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2016年4月27日 (水)

シルクロード(ウルムチ・トルファン・敦煌・西安)をめぐる旅(完)

 6日目の記事の続きです。

■7日目: 終日 西安郊外・市内観光。Img231c

 (午前)
 朝の景色は霞んでいました。ホテルにて朝食後、8:00バスで出発。7

 約20分ほどで、まず

●「陝西(せんせい)歴史博物館」へ。
 ※「陝西歴史博物館」は、1983年より建設が始まり、1991年6月20日に開館。
 建物は「真中は殿堂、四隅は崇楼」という唐風の大きな建築物群です。
 敷地面積は6万5,000平方メートル、建築面積5万5,600平方メートル、文物庫面積8,000平方メートル、展示エリア面積1万1,000平方メートルということです。

 ・かつて陝西省には、周、秦、漢、唐など13の王朝がこの地に都を定めていました。
 その豊かな歴史文化の遺産として、ここには陝西省で発掘された周・秦・漢・唐の時代を中心に、先史時代から清代までの、青銅器や工芸品など50万点余の文物件(pieces)が収蔵されています。  
 ・中でも商周時代の青銅器、漢唐時代の金器と銀器、唐時代の窟壁画、各時代の様々な姿の陶製人形、その他の所蔵品から精選された逸品約3,000点の展示物は量、質ともに中国内有数の大型歴史博物館とのことです。

 *建物正面、そして正面をバックに記念撮影をする地元の”修学旅行生”一行。
 (前に掲げられた横断膜には“奨学基金、運営委員会、中国統一英才教育”などの文字が見えました。)Photo

 ・駆け足の見学などでの理解はとうていムリなので、陝西省博物館 編のガイドブッを購入。 日本語版は無いとのことで、中国語/英語併記版でした。

 『文物精華/THE GEMS OF THE CULTURAL RELICS)』 (1992年6月第1版第1次印刷、138元) 
 (なお本書前言(Preface)によれば、本書は多数の収蔵品から約100点あまりの文物を精選して、青銅器、金銀器、玉器、石刻、陶俑、そして唐三彩の6部門に編集し、中国内外の愛好者の観賞に供するもの、とのこと。)
 (後でじっくり読み・・・ませんね。やっぱり。)
 ついでに「唐代仕女」絵はがきセット(20元)も購入。

●見学:
 現地ガイドの案内で重点ポイントのみ概略見学。その後は、集合時間まで自由見学に。

 *まず、博物館の玄関ホールに入るなり目に飛び込んできたのは唐時代の巨大な石獅(則天武后の母の墓前に置かれていた石像のレプリカ)です。4img_9908

 高さ3.1メートル、重量20トンで、この博物館のシンボルという。日本の狛犬には較べようもありません。
 昔からすべて”巨大”であることが伝統文化だったのですね。

 後は適当に撮った写真の例です。

 
 *青銅器では,「彩絵雁魚銅灯」(彩色された、魚を咥えたガチョウをモチーフにした青銅製ランプ)(西漢(206B.C.-A.D.8年) ; また「塗金銅龍」(金箔被覆青銅製の龍)(唐)。Photo_2

 
 *金銀器では「金餅」(Gold Discs)、(西漢(206B.C.-A.D.8年)、219枚が出土したという。1枚当たりの重量は227.6~254.4グラム。Photo_3

 
 *玉器では瑪瑙の「印」(高さ2cm、四角形の1辺の長さ2.8cm)、また水晶や瑪瑙の「装身具」など。Photo_4

 
 *文物では、「唐長安城図」(唐 長安市地図):
 (当時の国際都市長安には、日本から使節、留学生、留学僧が数多く派遣されていて、奈良の平城京、京都の平安京のモデルとしても、学ぶところが多かった文化・.文明先進国だったのです。)
 「试题纸」(試題紙):
 科挙(試験の)答案用紙 (清、光緒元年(1875年)など。Photo_5

 
 *唐俑、唐三彩などの陶磁器では
 「三彩女立俑」高さ44cm、唐墓出土 ; また「彩絵女立俑」(唐代の代表的美人) ; 
 更には明代(1368-1644年)の「彩絵陶儀仗俑群」(皇帝陵墓に副葬された300体余りの彩色陶製、儀仗(墓守)俑群) ; 磁器製の枕、など。Photo_6

 
 *常設展示の”陝西古代文明”ゾーンでは時代を追って展示がされていました。
 陝西古代文明展示ゾーン、兵馬俑坑から出土した兵士俑や馬俑。10

 
 博物館見学後、移動して

●世界遺産「大雁塔」見学へ。
 ここは三蔵法師で有名。インドから持ち帰った経典や仏像などを保存するために建立された楼。
 *玄奘(三蔵法師)像 ; 慈恩寺大雁塔遠望。11

 その後

●陝西省美術博物館へ。
 *ここは純粋に学術的な施設というものではなく、巧妙な“お土産用高額美術品販売“が目的のようデス。(中国ではこの種の商いをする”博物館“などと銘打った施設が他の地域にもありますね。)  ウンザリしながら足止め滞在約1時間。12

 
 退散してからバスで約1時間移動して
 今回ツアーの目玉「世界遺産」秦の始皇帝陵と兵馬俑坑博物館地区へ。

 現地到着後、まず昼食の「郷土料理」13

 
 (午後)

●兵馬俑坑博物館見学:
 秦始皇帝陵と兵馬俑は1987年に世界遺産に登録されています。
 1974 年に最初の兵馬俑坑が発見されて以來、現在まで3つの俑坑が確認され、それぞれ1、2、3号俑坑と番号付けされています。

 ・現地到着後、秦始皇兵馬俑博物館のゲートに向かい、手荷物検査などセキュリティ通過、「兵馬俑坑1号館」へ。
   なお先に余談ですが「兵馬俑坑1号館」は、すでに多数のTV特別番組、ドキュメント映像、写真、展覧会などで以前から見知っていた通りでした。
 ただ現地を見て分かったのは、当然ながら報道されていた映像などは広大な1号館内の整備が終わった1部分だけで、実際の館内状況は、発掘中の作業現場(仮置き場や修復中など)や、未発掘部分のスペースの方が広い、ということでした。

 
 *一号館:
  1番大きいのが一号館(1号俑坑)で、一部では現在も発掘が続けられているそうです。
 東西230m、南北62m。すべての発掘が終われば6,000体以上の兵馬俑があることが分かっているということですが、現時点(訪問時)では、発掘済み兵馬俑の整備と、その修復作業が行われている状況でした。
 1号俑坑の兵馬俑配置は、戦車兵、騎兵や歩兵などが整然と隊列を組んで、あたかも巨大な地下始皇陵を守護する近衛軍団の布陣の様子を再現しているのだそうです。
 (以下、画像はクリックで拡大します。)141

 
 次いで三号館へ。

 *3号坑(三号館)は発掘が完了して、軍団の『司令部』を再現したものと考えられているという。153

 
 続いて二号館へ:

 *2号坑(二号館)は、訪問時に一部発掘の手が付けられた形跡も見られましたが、現時点では殆ど発掘作業は停止されているようでした。
 そして発掘過程の記録解説写真パネルや、兵馬俑坑構築用具、“部品”、またその全体構造の模式図など、わかりやすい解説・案内パネルが随所に配置されていて、学術的見本展示館、の趣でした。
 なお陳列されていたガラスケースには、発掘された状態の良い代表的な俑が展示されていました。162

 俑は着色されていた証拠が分かるものが展示されています。
 なお展示の俑は実際の身長より大きめに作られて強い人間を表現している、とか、ゲルマン民族をモチーフにしたなど諸説があるとのことです。

■追記:
 なお、1~3号俑坑中には、等身大(平均1.8m)の陶俑や陶馬が合計で8、000~10、000体あると推定されているという。

 
 最後に、別棟の「青銅馬車」展示館見学。

 *2台の青銅馬車が展示されていました。
 ものすごい人混みで近寄ることも困難で、十分見られそうにもないため早々に退出。
 東京でレプリカ展示をゆっくり見ていたのであきらめがつきました。17

 以上で、兵馬俑関連施設の見学を終了。

 
 PM 3時45分頃博物館を出て次の見学地、秦始皇帝陵博物院へ移動。

●[秦始皇帝陵・世界遺産]:
 中国を初めて統一した始皇帝の陵墓は、西安市臨潼区の東 6 キロメトールに位置しています。
: *ユネスコ世界遺産表示のある標石の向こうに遠望できるのが始皇帝の陵墓です。
 そこまでは行きませんでした。18

 <メモ>
※秦の始皇帝:
 今から約2,200年前、始皇帝(紀元前259年~ 紀元前210年)は、中国戦国時代の「秦王」として13歳で即位し(在位紀元前246年~ 紀元前221年)、わずか26年間で自国以外の戦国七雄を滅ぼして天下を統一し、中国大陸に王朝・秦を打ち立てて、紀元前221年に最初の「皇帝」の名乗りをあげました。
 そして始皇帝としての在位は前221(38歳)~前210(49歳没)まででした。
 (しかし、秦は紀元前210年の始皇帝の没後僅か4年後の紀元前206年に、建国15年で滅亡してしまいました。その辺りの歴史を少しのぞいてみると、当然のこと滅びてしかるべき理由があって滅亡したもの。後世、その轍を踏まないように、国家の運営は実践されなければなりませんね。)

 始皇帝は天下統一をはかると万里の長城や巨大な建造物の造営に乗り出し、また始皇帝陵を永遠に守る陵墓副葬品として大量の近衛師団兵馬俑を作らせたのでした。

 
 *PM 4時40頃見学を終えて、5時過ぎには市内に戻ります。

 車窓から目にするのは相も変わらず建設中を含め、林立する高層住宅群などの風景。  
 (途中で“手織りのシルク絨毯工場”見学に連れて行かれて正直ウンザリ!)
 その後お定まりの渋滞にはまり、夕食のレストラン徳發長に着いたのがPM 6時40分頃。
 メニューは「西安餃子宴」。独特の16種の餃子でした。

 20:20レストラン発、ホテル帰着は21:40。疲れましたね。
 部屋から外を見ると、丸い月が出ていました。192140

                【西安泊】

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8日目:
 朝食はお弁当。 ・ホテル発5時40分、空港へ。 空路西安~上海~成田・帰国の途へ。
   
 *西安発8時00分→上海着10時00分 (西安=上海間:所要約2時間)、着後乗り換え8img_1634

 上海発12時00分→成田着15時55分(上海=成田間:所要約3時間)
 自宅までマイカーで無事帰宅(18時50分)

 やはり、何時も変わらず、中国は”近くて遠い国”ではありました。

                   (完)

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 ★後日(2016.9.21)追記:
  新聞の書評欄に掲載されていた下記の本。そうなのか、と興味深く読みました。

  岡本隆司著 「中国の論理」 歴史から解き明かす  
     中央公論新社2016.8.25.発刊 

 

 ★更に後日(2016.10.18)追記:
 NATIONAL GEOGRAPHIC 日本版
 2016.10.17
 「兵馬俑の職人、ギリシャ人芸術家が訓練か」と題する興味深い記事がありました。
 まだまだ奥が深いようです。
 http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/101400388/?P=2  

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