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2016年4月

2016年4月30日 (土)

タチイヌノフグリ、ムラサキケマン

●タチイヌノフグリ:
 先日、庭の雑草取りをしていた日当たりで、まさにニッチな場所にタチイヌノフグリ3株が、名前の通り直立して生えていたのが目にとまり、引き抜く前に記念撮影してから除去。R0091448

R0091450

R0091451

R0091454

 
●ムラサキケマン:
 目に付きにくい日陰に点々と生えていたムラサキケマン。
 気づいたものから除去していたのに、目の届かなかったところに残っていた一株に、既に種が形成されているのを見つけました。
 種が成熟するまで放置すると、種の鞘がはじけて周囲に種子散布してしまい、更にアリに運ばれて思いがけないところまで分布を広げてしまうので引く抜き除去。
 増えすぎなければ目の敵にする事はないのですが・・・R0091457

 雑草は丈夫です。

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2016年4月29日 (金)

過ぎゆく晩春

 地球が出来たのは、今から約46億年前のこと。
 以来ずっと地球は変化を続け、いまも地球温暖化に象徴されるように変化しています。
 地球の表面は十数枚のプレートと呼ばれる固い岩盤で覆われていて、プレートが衝突して沈み込みが起きる場所、またすれ違う場所では頻繁に地震が発生します。
 我が日本列島はまさにその様な場所です。
 ニンゲンの短い一生時間に較べれば、悠久の時間を通じて地震がなくなることはありません。
 ニンゲンはそういう星に住んでいますね。

 

 
■先日から、近郊の水田では早稲品種の田植えが始まっていました。Img_7990

 
■また水嵩の増した用水路や川には、産卵場所を求めて遡上する鯉の大群が見られるようになりました。Photo

 
■ヤエザクラは散り、街路樹のハナミズキの花びらも折からの強い北風に舞い、散り敷いていきます。Photo_2

 
■ご近所のお庭にもフジやツツジがきれいに咲いています。Photo_3

 
■狭い庭にも地面を覆うほどに、雑草を含む草花がはびこっています。
 ・カラー、シロバナサギゴケ(園芸種)、ナガバオモダカ、ムラサキカタバミ、アメリカスミレサイシン、ホタルカズラ。Photo_5

 
 ・キランソウ(ジゴクノカマノフタ)、マメカミツレ、チョウジソウ(園芸種)、ヒトリシズカ結実。Photo_6

 
 ・セイヨウジュウニヒトエ(園芸種)、エビネ類。Photo_7

 
■アマガエル、ヒシバッタ、ニホンカブラハバチ、セグロカブラハバチ、等々も姿を見せています。Photo_4

 ・ニホンカブラハバチ:R0091719

 ・セグロカブラハバチ:R0091712_2

  その他害虫もいろいろお出ましに。

 晩春も足早に過ぎようとしています。そしてゴールデンウイークもスタート。

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2016年4月27日 (水)

シルクロード(ウルムチ・トルファン・敦煌・西安)をめぐる旅(完)

 6日目の記事の続きです。

■7日目: 終日 西安郊外・市内観光。Img231c

 (午前)
 朝の景色は霞んでいました。ホテルにて朝食後、8:00バスで出発。7

 約20分ほどで、まず

●「陝西(せんせい)歴史博物館」へ。
 ※「陝西歴史博物館」は、1983年より建設が始まり、1991年6月20日に開館。
 建物は「真中は殿堂、四隅は崇楼」という唐風の大きな建築物群です。
 敷地面積は6万5,000平方メートル、建築面積5万5,600平方メートル、文物庫面積8,000平方メートル、展示エリア面積1万1,000平方メートルということです。

 ・かつて陝西省には、周、秦、漢、唐など13の王朝がこの地に都を定めていました。
 その豊かな歴史文化の遺産として、ここには陝西省で発掘された周・秦・漢・唐の時代を中心に、先史時代から清代までの、青銅器や工芸品など50万点余の文物件(pieces)が収蔵されています。  
 ・中でも商周時代の青銅器、漢唐時代の金器と銀器、唐時代の窟壁画、各時代の様々な姿の陶製人形、その他の所蔵品から精選された逸品約3,000点の展示物は量、質ともに中国内有数の大型歴史博物館とのことです。

 *建物正面、そして正面をバックに記念撮影をする地元の”修学旅行生”一行。
 (前に掲げられた横断膜には“奨学基金、運営委員会、中国統一英才教育”などの文字が見えました。)Photo

 ・駆け足の見学などでの理解はとうていムリなので、陝西省博物館 編のガイドブッを購入。 日本語版は無いとのことで、中国語/英語併記版でした。

 『文物精華/THE GEMS OF THE CULTURAL RELICS)』 (1992年6月第1版第1次印刷、138元) 
 (なお本書前言(Preface)によれば、本書は多数の収蔵品から約100点あまりの文物を精選して、青銅器、金銀器、玉器、石刻、陶俑、そして唐三彩の6部門に編集し、中国内外の愛好者の観賞に供するもの、とのこと。)
 (後でじっくり読み・・・ませんね。やっぱり。)
 ついでに「唐代仕女」絵はがきセット(20元)も購入。

●見学:
 現地ガイドの案内で重点ポイントのみ概略見学。その後は、集合時間まで自由見学に。

 *まず、博物館の玄関ホールに入るなり目に飛び込んできたのは唐時代の巨大な石獅(則天武后の母の墓前に置かれていた石像のレプリカ)です。4img_9908

 高さ3.1メートル、重量20トンで、この博物館のシンボルという。日本の狛犬には較べようもありません。
 昔からすべて”巨大”であることが伝統文化だったのですね。

 後は適当に撮った写真の例です。

 
 *青銅器では,「彩絵雁魚銅灯」(彩色された、魚を咥えたガチョウをモチーフにした青銅製ランプ)(西漢(206B.C.-A.D.8年) ; また「塗金銅龍」(金箔被覆青銅製の龍)(唐)。Photo_2

 
 *金銀器では「金餅」(Gold Discs)、(西漢(206B.C.-A.D.8年)、219枚が出土したという。1枚当たりの重量は227.6~254.4グラム。Photo_3

 
 *玉器では瑪瑙の「印」(高さ2cm、四角形の1辺の長さ2.8cm)、また水晶や瑪瑙の「装身具」など。Photo_4

 
 *文物では、「唐長安城図」(唐 長安市地図):
 (当時の国際都市長安には、日本から使節、留学生、留学僧が数多く派遣されていて、奈良の平城京、京都の平安京のモデルとしても、学ぶところが多かった文化・.文明先進国だったのです。)
 「试题纸」(試題紙):
 科挙(試験の)答案用紙 (清、光緒元年(1875年)など。Photo_5

 
 *唐俑、唐三彩などの陶磁器では
 「三彩女立俑」高さ44cm、唐墓出土 ; また「彩絵女立俑」(唐代の代表的美人) ; 
 更には明代(1368-1644年)の「彩絵陶儀仗俑群」(皇帝陵墓に副葬された300体余りの彩色陶製、儀仗(墓守)俑群) ; 磁器製の枕、など。Photo_6

 
 *常設展示の”陝西古代文明”ゾーンでは時代を追って展示がされていました。
 陝西古代文明展示ゾーン、兵馬俑坑から出土した兵士俑や馬俑。10

 
 博物館見学後、移動して

●世界遺産「大雁塔」見学へ。
 ここは三蔵法師で有名。インドから持ち帰った経典や仏像などを保存するために建立された楼。
 *玄奘(三蔵法師)像 ; 慈恩寺大雁塔遠望。11

 その後

●陝西省美術博物館へ。
 *ここは純粋に学術的な施設というものではなく、巧妙な“お土産用高額美術品販売“が目的のようデス。(中国ではこの種の商いをする”博物館“などと銘打った施設が他の地域にもありますね。)  ウンザリしながら足止め滞在約1時間。12

 
 退散してからバスで約1時間移動して
 今回ツアーの目玉「世界遺産」秦の始皇帝陵と兵馬俑坑博物館地区へ。

 現地到着後、まず昼食の「郷土料理」13

 
 (午後)

●兵馬俑坑博物館見学:
 秦始皇帝陵と兵馬俑は1987年に世界遺産に登録されています。
 1974 年に最初の兵馬俑坑が発見されて以來、現在まで3つの俑坑が確認され、それぞれ1、2、3号俑坑と番号付けされています。

 ・現地到着後、秦始皇兵馬俑博物館のゲートに向かい、手荷物検査などセキュリティ通過、「兵馬俑坑1号館」へ。
   なお先に余談ですが「兵馬俑坑1号館」は、すでに多数のTV特別番組、ドキュメント映像、写真、展覧会などで以前から見知っていた通りでした。
 ただ現地を見て分かったのは、当然ながら報道されていた映像などは広大な1号館内の整備が終わった1部分だけで、実際の館内状況は、発掘中の作業現場(仮置き場や修復中など)や、未発掘部分のスペースの方が広い、ということでした。

 
 *一号館:
  1番大きいのが一号館(1号俑坑)で、一部では現在も発掘が続けられているそうです。
 東西230m、南北62m。すべての発掘が終われば6,000体以上の兵馬俑があることが分かっているということですが、現時点(訪問時)では、発掘済み兵馬俑の整備と、その修復作業が行われている状況でした。
 1号俑坑の兵馬俑配置は、戦車兵、騎兵や歩兵などが整然と隊列を組んで、あたかも巨大な地下始皇陵を守護する近衛軍団の布陣の様子を再現しているのだそうです。
 (以下、画像はクリックで拡大します。)141

 
 次いで三号館へ。

 *3号坑(三号館)は発掘が完了して、軍団の『司令部』を再現したものと考えられているという。153

 
 続いて二号館へ:

 *2号坑(二号館)は、訪問時に一部発掘の手が付けられた形跡も見られましたが、現時点では殆ど発掘作業は停止されているようでした。
 そして発掘過程の記録解説写真パネルや、兵馬俑坑構築用具、“部品”、またその全体構造の模式図など、わかりやすい解説・案内パネルが随所に配置されていて、学術的見本展示館、の趣でした。
 なお陳列されていたガラスケースには、発掘された状態の良い代表的な俑が展示されていました。162

 俑は着色されていた証拠が分かるものが展示されています。
 なお展示の俑は実際の身長より大きめに作られて強い人間を表現している、とか、ゲルマン民族をモチーフにしたなど諸説があるとのことです。

■追記:
 なお、1~3号俑坑中には、等身大(平均1.8m)の陶俑や陶馬が合計で8、000~10、000体あると推定されているという。

 
 最後に、別棟の「青銅馬車」展示館見学。

 *2台の青銅馬車が展示されていました。
 ものすごい人混みで近寄ることも困難で、十分見られそうにもないため早々に退出。
 東京でレプリカ展示をゆっくり見ていたのであきらめがつきました。17

 以上で、兵馬俑関連施設の見学を終了。

 
 PM 3時45分頃博物館を出て次の見学地、秦始皇帝陵博物院へ移動。

●[秦始皇帝陵・世界遺産]:
 中国を初めて統一した始皇帝の陵墓は、西安市臨潼区の東 6 キロメトールに位置しています。
: *ユネスコ世界遺産表示のある標石の向こうに遠望できるのが始皇帝の陵墓です。
 そこまでは行きませんでした。18

 <メモ>
※秦の始皇帝:
 今から約2,200年前、始皇帝(紀元前259年~ 紀元前210年)は、中国戦国時代の「秦王」として13歳で即位し(在位紀元前246年~ 紀元前221年)、わずか26年間で自国以外の戦国七雄を滅ぼして天下を統一し、中国大陸に王朝・秦を打ち立てて、紀元前221年に最初の「皇帝」の名乗りをあげました。
 そして始皇帝としての在位は前221(38歳)~前210(49歳没)まででした。
 (しかし、秦は紀元前210年の始皇帝の没後僅か4年後の紀元前206年に、建国15年で滅亡してしまいました。その辺りの歴史を少しのぞいてみると、当然のこと滅びてしかるべき理由があって滅亡したもの。後世、その轍を踏まないように、国家の運営は実践されなければなりませんね。)

 始皇帝は天下統一をはかると万里の長城や巨大な建造物の造営に乗り出し、また始皇帝陵を永遠に守る陵墓副葬品として大量の近衛師団兵馬俑を作らせたのでした。

 
 *PM 4時40頃見学を終えて、5時過ぎには市内に戻ります。

 車窓から目にするのは相も変わらず建設中を含め、林立する高層住宅群などの風景。  
 (途中で“手織りのシルク絨毯工場”見学に連れて行かれて正直ウンザリ!)
 その後お定まりの渋滞にはまり、夕食のレストラン徳發長に着いたのがPM 6時40分頃。
 メニューは「西安餃子宴」。独特の16種の餃子でした。

 20:20レストラン発、ホテル帰着は21:40。疲れましたね。
 部屋から外を見ると、丸い月が出ていました。192140

                【西安泊】

_______________________

8日目:
 朝食はお弁当。 ・ホテル発5時40分、空港へ。 空路西安~上海~成田・帰国の途へ。
   
 *西安発8時00分→上海着10時00分 (西安=上海間:所要約2時間)、着後乗り換え8img_1634

 上海発12時00分→成田着15時55分(上海=成田間:所要約3時間)
 自宅までマイカーで無事帰宅(18時50分)

 やはり、何時も変わらず、中国は”近くて遠い国”ではありました。

                   (完)

:・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 ★後日(2016.9.21)追記:
  新聞の書評欄に掲載されていた下記の本。そうなのか、と興味深く読みました。

  岡本隆司著 「中国の論理」 歴史から解き明かす  
     中央公論新社2016.8.25.発刊 

 

 ★更に後日(2016.10.18)追記:
 NATIONAL GEOGRAPHIC 日本版
 2016.10.17
 「兵馬俑の職人、ギリシャ人芸術家が訓練か」と題する興味深い記事がありました。
 まだまだ奥が深いようです。
 http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/101400388/?P=2  

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2016年4月26日 (火)

シルクロード(ウルムチ・トルファン・敦煌・西安)をめぐる旅(6)

 5日目の記事の続きです。

■6日目:敦煌~西安
 (午前)
 ホテルにて朝食後、9時30分発、敦煌市内観光 

●[敦煌市博物館]:
 2012年5月に市内から鳴山路に移転してリニューアルオープンした敦煌博物館。
 立派な建物には、漢代から現代まで敦煌の歴史を学ぶことができるよう、時代ごとに多くの文化財・遺物が展示されています。
 メイン展示は莫高窟のレプリカ。莫高窟では写真撮影禁止でしたが、ここでは撮影OK。
 多数の展示があり,駆け足見学。

 そのいくつかの例示写真。
 詳細は省略しますが、
 順に
 ・仏画
 ・莫高窟壁画に描かれた長城の出入関図、また葛西漢長城の走行分布図など。 
 ・漢王朝時代のシルクロード地図
 ・元代、マルコポーロ敦煌見聞経路図
 (以下の画像はクリックで拡大します。)11

 ちなみに主要な展示には日本語を含む4カ国語の解説があり、時間があればじっくり見学出来ます。 
 その一例
 ※漢長城の解説(4カ国語中の日本語):
 (原文のまま→)「漢長城は延々と千キロ以上延び、辺鄙なところにあり、大量の兵士が駐屯していた.長城沿線の安全を守るため、漢王朝には23歳から56歳までの男性は国境地区へ1年の兵役に服する義務があった。
 普段は農作業に従事し,戦争時は戦いに出る。漢長城に駐屯していた軍隊に厳しい軍事と行政管理の制度があり、見張りを担当する兵士は常に軍事訓練に参加し定期的に審査を受け、成績の優れた兵士は賞金を与えられた。
 また、駐屯兵氏の日課は文書の伝達で、文書の出所や行方、担当者などの詳細を記録することであった。
 労作、功労と過湿、軍事機能、病気などの情況が詳しく記録されていた。さらに、専門の管理機関や組織は駐屯任務を担当し兵士らは自分の労働と命で西北国境の平和と安定、民族の団結と国家の統一を守っていた。

 
 ・その他
 莫高窟第96窟写真パネル、莫高窟第45窟の塑像レプリカ、壁画写真パネル、その他各種の遺物、往時の月牙泉や莫高窟写真パネルなどの展示。2

 見学時間は約90分。

 
 この後、途中で夜光杯工場に立ち寄り。

○夜光杯工場見学/ショッピング:
 夜光杯は祁蓮(チーレン)山脈でとれる玉石から作られる玉杯で、鉄分を含むため、磁石に感応する、と言うオハナシでしたが・・・
 3000年の歴史を持ち,周代には皇室にも献上されたという。
 物好きが試しに“お買い上げ”。マグネットの上において持ち上げて見ると確かにくっついていました。
 ・工場見学3

 
 昼食は「郷土料理」
 ・食後、同じ建物のスーパーマーケットへ30分ほど立ち寄り。4

 
 その後、敦煌空港へ。
 
 敦煌空港着。ここで現地ガイドTさんそしてA氏とお別れ。

 
 (午後)
 中国東方航空 国内線 敦煌発15:50にて西安へ。
 (所要時間2時間25分)5

※暇つぶしにパラパラめくっていた機内誌の記事:
 「中国公民出国(境)旅游文明行为指南」
 直訳すれば、 海外に行く中国人(ボーダー)の旅行文明的行為ガイド。 
 早い話、海外で何かと顰蹙を買っている行動を慎むように、と、「旅の心得10箇条」が書いてありました。
 ・リゾートの海浜で缶ビールの空き缶を投げ捨てるなど×。
 わかりやすい。守って下さいね。

 
 (夜 )
 ほぼ予定通り西安到着18:10、着後、空港ターミナルからは現地ガイド0氏が同行。

 西安(咸陽国際)空港は中国西北地区最大の空港で、西部大開発が進むとともに観光客、貨物取扱量が増加し、2012年5月に第三ターミナル完成が完成、その後も整備が進められた現在は中国で四番目に大きい空港という。
 確かに建物は広くまだ新しくきれいでした。
 (Google Earthから)Blggoogle

 ただそのためか、空港ターミナルを出てから、広大な敷地の一角にある駐車場のバスまで約15分、段差や未舗装の混在する道路を、各自スーツケースを押しながら歩いていかなくてはならないという。  まあ、その様なお国柄です。

 18:40頃バス出発、高速道路でホテルに向かう。所要時間約1時間の見込みでしたが、ちょうどラッシュアワーに重なり更に時間を要する大都会でした。6

 途中のレストランで夕食の「西安火鍋」

 ホテル着は21:00

■余談:
 バスの中で、ガイド氏の話:
 (日本には何回も訪れている、という日本通。日本語も達者で話題豊富)
※西安について
 ・西安空港は現在中国で4番目に大きい空港で、まだ新しい。
 ・地理:
  西安は咸陽と共に陝西省で、内陸部に位置する。冬は-8℃になり雪は降るがすぐに融ける。また夏は40~41℃にもなることがあり暑い。年間降雨量は600mm。内モンゴルの陝西省から日本まで黄砂が飛ぶ。
 ・産物:
  乾燥しているため米は獲れない。四川省から移入するがご飯にすると美味しくない。 小麦はまんじゅうにする。トウモロコシは豚の飼料に。春の代表的な果物としてクワの実が美味しく、秋にはザクロ、柿が美味しい。
 ・住んでいる代表的な動物はトキ、パンダ。
 ・植物で一番多いのはクワの木。
 ・鉱物では瑪瑙、水晶で、伝統の加工技術は日本の若狭、山梨まで伝わっている。
 ・電力はすべて火力発電で、風が吹かないので風力発電はない。
 ・新幹線が走っているので北京、上海でも数時間で行ける利便性がある。
 ・西安の人口(流動人口)は1千万人を超えている。(住所登録住民は800万人で、漢人のみである。全員マイカーを持っている。) (ウルムチはウイグル人が多いが)

             【西安/泊】(→2連泊) 
              - 7日目に続く

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2016年4月25日 (月)

シルクロード(ウルムチ・トルファン・敦煌・西安)をめぐる旅(5)

 4日目の記事の続きです。

5日目:終日 敦煌滞在

1img230c

  
 ・メインの莫高窟見学後の所感を先に。 
  つとに有名な敦煌莫高窟。素人が初めての「観光目的」で、近年急速に“充実“した商業的観光システムに乗せられれば、まあこんなものか、というところでした。
 しかし、「千仏の威厳を感じる霊感と(仏教)信仰心の篤い先人の“感性”の発露である諸芸術的作品は、ほんの一部を垣間見ただけですが、世俗の素人の目にもすばらしいものでした。

●日程記録:

(午前)
  ホテルで朝食後、ホテル発8時10分、敦煌観光へ。

 
―――――――――――――――――――――――――

※冗長な前置きメモ:

 *莫高窟由来と観光の現状:
 
①莫高窟(別名は敦煌千仏洞)(1987年世界遺産登録):
 敦煌は古代シルクロードの西域の軍事上の要衝であり、東西交易の拠点として繁栄し、また宗教、文化および知識が融合しあう合流地でもありました。
 その敦煌市の東南25km、三危山と鳴沙山の間を流れる大泉河(別名宕泉河)に浸食された鳴沙山の断崖上に築かれた仏像の石窟群が莫高窟。
 伝説によれば開鑿は4世紀後半、前秦の建元二年(366 年)頃。
 沙門楽僔という僧が、鳴沙山の東麓の三危山に夕日を浴びて輝く千仏の威厳を感じて石窟を築き、修業したのが始まりという。
 莫高窟は約千年にわたって掘られ続けた仏教芸術の聖地であり、最盛期には1000余りの窟龕(くつがん)を数えたそうだ。  
 現存する窟数は492窟。
 その内訳は、最古のものは5世紀初頭(北涼窟)の第268、272、275窟で、続く500年前後(北魏窟)の第237、248、251、254、257、259、260、263窟など。また6世紀前半(西魏窟)の第249、285、355、432窟などがこれに続く。  
 その後、北周、随、唐、五代、宋、回鶻、西夏、元など11の王朝と14の時代におよぶ約千年にわたり石窟の造営や修復が続いた仏教洞窟群なのだ。

 現在では敦煌文物研究院によって、その様式から判断して五胡十六国9 ; 北魏23; 西魏2; 隋97; 唐225; 五代34; 宋70; 西夏25; 元7 に時代分けされているとのこと。
 窟の内部は石質が粗い礫岩であるため、四壁と天井を漆喰で塗り、その上全体に壁画を描き、塑造の仏像が安置されている。
 仏像類は2,415体にのぼり、例外的な石彫を除き鮮明な彩色が施されている。
 石窟の大きさは最大のもので268㎡、最小のものは1㎡未満とさまざま。
 壁画は洞穴の四壁、窟頂と仏龕に、モチーフとして宗教及び世俗生活の様子が表現豊かに描かれている。
 すべてを並べると約25kmの長さにも及ぶため「世界画廊」との異名がある。
 なかでも、飛び交う飛天(インド仏教における伝説の護法神で、空中を舞う天女)は敦煌芸術のシンボルで、莫高窟の全492窟の中で270の洞窟に飛天の絵が描かれていてその総数は4500ほどもあるという。
 また塑像はほとんどが仏教の神仏で、仏を中央に弟子や、菩薩が両側に沿って配置される群像になっている。
 
 なお、莫高窟のシンボルは九階建ての楼閣石窟(第96窟)。
 九階構造の最上部は断崖と同じ高さ。その楼閣の中に高さ35.6mの弥勒大仏坐像(北大像)がある。
 土を盛り上げて形を整えて作られた石胎塑像で、中国で三番目の大きさとのこと。
 なお他に、莫高窟第130窟の中にもう1体、高さ26メートルの大仏(南大仏)があり、両者とも弥勒菩薩像。

 
②現在(2016/4)の見学
 2014年7月15日、敦煌莫高窟デジタル展示センターが開設されたことに伴い、新しい見学システムが導入されています。
 莫高窟見学はこのデジタル展示センター入場から始まります。
 まずデジタル展示センターでの映像による紹介が始まる30分前までに「観光客センター」へ行き、検札を受けてから展示室に入ります。
 展示室を見学後、映像による紹介があります。
 映像内容は、デジタル展示センターに設置された直径18メートル、面積500平方メートルの円形スクリーンで、「デジタル敦煌」(歴史的背景をドラマ化した3D作品を含む2本の映画)を観るというものです。 
 映像を見終えてから次の観光カート待合室へ行き、カートに乗ります。
 カートに乗って、莫高窟石窟見学入り口に到着後、少し待たされてから、さらに莫高窟案内専門ガイド(日本語ガイド指定)の案内に従って窟内の見学になるのです。

 
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参考
 敦煌莫高窟石窟の公開情報(2015年4月時点)
 (現在の最新の情報ではありませんのでご留意を。)
   http://www.tibet-arukikata.com/ 
  ・シルクロード-敦煌他見学できる石窟のご案内
 (表はクリックで拡大します。)Blgimg25720154

 なお、このシステムで半日観光の所用時間は、合計4時間ほど。
 このシステムが運用されるようになってから混雑を避けて効果的に見学できるようになったのだそうです。

 
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 訪問当日の窟内見学はガイドさんにお任せ。
 半日観光で見学出来る窟数は8~9窟と言うことです。
 どこの窟に案内されるかは見学を開始して見ないと分かりません。
 一般公開窟の見学先が補修作業中だったり、あるいはその時の混雑状況で別の公開候補窟になったり、また特別窟に関しても同様。  
 そのため見学時、行く先々で迷子にならないよう、ただひたすらガイド氏の後を追うだけの、ほとんど消化不良になりましたが・・・・・  
 増え続ける観光客をシステム化したスケジュールで捌くとすれば、必然的にこうなるのでしょう。

 古い資料(1999年)ですが莫高窟の配置図です。(クリックで拡大します。)21999

 ★実際の見学9:00~13:10頃まで。
  一般公開窟の他に、2つの特別窟(第156窟<晩唐期>:張議潮出行図・宋国夫人出行図、及び第217窟<北魏>:自己犠牲を描いた本生図)を見学予定でしたが、正直のところ、どこが見学出来たのか、(記憶にも)メモ記録も無くはっきりしませんが、合計9窟(だった)と思います。
 なお、最後に案内されたのが第16-17窟で、17窟(蔵経堂)は第16窟の甬道の壁に穴を開けて作られた“隠し部屋”になっていました。
 その中には4万点に及ぶ経典や仏画、書画が隠されていた事で有名になった石窟です。

 *写真撮影禁止:
  建物外での外観/風景は撮影可ですが、窟内では撮影禁止ですので、壁画などの写真は一切ありません。
 (なお、翌日訪問した「敦煌博物館」には莫高窟内の塑像レプリカや画像パネル展示などがあり、こちらは撮影可でした。)
 
 以上のようなことで、見学しても、ほとんど記録・記憶に残せないため、参考として
 *書籍
 『敦煌とシルクロード』 蘭州大学 杜闘城、敦煌研究院 王書慶応 編著、海天出版社刊 ISBN 7-80697-403-2 (人民元185.00):(日本語版がありました。)
 *絵はがきセット(敦煌石窟:香港中国旅游出版社、40元)を購入して、後のブログ作成の参考としました。

●記録写真
  順に、
  ・莫高窟デジタル展示センター入場Photo

 
●莫高窟到着、入場後の風景や窟の外観などで、莫高窟のシンボル九階建ての楼閣(第96窟)や、その他(黒い山は三危山など。)1

2

 なお壁画、仏像塑像などは上記書籍と絵はがきから、見学した壁画の飛天と塑像の例示コピーを以下に添付しました。
 壁画の「飛天」実像は(絵はがきのとおり)すべて体の色が黒くなっていて、最初はイメージがわかりにくかったものです。
 ガイド氏によれば、飛天を描くのに用いられた顔料に含まれている鉄分が酸化して(発見当初の美しい色彩は失われて)黒くなっている、とのことでした。

 
 ・絵はがきから塑像3img249

 
 ・第45窟:4img25145

 
 ・壁画飛天(部分):第285窟(左);第185窟(右):5285185

 
 ・第259窟<北魏>淡い笑みを浮かべた禅定佛塑像:Blg259

 
 ・壁画飛天(部分):第419窟(上)、第206窟(下):6419206

 
 ・壁画:第61窟(上)、254窟(中)、428窟(下):761245428
 ・第61窟(五代):五台山送供図
 ・第254窟壁画(北魏):
  屍毗王(しびおう)が自分の肉を割いて鳩の替わりとした物語(古代インド)。
 ・第428窟(北周):
  薩埵王子(さったおうじ)が身を捨てて虎を助ける物語(古代インド)で、上、中、下の3段に画かれているのは、後世法隆寺の玉虫厨子に描かれたのと同じ“捨身飼虎図”と言われる画を含む物語風の連続コマ絵。
 7匹の子虎を抱いた空腹の母虎が餓死寸前の苦しみに瀕している姿を目にしたサッタ王子は、8つの命を救わなければならないと、崖から母虎の前に飛び降りてわが身を捧げて8つの命を救ったという物語です。

 
――――――――――――――――――――――――-

 ◇参考: 敦煌研究院の『数字敦煌(デジタル敦煌) 洞窟列表 莫高窟』というHPがあります。  アドレスは http://www.e-dunhuang.com/section.htm?ddhs/Core/Core/Core/Metedata/Title=%E8%8E%AB%E9%AB%98%E7%AA%9F

 *PM 1:10頃莫高窟見学終了、昼食地へ移動。

 昼食は「郷土料理」で、辛すぎず美味しかった。

 (午後) 
 PM 2:20出発、敦煌の北西バスで90分、玉門関に向かいます。

 
 ・途中には独特の風景が広がっています。Photo_2

 
 *PM 3:50玉門関着。
 到着時の天候は晴れたり曇ったり。そしてまた風が強く吹いて砂塵が巻き上がり、砂粒が飛んでくるため帽子、メガネ(サングラス)、マスク、襟首にマフラー(タオル)装備に。
 暑苦しいのを我慢するか、砂粒飛散を我慢するか。
 (なおこの後の漢代長城見学時も同様でした。)

●[玉門関]:漢朝の西端の関所跡・世界遺産
 玉門関は、中国の漢代に置かれたシルクロードに通じる関所の1つ。
 元来は漢の武帝の時代に漢族と異民族が対峙した西域攻防の最前線として、防衛する目的で、長城をこの地域に建設し紀元前108年から107年にその最西端に建造されたとされる。 
 ここから出ると「西域」になる。
 玉門関の中ではシルクと玉が交換された。

 ・見学写真:
  広漠とした風景。時折風に煽られた砂塵が舞います。
  余談ながら、車窓からは、乾燥した砂漠にたくさんのラクダソウが生えているのを遠望できます。
  大きく鋭いトゲを持つ植物ですが、名前の通りラクダが食べるそうです。
  ラクダソウには四種類ぐらいあるそうですが、ここで間近で見かけた巨大な鋭いトゲ(5cmくらいもある)のあるその一つの画像を最後に。
Photo_3

 見学後、PM 4:30発、4km先の漢長城に向かう。

 
●[漢長城]:前漢時代に対匈奴用に築かれた長城の址。
 漢代の長城は、玉門関の西から疏勒河の南岸に沿い、安西縣北湖、金塔縣まで延びる幹線の他に支線も造られ、総計1,000kmを超えるという。
 構造は、黄土(砂)と葦や紅柳、胡柳を層にして棒状のもので突き固めた「版築」で、漢代のものは20cm前後の黄土の層になっている。
 紀元前121年に酒泉郡が設けられた後に、漢の武帝は令居(今の永登)以西の長城やその間に烽火台を建てはじめた。
 高いところでも4mほどだが、約2000年にわたる風触のため現在残された部分は少ないが、玉門関付近で最も保存状態の良い長城を見ることができる。
 北側を疏勒河が流れている。

 ・見学写真New

 なお、バラバラに作られていた長城を、秦の始皇帝が繋いでいった。
 後の『万里の長城』は「明」の時代に出来た6,700Kmにおよぶもの。

 ともあれ、日本のような島国と異なり、大陸で地続きの民族/国家間の抗争が歴史的に絶えることがなかった結果、長い壁が出来上がってきたようですが、現代においても、某国で”国境に壁を建設する”とブチ上げる御仁もおられるなど、争い事は人類が滅亡するまで、途絶えることのないニンゲンのさが(性)なのでしょうか。

 長城見学後、PM 5:00発敦煌市内に戻る。

 ・PM 6時半、レストランで夕食。敦煌の家庭料理。

  
 ポプラ林に囲まれた葡萄畑など沿道の風景を見ながら日の沈む頃
 ・PM 8:00ホテル着2pm8

 
 なおPM9時30分、(希望者のみ)ゴビ砂漠の星空観賞へ出発。
 しかしあいにくの曇天で晴れることなく、何も見えませんでした。
  
             【敦煌/泊】         
            - 6日目に続く

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2016年4月24日 (日)

シルクロード(ウルムチ・トルファン・敦煌・西安)をめぐる旅(4)

 3日目の記事に続きます。

4日目:トルファン~敦煌へ

 (画像はクリックで拡大します。)4trmc_2

 
●日程記録:
 (午前)
 2014年12月に営業運転開始した新疆高速鉄道で吐魯番北駅から敦煌の柳圓南駅までおよそ800km、約4時間(平均速度200km/h)の列車旅。

 ①ホテルで朝食後、バスで新疆高速鉄道(中国新幹線) 吐魯番(トルファン)北駅へ。
 そこから敦煌(柳園南駅)までは所要時間約4時間。
 新幹線路線は連霍G30高速道路に沿って建設されているようです。
 ( ※吐魯番北駅は新疆ウイグル自治区トルファン市に位置する高速鉄道の駅。トルファン市街地より15キロ離れていて、トルファン市交河空港に隣接し、連霍G30(連雲港=霍爾果斯)高速道路より3キロ離れているというロケーション。駅の敷地面積は15万㎡、駅舎建築面積1万㎡、建築高さ20m、1200人を収容することができるという、例によって中国らしい巨大な施設です。
 本駅は2013年4月5日正式に着工、2014年8月竣工。2014年年末に営業運転開始。)

 駅舎入場に際しては驚くほど厳しい手荷物検査(→今後のセキュリティ確保の観点からすれば、日本の新幹線の方が問題かも)。
 “あらゆる水分”の持ち込みは無条件に×。またなぜか折りたたみ傘も×。 
 検査通過後ホームに向かうが、駅舎は巨大で、中はがらんどう。
 ホームまで登る長い上り階段脇にはエスカレーターが設置されているが動いていない。    
 自力でスーツケースをホームまで運び上げるのに、これほど消耗したことがありません。
 最後、ヨレヨレになっているのを見かねたものか、ホームの上から見下ろしていた駅員の一人が降りてきて手助けしてくれました。
 息をゼーゼー切らしながら、シェーシェー(謝謝)。
 日本の新幹線に負けない、というとおり正確に定刻に入線、発車(AM 10:22)したようです。 

 (なお余談ながら、車両は国外技術導入による中国鉄路高速車両(CRH型車両)でした。 
 車体にはCRHのロゴマークとCRH 5G-5176の文字が。
 なおCRH型には数種の改良型があり、路線別に導入されているようです。)

 乗車した列車の緊急出口などの安全対策は独自。
 
 なお、昼食の列車内で配られた「お弁当」は正直なところ、ボリュームは多くて味気ないものでした。

 ●写真は、ホテル出発後の途中風景、到着した吐魯番北駅舎、ホーム、入線、車内、切符(指定2等席:これは後で車掌が検札にきた時に回収されて手元に残りません)、車内緊急脱出表示(ハンマーで窓ガラスを破る!!)、車体ロゴマーク。1

Img_1270

 
 ●更に、車窓風景、昼食弁当、柳園南駅到着、柳園南駅舎。2

 
 (午後)
  予定時間(PM 2:23)通り柳園駅着後、ここからガイドA氏の他に、新たに現地ガイドとして漢民族の若い女性T さんが加わる。
 駅舎周辺施設は未だ建設進行中のようでした。.バス駐車場まで各自スーツケースを押しながら歩いて、汗を掻きながらバスに乗り込んで、敦煌まで130km、3時間かけて向かいます。
 箱庭のように狭い日本と較べれば広大な中国ですから、ロケーションなど都市計画も日本とは違うのは当然、というか、強引なもののようです。

 一帯の地形はゴビ灘((モンゴル語で何も生まれない土地という意味。小石、岩石、砂礫混じりの平坦な荒れ地。)
 車窓に展開するゴビ灘には紅柳(タマリスク)*が自生していることから新幹線の駅名が「柳園駅」と付けられたという。(実際に確認することは出来ませんでしたが。)

*紅柳(タマリクス:和名ギョリュウ):
 乾燥と塩分に強く、砂漠など乾燥地でも根を長く伸ばして水分を吸収して自生する。
 葉は小さい鱗片状で針葉樹のように見える。
 春と秋に枝先に桃色の1mmほどの小さい花をたくさん咲かせて植物体全体が紅色に染まる。

 バスはひたすらゴビ灘(たん)の中を走り続けます。道路の舗装は日本とはかなり違い、舗装道路とは思えないほどよく揺れる。舗装品質の差だろうか、“おおらかなだけ”なのだろうか。

 
 バス車窓から:
 ●写真は、順に次の通りの風景です。
 ・柳園南駅(重複)、ゴビ灘(たん) ・この辺りは年中風が強いので風力発電が盛ん、・PM 3:40頃、人口10万人の小さな地方都市、瓜州(カシュウ)県を通過。

 敦煌までさらに120km。 付近ではウリ、また甘いスイカや野菜の供給産地になっている。
 降水量は年間45mmと非常に少ないが、潅漑水利施設・設備が発達している。
  
 ・PM 4:10、G30 連霍高速道路、瓜州服務區にあるガソリンスタンドに立ち寄り、トイレ休憩。 
 (ゴビ灘を走るバス長旅途中では“中国式トイレ”しかないかも、と脅されましたが、そうでなくてヨカッタ!)
 ここから敦煌まで残り100km、1.5hr 。

 ・PM 4:20 車窓から真っ黒い山が見える。岩の山・三危山。3

 ※バス車中の余談:
 車窓から白いお墓が点々とある。土地はすべて国有地であるが、砂礫で水がなく利用途がないため、個人が自由に墓を作っても良いのだそうだ。
 家族単位で3回/年くらいはお墓参りするという。なお年配者は仏教だが、若い人は無宗教という。

 PM 5:02 敦煌ゲート着。敦煌市域に入る。
 なお敦煌も時刻については北京時間と同じに定められているが、実生活上は1時間45分の時差 があるとのこと。

※敦煌(トンコウ)Img230c

 敦煌はタクラマカン砂漠の東端で、甘粛省の西端に位置するオアシス都市。
 漢代から西域に対する前線基地として郊外に玉門関、陽関という国境越えの2つの関所が設けられていた。
 ここから先は異郷で湖人達の通商以外の出入国は禁じられていた。
 シルクロードの要衝として東西文化が行き交い、中国三大石窟の1つである莫高窟、また鳴沙山、玉関門などの多くの歴史遺産が保存されている。
 人口18万人、中国最西部で、シルクロードの「喉元」に当たる。

 ◇バスは敦煌市街をそのまま通過して鳴沙山(めいさざん)と月牙泉(げつがせん)観光に向 かう。

 PM 5時半 到着時は曇天模様。
 バス駐車場から入場ゲートまではやはり広大な広場/施設があって、往復とも電動カートで移動。

 
 ●鳴沙山月牙泉入り口へ。
 砂山を登る人の列や、周辺をめぐるラクダ・ツアー等の光景も遠望できます。
 砂地には多数の甲虫が歩き回っていました。砂漠地域にはどこにでもいるようです。Photo

 入場後は、集合時間まで自由行動で、先に月牙泉まで歩くことに。

 
 ●[月牙泉]は砂の底に溜まった三日月形の小さな池/オアシス。
  約2,000年に渡り絶えることがなく湧き続けているそうだが、以前は今の約5倍だったという。
 (次の写真のモノクロ画像は後日訪問した敦煌市博物館の展示パネルを撮影したもので、同じアングルの風景を撮っていませんが、かなり小さくなっている感じでした。)  
 現在、水は涸れないが年々減少し始めているため、食い止めるための対策を実施していると聞きました。Photo_2

 
 ・月牙泉見学後、鳴沙山登り口へ。複数のコースが整備されているので、混み具合を見て選びます。Img_1314

 
 ●[鳴沙山]は敦煌の南側に東西40kmに渡って横たわる砂丘。
 北風で砂が砂丘の南側に横たわる山に吹き寄せられてできたため、砂丘は移動しないという。
 眼下に月牙泉を望むことが出来ます。Photo_3

 サラサラの細粒が滑るので登りにくい砂の峰ですが、登る人も結構大勢で、また上から砂滑りで滑り降りる事なども楽しむことが出来る人気スポットのようでした。

 見学を終えて敦煌市内に戻ります。

 夕食はレストランで「敦煌料理」。なお、味は辛かったが美味しかったです。(青島ビール30元)Photo_4

 後、ホテルへ(到着PM 9:00) (なおパスポートはホテルに預けるシステム。)
            【敦煌/泊】(翌日も同じ)
     
               -5日目に続く

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2016年4月23日 (土)

シルクロード(ウルムチ・トルファン・敦煌・西安)をめぐる旅(3)

 2日目の記事に続きます。

3日目:ウルムチ~トルファン

※トルファン基本情報: 
 ・トルファン(吐魯番)は天山山脈の雪解け水で潤うオアシスであって、西域に進出しようとした漢民族はここを拠点とし、遊牧民族との間に興亡の歴史を繰り広げて来た地域。
 現代のトルファン市は中国新疆ウイグル自治区中部、天山山脈東部山間の盆地に位置する地級市であり、市名は、ウイグル語で「くぼんだ土地」を意味する。
 総人口(2013年)は61万人で、ウルムチ311万人(2010年)よりはずっと少ない。
 内訳ではウイグル族が70%を占め、残りは漢族が多い。

 ・地勢的に、トルファン盆地の平均海抜は大変低く、マイナスの場所も多数あり、トルファン市の南にあるアイディン湖の水面は海抜-154mで、中国では最も低く、世界で二番目に低い。(ちなみに世界一は死海の-399m。)
 また夏は非常に暑く、最高気温は平均で40℃近くに上り、最高気温極値はで50.2℃を記録したという。
 冬の寒さはまた厳しい。
 砂漠気候で年間降水量は25mmと少なく、盆地内は乾燥し、日照時間が長いので、特産品はブドウ、ハミウリ、長絨綿、季節外の野菜などの経済作物となっている。
 また砂漠地域は常時風速20m以上の風が吹いている強風地帯になっている。

 ・トルファンには観光資源が豊富。
  6つの全国重点文物保護単位(交河故城、高昌古城、ベゼクリク千仏洞、蘇公塔、アスタ-ナ古墓群、台蔵塔)や、名勝としては火焔山、アイディン湖、葡萄溝、カレーズ等がある。
 なおカレーズは、砂漠地帯に水を引くための潅漑機構で、天山山脈の雪解け水を水源として山の麓から20 ~30mの間隔で井戸を掘って並べ、その底を繋いで水路としたもの。
 11世紀ごろにイスラム勢力より伝わったと解説されていました。Img227c

●日程記録:
 (午前)
  ホテルにて朝食後、9:00バスでオアシス都市・トルファンへ向かう。 
  吐魯番へ向かう高速道路は新幹線と並走して通じているが、その道すがら、強風地帯という立地条件に適した大規模の風力発電施設域が一面に広がる光景は圧巻。

 ①AM 9:40、風力発電所見学、兼トイレ休憩。
   
 ガイド氏によれば、この地区の風力発電施設の広さ/規模は現時点で世界第2位。
 金儲けになる風だから、”金風”と言う会社がやっているという。( Goldwind is an international, multi-faceted wind power company based out of Beijing, China. Goldwind was founded in 1998 in Urumqi, Xinjiang and became a joint stock limited liability company in 2001.)
 (余談ながら、トップはアメリカにある*Alta Wind Energy Center:アメリカ合衆国カリフォルニア州カーン郡のテハチャピ山地のテハチャピ峠に存在する集合型風力発電所で、2013年の時点で世界最 大の発電容量を持つ。合計の設備容量は1320MWに上る)。

 また、こ辺り一帯はゴビ/ゴビ灘(砂礫、砂利、小岩の混じった乾燥地帯)と呼ばれる地域。   
 砂だけしかない砂漠とは異なり、ゴビではラクダソウやタマリスク(紅柳)、セキセキソウ等の植物が育ち、ラクダや野生のヤギが生息している、おまけに風力発電機が”生えている”地帯が続いていて”奇異国”情緒たっぷり。Photo

 
 ②AM 10:12、車窓から、白銀に輝くボゴダ峰を背景に、塩の湖『塩湖』を遠望。(塩産出150万トン/年という。)
   ” 中国の死海”と呼ばれ、塩水浮遊場では「塩湖」浮遊体験という観光もできるそうだ。Photo_2

 
 ③AM 11:00、サービスエリアでトイレ休憩。
  辺りはまだ延々と風力発電施設が続く。Photo_3

 AM 11:42、高速を降りてしばらくでトルファンに到着(トルファンとは暑い場所、の意味とも説明が)。
  観光入場券を購入するため観光案内所でバスは一旦停車。
  ガイド氏が手続きを済ませる間、傍のショッピングセンターなどで時間待ち。

 
 ④AM 12:10、葡萄農家に立ち寄り。
   カレーズ博物館に向かう途中で、ブドウ農家に立ちより見学。
   干しぶどう試食、購入も。品数も豊富で確かに美味しいものでした。Photo_4

 その後、さらに少し走ってAM 12:50、「カレーズ博物園」に到着。
 「カレーズ」見学へ。

 ⑤「カレーズ博物園」:
  カレーズとはペルシャ語で「地下水」の意味。
  ここでは天山山脈の雪解け水がつくる地下水脈を、延々と地下水路(暗渠)で導き、地上に出して農業用水・生活用水(明渠)として利用する水道システム(カレーズ)が実体とともに紹介、展示されている。
 山の麓で掘り当てた地下水脈に竪穴の井戸が掘られ、それらの井戸と井戸を横穴で繋いで造られた地下水路を水が流れているのだ。
 竪穴井戸の数は1,000ヵ所以上にも及び、カレーズの総延長は3,000kmにも及ぶという。
 竪穴井戸の深さは地下数メートルから数十メートルにも達しているそうだ。
 なお、博物園展示では、カレーズの立体模型/ジオラマと、(珍しく)日本語による新疆カレーズ案内板もあってわかりやすかったです。

 ・画像は順に、
  現在も使われているカレーズ水路、竪穴掘り作業ジオラマ、カレーズ模型/ジオラマ展示、坆児井(カンアルチン:命の泉)、ぶどう園のカレーズ、そして出口へ。12

 
 ⑥見学後、昼食レストランに向かう。昼食(PM 2:00~)は「郷土料理」。Photo

 昼食後 14時50分出発、

 (午後)
  トルファン市内の観光へ:
 まずは交河故城へ。

 [交河故城]:
  PM 3:00到着。ここは巨大な黄土の断崖にある島状の城址遺跡。
  前漢時代に屯田が設けられたのが初めて。その後、交河故城を王城とする車師前国が栄えていたが、元代には衰退して、現在は荒涼とした街跡が残る、中国唯一の漢代からの都市遺跡・世界遺産。

 見学は電動カートで巡る。(見学時の暑さしのぎに、ショップで“つば広の帽子”購入も。)

 
 ・画像は交河故城入り口、すぐに屋外展示されている交河故城の巨大な復元模型、そして広場から電動カートで見学スタート風景。1_2

 
 ・続いて、歩くと暑い長い上り坂を進んでいくと、仏教寺院跡をはじめ官署の遺跡(外部)、続いて地下に降りて内部、その他広大に地域に点在する多数の建築物群の遺跡風景です。2_2

 見学後、バスでトルファン中心街を通り抜けて1時間半ほど走る。

 PM 4:35頃 
 ⑧火焔山(かえんざん)通過:
  次の目的地に向かう途中のバスから炎模様の赤い山肌をした[火焔山]を眺めるだけで立ち寄らずに、火焔山入り口前を通過します。
 『西遊記』の舞台としても有名な火焔山はトルファン盆地の北端に100kmにわたり連なる山脈で日中気温が40℃を超えると辺りの地表温度は60℃を超え、赤いシワの山肌が陽炎で炎のようにゆらめくという。

 ・写真はおよそPM 4:35~4:40位の風景。Photo

 
 ⑨葡萄溝:
  火焔山を通過したPM 4:45分頃、辺りのトルファン盆地一帯のオアシスに入ると、並木や葡萄園の緑が広がり、日干し煉瓦造の葡萄乾燥室を備えた葡萄栽培集落が現れる。
 一帯は葡萄溝と呼ばれ、今も約5,000人が住み、葡萄栽培を行っているという。N

 
 ⑩[高昌故城]:
  PM 4:50着。ここはトルファン市の南東にある世界遺産:
  一辺が1.5kmの土壁で囲まれたほぼ正方形で、面積は200万㎡。
  曲折を経ながらも明代まで約1500年間栄えた高昌国の王城跡地。

  漢代の武帝が置いた郡が独立したことから始まり、柔然が460年に都とした独立国、高昌国・高昌城遺跡。
 628年頃には玄奘三蔵法師が天竺(インド)へ向かう途中に1カ月滞在し、仏教の講義をしたといわれる。 
 当時の高昌国王の麹氏は仏教を信仰していたが、その直後から、唐によって滅ぼされる運命を辿っていった。
 15年後に玄奘がインドからの帰国途中立ち寄った時には、すでに滅んでいたという。

 現在、1.5km四方の広大な範囲に土を固めて造営した城壁が城を取り囲んで残っている。
 その中の一角には仏教信仰をあらわす寺院遺跡があり、三蔵法師が説法をしたという建物遺跡や、高さ15mの仏塔、また仏塔の壁には仏像を描いた跡も残っている。

 PM 4:55位から見学カートに乗って巡る。

 ・画像は乾ききった広大な大地、そこに残るすっかり風化した日干し煉瓦作り建造物の残骸風景。1

 
 ・三蔵法師が説法をしたという西南大仏寺講堂/説経堂遺跡。2

 
 ・そして大仏寺中心塔殿の高さ15mの仏塔と、壁に残る仏像を描いた跡など。3

 
 ・余談ながら、乾燥した地面の方々で、大きさ2cmほどの甲虫が這い回っていました。4_img_12072cm_37

 見学終了PM 5:45。
 次の見学地へ移動。

 ⑪[アスターナ古墳群]:
   PM 6:00,現地到着。
   ここアスターナ古墳群は、6~7世紀に繁栄した高昌国時代の貴族の古墳群と、唐代のオアシスの民の墓地。
 アスタ-ナというのはウイグル語で「都市」の意。
 数百にも及ぶ古墳、墓の中からは絹織物、文書、陶器、貨幣などが発見されている。
 また古墳の遺体はミイラとなって保存され、役人、商人、平民それぞれが展示されている。
 なおアスターナ古墳群遺跡入り口に掲示板が掲げられていて、およそ次のような記述と表示がありました。

 *記事:
 年内高温情況
 トルファンは海洋から遠く離れていて、降雨量はきわめて少なく、 年平均降雨量は16mm、蒸発量は3000mmと全国でもっとも 乾燥した地域であるため、放置された“物品”は腐ることなくミイラ化現象が発生する。

 *グラフ:
 年間の月別最高/最低温度を示す棒グラフが表示されています。  
  読み取ると、概略は最も暑い7月の最高気温は48℃、 最も寒い1月の最低気温は-15℃、最高気温は6℃。

 ・画像は施設入り口と、上記掲示板、そして敷地内の風景の一部。墓地区域や墓内ミイラの写真はありません(撮影禁止)。New

 見学終了後、18:40頃出発、トルファンから東へ約50kmのところに位置している ベゼクリク千仏洞へ向かう。

 
 ⑫途中で(トルファンのグランドキャニオンと呼ぶそうだが(呼ばない方が良さそう)火焔山のビューポイント(ムルトク河畔)で写真ストップ。Img_1237_11cht

 火天山山脈を水源とし、火焔山を遮るムルトク河の西岸に「ベゼクリク千仏洞」がある。

 
 ⑬[ベゼクリク千仏洞]:
  18:50着。内部見学時には懐中電灯必要。
6世紀の高昌国の時代から、西ウイグル帝国が栄えていた時代を経て、宋・元の時代に至る14世紀ごろまで寺院として開かれていた仏教石窟。
 Bezeklikとは、ウイグル語で「ペインティング(壁画)がある場所」という意味。
 当初の石窟の数は70数窟で、南北約400mに渡って開鑿されていたというが、現在残っているのは60前後で、ベゼクリク千仏洞の受難史が窺われる。
 最初の受難は14世紀、偶像崇拝を禁止するイスラム教徒による破壊。塑像は破壊され壁画の目はえぐり取られた。
 2回目は20世紀初頭に行われた欧州列強たちの探検隊による破壊/持ち去りだった。
 スウェーデンのヘディン、イギリスのスタイン、ドイツのル・コック、フランスのペリオ、ロシアのオルデンブルグなどが次々と探検調査に入り、”放置すれば消失する人類共通の貴重な文化遺産を守る“として壁から壁画をはぎ取って自国に持ち帰った。
 日本の大谷探検隊も参加している。
 現在は、それらの破壊とともに侵食による傷みが激しく、往時の華麗な壁画はほんの一部が残っているに過ぎない。


 (※参考:「貴重書で綴るシルクロード」 : http://dsr.nii.ac.jp/rarebook/01/ )

 余談:
 なお、荒廃していた歴史的文化遺産を“人類共通の普遍的価値を有する文化遺産として保護する”として、先進諸外国によって持ち出され、占有された文化財の事例は他にも少なくはありません。
 
 そのような情況の中でも、散逸したベゼクリク千仏洞の壁画像に関しては、石窟大回廊などの画像を復元する日本のプロジェクトの活躍などによって、その成果もすでに公開されています。
 ※参照URL: http://museum.ryukoku.ac.jp/bezeklik/index.html

 ※ [DVD] NHKスペシャル 新シルクロード 特別版 
   第2集 『 トルファン 灼熱の大画廊』:(NHKエンタープライズ、2005/09/22発売)
   (→こちらは図書館で借りて観賞しました。)

 ・画像は夕刻のベゼクリク千仏洞施周辺の風景のみで、壁画の写真はありません。(窟内の撮影禁止。)
 参考までに購入書籍から一部コピーしたものを次の写真の後に添付しました。

● (右上)写真の前方(奥)の石窟が、現在公開されている石窟群で、修復作業も行われたりしていて見学できるのは数窟だけ。どこが見学出来るのかは、当日にならないと分からないとのこと。
Photo_2

 
 ・書籍からコピーした壁画の例Blg2069

 見学終了はPM 7:30。

 
 ⑭トルファンへ。
  さすがに夕日も傾き、残照の風景を眺めながら市内の夕食のレストランへ。
 夕食は、民族音楽を聴きながら新疆名物「ラグ麺とトルファン料理」。Photo

 食後21:22ホテルに向かい、ホテル着21:55
 長い一日でした。
              【トルファン/泊】

             - 4日目に続く -

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2016年4月22日 (金)

シルクロード(ウルムチ・トルファン・敦煌・西安)をめぐる旅(2)

 1日目の記事に続きます。

2日目:ウルムチ~天池~ウルムチ
Img226c

※(午前) 
  ・一夜明けたホテルの部屋から眺めた市街地風景。
 大都市です。Img_1042

 ホテルにて朝食後、10:00バスで出発。

 ・バスの車窓に広がるのは、依然として盛んな高層住宅などの建設ラッシュの風景ですが、これまで発展を遂げてきた中国現代都市の方々で目にした“ひたすら巨大”という印象のほかには、特別の感想はありません。Photo_2

 
 ともあれ、まず一番に
 ①新疆国際大バザール見学へ。
 ここは中国政府が新しく整備、観光地化したバザールで、何とも形容しがたい光景/雰囲気の観光施設です。  
 着いたのは10時半近くでしたが、まだひらいていない店もありました。
 通常8時30分頃から市場は開くそうです。
 市場の賑わいの様子を見学。Photo_3

 行き交う人々には中央アジア系の顔立ちで、ウイグル族の人が多いかなという印象ではありましたが、やはり”本物のウイグル人バザール”は、ここではなく、ウイグル人居住区がおすすめということです。

 見学後、移動して、

 ②「新疆ウイグル自治区博物館」へ。 
 新疆ウイグル自治区で最大の博物館で、各少数民族の歴史や古代シルクロードの文化財など出土品約3万点が石器時代から清代まで時代順に展示されています。
 (絵はがきから)Photo

 
 2階建ての展示館の1Fは新彊各地の民俗の紹介、
 そして2Fは古代の出土品の展示という2部門に分かれています。
 
 ・1Fの民俗部門では、新疆に居住するウイグル、ハザク、キルギス族など12民族の住居模型、衣服、生活用品などが展示されています。Photo_2

 
 ・2Fの出土品部門では、織物、陶磁器、玉、古文書などの展示があり、古代シルクロードの煌びやかな文化が伝わってきます。
 (絵はがきセットから)1

Photo_5

3

 
 また、トルファンにあるアスターナ古墳(古墓)の埋蔵品のほか、”目玉“のミイラ展示室があり、今から約3,800年前のものという美女で有名な楼蘭のミイラや、2,800年前の男性のミイラ、そのほかも展示されています。N

 なお、アスターナ古墳から発見された唐墨は、奈良の正倉院に収蔵されている唐墨とほとんど同じものだということです。  
 見所は多くて時間が足りません。とても興味深く、印象に残りました。
 (参考までに「絵はがきセット」購入。

 
※(午後)
  見学後、ウルムチから東へバスで110km、,次の観光地、天池に向かいます。
 山道に入ところからさらに進むと天山天地遊客服務中心(サービスセンター)に着きます。 
 ここで先に昼食を済ませました。Photo_3

 ツアーバスが入れるのはここまででということで、そこからマイクロバス(シャトルバス)に乗り換えて、5km程先にある天池側の駐車場広場に着きます。
 土産物屋やレストラン、トイレなどがあります。
 そこから歩いて5分ほどで天池です。途中の日陰には残雪が見られました。

 ③天池
 天池の標高は1、980m、湖面積は4.9k㎡、水深は最も深いところで105m。
 池は、四方を緑豊かな針葉樹に囲まれ、また湖の奥には万年雪を頂いた天山山脈の主峰「ポコダ峰」(5,445m)が遠望できる景観に恵まれています。
 似て非なるものですが、「中国のスイス」と呼んでいるそうです。
 幸い好天で、雲間からポコダ峰を垣間見ることが出来ました。Photo_4

 なお湖面に氷が残っていたため、予定されていた湖上の遊覧船観光は取り止めに。
 (「絵はがきセット購入」(20元))

 
④カザフ族のゲル:
 その後ウルムチに戻る途中に立ち寄りで、カザフ族一般家庭のゲル訪問。
 観光用に維持されているゲル(ユルタ)で、日常的にそこで暮らしているのではないということでした。C

 
 ・夕食は「中華風しゃぶしゃぶ」Photo_7

 
 ・21時ホテル帰着Img_1108_1

              【ウルムチ/泊】

               - 3日目に続く

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2016年4月21日 (木)

シルクロード(ウルムチ・トルファン・敦煌・西安)をめぐる旅(1)

■はじめに。
  早くに予定済みにしていた、2016/4月中旬~下旬にかけての8日間、シルクロード(但しほんの一部で、中国内の地域のみ)見学ツアーにはじめて参加しました。
 10年前位までは日本人が最大の訪問者数だったというシルクロード観光も、今は昔のことであり、正直、今さらという気もしましたが。
 とりあえず写真は撮ってきましたが、すぐに忘れるため、備忘録としてブログを作成しました。

 
……………………………………………………………………

★「シルクロード」について: (「シルクロード」 長澤和俊著 講談社学術文庫 参照 )

 太古の歴史以来、アジアとヨーロッパおよび北アフリカとを結ぶ東西交易・交通路が形成されてきた。
 しかし、それらをひとくくりにして「シルクロード」と呼ぶようになったのはそれほど古いことではなく、19世紀後半にドイツの地理学者リヒトホーフェンが東西交易の歴史を概観し、中国と西トルキスタンおよび北西インドとの“中国産絹貿易”を媒介した、中央アジア経由の道を「絹の道」と命名したことに由来するという。
 その後も東西交渉史は進捗し、リヒトホーフェン等が主張した中央アジアのオアシス地帯を点綴する「オアシス道」のほかに、北方の草原(ステップ)地帯を通る「草原の道」、そして南方のインド洋、東南アジアを経て紅海、ペルシャ湾方面と中国とを結ぶ海上交易路「海の道」の3つの道がシルクロードと総称されるようになった。
 (画像はクリックで拡大します。)Blg3img222c

 
 そして、特に中世以降「海のシルクロード」は東南アジア人、ペルシャ人、アラブ人、近世以降はヨーロッパ人があいついで航海貿易で活躍し、世界の東西交易の主流を独占し、世界史上きわめて重要なルートとなった。
 更に、シルクロードの重要性は、これら物品の交易のみに留まらず、付随する民族、文化の交流、また宗教伝来など、世界文化史上に大きな役割を果たして現在に到っている。

……………………………………………………………………

 このように、太古より、ユーラシア大陸の東西交易、文化交流史において重要な役割を果たしてきたシルクロードですが、2014年には、まずその一部の中国、カザフスタン、キルギスの関連遺跡など計33件が『シルクロード:長安-天山回廊の交易路網』の名でシルクロードに関する世界遺産第一号として、登録されています。

 今回のツアーは、その内の一部、現在の中国内に位置するシルクロード・オアシスの道で天山回廊の一角、「ウルムチ~トルファン~敦煌~西安」 遺産を訪れる“お仕着せツアー”です。

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※無駄話を先に:
 話がそれますが、昨今(2016/4現在)の世の中事情:
 日本を訪れては何かとマスコミを賑わす「爆買い」中国人観光客リピーター。
 これを問題視した習近平政権が「爆買い」を阻止する措置として、2016年1月から出国時の空港検査で、これまで有名無実となっていた「海外へ一人5000米ドル以上持ち出し禁止」の検査を厳格に行うようになったこと。
 さらに2016年4月はじめからは帰国時の空港検査で、海外で買った免税品の中国持ち込みを厳格にチェックして、品目により異なりますが高額(最高60%)の課税を行うことになったという話も伝わっています。さすがに即断即決です。

 いうまでもなく世界一の人口を擁し(世界人口総計73億4千900万人の内、中国は13億7千600万人で、世界人口比18.7% 。
 (世界の人口 国別ランキング・推移(国連)データ;更新日2015年10月16日)

 また世界第2位の経済大国として、世界に「責任ある大国」を標榜し、発展を続けるも、最近は経済成長の減速が顕著になってはいますが、中間所得層の拡大を背景に国家的課題の「ソフトパワー」育成にも注力し、世界の経済情勢に色々と影響をおよぼしています。
 さらに、”G2”と自認する中国が陸の「シルクロード経済ベルト(帯)」と、海の「21世紀海上シルクロード(路)」からなる経済圏構想という『一帯一路』事業を立ち上げ、推進しています。
 そして、また昨今とみに関係国間で緊張を高めている南シナ海の埋め立て/軍事基地化問題などをめぐる対立などからも、昨今の国際関係は(日中関係においても)芳しくありません。

 
 ■更に、話がずれて、前後しますが余談を。
 いささか旧聞ですが、2015年11月中旬、東京国立博物館平成館・特別展示室で行われていた特別展「始皇帝と大兵馬俑」( 2015年10月27日(火) ~ 2016年2月21日(日))を見てきました。  
 特別展示の展示品は、貸し出し展示用のレプリカが大半のように見受けられましたが、遡ること今から約2,200年前、秦の始皇帝(紀元前259年~ 紀元前210年)時代にまつわる歴史を彷彿とさせるに充分でした。
 (展示館入り口と撮影可展示コーナーで)Blg


 ①左から立射傭、歩兵俑、将軍俑、軍吏俑、跪射俑(絵はがきから)Blg20151111

 
 ②銅馬車(資料から):
  展示されていた2両の銅馬車は、始皇帝が実際に乗ったと考えられる馬車を青銅で細部まで再現した模型の複製品。Blg2

 始皇帝は大量の兵馬俑や銅馬車を陵墓の周囲に埋めさせて、死後も皇帝として永遠に世界の支配を夢見ていたという。

 ちなみにその当時の日本は稲作が始まった弥生時代(異説もありますが)でしたが、その頃にこれだけの国家が成立していたのですから、確かに凄い事ではあります。
 もっとも紀元前3000頃には、既にエジプト第一王朝が成立、紀元前2650年頃にはピラミッド王朝が成立していたので、自然環境・地域、そして成立年代も異なる文明の優劣を比較すること自体はあまり意味がないことではありますが。

 
…………………………………………………………………… 
 ・なお最後に、先にツアー結果の余談を追加。

 かつて日本人を筆頭に、外国人観光旅行者が押し寄せていたシルクロードも、現在は(中国)国内一般人民の旅行ブームに伴う国内からの観光客がもっぱらで、しかも増大の一途だということでしたが、これこそ時代の流れです。
 日本人の観光客が多かった10年位前までは、「日本語(だけの)ガイド」で充分仕事があったけれど、現在は“日本語だけのガイド”では仕事が減って食べられない、という話も耳にしました。

 無駄話は以上。

 
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 ここから単に備忘録としての記録です。
 (なお、記録文中に各種の数値情報がありますが、一応は出版物やネット検索等で出来るだけ新しいものをと、確認しながら調べて見たつもりです。
 しかし素人のにわか検索ではなかなか信頼できる新しい情報を見つけることが出来ませんでした。
 そういうわけで数値などは不確かですからご承知下さい。

 
※観光ツアー日程概要:
 下図、赤色ピンマークが訪問先(ウルムチ、トルファン、敦煌、西安)、数字は訪問日程。
 (画像はクリックで拡大します。)Blgge1

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■1日目:成田~上海~ウルムチ 

 (13:50) 成田空港より中国東方航空にて新疆ウイグル自治区の省都・ウルムチ(烏魯木斉)へ(上海乗り継ぎ)
 (成田=上海間:所要約3時間25分、上海=ウルムチ間:所要約5時間30分)

 (01:00) ウルムチ到着は予定より遅れて02:30に。着後、空港からバスでホテルへ。(到着は03時過ぎに。)

 ・現地ガイドはウイグル族の男性Aさん。(両替:一元=17.85円) (20円で概算)
              【ウルムチ/泊】→2連泊

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※参考メモ:
 「ウルムチ(烏魯木斉)」は、中国の国土の六分の一を占める「新彊ウイグル自治区」*に位置する地級市**で、自治区の首府。
 (**地級市とは、中国の行政区分のうち、「省」の直下のレイヤー(階層)に位置する行政区。中国全国は約30の地級市でカバーされている。少数民族による自治が行われている地域で行政的には省と同格。)

①*「新疆ウイグル自治区」:
 総人口は約2,200万人(2011年末)で、その内4割は漢族、残り6割がウイグル族や多くの少数民族という。
 中国全土に居住するウイグル族の99%が新疆ウイグル自治区に居住している。
 1950年代の自治区総人口に占めるウイグル族の比率は76%であったが、2010年には46%に低下。これに対して漢族の人口は7%から40%へと増加。
 このウイグル族の人口比率低下は、経済発展を遂げた中国本土から同自治区への漢族の大量流入にともなってもたらされたもので、爾来各種の摩擦の一因にもなっている。

②首府ウルムチ:
 北京から2,400km離れた中国西の果て、標高900mの高原に位置する近代的な大都会。
 遠望できる雪山は天山山脈の支脈の「南山」。
 市の人口は311万人(2010年)。自治区人民政府が設置される中国西部最大の都市です。 

 近年、「ウルムチ市」は、2000年から始まった政府の21世紀プロジェクト「西部大開発」の進行により、高いGDP伸び率に象徴されるめざましい経済的発展を遂げ、現在では地域の政治、経済、交通の要衝として中心街には高層ビルが立ち並ぶ近代的な大都会に変貌している。
 現在も開発が続き、人口も急増し、現在の内訳人口の約8割は漢民族が占めるに到り、残りがウイグル族を主とする少数民族という。
 ウルムチの政治・経済・文化などコントロールする中核機能は、必然的に漢民族主導に。

 なお、日本とウルムチの時差について:
 日本と中国(北京基準時刻)の時差は-1時間で、日本の正午は中国の午前11時。
 中国に到着したら時計を1時間遅らせればよい。
 広大な『国内全域』が「北京基準の時刻」に統一されており、中国内での時差は無いことになっていて、単純。
 しかし、現実的な生活時間としては、シルクロードのカシュガル、トルファン、敦煌観光などの西域では、夜になっても明るい(朝は遅くまで暗い)状況で、実際の生活感覚に合いません。
 そのため新疆自治区では、非公式ながら北京から更に-2時間のウイグル時間を同時に用いていて、この際は日本の正午はウイグル時間のウルムチで午前9時です。

 ・なお、ツアー記録中に記載した時間はすべて「北京時間」にしています。

           - 2日目に続く -

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2016年4月15日 (金)

ツバメ(夏鳥)、ツグミ、コガモ、ヒドリガモ(冬鳥)

●ツバメがやってきた:
  4月上旬、市街地で2羽のツバメが飛び交っているのを見かけました。
 そして4月11日、ご近所のお家のケーブルに2羽のツバメがとまっているのを見かけてカメラを向けると1羽がすぐに飛び立ち、1羽だけ撮れました。
 なおすっかり環境変化した市街地では見かけられるツバメの数はとても少なくなりました。Img_10414

 
 同じ日、数はずっと少なくなりましたが、散歩コースで見かけた、まだ居残っている冬鳥仲間です。

●ツグミ:
 田圃に降りるのではなく、樹の枝にとまってじっと上空を見ていた1羽。R0091532

 
●コガモ1つがい:
 辺りに鳥の姿も少なくなっている川に、コガモのつがいが一組だけ。Img_7980_1

Img_7980_2

Img_7980_3

 
●ヒドリガモ:
 まだ少数の群れが池で休息をとっていました。
 岸辺に上がって眠っている一組です。Img_792249

 温暖な春の陽を浴びられる期間が短くなってきて、いきなり初夏の陽気になるなどの昨今。
 冬鳥から夏鳥に入れ替わる時も早まってくるのでしょうか。

 
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 昨晩(14日午後9時26分頃)、見ていたテレビから、突如の緊急地震速報。
 熊本益城町で震度7、M6.4という。
 一夜明けて、被災状況が刻々と明らかになるにつけ、胸が痛みます。
 被災地の皆様には心からお見舞いを申し上げます。
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 ・「災害列島日本」に住んでいることを繰り返し、思い知らされるばかり。 
 旧聞ながら: 
 ・ 2016.3.28読売新聞記事切り抜きコピー:Img224

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 4.16追記:
 2016年04月16日未明(午前1時25分)、熊本県で震度6強、M7.3の地震。
 その後も激しい揺れが相次ぐ「本震」だった。
 14日の熊本地震は「前震」。
 被害拡大/広範囲化に言葉を失います。ともかく人命の安全確保最優先に。

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 しばらくの間、ブログ更新は休みます。

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2016年4月14日 (木)

イヌシデ、ヤマブキ、ナガミヒナゲシ

 桜にばかりに目が行っていた公園樹でしたが、ほぼ完全な葉桜になった今、あらためてほかの落葉樹の新芽も一雨ごとにぐんぐん展開して若緑がきれいになっているのを再認識。

 
●イヌシデ:
 見上げると、たくさん下垂したイヌシデの花穂(雌雄異花)がきれいに見えました。
 秋に実ります。Img_7865_3

Img_7865_4

 
 ・雄花序:Img_7865_5

 
●ヤマブキ:
 生け垣に仕立てられたヤマブキの黄色い花も満開に。R0091536

 
●ナガミヒナゲシ:
 多量の種を散布し、ニッチな環境にいち早く芽生えてすばやい生長をするナガミヒナゲシが、所々に開花しています。
 たくましい外来種。Photo

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2016年4月12日 (火)

アシブトハナアブ、フタホシヒラタアブ、ナミホシヒラタアブ

 春のハナアブ3題

●アシブトハナアブ:
 3月下旬、花数はまだ少なかったものの、ハナニラ、チオノドクサ、スノーフレーク(スズランスイセン)などが咲いていた庭にやって来た一匹。325

3

 花には目もくれず、もっぱら日向ぼっこが目的だったようです。

 
●フタホシヒラタアブ:
 草原に群生したトウダイグサやオオイヌノフグリの花を巡っていたもの。
 複眼の間がひらいていないので♂のようです。R0091514_1

R0091514_2

R0091514

 
ナミホシヒラタアブ:
 余談ながら、一見よく似ているヒラタアブ仲間です。
 先の記録からナミホシヒラタアブの画像再掲。R0090896

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2016年4月 9日 (土)

ウロコアシナガグモ、アオオビハエトリ、ニホンカブラハバチ

●ウロコアシナガグモ:
 朝方2Fのベランダで洗濯物干しをしていた家人が、ハンガーに黄緑色に光る小さな“ムシ”がくっついている、というので行ってみるとウロコアシナガグモでした。
 光が当たると金緑色に輝いてきれいなクモです。
 眼は8個。大きさ(体長) 8mmほどと大きめで鋏角が短いという特徴から、♀のようでした。R0091458ct

R0091460ct

 本種については今までにも観察した記録があります。

※ウロコアシナガグモ:
 大きさは、♀8mm、♂6mmほど 。眼は8個。
 全身が黄緑色の美しいクモで、胴体には編み目模様があり、うろこ状に見える。
 水平の円網を張るが、葉の上で獲物の待つこともあるらしい。
 出現時期は4~9月、分布は北海道、本州、四国、九州。

 
●アオオビハエトリ:
 たまたま庭に出た折に、傍にアリの巣がある石の上を、第1脚を上げた独特のポーズで忙しく歩き回っていました。R0091467_1

R0091467_2

 網を張らない徘徊性のクモの仲間です。これまでにも時折見かけた記録があります。

 
●ニホンカブラハバチ:
 4月になってから、晴れて気温が上がった日中には数匹が庭にやってきて飛び回っている害虫仲間です。R0091462_1

R0091462_2

 幼虫は真っ黒い色をしていて、アブラナ科の植物を食草にするハチで、晩秋~初冬、堤防の草地でごく普通に見かけます。

 
○もっとゆっくり進んで欲しいと思うのに、どうも快適な期間が短くなってしまった感のある近年の春。
 晴れた日中は簡単に20℃を越えるようになり、早くも庭木の新葉・若葉が何者かに食害されて地面にパラパラ落ちています。
 害虫も活動をはじめているようです。

 昨シーズンは何も対策をしないでいたので外来種のアオドウガネの大発生被害に悩まされました。  今シーズンは早めに防除対策をしなくては・・・

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2016年4月 8日 (金)

桜も散り時、冬鳥のヒドリガモもわずかに。

●桜見物フィーバー終わる。
 菜種梅雨の合間一日だけ晴れて気温の上がった4/6、近隣の桜見物も終盤のピークになりました。
 1000本のソメイヨシノと菜の花が満開の名所は、人出も交通渋滞もピークに。
 翌日は花散らしの風雨に見舞われました。
 ご近所のサクラも同じ経過です。

 以下の撮影はいずれも4月6日

・名所の風景:
 所用のついでに自転車で立ち寄り。道路は大渋滞。Img_0971

Img_0969

Img_0973

Img_0987

Img_0998

Img_0978

 
 ・小学校の桜:Img_0967
 なお本日(8日)入学式時には落下盛ん、というところでしたが、それでも何とか見られる程度に残っていました。

 
 ・私有地の桜:
 立派な花冠の下では、ご近所の人が宴会中。Img_1006

 
 ・池の端の小木だけは満開直前。Img_1004

 
 ・池周辺の草地ではセイヨウアブラナにかわってセイヨウカラシナが勢いを増していました。Img_1002

 
 ・キアゲハが1頭飛び回っていました。
 花にはなかなかとまらず、草地に降りたところ。
 今シーズン初見。Img_1003t

 
 ・もういないかと思っていたヒドリガモ。
 池の端っこに少数の居残り組がいました。多分見納めでしょう。Img_0999

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2016年4月 5日 (火)

タネツケバナ、ミチタネツケバナ、ムラサキサギゴケ、コバノキジムシロ

 このところの天候は曇りや雨続きで、まさに「菜種梅雨」の様相。
 気温が高めのこともあり、庭植えの草花や落葉樹の新芽も一雨ごと/一日毎に花や葉の展開が進んで、別名、「催花雨」の呼び名がぴったり。

 田圃道の雑草も同じです。
 田圃では田起こしや畦道の除草剤散布など、春の圃場整備作業が行われています。
 越年した、あるいは春先から伸びはじめた田圃周りのしたたかな雑草類も、姿が見られるのは田植えが始まる前の今のうちです。

●タネツケバナ(写真左列)とミチタネツケバナ(右列):Blg

 
ムラサキサギゴケPhoto

 
コバナキジムシロPhoto_2

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2016年4月 3日 (日)

公園の桜も満開

 本日、県内有数の桜の名所として、1000本のソメイヨシノで花見客数を競う”複数のHP”をのぞいてみると、本日の開花情報はいずれも満開になっていました。
 駐車場は朝から満杯というところも。

●散歩コースのさくらも満開に:
 そういう喧噪にはまったく無縁の散歩コースの公園では8分咲きから満開、近くの小学校のサクラは満開というところでした。
 
 ・公園のサクラ:
 公園の植樹は野球グラウンドを除き、ほぼ一周しています。S

 
 ・蜜を求めてメジロがヒヨドリに追われながらも群れていました。S_2

 
 ・小学校の角のサクラ:Img_7905

 ともあれ、桜はサクラ。

 ※ 散るさくら 残るさくらも散るさくら(良寛和尚)、それでも散らない姥桜、とは、先に聞いていたラジオの番組から。

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2016年4月 2日 (土)

シロバナホトケノザ

 ホトケノザ(シソ科オドリコソウ属)の花が満開です。
 毎年、除草や耕運など人為的な攪乱が生ずる畑地、空き地などにはあっという間に群生して広がっています。1img_7799

 そして、頻度は稀だそうですが、白色の花をつけるシロバナホトケノザも手元の図鑑には記載があります。
 シロバナホトケノザ(f.albiflorum D.M.Moore)植物体は、花の赤い色素が欠落しているだけでなく、葉や茎からも赤色が抜けて、薄い緑色をしています。
 また余談ながら、シロバナに関しては除草剤による変異説などもあるそうです。

●シロバナホトケノザ: 
 たまたま3月下旬、畑・水田地帯を通り抜ける舗装道路で、ほぼ裸地になっている道路端に、ホトケノザが今を盛りと赤い花をつけ、小さな群落を飛び飛びに作って繁茂していました。
 そしてその小さな群落の一箇所だけにまとまって、シロバナホトケノザが混生しているのを見つけました。
 実際に見かけたのは初めてでしたので、少し詳しく観察してみました。
 (なお生育場所は農地周辺地域ということになりますが、除草剤の使用状況やその影響などについては分かりません。)2r0091266

6

 (余談ですが、花がよく似たヒメオドリコソウのシロバナを観察したことがありました。)

 
 ・唇形花の”帽子” (上唇)の中に隠れるように長短2個ずつ、4本の雄しべが伸びていて、その葯4個は縦に並んでいるように見えます。
 葯からは橙色の花粉がたくさん出ています。
 そして雄しべの間に包み隠されているような雌しべの、先が2つに分かれている柱頭がのぞいて見えていました。7

 
 ・盛んに花をつけている株をのぞき込んで見ると、たくさんの種が出来ています。3

Photo

 
 ・こぼれ落ちそうになっている種の一方の端に白色のエライオソームが付いています。
 鞘に収まっていた種子の根元側です。4

 
 ・株を少し揺すっただけで種がバラバラと落ちてきます。
 採取したものをルーペで拡大して見ると、白い斑点がびっしりあるものと全くないものとがありました。5

※1) ホトケノザは越年草で、前年秋に芽生え、早くも年内に咲き出し、3月ともなれば畑や空き地、裸地斜面など一面を覆い、遠目には赤紫色の絨毯に見えるほど繁茂します。
 草丈は10~20cm。茎の上部の葉腋に長さ約2cmで紅紫色の小さな唇形花をたくさんつけます。
 その長い首の下の方に蜜が入っています。
 開花せず蕾のままで結実する閉鎖花も多数混じっています。
 花期は2~6月、分布は本州、四国、九州。

※2) 種の1端に付着している白い物質には、エライオソームという成分(脂肪酸、アミノ酸、糖からなる化学物質)が含まれています。
 アリの大好物(誘引物質)で、これを目当てにアリが集まってきて、種を巣に運んでいってエライオソームを食べてから種を捨てる、あるいは運ばないでエライオソール成分だけを舐めとることもあるそうです。
 エライオソームを付ける種子はその様な手段でアリに寄る拡散をはかり、分布を広げて行きます。
 この様な種をつくる植物は他にもカタクリスミレムラサキケマンなどがあります。

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2016年4月 1日 (金)

身延山久遠寺のシダレザクラ

 ・桜の季節。
 地元のニュース、といっても自宅からは少し遠い秩父市ですが、荒川上野田の「清雲寺」境内の樹齢約600年の県天然記念物「エドヒガンザクラ」が8分咲きになって、ライトアップも始まったという。
 昔、所用での通りかかりに立ち寄ったことがあります。

 ・話変わって、
 高速道路の開通などで当地からも充分日帰り出来るようになった山梨県・身延山久遠寺で、樹齢400年のシダレザクラが見頃になっているというので、はじめて見物に行ってきました。
 (久遠寺HPに境内ライブカメラ情報があります。http://www.kuonji.jp/kuonji/camera.htm)
 曇天下ではありましたが充分満喫してきました。

●身延山久遠寺:
 鎌倉時代に日蓮聖人によって開かれた日蓮宗の総本山。
 境内にある樹齢400年と伝えられる2本のシダレザクラは淡いピンクの花をつけてちょうど満開/見頃でした。
 他にも境内やその周辺には、たくさんの見頃を迎えたサクラがあふれていました。1

2img211_2

 
 ・三門をくぐり、スギ巨木並木の石畳参道、その先に境内ままで続く急勾配で287段ある石段(高さ104mの「菩提梯」)を、息を切らしながら登りきると、久遠寺境内です。
 (なお、バスと斜行エレベーターを利用すれば、歩かなくても境内に行けます。お好みでどちらでも。)

Photo

 
 ・久遠寺境内・諸堂(上掲の配置図参照):4

 
 ・樹齢400年シダレザクラ(仏殿前):5400

Img_0924400

 
 ・樹齢400年シダレザクラ(祖師堂脇、総受付前):Img_0908400_10

 
 ・シダレザクラ(開基堂脇):8img_0916_3

 
 ・境内から見下ろした西谷方面の景観:Img_9457

 適当な運動になりました。(万歩計カウントは12、274歩)

 麗しき日本の春、全国に、それぞれの土地で大切に守り育てられ、維持されてきた有名なサクラ/名所がありますね。

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