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2016年4月23日 (土)

シルクロード(ウルムチ・トルファン・敦煌・西安)をめぐる旅(3)

 2日目の記事に続きます。

3日目:ウルムチ~トルファン

※トルファン基本情報: 
 ・トルファン(吐魯番)は天山山脈の雪解け水で潤うオアシスであって、西域に進出しようとした漢民族はここを拠点とし、遊牧民族との間に興亡の歴史を繰り広げて来た地域。
 現代のトルファン市は中国新疆ウイグル自治区中部、天山山脈東部山間の盆地に位置する地級市であり、市名は、ウイグル語で「くぼんだ土地」を意味する。
 総人口(2013年)は61万人で、ウルムチ311万人(2010年)よりはずっと少ない。
 内訳ではウイグル族が70%を占め、残りは漢族が多い。

 ・地勢的に、トルファン盆地の平均海抜は大変低く、マイナスの場所も多数あり、トルファン市の南にあるアイディン湖の水面は海抜-154mで、中国では最も低く、世界で二番目に低い。(ちなみに世界一は死海の-399m。)
 また夏は非常に暑く、最高気温は平均で40℃近くに上り、最高気温極値はで50.2℃を記録したという。
 冬の寒さはまた厳しい。
 砂漠気候で年間降水量は25mmと少なく、盆地内は乾燥し、日照時間が長いので、特産品はブドウ、ハミウリ、長絨綿、季節外の野菜などの経済作物となっている。
 また砂漠地域は常時風速20m以上の風が吹いている強風地帯になっている。

 ・トルファンには観光資源が豊富。
  6つの全国重点文物保護単位(交河故城、高昌古城、ベゼクリク千仏洞、蘇公塔、アスタ-ナ古墓群、台蔵塔)や、名勝としては火焔山、アイディン湖、葡萄溝、カレーズ等がある。
 なおカレーズは、砂漠地帯に水を引くための潅漑機構で、天山山脈の雪解け水を水源として山の麓から20 ~30mの間隔で井戸を掘って並べ、その底を繋いで水路としたもの。
 11世紀ごろにイスラム勢力より伝わったと解説されていました。Img227c

●日程記録:
 (午前)
  ホテルにて朝食後、9:00バスでオアシス都市・トルファンへ向かう。 
  吐魯番へ向かう高速道路は新幹線と並走して通じているが、その道すがら、強風地帯という立地条件に適した大規模の風力発電施設域が一面に広がる光景は圧巻。

 ①AM 9:40、風力発電所見学、兼トイレ休憩。
   
 ガイド氏によれば、この地区の風力発電施設の広さ/規模は現時点で世界第2位。
 金儲けになる風だから、”金風”と言う会社がやっているという。( Goldwind is an international, multi-faceted wind power company based out of Beijing, China. Goldwind was founded in 1998 in Urumqi, Xinjiang and became a joint stock limited liability company in 2001.)
 (余談ながら、トップはアメリカにある*Alta Wind Energy Center:アメリカ合衆国カリフォルニア州カーン郡のテハチャピ山地のテハチャピ峠に存在する集合型風力発電所で、2013年の時点で世界最 大の発電容量を持つ。合計の設備容量は1320MWに上る)。

 また、こ辺り一帯はゴビ/ゴビ灘(砂礫、砂利、小岩の混じった乾燥地帯)と呼ばれる地域。   
 砂だけしかない砂漠とは異なり、ゴビではラクダソウやタマリスク(紅柳)、セキセキソウ等の植物が育ち、ラクダや野生のヤギが生息している、おまけに風力発電機が”生えている”地帯が続いていて”奇異国”情緒たっぷり。Photo

 
 ②AM 10:12、車窓から、白銀に輝くボゴダ峰を背景に、塩の湖『塩湖』を遠望。(塩産出150万トン/年という。)
   ” 中国の死海”と呼ばれ、塩水浮遊場では「塩湖」浮遊体験という観光もできるそうだ。Photo_2

 
 ③AM 11:00、サービスエリアでトイレ休憩。
  辺りはまだ延々と風力発電施設が続く。Photo_3

 AM 11:42、高速を降りてしばらくでトルファンに到着(トルファンとは暑い場所、の意味とも説明が)。
  観光入場券を購入するため観光案内所でバスは一旦停車。
  ガイド氏が手続きを済ませる間、傍のショッピングセンターなどで時間待ち。

 
 ④AM 12:10、葡萄農家に立ち寄り。
   カレーズ博物館に向かう途中で、ブドウ農家に立ちより見学。
   干しぶどう試食、購入も。品数も豊富で確かに美味しいものでした。Photo_4

 その後、さらに少し走ってAM 12:50、「カレーズ博物園」に到着。
 「カレーズ」見学へ。

 ⑤「カレーズ博物園」:
  カレーズとはペルシャ語で「地下水」の意味。
  ここでは天山山脈の雪解け水がつくる地下水脈を、延々と地下水路(暗渠)で導き、地上に出して農業用水・生活用水(明渠)として利用する水道システム(カレーズ)が実体とともに紹介、展示されている。
 山の麓で掘り当てた地下水脈に竪穴の井戸が掘られ、それらの井戸と井戸を横穴で繋いで造られた地下水路を水が流れているのだ。
 竪穴井戸の数は1,000ヵ所以上にも及び、カレーズの総延長は3,000kmにも及ぶという。
 竪穴井戸の深さは地下数メートルから数十メートルにも達しているそうだ。
 なお、博物園展示では、カレーズの立体模型/ジオラマと、(珍しく)日本語による新疆カレーズ案内板もあってわかりやすかったです。

 ・画像は順に、
  現在も使われているカレーズ水路、竪穴掘り作業ジオラマ、カレーズ模型/ジオラマ展示、坆児井(カンアルチン:命の泉)、ぶどう園のカレーズ、そして出口へ。12

 
 ⑥見学後、昼食レストランに向かう。昼食(PM 2:00~)は「郷土料理」。Photo

 昼食後 14時50分出発、

 (午後)
  トルファン市内の観光へ:
 まずは交河故城へ。

 [交河故城]:
  PM 3:00到着。ここは巨大な黄土の断崖にある島状の城址遺跡。
  前漢時代に屯田が設けられたのが初めて。その後、交河故城を王城とする車師前国が栄えていたが、元代には衰退して、現在は荒涼とした街跡が残る、中国唯一の漢代からの都市遺跡・世界遺産。

 見学は電動カートで巡る。(見学時の暑さしのぎに、ショップで“つば広の帽子”購入も。)

 
 ・画像は交河故城入り口、すぐに屋外展示されている交河故城の巨大な復元模型、そして広場から電動カートで見学スタート風景。1_2

 
 ・続いて、歩くと暑い長い上り坂を進んでいくと、仏教寺院跡をはじめ官署の遺跡(外部)、続いて地下に降りて内部、その他広大に地域に点在する多数の建築物群の遺跡風景です。2_2

 見学後、バスでトルファン中心街を通り抜けて1時間半ほど走る。

 PM 4:35頃 
 ⑧火焔山(かえんざん)通過:
  次の目的地に向かう途中のバスから炎模様の赤い山肌をした[火焔山]を眺めるだけで立ち寄らずに、火焔山入り口前を通過します。
 『西遊記』の舞台としても有名な火焔山はトルファン盆地の北端に100kmにわたり連なる山脈で日中気温が40℃を超えると辺りの地表温度は60℃を超え、赤いシワの山肌が陽炎で炎のようにゆらめくという。

 ・写真はおよそPM 4:35~4:40位の風景。Photo

 
 ⑨葡萄溝:
  火焔山を通過したPM 4:45分頃、辺りのトルファン盆地一帯のオアシスに入ると、並木や葡萄園の緑が広がり、日干し煉瓦造の葡萄乾燥室を備えた葡萄栽培集落が現れる。
 一帯は葡萄溝と呼ばれ、今も約5,000人が住み、葡萄栽培を行っているという。N

 
 ⑩[高昌故城]:
  PM 4:50着。ここはトルファン市の南東にある世界遺産:
  一辺が1.5kmの土壁で囲まれたほぼ正方形で、面積は200万㎡。
  曲折を経ながらも明代まで約1500年間栄えた高昌国の王城跡地。

  漢代の武帝が置いた郡が独立したことから始まり、柔然が460年に都とした独立国、高昌国・高昌城遺跡。
 628年頃には玄奘三蔵法師が天竺(インド)へ向かう途中に1カ月滞在し、仏教の講義をしたといわれる。 
 当時の高昌国王の麹氏は仏教を信仰していたが、その直後から、唐によって滅ぼされる運命を辿っていった。
 15年後に玄奘がインドからの帰国途中立ち寄った時には、すでに滅んでいたという。

 現在、1.5km四方の広大な範囲に土を固めて造営した城壁が城を取り囲んで残っている。
 その中の一角には仏教信仰をあらわす寺院遺跡があり、三蔵法師が説法をしたという建物遺跡や、高さ15mの仏塔、また仏塔の壁には仏像を描いた跡も残っている。

 PM 4:55位から見学カートに乗って巡る。

 ・画像は乾ききった広大な大地、そこに残るすっかり風化した日干し煉瓦作り建造物の残骸風景。1

 
 ・三蔵法師が説法をしたという西南大仏寺講堂/説経堂遺跡。2

 
 ・そして大仏寺中心塔殿の高さ15mの仏塔と、壁に残る仏像を描いた跡など。3

 
 ・余談ながら、乾燥した地面の方々で、大きさ2cmほどの甲虫が這い回っていました。4_img_12072cm_37

 見学終了PM 5:45。
 次の見学地へ移動。

 ⑪[アスターナ古墳群]:
   PM 6:00,現地到着。
   ここアスターナ古墳群は、6~7世紀に繁栄した高昌国時代の貴族の古墳群と、唐代のオアシスの民の墓地。
 アスタ-ナというのはウイグル語で「都市」の意。
 数百にも及ぶ古墳、墓の中からは絹織物、文書、陶器、貨幣などが発見されている。
 また古墳の遺体はミイラとなって保存され、役人、商人、平民それぞれが展示されている。
 なおアスターナ古墳群遺跡入り口に掲示板が掲げられていて、およそ次のような記述と表示がありました。

 *記事:
 年内高温情況
 トルファンは海洋から遠く離れていて、降雨量はきわめて少なく、 年平均降雨量は16mm、蒸発量は3000mmと全国でもっとも 乾燥した地域であるため、放置された“物品”は腐ることなくミイラ化現象が発生する。

 *グラフ:
 年間の月別最高/最低温度を示す棒グラフが表示されています。  
  読み取ると、概略は最も暑い7月の最高気温は48℃、 最も寒い1月の最低気温は-15℃、最高気温は6℃。

 ・画像は施設入り口と、上記掲示板、そして敷地内の風景の一部。墓地区域や墓内ミイラの写真はありません(撮影禁止)。New

 見学終了後、18:40頃出発、トルファンから東へ約50kmのところに位置している ベゼクリク千仏洞へ向かう。

 
 ⑫途中で(トルファンのグランドキャニオンと呼ぶそうだが(呼ばない方が良さそう)火焔山のビューポイント(ムルトク河畔)で写真ストップ。Img_1237_11cht

 火天山山脈を水源とし、火焔山を遮るムルトク河の西岸に「ベゼクリク千仏洞」がある。

 
 ⑬[ベゼクリク千仏洞]:
  18:50着。内部見学時には懐中電灯必要。
6世紀の高昌国の時代から、西ウイグル帝国が栄えていた時代を経て、宋・元の時代に至る14世紀ごろまで寺院として開かれていた仏教石窟。
 Bezeklikとは、ウイグル語で「ペインティング(壁画)がある場所」という意味。
 当初の石窟の数は70数窟で、南北約400mに渡って開鑿されていたというが、現在残っているのは60前後で、ベゼクリク千仏洞の受難史が窺われる。
 最初の受難は14世紀、偶像崇拝を禁止するイスラム教徒による破壊。塑像は破壊され壁画の目はえぐり取られた。
 2回目は20世紀初頭に行われた欧州列強たちの探検隊による破壊/持ち去りだった。
 スウェーデンのヘディン、イギリスのスタイン、ドイツのル・コック、フランスのペリオ、ロシアのオルデンブルグなどが次々と探検調査に入り、”放置すれば消失する人類共通の貴重な文化遺産を守る“として壁から壁画をはぎ取って自国に持ち帰った。
 日本の大谷探検隊も参加している。
 現在は、それらの破壊とともに侵食による傷みが激しく、往時の華麗な壁画はほんの一部が残っているに過ぎない。


 (※参考:「貴重書で綴るシルクロード」 : http://dsr.nii.ac.jp/rarebook/01/ )

 余談:
 なお、荒廃していた歴史的文化遺産を“人類共通の普遍的価値を有する文化遺産として保護する”として、先進諸外国によって持ち出され、占有された文化財の事例は他にも少なくはありません。
 
 そのような情況の中でも、散逸したベゼクリク千仏洞の壁画像に関しては、石窟大回廊などの画像を復元する日本のプロジェクトの活躍などによって、その成果もすでに公開されています。
 ※参照URL: http://museum.ryukoku.ac.jp/bezeklik/index.html

 ※ [DVD] NHKスペシャル 新シルクロード 特別版 
   第2集 『 トルファン 灼熱の大画廊』:(NHKエンタープライズ、2005/09/22発売)
   (→こちらは図書館で借りて観賞しました。)

 ・画像は夕刻のベゼクリク千仏洞施周辺の風景のみで、壁画の写真はありません。(窟内の撮影禁止。)
 参考までに購入書籍から一部コピーしたものを次の写真の後に添付しました。

● (右上)写真の前方(奥)の石窟が、現在公開されている石窟群で、修復作業も行われたりしていて見学できるのは数窟だけ。どこが見学出来るのかは、当日にならないと分からないとのこと。
Photo_2

 
 ・書籍からコピーした壁画の例Blg2069

 見学終了はPM 7:30。

 
 ⑭トルファンへ。
  さすがに夕日も傾き、残照の風景を眺めながら市内の夕食のレストランへ。
 夕食は、民族音楽を聴きながら新疆名物「ラグ麺とトルファン料理」。Photo

 食後21:22ホテルに向かい、ホテル着21:55
 長い一日でした。
              【トルファン/泊】

             - 4日目に続く -

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