

 餌となる花の蜜や果実類、また昆虫類がじゅうぶん得られる季節には、メジロやコゲラなどは、山地や、平地でも豊かな森のある環境で暮らしていて、街中や近くで目にする機会は少ないです。
 しかし山地にも餌が乏しなってくる冬から早春には、山から下りてきて、街中や公園、また農家の屋敷林などに姿を見せるようになります。
 メジロは住宅街のサザンカやツバキの蜜に、コゲラは落葉樹の枝にひそむ虫などを求めて公園や、時には人通りの多い街中の街路樹にやってくることもあります。

●メジロ:
 里山の落葉樹の上から、また農家の庭のコブシ(辛夷)の枝先から、かわいらしい”チーチュルチーチュルチーチーチュルチ”と鳴き声が聞こえるので見上げると、忙しく動き回るメジロの姿がありました。Img_9450t

Img_9452t

Img_9454t

Photo_5

 
●コゲラ:
 平地や里山の林縁で、葉を落とした木の枝をコンコンコンとせわしなく突っつきながら動き回り、また時折ギィーッと鳴き声を上げながら樹間を飛んで移動するコゲラの姿を見かけます。Photo_6

Photo_7

2

Img_9461c3

※コゲラ(留鳥):
 スズメと同じくらいの大きさで、日本では最小のキツツキの仲間。
 ♂の後頭部には赤い斑がありますが、野外ではほとんど羽毛に隠れていて見えないこともあり、素人には雌雄が判別できるショットは今まで1枚も撮れてません。

続きを読む "冬のメジロ、コゲラ"

| | コメント (0)

2015年2月 9日 (月)

餌探しに懸命の冬のカラスなど

 フィールドでは、当県で餓死の報道もあったこの冬を乗り切るために懸命のカラスやムクドリの群れなどの姿が見られます。
 もう少しの辛抱、がんばりが必要でしょう。

●先にも記録していますので繰り返し記事になりますが、この冬は公園でよく見かける、地面のドングリを拾い漁るカラスの姿です。
 腹を空かせた野良猫もたむろしているので、落ち着かない様子ではありますが、ひもじさには勝てないようです。Img_9614t

Img_9615t

 
 手持ち撮影で揺れる、どうかと思う動画(^-^; ですが。(18秒)。

 
●田起こし中の田圃で。
 寒中の田起こしが行われている田圃では、やはり掘り起こされたばかりの土中から這い出してくるいろいろな生き物を目当てに、カラス、ムクドリ、ツグミ、そして一番多いセキレイなどが、トラクターの直後につきまとっています。
 つかず離れず辺りを見回し、みんな大変のようです。
 (どうでも良いですが、黄色○:カラス、橙色○:ムクドリ、水色○:ツグミ、白色○:セキレイです。)
 (画像はクリックで拡大します。)Img_9468t

Img_9474tt 

 余談ながら、イネの刈取り時にコンバインにつきまとうチュウサギの姿を思い浮かべます。

 
●田圃に集合したムクドリの群れ。
 群がっていたところには、餌になるような何かが入っていたらしい破れた紙袋が落ちていました。Img_9280ct

 
●ヒヨドリの狼藉。
 庭にやってくるスズメのための餌台においたミカンや粟粒は、もっぱらヒヨドリに食べられてしまいます。
 ・翌日にはミカンの皮だけ残っています。皮は食べないようです。R0084069

 
 ・ツバキは開きはじめた途端に花びらを囓られてしまいます。R0084066

 
 ・玄関先の鉢植えの花は気がついた時には、すっかり食べられていました。仕方ないです・・・Photo

 
 ・公園のエンジュの果実もすっかり食べられて、黒変して痛みがひどくて食べられなかったものだけが残っています。Photo_2

| | コメント (2)

2015年2月 8日 (日)

クワコの繭(抜け殻)、オオカマキリの卵鞘/(卵嚢)

 
 先月下旬、自然公園でヤマグワの枝に、少し汚れた白い繭がいくつかぶら下がって風に揺れているのを見かけました。

●クワコの繭抜け殻:
 穴が開いていたので、古いクワコの繭の抜け殻だったようです。Img_9176_3

Img_9176_2

 昨年初夏に、クワコ若齢幼虫を見かけたことがありました。
 クワコは蚕のご先祖として知られています。

 
●オオカマキリ卵鞘/(卵嚢):
 偶然ながら近くに巻き付いていたツル植物の茎に絡めてつくられたオオカマキリの卵鞘がありました。R0084074

R0084075

 落葉植物がすっかり葉を落とすこの時期は、色々なものが見つかりやすいです。

続きを読む "クワコの繭(抜け殻)、オオカマキリの卵鞘/(卵嚢)"

| | コメント (0)

2015年2月 7日 (土)

イヌツゲメタマフシ(虫こぶ)、アセビ、ヒサカキ(2015/2)

 2月初旬の林縁で。

●イヌツゲメタマフシ:
 里山の林縁に自生しているイヌツゲの枝先の所々に、緑色の実の様な物がくっついているのを見かけました。
 一目で不自然な印象を与えるシロモノで、イヌツゲの葉腋の芽に、イヌツゲタマバエが寄生して出来た虫瘤(こぶ)、「イヌツゲメタマフシ」でした。
 指先で触ってみると木質化していてそれなりに硬く、簡単に潰したり割ったりは出来ません。Photo_3

 (なお、実行してはいませんが、ナイフで切ってみればポツポツと孔があいていて、孔の中にイヌツゲタマバエ(寄生バエ)の黄色い幼虫が見つかるそうです。
 初夏、寄生バエが芽に産卵することで虫こぶの形成がはじまり、秋までには出来上がり。
 中にいる幼虫は3齢幼虫で越冬し、早春には蛹化、春から初夏にかけて羽化するというライフサイクルだそうです。)

 イヌツゲは庭木としても植栽され、虫こぶが出来ると美観は損ねますが、枯れてしまうほどにはならないようです。

 
●アセビ(ツツジ科アセビ属):
 林縁に常緑低木のアセビが白い釣り鐘型の花をつけて早い春の到来を告げていました。R0084233_1

2

 
 また秋に実って黒褐色に熟した果実も乾ききって垂れ下がっていました。R0084233

 果実はさく果で、直径5~6mmの扁球形で、上向きに付き、褐色に熟すと5裂し、先端に長い花柱が残ります。
 中に覗いている種子は長さ2~2.5mmほど。2_2

 
●ヒサカキ:
 林縁に広く点在しています。早春の林縁で独特の強い臭いを漂わせるので所在に気づきやすい、ごく普通の雌雄異株*の常緑小高木です。
 蕾が鈴なりについていましたが、蕾を覆う暗紫色の萼片は閉じたままで、開花する気配は全くみられず、したがって臭いなども感じませんでした。Photo_4

 (*なお、ヒサカキは図鑑などでも雌雄異株と記されている例が多いので、これまでその様に記していましたが、実際には雄花と雌花の他に両性花があって、本種の性的なシステムについては未だに不明という記述も見られます。)

| | コメント (0)

2015年2月 6日 (金)

フクジュソウ、バイカオウレン(2015/2)

 霜柱が立ち、雪が消え残るまだまだ厳しい寒さのつづく山野草植物園地で、開花をはじめていたフクジュソウとバイカオウレンです。

●フクジュソウ:
 シャッターを押す素手の指先がしびれるほど冷たい空気に曝されていても、光を受けて黄金色に光るフクジュソウは、いかにも温かそうに見えました。
 定番の早春を告げる花です。Photo

 
●バイカオウレン(梅花黄蓮)(キンポウゲ科オウレン属):
 花が1輪だけ見つかりました。春にはもっと元気な花がたくさん観察できるでしょう。Photo_2

 本種は日本固有種で、本州の福島より南、四国に分布し、山地帯から亜高山帯の針葉樹林の林床や林縁に生育する常緑の多年草です。
 細長い根茎が横に這い、地下で匍匐枝を出して繁殖します。
 根出葉は鳥足状複葉で、小葉は5枚あり、倒卵形で光沢がありやや厚めです。
 早春、新しい葉が出る前に褐色を帯びた花茎を伸ばしてその先端に径12~18mmの 1輪の白い花を咲かせます。
 倒卵形の白い花弁にみえるのは萼片で、5枚あります。
 本来の花弁は中心に近いところにある小さなヘラ状の黄色い部分で、蜜腺に退化しています。
 “花”の形がウメの花に似ているオウレンの仲間なので、梅花オウレンの名前。

| | コメント (0)

2015年2月 5日 (木)

オオミスミソウ(植栽)

 栃木県「道の駅みかも」に隣接して”みかも山公園”の「南入口ゾーン」があります。
 その登り口の一角にある緩斜面の落葉樹林床に、オオミスミソウ(別名 雪割草とも)が植栽された園地があります。
 毎年、開花情報を待ちかねていますが、先日遠出のついでに立ち寄ってきました。
 目を皿のようにしてゆっくり通路を巡回し、数株の花を見つけることができ、ニンゲンとは異なる、自然の営みの確かさをあらためて感じてきました。

●オオミスミソウ(雪割草):
 花の形も色も変化に富んでいます。7株見つかりました。Photo_4

Photo_2

Photo_3

4_1

4_2

4_3

4_4

| | コメント (0)

2015年2月 4日 (水)

ユキワリソウ(園芸種)

 春の足音。

 山野草ショップで一株だけ買い求めて庭植えにしている、常緑多年草の「園芸種ユキワリソウ」。
 夏は他の植物に覆われたりする環境のせいか、あまり勢いはありませんが、何とか生き延びています。
 そして寒さが続いていた1月23日、小さなツボミを一つだけ持ち上げているのに気がつきました。2015123

 
 その後の経過です。
 1月26日、花茎が立ち上がりました。2015126

 
 寒気は緩まないものの、”雪を割ながら花茎を立ち上げて花を開く”という名前のように寒さに負けず開花が進むかと期待しましたが、そのまま足踏み状態で思惑通りにはいきません。

 1月30日、朝から雪が降り始め、午後には降り止みましたが、完全に雪に埋もれてしまいました。2015130

 
 翌日1月31に雪は融けましたが、ほころびはじめたツボミはうなだれていました。2015131

 
 2月1~2日、曲がっていた花茎は立ち上がりましたが、開花はなかなか進みません。2015212

 
 そして、すでにセツブンソウは開いているということでもあり、本日、何とか立春に遅れないようにとがんばって少し開きました。201524

 本種は常緑で三角形の葉は通年残って地上部が姿を消す、ということはありませんから”スプリング・エフェメラル”の仲間から外されるようですが、十分可憐できれいな花です。

※ユキワリソウ(雪割草)(キンポウゲ科ミスミソウ属):
 雪国の春を彩るユキワリソウは、ほかの花に先駆けて色とりどりの花を開き、親しまれています。
 一般に「雪割草」と呼ばれるものにはオオミスミソウ、ミスミソウ、スハマソウなどがあり、それぞれ自生地が異なります。
 また園芸的育種も盛んで、色々な園芸品種が注目を集めています。
 最もよく親しまれている野生のオオミスミソウは北陸地方以北の本州日本海側に分布し、里山の雑木林の斜面や山地の林床に自生します。
 早春に開いた花弁のように見える部分は萼片で、花弁はありません。
 花色は白や桃色、赤や紫と、野生植物には珍しく多彩です。
 花後、地際に3裂する葉を一度に数枚展開し、そのまま常緑となって1年を過ごします。
 タネはそう果で金平糖のように固まります。
 葉は一年中ありますが、スプリング・エフェメラル(春植物/春の妖精)に近い性質をもち、目に見える成長は春で完成して、その後は翌年の開花までじっくりと芽や根を充実させます。

 
余談:
●立春の満月:
 朝は晴れましたが、正午には予報はずれで、雲が広がりはじめました。
 午後6時ごろ、買い物帰りに見た東の空には分厚い雲があって、鈍い橙色の丸い光が透けて見えていました。
 午後7時過ぎ、屋外に出ると、見えないよりはマシかな、という輪郭のぼやけた満月と木星らしき点が見えました。(1枚目)。
 そこで目一杯ズーミングして、冴えた満月にはほど遠いものの、贅沢は言えない立春の満月のお姿を拝ませてもらい(2枚目)、
 その後は悪くなる一方の、午後9時を過ぎた曇り空に隠されるお月様でした(3枚目)。201524_2

 明日は朝から終日雨~雪の予報です。

| | コメント (0)

2015年2月 3日 (火)

セツブンソウ(2015/2)

    昨日よりけふの日差しの節分草    (中村祐子)

 1月下旬、セツブンソウ開花のニュースを知って、晴れて風もない絶好の観察日和となった節分の本日、栃木県【花之江の郷】まで撮影に行ってきました。
 開花の数日後に降雪があり、融け残りが凍り付いたり霜柱が立ったりで、日中は足元がぬかるんであいにくの環境条件でしたが、林床に咲く花の可憐な姿に、しばし慰められました。

 節分の頃から10cmほどに花茎を伸ばし、細かく切れ込んだ葉 (総苞片)を開き、その先端に直径2cmほどの白い花を1輪咲かせます。1img_9408t

Img_9419t

R0084200

Img_9415ct

 
 花びらはなく、花弁に見えるのは萼で、バリエーションはありますが、通常5枚あります。5r0084210ct

R0084209

 
 本来の花びらは退化して先端が2又に分かれた黄色の蜜腺(ネクター)になり、雄しべを取り囲むように円形に付いています。
 また雄しべの先端には花粉が入った鮮やかな紫色の葯がついています。R0084204ct

 
 葯が開くと白い粒々の花粉があふれ出します。R0084213ctt

※セツブンソウ(キンポウゲ科セツブンソウ属):
 本種は日本原産のの多年草で花期は2~3月。
 関東地方以西の石灰岩地域に多く分布しています。
 厳冬期に芽を出し、葉を開いて花をつけ、晩春には地上部は枯れて姿を消します。
 その後は地下の球根(塊茎) (径1.5cmほど)の状態で秋まで休眠に入ります。
 根は秋頃から地中で伸び始めますが、セツブンソウが地上に顔を見せるのはせいぜい春の3ヶ月程度。
 「カタクリ」などと共に、その可憐さと儚さが魅力の“スプリング・エフェメラル”と呼ばれる一群の植物の一つです。
 なお、ご多分にもれず、自生での分布は環境変化や、シカ、イノシシなど動物の食害などでも減少しているようです。

 節分に 節分草の咲くを見る 季節の回り 確かな恵み 
                                   (詠み人知らず)

| | コメント (0)

2015年2月 2日 (月)

ヤノナミガタチビタマムシ

 今頃は、表だっては昆虫類の姿もほとんど目につかない公園です。
●ヤノナミガタチビタマムシ(タマムシ科チビタマムシ亜科):
 そんな折柄、たくさんあるケヤキの大木で、鱗状に割れて剥がれかかった樹皮の隙間には4mm弱ほどのヤノナミガタチビタマムシが集まって越冬しています。
 本種の幼虫はケヤキ(ニレ科)の若葉を食害する害虫で、“タマムシ”という名前のイメージからはかけ離れた姿です。R0084170t

 
 同じ環境では、やはり越冬中のフサヤスデやクモ類、R0084176

R0084177t1

 
 ゾウムシの仲間(アカアシノミゾウムシやヒレルクチブトゾウムシ)、R0084175t

R0084181c

 
 また極小のハチの仲間(タマゴクロバチ科?)なども見つかります。R0084182t

※ヤノナミガタチビタマムシの生活史:
 卵から孵化した幼虫はケヤキの葉の内部に潜り、葉を内部から食害しながら成長し、初夏に葉の褐変・落葉を引き起こします。
 成虫になるとケヤキの葉を外部から主脈を残しながら食害します。
 気温が下がり始めた10月にケヤキ樹皮下に潜り込み、越冬します。
 翌年、ケヤキの開葉と共に活動を開始し、葉を食害しながら、交尾、産卵を行い、6月には姿を消します。

| | コメント (0)

2015年2月 1日 (日)

2月のはじまり

 2月のはじまり。

●終日強風の吹いた冬空、仰げば、煌々と冴えわたる無情の凍れる月影。Img_9406t201521

 
●巡る自然、人間の所業には無関係に”梅一輪”ほどの春の跫音。2015012714461

 
●カワセミが逆光の中に1羽。Img_9400ctt2

| | コメント (0)

« 2015年1月 | トップページ | 2015年3月 »