« 冬芽と葉痕・維管束痕:クサギ/センダン/フジ/ネジキ | トップページ | マヤ文明とメキシコ7つの世界遺産を訪ねる旅(2015/2): 2日目 »

2015年2月16日 (月)

マヤ文明とメキシコ7つの世界遺産を訪ねる旅(2015/2):その①

※マヤ文明とメキシコ世界遺産の旅:2月中旬の9日間

前置き:
 以下は、お仕着せ観光ツアーに参加した個人の、何の変哲もない備忘用メモですので、読み飛ばして下さい。

Ⅰ)古代から世界に冠たる先進的な文明/文化とともに成立、発展した都市の多くは、現在著名な古都として世界遺産に名を連ねていますが、それ らは洋の東西を問わず強烈な指導力を持った専制・独裁者の手によって築き上げられていることが多いものです。 
 また近世においても、例えばラテンアメリカは過去500年の長きにわたって先進的な強者の外国によって開発=収奪された歴史の上に現在があります。
 (『収奪された大地-ラテンアメリカ500年』エドゥアルド ガレアーノ、 大久保 光夫訳、1991/11/25、藤原書店)
 さらに世界には、歴史結果の必然として民族問題、宗教問題という今なお解決困難な課題も有れば、過去の歴史は歴史としてとらわれず、未来志向で、という世界もあります。
 ともあれ、今回も単なる観光旅行で眺める世界は、上記の視点からは別次元、という割り切りです。

Ⅱ)人類社会の歴史は世界の様々な場所でそれぞれに異なった発展を遂げてきたことはよく知られたことです。
 そして、教科書で習った世界四大文明とは、人類の文明史の歴史観のひとつで、歴史上、4つの大文明が最初に起こり、以降の文明はこの流れを汲むとする仮説です。
 それらは、
 ①メソポタミア文明(チグリス・ユーフラテス川流域)
 ②エジプト文明(ナイル川流域)
 ③インダス文明(インダス川流域)
 ④(中国)黄河文明(黄河・長江流域)といずれも大河流域で栄えた文明を指します。
 また一方、それらと時代背景や、地勢学的には(近くに川がないなど条件が)異なる場所に成立した、中央アメリカのマヤ/アステカ文明、南米アンデスのインカ文明など、南北アメリカ大陸で成立した文明がありますが、これらは含まれていません。 
 それはともかくとして、現在、それらの文明成立の歴史の差異によって、世界の富や権力は、それを手にして支配する人々と、そうではない人々が存在するという不均衡な形で分配されるという結果を生んでいます。
 人類社会の歴史はなぜこのように、それぞれの大陸/地域によって大きく異なる経路をたどって発展したのでしょうか。
 まあ、世俗の凡人にはおよそ関係のない話ではあります。
 単純に観光旅行の世界に戻ります。
 現在、メキシコには27の文化遺産と、4つの自然遺産、そして1つの複合遺産(合計32ヵ所)の世界遺産があります。
 今回は、その内7つの世界遺産を訪ねる観光ツアー参加記録です。
 訪問先の中に古代マヤ文明遺跡群チチェンイッツァが含まれています。
 つとに有名なこの遺跡は、展覧会や記録映像などで繰り返し見ていて、一応知っているつもりになってはいるものの、やはり一度は実際に見てみたい、というのが単純な動機。
 
 素養もないため、あらためて世界遺産として周知の中南米の文明「マヤ」「アステカ」そして「インカ」について、いくつかの資料を斜め読みして(もちろん多数の学説/諸説があり、門外漢にはその是非は分かりようがありませんが)、読み間違いも含めて概略以下のように理解しましたが、あくまでも自分用のメモです。
 
●マヤ文明:
 中米ユカタン半島(グァテマラ、ベリーズ、ホンジュラス)に紀元前から色々な足跡が残されていますが、文明と言えるレベルのものは古典期と呼ばれる紀元300年~900年、
 そして後古典期と呼ばれる900年~1500年代で、その内マヤ文明としてもっとも繁栄・発展した時期は古典期後期と呼ばれる紀元600年~900年という。
 マヤ文明といえば生贄の話がつきものですが、この習慣が始まったのは、紀元900年頃から始まる後古典期の前期からと言われているようです。
 またマヤ文明は9世紀頃から崩壊がはじまり、後古典期の後期と呼ばれる紀元1200年以降には衰退、やがて消滅してしまう。
 その原因は謎に包まれたままのようですが、諸説あり、異常気象による長期干ばつ説もその一つという。
 特徴として【鉄器は持たない、神殿やピラミッドの建設、二十進法による表記、精密な暦法、神聖文字(ヒエログリフ)/マヤ文字を持つ】こと。  
 中でも特筆されるのは、樹海にひそむ高度な古代文明都市として栄えたチチェンイッツァ。
 春分の日と秋分の日に太陽の光によってククルカンの神殿の階段上につくりだされる影が、あたかもヘビが石段をスルスルと這うように下りてくるような光景(ククルカンの降臨)は、TVドキュメントなどでもよく放映されていますが、現代でもなお新鮮な驚きを持って迎えられるシーンです。(今回のツアー日程ではもちろん見られませんが)
 参考までに、マヤ文明が栄えた6世紀の日本には仏教が伝来し、また7世紀初頭にはイスラム教が開かれた時代です。

●アステカ文明:
 中米メキシコあたりで発展、時代は12世紀~1521、マヤの後に栄えた文明。
 特徴として【都はテノチティトラン、ピラミッド型の神殿、チナンパと呼ばれる独特の農耕、そしてアステカ文字をもつ】こと。
 1521年、スペインからの侵入者コルテスによってアステカ帝国はあっけなく滅ぼされました。
 この頃の日本は鎌倉時代から室町時代の終わり、そして戦国時代の幕開けへ、という時代です。
 日本が攻められていたら、どうなっていたでしょうか。

●インカ文明:
 南米の地ペルー、チリ、ボリビア、アルゼンチンあたりに発展、時代は12世紀頃~1533年。
 特徴として【都はクスコ。文字は持たないが、キープという、ひもの結び目による伝達手段をもつ、道路網が発達していた】こと。
 1533年スペインからの侵入者ピサロによってインカ帝国も滅ぼされました。  
 世界的に人気の観光名所として、世界遺産マチュピチュ遺跡が有名。
 上記3つの文明について、中米(カリブ海側)の文明「マヤ」は「生贄」、「アステカ」は「黄金」、そして南米(太平洋側)の文明「インカ」は「太陽信仰」、というイメージが短絡的に浮かびます。
 マヤ遺跡のほとんどは低地にあり、湿地帯を利用したトウモロコシの浮田農法や文字はマヤ文明の遺産でした。
 そしてマヤが衰退して去ったあと、現在のメキシコあたりに台頭して、その遺跡を再利用したのがアステカ人によるアステカ文明です。
 その文明も、16世紀に侵入してきた外国人によって征服され終焉を迎えてしまいました。  
 また一方、インカは地域的にはかけ離れた南米に成立し、現在のペルーを中心としたアンデス山脈に栄えた文明で、非常に高い山の上の都市が特徴的でした。  
 しかしインカもまた、その後国土が内乱状態にあった時に侵入してきた外国人に虚を突かれて王が捕えられ殺されて、こちらも滅ぼされています。 
 なお、中米に存在した文明はマヤとアステカだけではなく、同様に南米に存在した文明もインカだけではありませんが、強者であった外国の侵入によって征服/滅ぼされた弱者の「最後の時代の文明」としてアステカとインカが目立つのでしょうか。  
 歴史の混迷・混沌に翻弄されながら到達した現代。人間同士が滅ぼしたり、滅ぼされたりした過去の歴史の教訓から、あらためて自分の足元と、世界地図を見直してみることは、常に大切なことでしょう。

 ともあれ、今回の旅はマヤ/アステカ文明遺跡・遺産、その他の、単純な「見て歩き」です。

※概要マップ Blg

 
旅行 (予定) 日程
 ■1日目:成田発、空路→メキシコシティ(メキシコ首都)へ ●世界遺産①【メキシコシティ歴史地区】観光。(メキシコシティ(2連)泊)
 ■2日目: ●世界遺産②【ソチカルコ遺跡】「ケツァルコアトル神殿」見学: ●世界遺産③【ポポカテペトル山腹の修道院群】「フランシスコ会修道院」。 ●世界遺産④【メキシコ国立自治大学】見学。(メキシコシティ泊)
 ■3日目:●世界遺産⑤【テオティワカン遺跡】、「国立人類学博物館」見学。 (メリダ泊)
 ■4日目:●メルカド市場見学、●世界遺産⑥マヤ遺跡【ウシュマル遺跡】と 【カバー遺跡】見学、●マヤ人の一般家庭を訪問、●メリダ市内でソカロ、野口 英世の像、州庁舎の壁画ギャラリーなどを見学。(チチェンイッツァ泊)
 ■5日目:●世界遺産⑦【チチェンイッツァ遺跡(マヤ文明の最高傑作)】観光 ●「神秘の泉・セノーテ」見学。途中ドルフィンビーチ立ち寄り)(カンクン泊)
 ■6日目:●終日カンクン。オプション「トゥルム遺跡半日観光」へ(カンクン泊)
 ■7日目:午前、出発時間まで自由時間。午後カンクン発、空路、メキシコシティ、 モンテレイ経由で帰国の途へ。(機中泊)
 ■8日目:モンテレイで機内待機後~日付変更線通過~成田へ(機中泊)
 ■9日目:朝、成田着、帰宅。

 以上が長広舌の前置きでした。

****************************************

 ここから、日記です。(余談ながらご多分にもれず、実際の日程/内容は、上記予定から変更された記録もあります。)

旅日記:
1日目:成田からメキシコシティへ。
■成田発(午後15時頃)空路→メキシコシティ(メキシコ首都)へ
  (アエロメヒコ航空直行便:所要時間は約13時間)  ~日付変更線通過~メキシコシティ着(14時頃)

■着後、空港からバスで世界遺産①【メキシコシティ歴史地区】観光へ。 
 メキシコシティは標高2,240mで気候は温暖。 
 現在のメキシコシティは、12世紀からアステカ族がテスココ湖上の小島に築いて栄えていたアステカ王国の首部テノチティトランが、16世紀前半(1521年)にスペイン人エルナン・コルテスによって征服破壊され、その廃墟が埋め立てられた上に、スペイン人によって建設された都市。
 1913年、ソカロ付近で工事中にアステカ神殿の基底部や蛇の頭の彫刻が発掘され、ここがアステカ帝国最後の最大都市、テノチティトランの中心にあった大神殿跡であることが証明されました。
 要するに「アステカ遺跡」の上にある首都なのです。
 かつての大神殿はカテドラルやソカロ(広場)に変貌し、その他にも埋没した遺跡が各所にあり、そのため「掘れば遺跡が出る]といわれるように、現在も発掘作業が続いています。
 市街はソカロを取り囲むように、大統領府と大蔵省が入った国立宮殿、最高裁判所、などの官公庁と、アメリカ大陸で最大規模のメトロポリタンカテドラルなど、周辺には植民地時代の建造物が密集しています。
 (以下の画像はすべてクリックで拡大します。)
 
※市街中心部(Googleから):Blg

 なお余談ながら、周辺一帯が湖を埋め立てて造られた軟弱地盤のため、現在も道路や歴史的建造物も含めて建造物のゆがみ、傾きなどが収まらないという。

 
※地盤沈下のため眼で見てはっきり分かるほどに揺らぎ、ゆがむ建造物や道路。
 .本当に大丈夫?Img_7645ht_1

 地震大国日本のセンスではフラストレーションが溜まりそうな話と現実でした。

 
 ともあれ、ガイドさんの説明をききながら、
※国旗たなびく ソカロ(広場):Photo

 
※国営質店(宝石、貴金属など扱っているそうですが、買い物は素人には難しそう):Img_2234cmonte_de_piedad

 
※国立宮殿:Img_2241c

 
※最高裁判所(画面奥中央):Img_7638c

 
※ラテンアメリカ最大の規模を持つメトロポリタン大聖堂&隣接するアスンシオン礼拝堂正面(ファサード)見学入場:
 国立宮殿と同様に、アステカ神殿跡に建造されたもの。破壊した神殿の石材を使用して建造されたという。Blgs

Blgmg_2256hct

 
※さらにカテドラルの裏に残るアステカの神殿跡「テンプロマイヨール遺跡」見学。
 テノチティトランの中央神殿跡です。傍らにはメキシコ国立人類学歴史研究所とテンプロマイヨール博物館があります。
 高さ45mを誇った巨大な建造物は、7層も積層されて築かれた遺構であることが分かるよう発掘が進められていました。
 また近くの広場路上には透明強化ガラス板が埋め込まれていて、そこからは、埋め立てられて現在は地下になってしまっている、階段遺構がみえるところもありました。Photo_2

 
 一連の見学を終えて宿泊ホテルへ向かうバスの車窓から:
※(アステカ、植民地時代、そして現代の3文化が一堂に会する)「三文化広場」、
 また、各種の銅像(画像下左コロンブス、右クアウテモック記念像(アステカ帝国最後の皇帝)や独立記念碑(画像下2枚目)が立ち並ぶ大通りレフォルマなどの風景を眺めながら宿泊ホテルへ。36m

 
※市内随所にちょうど花期を迎えた紫の花ジャカランダが咲きみだれ、ホテル前の路上には小柄で”うろこ模様”が特徴の「インカ鳩」がウロウロ(写真ピンぼけ)。Photo_3

 余談1:
 メキシコはビールの種類も豊富で、食事の際は、たいていどこに行っても6種類ほどの銘柄が出てきます。

■夕食までの自由時間に、(途上バスの車窓から見えたすぐ近くの、独立記念塔(1910年建造、高さ36mのコリント様式の塔。頂上には天使像が飾られている)など市内散歩・見学にも。
(→なお、独立記念塔には、3日目朝、メキシコシティ出発時に再度立ちより下車、見学しました。) 

★余談2:
   現地日本語ガイド氏との雑談の中で:
 クリストファー・コロンブスは1492年「新大陸」を「発見」した世界史上の“偉人“の一人として習ったものでした。
 (この頃日本では北条早雲が八丈島を探検させていましたが。)
 その実は、スペインのイサベラ女王の援助を得て、1492年に現在のバハマ諸島の一角サン・サルバドル島に上陸、「西欧人による新大陸発見」を成し遂げ、さらに4次に渡る航海でカリブ海一帯を探検、中米および南米大陸をのぞむところまで到達しました。
 発見した「新大陸」は、発見前から独自の高い文明を持つ民族が住んでいたのですが、彼は自分が到達した場所はインドであると最後まで信じ続けていたそうです。
 これを機にやがてアステカ帝国の歴史文化文明も失われていく運命をたどりました。
 コロンブスによって発見された「新大陸当事者の末裔」の人々にとって、彼に対する評価・感情は”偉人”とはほど遠いものです、というガイド氏の話しは無理からぬことと思ったことでした。      
                (メキシコシティ(2連)泊)
 
             次ページ2日目に続きます。

|

« 冬芽と葉痕・維管束痕:クサギ/センダン/フジ/ネジキ | トップページ | マヤ文明とメキシコ7つの世界遺産を訪ねる旅(2015/2): 2日目 »

海外旅行」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。