旅行

2017年2月26日 (日)

冬のみちのく3湯(青荷、酸ヶ湯、鶴の湯)巡り

 初めて,雪深い東北の”秘湯”ランプの宿「青荷温泉」、乳頭温泉「鶴の湯」、また50数年昔に行ったことがある酸ヶ湯温泉の、3ヶ湯めぐりに行ってきました。
 訪問先はいずれも、例年より雪は少ないということでしたが、初体験した”大雪”の中の雪見温泉でした。
 (なお、物見遊山の雪模様は楽しいだけですが、さらに大雪にも見舞われる現地の日常生活は、慣れているとはいえ、さぞかし大変なこともあるのだろうと、見透かすことが出来ない湯煙の向こうをぼんやり眺めたことでした。)

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【日程】
・1 日目:
 東北新幹線大宮駅→盛岡駅→■十和田湖→○奥入瀬渓流 →青荷温泉着。
   青荷温泉( 一軒宿秘湯、ランプの宿)泊

・2 日目:
 青荷温泉→●津軽伝承工芸館→●五所川原たちねぶたの館→津軽五所川原駅→<津軽ストーブ列車>→金木駅→■金木観光物産館→●太宰治記念館・斜陽館(小説家太宰治の生家)→●津軽三味線会館(三味線演奏を観賞)→●ねぶたの家 ワ・ラッセ(青森ねぶた祭りの大型ねぶた展示)→酸ヶ湯温泉着。
   酸ヶ湯温泉(千人風呂で知られる湯宿)泊

・3 日目:
 酸ヶ湯温泉)→■田沢湖高原→●乳頭温泉郷・鶴の湯(入浴)→■角館(みちのくの小京都)→東北新幹線盛岡駅→大宮駅(21:34着)

 
■行程地図:
 (以下の画像はすべてクリックで拡大します)
Blg2017223253

 
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1日目
●青荷温泉ランプの宿:
 ・青荷温泉(2016.10.16Google Earthから)
  森の中に佇むランプの宿。まだ雪のない時の画像です。20161016ge

 
 ・ランプの宿:
  日暮れから夜明けまで、ランプだけの明かりです。
  夕食と温泉入浴を済ませるとそれ以外にする事、出来ることはありません。Photo

 
 ・お土産のマグカップ:R0012711

 余談ながら、非常出口などの明示が義務づけられて、その照明用の自家発電機が稼働しているそうです。
 またDoCoMoの携帯は通信可能でしたが、他はダメだったらしいです。

 
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2日目
●酸ヶ湯温泉:
 ・酸ヶ湯温泉(2016.10.16Google Earthから)20161016ge_2

 
 ・酸ヶ湯温泉館内:Photo_2

 
 ・ヒバ千人風呂:
  入り口に年配男性の案内係の方がおられました。
 昔のことを少し立ち話してから、男性入り口からいざ入浴へ。
 事前に伺ったとおり、中は暗くて湯煙で何も見えません。
 目が慣れるのを待ちながらも手探りで床を這うようにして湯船に。
 少し目が慣れると、これも聞いていたとおり、目前に、昔はなかった衝立があります。
 ただ、衝立があってもなくても、何もほとんど分からない湯煙の闇でしたね。

 
 ・旅行案内誌から切り抜き作成した大温泉浴場画像:Blgtrm100

 明るい日中なら、このようなヒバ千人風呂が見られる様ですが、50数年昔の日中、八甲田山・高田大岳から下山して入浴した折にも、ただ真っ白い湯気の向こうにうごめく人影をみただけの記憶しかありません。

 
 ・一夜明けた朝、そして朝食(バイキング)Photo_3

 
 ・出発時間が近くなった8時頃、急激に青空が広がってきました。
  バスの乗務員さん達も驚くほどの好天になったのでした。Photo_4

 
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3日目
●鶴の湯:
 ・鶴の湯(まだ残雪の2014.4.17Google Earth画像)2014417ge

 
 ・鶴の湯風景:Photo_5

 これでも例年より雪は少ないということでした。雪深い”人気の秘湯”なのですね。

 ・なお旧聞ですが、11年ほど前(2006.2.10)に、今回訪問した乳頭温泉鄕・「鶴の湯」では、露天風呂付近で発生した雪崩による事故が発生したことがありました。
( http://blogs.yahoo.co.jp/ban_ban/25454891.html )
 豪雪地域のようです。

                 - 完 -

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2016年11月16日 (水)

龍王峡(栃木県日光国立公園内)ハイキング(2016/11)

 本日の天気は終日快晴で雨の心配はないという予報を”信じて”、朝食後の思いつきで、電車で片道2時間半ほどのところにある観光地、栃木県の龍王峡( http://www.ryuokyo.org/)までハイキングに行ってきました。
 過去にも2度ほど行ったことがありましたが、ずいぶん久方ぶりでした。
 出かける前に,ネット情報で、すでに紅葉の見頃は過ぎていることは承知の上で、のんびり電車に乗ることと歩くことが主な目的です。
 到着時の現地は予想通りで、人出も少なくなったコースの名残の紅葉を愛でながら、のんびりウオーキング。
 ただ、帰りの電車の時間の都合もあったりして、現地滞在は正味たったの1時間30分ほどになってしまいました。
 万歩計の歩数(ウオーキング以外の歩行も含む)は11,590歩とささやかなものでしたが、穏やかな日本の晩秋のミニチュア風景を味わうことができ、良い気分転換にもなりました。

■龍王峡ハイキングマップ(部分):Sc

 ・現地到着後、最初はSTART地点から、コースタイム片道約1時間の白岩展望台まで往復のつもりで、まず左岸コースから歩き始めました。
 しかし途中で写真を撮ったりしていて時間が過ぎてしまい、むささび茶屋に着いた時にはすでに1時間20分も経過していました。
 ここから白岩展望台まで行くと、帰り予定の電車時間にはまったく間に合いません。
 やむなく、結局ここで昼食として、右岸コースを周回してリターンする事にしました。
 いい加減なものです。

●虹見の滝:
 (光の加減があいにくで、うまく撮れませんでした。)Img_2756

 
●竪琴の滝:Img_2758

 
●名残の紅葉も十分きれいでした。Img_2765

 
●むささび橋からの景観:
 龍王峡の代表的なビューポイントです。Img_2772

 
●腐木に着いていた変形菌、タマホコリの仲間:Img_2786_2

 
●白龍ガ淵あたりの景観。
 青緑色の淵と流紋岩の白色に、紅葉が映えてきれいでした。Img_2792_1

 もう少し余裕があればヨカッタかな。

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2016年10月28日 (金)

みちのく紅葉ウオーキング(2016年10月下旬)

 みちのくの紅葉を訪ねる3日間のハイキングツアーに参加しました。
 訪問地域はずいぶん昔にも訪れたことがあるところでしたが、今回は幸いにも今季紅葉のベストタイミングということでした。
 それでもさほど混雑することもなく、落ち着いた風情の”日本の晩秋”を楽しむことが出来ました。

■概要:Blgimg268

Blg

 

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2016年7月 9日 (土)

北海道、襟裳岬ツアー(2016/6下旬)

 前回記事の続きです。

■3日目(最終日):
 長丁場になりましたが、今回ツアー目的の襟裳岬訪問の日。
 早朝は霧がありましたが時間経過と共にどんどん晴れていき、絶好の観光日和になりました。
 日頃の行いなど一切関係ない証です。(^_^;)

 ホテル発→紫竹ガーデン→道の駅・大樹→黄金道路→えりも(襟裳)岬→サラブレットロード→道の駅・新冠→千歳道産市場→新千歳空港→羽田→帰宅。

●ホテル出発、紫竹ガーデンに向かう途上風景:
 だんだん晴れていきました。10

 
●紫竹ガーデン:
 帯広/十勝平野に広がる紫竹ガーデンは、当時63歳だった紫竹昭代おば(あ)ちゃんが20年以上かけて作り上げたお花畑。
 トレードマークの装いで、今もお元気で観光客の求めににこやかに応じておられました。    
 さしずめ、アメリカの有名なターシャ・テューダーお婆ちゃん(故人)の日本版でしょうか。
 そこで見かけた木に咲くピンクの花は何だろうと後で調べて見たら「オオタカネバラ」と思われる花木。
 またピンぼけでしたが「シレネ・ブルガリス?」と思われる植物も。(画像最下段左)
 こちらは直接関係ありませんが、東武トレジャーガーデンで見かけた「シレネ・ユニフローラ」にも似ていて、ナデシコ科 / マンテマ属の園芸品種の仲間かと。11

 
(付)東武トレジャーガーデンの「シレネ・ユニフローラ」:
 「シレネ」は、地中海沿岸原産のナデシコ科マンテマ属の総称。
 風船のようにふくらんだ、うす緑の袋(萼)の先に白い小さな5弁の花をつけた、ユーモラスな独特の花姿からグリーンベル(Green bell)、ふうりんか(風鈴花)、白玉草の別名もある。
 最近も新しい園芸品種が発表されている。11_2

 
●紫竹ガーデンを出発して、道の駅「コスモール大樹」にトイレ休憩立ち寄り、広尾町を通り抜けて、海岸沿いに走る黄金道路を走って襟裳岬へ。
 ・広尾町:
 広尾町は、1984(昭和59)年にサンタクロースの故郷ノルウェーのオスロ市から、国外初の「サンタランド」として認定を受けて以来、「サンタランドの町」として町づくりを進め、「広尾サンタランド」がある。オスロ通り、サンタロードと名付けた道路もあり、また国道沿いの歩道や街路灯、またマンホールの蓋までサンタデザインのものがあるという。
 車窓から目にしたその一つで、ステンドグラス風のサンタ・デザイン街灯と、はっきりしませんが、写っていたサンタ・デザインのマンホールの写真も。

 ・黄金道路は、補修しても補修しても荒れる海の暴風雨ですぐに損壊し、(”金食い虫道路”というのが別名とか)それでも、海岸道路はトンネルや覆道による整備が進められていて、その分、ダイナミックな断崖絶壁風景はだんだん見られるところも少なくなってきたそうです。
 途上、フンベの滝があり、傍らにある海難供養碑 は荒れる海の記録でしょうか。
 百人浜を過ぎればもうすぐ襟裳岬です。
12

 
●襟裳岬:
 訪問当日は、直近の10日間でもっとも天候に恵まれた日だと、昼食を食べた「えりも岬観光センター」での案内。
 食事もそこそこに、見学してきた襟裳岬でした。
 ・襟裳岬へ:131

 昭和の時代に大ヒットした、森 進一『襟裳岬』:「♪襟裳の春は 何もない春です~♪」の歌詞で知名度の上がった岬ですが、当初は、"何も無い“とは何だと地元住民の反発も招いたそうです。
 やがて襟裳の知名度アップに貢献したとして「えりも町」から感謝状を贈られ、1997年(平成9年)には、えりも岬にこの歌の記念歌碑が建設されています。
 なお並んで、島倉千代子の「襟裳岬」歌碑(写真右)もありました。

 
 ・岬突端へ向かいます:132

 
 ・ハマナス、ハマエンドウ、オオハナウド、エゾカンゾウを見ながら突端に到着。
 さらに「襟裳神社旧鎮座詞跡」まで下りました。
 突端からさらに下った先の海岸に、ゼニガタアザラシが見られるかも知れないとのことでしたので、「襟裳神社旧鎮座詞跡」まで降りてみましたが、その時には見つかりませんでした。133_2

※襟裳岬に咲く花:
 ・オオハナウド:
 襟裳岬の突端まで降りていく階段の両サイドにセリ科の大型多年草が咲いていますが、遠目にはよく似たアマニュウ、オオカサモチ、オオハナウドの3種類が見られるということです。
 ただ,遠目には識別困難ですので、間違いがあるかも知れませんが近くに咲いていたものだけ撮って「オオハナウド」としました。
 ※オオハナウド:
  セリ科ハナウド属の多年草。本州近畿地方以北の高山から山間地の湿った場所に分布し、北海道では海岸にも生育してときに大群落となることがある。
 葉は大きく3出複葉で大きく切れ込みが入ります。茎の色は植物全体が完全に緑のものから赤紫のものまであります。花期は地域によって差があるが、多くは7~8月。

※参考
 ・アマニュウ:
 セリ科シシウド属の多年草で、遠目には区別できない仲間が多数ある群の中の一つ。  
 高地ではミヤマシシウドともよく似ているが、葉は大型で3裂し、丸みを帯びる。
 表面は無毛。分布は四国の石鎚山と中部地方以北の山地で、北海道では海岸にも見られる。花期は7~8月。
 ・オオカサモチ: 
 セリ科オオカサモチ属の多年草。本州中部地方以北の山地帯~高山帯の草地に、北海道では海岸にも生える大形の多年草。
 葉は細かく分裂することがオオハナウドとの違い。花期は7~8月。
 ・ハマナス:
 バラ科バラ属。海浜/海岸に生育する落葉低木。
 日本では北海道に最も多く、北海道の花にも指定され、えりも町襟裳岬もハマナスの名所になっている。花期は5~8月。分布南限は茨城県、島根県まで。
 ・ハマエンドウ:
 マメ科レンリソウ属。 海浜/海岸地帯に生育する多年草で濃紫色の花が美しいので栽培されることもあるという。
 最近は生育環境変化によりだんだん少なくなっているらしい。分布は日本各地。
 ・エゾカンゾウ:
 ユリ科。 湿原、山地や海岸の草原に生える多年草。橙黄色の花は数個が茎先につき、長さは8~10cm。朝開花して夕方に閉じる。花期は6月中旬~8月上旬。

 
 ・旧神社跡から時間を気にしながら襟裳岬センター、バス停まで戻る。134s

Img237

 
 ・ツアー最終行程は、サラブレッドロードを通り、新千歳空港へ。
 途中、えりも岬集落の民家の砂利敷きには、特産の日高昆布の干し場風景も眺められました。
 道の駅「サラブレッドロード新冠」でトイレ休憩を挟み、一路新千歳空港へ。
 着後羽田への帰途につきました。14

 
★短い所感:
   地方に行けば、大都市圏のような日常生活の利便生など望むべくもありませんが、先人が営々と積み重ね、紡いできた郷土に対する愛着と誇りとをもって、郷土と共生しておられる人々の姿は、日本中、どこにいっても共通して目にし、また感じることができるものと、あらためて認識できました。
 うまし国です。

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北海道ガーデン街道、大雪山旭岳お花畑、襟裳岬ツアー(2016/6下旬)

はじめに:
 北海道で観光目的の“三大岬”と言われているのが、稚内市の『宗谷岬』、根室市の『納沙布岬』、えりも町の『襟裳岬』です。
 襟裳岬にだけはまだ行ったことがなかったので、6月下旬、2泊3日の”お仕着せツアーツアーに参加して襟裳岬に行ってきました。

 今回は、たまたま襟裳岬が含まれている観光コースがあるというので選んだだけですが、「北海道ガーデン街道」として有名な富良野・美瑛の観光も含まれていました。
 こちらは私には付録ですが、この地域のラベンダーをはじめとする花々のベストシーズンは7月だそうで、その時期には今をときめく“外国人観光客”でもずいぶん混雑するそうですが、訪問時の6月下旬にはラベンダー等はまだ少し早かったようで、その分、大混雑は避けられてよかったです。1blg

 
※記録

■1日目:
 羽田発→新千歳空港→ゆにガーデン→砂川(昼食)→上野ファーム→層雲峡温泉(泊)
 当日の現地は終日雨模様でした。
 なお、もともと庭園を飾る園芸の花々について知識がありませんし、またガーデン街道に名を連ねる花の名所の花畑にはカタカナ名のものが断然多くて、私にとっては花の名前はすべて一律に、”きれいな花“で終わりでした。

●ゆにガーデン:
 15ヵ所のガーデンエリアを配した英国風庭園ということで、雨の中、園内周回バスに乗って一巡しましたが、まあ晴れた時でないとどうしようもありませんね。2c

 
●上野ファーム:
 庭園は英国の庭作りから学んだ「北海道ガーデン」という。
 花々でもっとも賑わう季節はやはり7月とのこと。
 巨大な葱坊主のような花は「アリウム」、と聞きました。31_2

 
 見学後、宿泊地層雲峡温泉へ(泊)。
 32img_19561

 
■2日目:
 曇り時々晴れで、まずまずの天気。
 ホテル発→大雪山・旭岳ロープウェイ(姿見の池周辺高山植物見学)→美瑛・四季彩の丘→深山峠(昼食)→ファーム富田→道の駅南ふらの→十勝幕別温泉(泊)

●旭岳・姿見の池周辺散策路マップ:Blgdocx

 
●ロープウェイから第3展望台手前まで:
 ロープウェイ終点(姿見駅)では外気温8℃ということでした。
 歩き始めは寒かったのですが,歩き出すと暖まり、ヤッケなど脱いでしまいました。
 見かけた花はキバナシャクナゲ、ショウジョウバカマ41

 
●第3展望台 擂鉢池から鏡池通過。
 見かけた花はエゾノツガザクラ、チングルマ、メアカンキンバイ、ジムカデ。423422

 
●「姿見の池」と「愛の鐘」、第5展望台、そしてロープウエイ終点姿見駅から下山まで:
 見かけた花はエゾコザクラ、ロープウエイ始発駅付近でミズバショウ群落。
 なお、ロープウェイキャビン内の案内ビデオで紹介されていたナキウサギ、天然記念物ウスバキチョウの映像も記録。435jpg

 
●美瑛・四季彩の丘:
 トラクターカート「ノロッコ号」なる乗り物で園内周回しました。
 乗り心地はあまり良くないです。5

 
●深山峠「レストハウス思い出のふらの」で昼食。
 広がる風景の中に、ポツンと小さな赤い屋根の建物が見えて、それは富良野線の「美馬牛駅無人駅」で、臨時列車「富良野・美瑛ノロッコ号」の停車駅だとのこと。
 やがて昼食のレストハウスに到着。
 付近には勝手に増えたらしいルピナスが咲き乱れていて、繁殖力の旺盛さを物語っていました。6

 
●ファーム富田:
 最盛期にはまだ早いラベンダー畑などの花畑と、隣接する富良野メロンの「とみたメロンハウス」見学。
 ここはさすがに大勢の”外国人観光客”で賑わっていました。7121350150

 
●道の駅富良野までの途上風景:8

 
●道の駅を過ぎて宿泊地の十勝幕別温泉までの風景。(十勝幕別温泉泊)92

          -3日目に続きます- 

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2016年4月27日 (水)

シルクロード(ウルムチ・トルファン・敦煌・西安)をめぐる旅(完)

 6日目の記事の続きです。

■7日目: 終日 西安郊外・市内観光。Img231c

 (午前)
 朝の景色は霞んでいました。ホテルにて朝食後、8:00バスで出発。7

 約20分ほどで、まず

●「陝西(せんせい)歴史博物館」へ。
 ※「陝西歴史博物館」は、1983年より建設が始まり、1991年6月20日に開館。
 建物は「真中は殿堂、四隅は崇楼」という唐風の大きな建築物群です。
 敷地面積は6万5,000平方メートル、建築面積5万5,600平方メートル、文物庫面積8,000平方メートル、展示エリア面積1万1,000平方メートルということです。

 ・かつて陝西省には、周、秦、漢、唐など13の王朝がこの地に都を定めていました。
 その豊かな歴史文化の遺産として、ここには陝西省で発掘された周・秦・漢・唐の時代を中心に、先史時代から清代までの、青銅器や工芸品など50万点余の文物件(pieces)が収蔵されています。  
 ・中でも商周時代の青銅器、漢唐時代の金器と銀器、唐時代の窟壁画、各時代の様々な姿の陶製人形、その他の所蔵品から精選された逸品約3,000点の展示物は量、質ともに中国内有数の大型歴史博物館とのことです。

 *建物正面、そして正面をバックに記念撮影をする地元の”修学旅行生”一行。
 (前に掲げられた横断膜には“奨学基金、運営委員会、中国統一英才教育”などの文字が見えました。)Photo

 ・駆け足の見学などでの理解はとうていムリなので、陝西省博物館 編のガイドブッを購入。 日本語版は無いとのことで、中国語/英語併記版でした。

 『文物精華/THE GEMS OF THE CULTURAL RELICS)』 (1992年6月第1版第1次印刷、138元) 
 (なお本書前言(Preface)によれば、本書は多数の収蔵品から約100点あまりの文物を精選して、青銅器、金銀器、玉器、石刻、陶俑、そして唐三彩の6部門に編集し、中国内外の愛好者の観賞に供するもの、とのこと。)
 (後でじっくり読み・・・ませんね。やっぱり。)
 ついでに「唐代仕女」絵はがきセット(20元)も購入。

●見学:
 現地ガイドの案内で重点ポイントのみ概略見学。その後は、集合時間まで自由見学に。

 *まず、博物館の玄関ホールに入るなり目に飛び込んできたのは唐時代の巨大な石獅(則天武后の母の墓前に置かれていた石像のレプリカ)です。4img_9908

 高さ3.1メートル、重量20トンで、この博物館のシンボルという。日本の狛犬には較べようもありません。
 昔からすべて”巨大”であることが伝統文化だったのですね。

 後は適当に撮った写真の例です。

 
 *青銅器では,「彩絵雁魚銅灯」(彩色された、魚を咥えたガチョウをモチーフにした青銅製ランプ)(西漢(206B.C.-A.D.8年) ; また「塗金銅龍」(金箔被覆青銅製の龍)(唐)。Photo_2

 
 *金銀器では「金餅」(Gold Discs)、(西漢(206B.C.-A.D.8年)、219枚が出土したという。1枚当たりの重量は227.6~254.4グラム。Photo_3

 
 *玉器では瑪瑙の「印」(高さ2cm、四角形の1辺の長さ2.8cm)、また水晶や瑪瑙の「装身具」など。Photo_4

 
 *文物では、「唐長安城図」(唐 長安市地図):
 (当時の国際都市長安には、日本から使節、留学生、留学僧が数多く派遣されていて、奈良の平城京、京都の平安京のモデルとしても、学ぶところが多かった文化・.文明先進国だったのです。)
 「试题纸」(試題紙):
 科挙(試験の)答案用紙 (清、光緒元年(1875年)など。Photo_5

 
 *唐俑、唐三彩などの陶磁器では
 「三彩女立俑」高さ44cm、唐墓出土 ; また「彩絵女立俑」(唐代の代表的美人) ; 
 更には明代(1368-1644年)の「彩絵陶儀仗俑群」(皇帝陵墓に副葬された300体余りの彩色陶製、儀仗(墓守)俑群) ; 磁器製の枕、など。Photo_6

 
 *常設展示の”陝西古代文明”ゾーンでは時代を追って展示がされていました。
 陝西古代文明展示ゾーン、兵馬俑坑から出土した兵士俑や馬俑。10

 
 博物館見学後、移動して

●世界遺産「大雁塔」見学へ。
 ここは三蔵法師で有名。インドから持ち帰った経典や仏像などを保存するために建立された楼。
 *玄奘(三蔵法師)像 ; 慈恩寺大雁塔遠望。11

 その後

●陝西省美術博物館へ。
 *ここは純粋に学術的な施設というものではなく、巧妙な“お土産用高額美術品販売“が目的のようデス。(中国ではこの種の商いをする”博物館“などと銘打った施設が他の地域にもありますね。)  ウンザリしながら足止め滞在約1時間。12

 
 退散してからバスで約1時間移動して
 今回ツアーの目玉「世界遺産」秦の始皇帝陵と兵馬俑坑博物館地区へ。

 現地到着後、まず昼食の「郷土料理」13

 
 (午後)

●兵馬俑坑博物館見学:
 秦始皇帝陵と兵馬俑は1987年に世界遺産に登録されています。
 1974 年に最初の兵馬俑坑が発見されて以來、現在まで3つの俑坑が確認され、それぞれ1、2、3号俑坑と番号付けされています。

 ・現地到着後、秦始皇兵馬俑博物館のゲートに向かい、手荷物検査などセキュリティ通過、「兵馬俑坑1号館」へ。
   なお先に余談ですが「兵馬俑坑1号館」は、すでに多数のTV特別番組、ドキュメント映像、写真、展覧会などで以前から見知っていた通りでした。
 ただ現地を見て分かったのは、当然ながら報道されていた映像などは広大な1号館内の整備が終わった1部分だけで、実際の館内状況は、発掘中の作業現場(仮置き場や修復中など)や、未発掘部分のスペースの方が広い、ということでした。

 
 *一号館:
  1番大きいのが一号館(1号俑坑)で、一部では現在も発掘が続けられているそうです。
 東西230m、南北62m。すべての発掘が終われば6,000体以上の兵馬俑があることが分かっているということですが、現時点(訪問時)では、発掘済み兵馬俑の整備と、その修復作業が行われている状況でした。
 1号俑坑の兵馬俑配置は、戦車兵、騎兵や歩兵などが整然と隊列を組んで、あたかも巨大な地下始皇陵を守護する近衛軍団の布陣の様子を再現しているのだそうです。
 (以下、画像はクリックで拡大します。)141

 
 次いで三号館へ。

 *3号坑(三号館)は発掘が完了して、軍団の『司令部』を再現したものと考えられているという。153

 
 続いて二号館へ:

 *2号坑(二号館)は、訪問時に一部発掘の手が付けられた形跡も見られましたが、現時点では殆ど発掘作業は停止されているようでした。
 そして発掘過程の記録解説写真パネルや、兵馬俑坑構築用具、“部品”、またその全体構造の模式図など、わかりやすい解説・案内パネルが随所に配置されていて、学術的見本展示館、の趣でした。
 なお陳列されていたガラスケースには、発掘された状態の良い代表的な俑が展示されていました。162

 俑は着色されていた証拠が分かるものが展示されています。
 なお展示の俑は実際の身長より大きめに作られて強い人間を表現している、とか、ゲルマン民族をモチーフにしたなど諸説があるとのことです。

■追記:
 なお、1~3号俑坑中には、等身大(平均1.8m)の陶俑や陶馬が合計で8、000~10、000体あると推定されているという。

 
 最後に、別棟の「青銅馬車」展示館見学。

 *2台の青銅馬車が展示されていました。
 ものすごい人混みで近寄ることも困難で、十分見られそうにもないため早々に退出。
 東京でレプリカ展示をゆっくり見ていたのであきらめがつきました。17

 以上で、兵馬俑関連施設の見学を終了。

 
 PM 3時45分頃博物館を出て次の見学地、秦始皇帝陵博物院へ移動。

●[秦始皇帝陵・世界遺産]:
 中国を初めて統一した始皇帝の陵墓は、西安市臨潼区の東 6 キロメトールに位置しています。
: *ユネスコ世界遺産表示のある標石の向こうに遠望できるのが始皇帝の陵墓です。
 そこまでは行きませんでした。18

 <メモ>
※秦の始皇帝:
 今から約2,200年前、始皇帝(紀元前259年~ 紀元前210年)は、中国戦国時代の「秦王」として13歳で即位し(在位紀元前246年~ 紀元前221年)、わずか26年間で自国以外の戦国七雄を滅ぼして天下を統一し、中国大陸に王朝・秦を打ち立てて、紀元前221年に最初の「皇帝」の名乗りをあげました。
 そして始皇帝としての在位は前221(38歳)~前210(49歳没)まででした。
 (しかし、秦は紀元前210年の始皇帝の没後僅か4年後の紀元前206年に、建国15年で滅亡してしまいました。その辺りの歴史を少しのぞいてみると、当然のこと滅びてしかるべき理由があって滅亡したもの。後世、その轍を踏まないように、国家の運営は実践されなければなりませんね。)

 始皇帝は天下統一をはかると万里の長城や巨大な建造物の造営に乗り出し、また始皇帝陵を永遠に守る陵墓副葬品として大量の近衛師団兵馬俑を作らせたのでした。

 
 *PM 4時40頃見学を終えて、5時過ぎには市内に戻ります。

 車窓から目にするのは相も変わらず建設中を含め、林立する高層住宅群などの風景。  
 (途中で“手織りのシルク絨毯工場”見学に連れて行かれて正直ウンザリ!)
 その後お定まりの渋滞にはまり、夕食のレストラン徳發長に着いたのがPM 6時40分頃。
 メニューは「西安餃子宴」。独特の16種の餃子でした。

 20:20レストラン発、ホテル帰着は21:40。疲れましたね。
 部屋から外を見ると、丸い月が出ていました。192140

                【西安泊】

_______________________

8日目:
 朝食はお弁当。 ・ホテル発5時40分、空港へ。 空路西安~上海~成田・帰国の途へ。
   
 *西安発8時00分→上海着10時00分 (西安=上海間:所要約2時間)、着後乗り換え8img_1634

 上海発12時00分→成田着15時55分(上海=成田間:所要約3時間)
 自宅までマイカーで無事帰宅(18時50分)

 やはり、何時も変わらず、中国は”近くて遠い国”ではありました。

                   (完)

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 ★後日(2016.9.21)追記:
  新聞の書評欄に掲載されていた下記の本。そうなのか、と興味深く読みました。

  岡本隆司著 「中国の論理」 歴史から解き明かす  
     中央公論新社2016.8.25.発刊 

 

 ★更に後日(2016.10.18)追記:
 NATIONAL GEOGRAPHIC 日本版
 2016.10.17
 「兵馬俑の職人、ギリシャ人芸術家が訓練か」と題する興味深い記事がありました。
 まだまだ奥が深いようです。
 http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/101400388/?P=2  

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2016年4月26日 (火)

シルクロード(ウルムチ・トルファン・敦煌・西安)をめぐる旅(6)

 5日目の記事の続きです。

■6日目:敦煌~西安
 (午前)
 ホテルにて朝食後、9時30分発、敦煌市内観光 

●[敦煌市博物館]:
 2012年5月に市内から鳴山路に移転してリニューアルオープンした敦煌博物館。
 立派な建物には、漢代から現代まで敦煌の歴史を学ぶことができるよう、時代ごとに多くの文化財・遺物が展示されています。
 メイン展示は莫高窟のレプリカ。莫高窟では写真撮影禁止でしたが、ここでは撮影OK。
 多数の展示があり,駆け足見学。

 そのいくつかの例示写真。
 詳細は省略しますが、
 順に
 ・仏画
 ・莫高窟壁画に描かれた長城の出入関図、また葛西漢長城の走行分布図など。 
 ・漢王朝時代のシルクロード地図
 ・元代、マルコポーロ敦煌見聞経路図
 (以下の画像はクリックで拡大します。)11

 ちなみに主要な展示には日本語を含む4カ国語の解説があり、時間があればじっくり見学出来ます。 
 その一例
 ※漢長城の解説(4カ国語中の日本語):
 (原文のまま→)「漢長城は延々と千キロ以上延び、辺鄙なところにあり、大量の兵士が駐屯していた.長城沿線の安全を守るため、漢王朝には23歳から56歳までの男性は国境地区へ1年の兵役に服する義務があった。
 普段は農作業に従事し,戦争時は戦いに出る。漢長城に駐屯していた軍隊に厳しい軍事と行政管理の制度があり、見張りを担当する兵士は常に軍事訓練に参加し定期的に審査を受け、成績の優れた兵士は賞金を与えられた。
 また、駐屯兵氏の日課は文書の伝達で、文書の出所や行方、担当者などの詳細を記録することであった。
 労作、功労と過湿、軍事機能、病気などの情況が詳しく記録されていた。さらに、専門の管理機関や組織は駐屯任務を担当し兵士らは自分の労働と命で西北国境の平和と安定、民族の団結と国家の統一を守っていた。

 
 ・その他
 莫高窟第96窟写真パネル、莫高窟第45窟の塑像レプリカ、壁画写真パネル、その他各種の遺物、往時の月牙泉や莫高窟写真パネルなどの展示。2

 見学時間は約90分。

 
 この後、途中で夜光杯工場に立ち寄り。

○夜光杯工場見学/ショッピング:
 夜光杯は祁蓮(チーレン)山脈でとれる玉石から作られる玉杯で、鉄分を含むため、磁石に感応する、と言うオハナシでしたが・・・
 3000年の歴史を持ち,周代には皇室にも献上されたという。
 物好きが試しに“お買い上げ”。マグネットの上において持ち上げて見ると確かにくっついていました。
 ・工場見学3

 
 昼食は「郷土料理」
 ・食後、同じ建物のスーパーマーケットへ30分ほど立ち寄り。4

 
 その後、敦煌空港へ。
 
 敦煌空港着。ここで現地ガイドTさんそしてA氏とお別れ。

 
 (午後)
 中国東方航空 国内線 敦煌発15:50にて西安へ。
 (所要時間2時間25分)5

※暇つぶしにパラパラめくっていた機内誌の記事:
 「中国公民出国(境)旅游文明行为指南」
 直訳すれば、 海外に行く中国人(ボーダー)の旅行文明的行為ガイド。 
 早い話、海外で何かと顰蹙を買っている行動を慎むように、と、「旅の心得10箇条」が書いてありました。
 ・リゾートの海浜で缶ビールの空き缶を投げ捨てるなど×。
 わかりやすい。守って下さいね。

 
 (夜 )
 ほぼ予定通り西安到着18:10、着後、空港ターミナルからは現地ガイド0氏が同行。

 西安(咸陽国際)空港は中国西北地区最大の空港で、西部大開発が進むとともに観光客、貨物取扱量が増加し、2012年5月に第三ターミナル完成が完成、その後も整備が進められた現在は中国で四番目に大きい空港という。
 確かに建物は広くまだ新しくきれいでした。
 (Google Earthから)Blggoogle

 ただそのためか、空港ターミナルを出てから、広大な敷地の一角にある駐車場のバスまで約15分、段差や未舗装の混在する道路を、各自スーツケースを押しながら歩いていかなくてはならないという。  まあ、その様なお国柄です。

 18:40頃バス出発、高速道路でホテルに向かう。所要時間約1時間の見込みでしたが、ちょうどラッシュアワーに重なり更に時間を要する大都会でした。6

 途中のレストランで夕食の「西安火鍋」

 ホテル着は21:00

■余談:
 バスの中で、ガイド氏の話:
 (日本には何回も訪れている、という日本通。日本語も達者で話題豊富)
※西安について
 ・西安空港は現在中国で4番目に大きい空港で、まだ新しい。
 ・地理:
  西安は咸陽と共に陝西省で、内陸部に位置する。冬は-8℃になり雪は降るがすぐに融ける。また夏は40~41℃にもなることがあり暑い。年間降雨量は600mm。内モンゴルの陝西省から日本まで黄砂が飛ぶ。
 ・産物:
  乾燥しているため米は獲れない。四川省から移入するがご飯にすると美味しくない。 小麦はまんじゅうにする。トウモロコシは豚の飼料に。春の代表的な果物としてクワの実が美味しく、秋にはザクロ、柿が美味しい。
 ・住んでいる代表的な動物はトキ、パンダ。
 ・植物で一番多いのはクワの木。
 ・鉱物では瑪瑙、水晶で、伝統の加工技術は日本の若狭、山梨まで伝わっている。
 ・電力はすべて火力発電で、風が吹かないので風力発電はない。
 ・新幹線が走っているので北京、上海でも数時間で行ける利便性がある。
 ・西安の人口(流動人口)は1千万人を超えている。(住所登録住民は800万人で、漢人のみである。全員マイカーを持っている。) (ウルムチはウイグル人が多いが)

             【西安/泊】(→2連泊) 
              - 7日目に続く

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2016年4月25日 (月)

シルクロード(ウルムチ・トルファン・敦煌・西安)をめぐる旅(5)

 4日目の記事の続きです。

5日目:終日 敦煌滞在

1img230c

  
 ・メインの莫高窟見学後の所感を先に。 
  つとに有名な敦煌莫高窟。素人が初めての「観光目的」で、近年急速に“充実“した商業的観光システムに乗せられれば、まあこんなものか、というところでした。
 しかし、「千仏の威厳を感じる霊感と(仏教)信仰心の篤い先人の“感性”の発露である諸芸術的作品は、ほんの一部を垣間見ただけですが、世俗の素人の目にもすばらしいものでした。

●日程記録:

(午前)
  ホテルで朝食後、ホテル発8時10分、敦煌観光へ。

 
―――――――――――――――――――――――――

※冗長な前置きメモ:

 *莫高窟由来と観光の現状:
 
①莫高窟(別名は敦煌千仏洞)(1987年世界遺産登録):
 敦煌は古代シルクロードの西域の軍事上の要衝であり、東西交易の拠点として繁栄し、また宗教、文化および知識が融合しあう合流地でもありました。
 その敦煌市の東南25km、三危山と鳴沙山の間を流れる大泉河(別名宕泉河)に浸食された鳴沙山の断崖上に築かれた仏像の石窟群が莫高窟。
 伝説によれば開鑿は4世紀後半、前秦の建元二年(366 年)頃。
 沙門楽僔という僧が、鳴沙山の東麓の三危山に夕日を浴びて輝く千仏の威厳を感じて石窟を築き、修業したのが始まりという。
 莫高窟は約千年にわたって掘られ続けた仏教芸術の聖地であり、最盛期には1000余りの窟龕(くつがん)を数えたそうだ。  
 現存する窟数は492窟。
 その内訳は、最古のものは5世紀初頭(北涼窟)の第268、272、275窟で、続く500年前後(北魏窟)の第237、248、251、254、257、259、260、263窟など。また6世紀前半(西魏窟)の第249、285、355、432窟などがこれに続く。  
 その後、北周、随、唐、五代、宋、回鶻、西夏、元など11の王朝と14の時代におよぶ約千年にわたり石窟の造営や修復が続いた仏教洞窟群なのだ。

 現在では敦煌文物研究院によって、その様式から判断して五胡十六国9 ; 北魏23; 西魏2; 隋97; 唐225; 五代34; 宋70; 西夏25; 元7 に時代分けされているとのこと。
 窟の内部は石質が粗い礫岩であるため、四壁と天井を漆喰で塗り、その上全体に壁画を描き、塑造の仏像が安置されている。
 仏像類は2,415体にのぼり、例外的な石彫を除き鮮明な彩色が施されている。
 石窟の大きさは最大のもので268㎡、最小のものは1㎡未満とさまざま。
 壁画は洞穴の四壁、窟頂と仏龕に、モチーフとして宗教及び世俗生活の様子が表現豊かに描かれている。
 すべてを並べると約25kmの長さにも及ぶため「世界画廊」との異名がある。
 なかでも、飛び交う飛天(インド仏教における伝説の護法神で、空中を舞う天女)は敦煌芸術のシンボルで、莫高窟の全492窟の中で270の洞窟に飛天の絵が描かれていてその総数は4500ほどもあるという。
 また塑像はほとんどが仏教の神仏で、仏を中央に弟子や、菩薩が両側に沿って配置される群像になっている。
 
 なお、莫高窟のシンボルは九階建ての楼閣石窟(第96窟)。
 九階構造の最上部は断崖と同じ高さ。その楼閣の中に高さ35.6mの弥勒大仏坐像(北大像)がある。
 土を盛り上げて形を整えて作られた石胎塑像で、中国で三番目の大きさとのこと。
 なお他に、莫高窟第130窟の中にもう1体、高さ26メートルの大仏(南大仏)があり、両者とも弥勒菩薩像。

 
②現在(2016/4)の見学
 2014年7月15日、敦煌莫高窟デジタル展示センターが開設されたことに伴い、新しい見学システムが導入されています。
 莫高窟見学はこのデジタル展示センター入場から始まります。
 まずデジタル展示センターでの映像による紹介が始まる30分前までに「観光客センター」へ行き、検札を受けてから展示室に入ります。
 展示室を見学後、映像による紹介があります。
 映像内容は、デジタル展示センターに設置された直径18メートル、面積500平方メートルの円形スクリーンで、「デジタル敦煌」(歴史的背景をドラマ化した3D作品を含む2本の映画)を観るというものです。 
 映像を見終えてから次の観光カート待合室へ行き、カートに乗ります。
 カートに乗って、莫高窟石窟見学入り口に到着後、少し待たされてから、さらに莫高窟案内専門ガイド(日本語ガイド指定)の案内に従って窟内の見学になるのです。

 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

参考
 敦煌莫高窟石窟の公開情報(2015年4月時点)
 (現在の最新の情報ではありませんのでご留意を。)
   http://www.tibet-arukikata.com/ 
  ・シルクロード-敦煌他見学できる石窟のご案内
 (表はクリックで拡大します。)Blgimg25720154

 なお、このシステムで半日観光の所用時間は、合計4時間ほど。
 このシステムが運用されるようになってから混雑を避けて効果的に見学できるようになったのだそうです。

 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 訪問当日の窟内見学はガイドさんにお任せ。
 半日観光で見学出来る窟数は8~9窟と言うことです。
 どこの窟に案内されるかは見学を開始して見ないと分かりません。
 一般公開窟の見学先が補修作業中だったり、あるいはその時の混雑状況で別の公開候補窟になったり、また特別窟に関しても同様。  
 そのため見学時、行く先々で迷子にならないよう、ただひたすらガイド氏の後を追うだけの、ほとんど消化不良になりましたが・・・・・  
 増え続ける観光客をシステム化したスケジュールで捌くとすれば、必然的にこうなるのでしょう。

 古い資料(1999年)ですが莫高窟の配置図です。(クリックで拡大します。)21999

 ★実際の見学9:00~13:10頃まで。
  一般公開窟の他に、2つの特別窟(第156窟<晩唐期>:張議潮出行図・宋国夫人出行図、及び第217窟<北魏>:自己犠牲を描いた本生図)を見学予定でしたが、正直のところ、どこが見学出来たのか、(記憶にも)メモ記録も無くはっきりしませんが、合計9窟(だった)と思います。
 なお、最後に案内されたのが第16-17窟で、17窟(蔵経堂)は第16窟の甬道の壁に穴を開けて作られた“隠し部屋”になっていました。
 その中には4万点に及ぶ経典や仏画、書画が隠されていた事で有名になった石窟です。

 *写真撮影禁止:
  建物外での外観/風景は撮影可ですが、窟内では撮影禁止ですので、壁画などの写真は一切ありません。
 (なお、翌日訪問した「敦煌博物館」には莫高窟内の塑像レプリカや画像パネル展示などがあり、こちらは撮影可でした。)
 
 以上のようなことで、見学しても、ほとんど記録・記憶に残せないため、参考として
 *書籍
 『敦煌とシルクロード』 蘭州大学 杜闘城、敦煌研究院 王書慶応 編著、海天出版社刊 ISBN 7-80697-403-2 (人民元185.00):(日本語版がありました。)
 *絵はがきセット(敦煌石窟:香港中国旅游出版社、40元)を購入して、後のブログ作成の参考としました。

●記録写真
  順に、
  ・莫高窟デジタル展示センター入場Photo

 
●莫高窟到着、入場後の風景や窟の外観などで、莫高窟のシンボル九階建ての楼閣(第96窟)や、その他(黒い山は三危山など。)1

2

 なお壁画、仏像塑像などは上記書籍と絵はがきから、見学した壁画の飛天と塑像の例示コピーを以下に添付しました。
 壁画の「飛天」実像は(絵はがきのとおり)すべて体の色が黒くなっていて、最初はイメージがわかりにくかったものです。
 ガイド氏によれば、飛天を描くのに用いられた顔料に含まれている鉄分が酸化して(発見当初の美しい色彩は失われて)黒くなっている、とのことでした。

 
 ・絵はがきから塑像3img249

 
 ・第45窟:4img25145

 
 ・壁画飛天(部分):第285窟(左);第185窟(右):5285185

 
 ・第259窟<北魏>淡い笑みを浮かべた禅定佛塑像:Blg259

 
 ・壁画飛天(部分):第419窟(上)、第206窟(下):6419206

 
 ・壁画:第61窟(上)、254窟(中)、428窟(下):761245428
 ・第61窟(五代):五台山送供図
 ・第254窟壁画(北魏):
  屍毗王(しびおう)が自分の肉を割いて鳩の替わりとした物語(古代インド)。
 ・第428窟(北周):
  薩埵王子(さったおうじ)が身を捨てて虎を助ける物語(古代インド)で、上、中、下の3段に画かれているのは、後世法隆寺の玉虫厨子に描かれたのと同じ“捨身飼虎図”と言われる画を含む物語風の連続コマ絵。
 7匹の子虎を抱いた空腹の母虎が餓死寸前の苦しみに瀕している姿を目にしたサッタ王子は、8つの命を救わなければならないと、崖から母虎の前に飛び降りてわが身を捧げて8つの命を救ったという物語です。

 
――――――――――――――――――――――――-

 ◇参考: 敦煌研究院の『数字敦煌(デジタル敦煌) 洞窟列表 莫高窟』というHPがあります。  アドレスは http://www.e-dunhuang.com/section.htm?ddhs/Core/Core/Core/Metedata/Title=%E8%8E%AB%E9%AB%98%E7%AA%9F

 *PM 1:10頃莫高窟見学終了、昼食地へ移動。

 昼食は「郷土料理」で、辛すぎず美味しかった。

 (午後) 
 PM 2:20出発、敦煌の北西バスで90分、玉門関に向かいます。

 
 ・途中には独特の風景が広がっています。Photo_2

 
 *PM 3:50玉門関着。
 到着時の天候は晴れたり曇ったり。そしてまた風が強く吹いて砂塵が巻き上がり、砂粒が飛んでくるため帽子、メガネ(サングラス)、マスク、襟首にマフラー(タオル)装備に。
 暑苦しいのを我慢するか、砂粒飛散を我慢するか。
 (なおこの後の漢代長城見学時も同様でした。)

●[玉門関]:漢朝の西端の関所跡・世界遺産
 玉門関は、中国の漢代に置かれたシルクロードに通じる関所の1つ。
 元来は漢の武帝の時代に漢族と異民族が対峙した西域攻防の最前線として、防衛する目的で、長城をこの地域に建設し紀元前108年から107年にその最西端に建造されたとされる。 
 ここから出ると「西域」になる。
 玉門関の中ではシルクと玉が交換された。

 ・見学写真:
  広漠とした風景。時折風に煽られた砂塵が舞います。
  余談ながら、車窓からは、乾燥した砂漠にたくさんのラクダソウが生えているのを遠望できます。
  大きく鋭いトゲを持つ植物ですが、名前の通りラクダが食べるそうです。
  ラクダソウには四種類ぐらいあるそうですが、ここで間近で見かけた巨大な鋭いトゲ(5cmくらいもある)のあるその一つの画像を最後に。
Photo_3

 見学後、PM 4:30発、4km先の漢長城に向かう。

 
●[漢長城]:前漢時代に対匈奴用に築かれた長城の址。
 漢代の長城は、玉門関の西から疏勒河の南岸に沿い、安西縣北湖、金塔縣まで延びる幹線の他に支線も造られ、総計1,000kmを超えるという。
 構造は、黄土(砂)と葦や紅柳、胡柳を層にして棒状のもので突き固めた「版築」で、漢代のものは20cm前後の黄土の層になっている。
 紀元前121年に酒泉郡が設けられた後に、漢の武帝は令居(今の永登)以西の長城やその間に烽火台を建てはじめた。
 高いところでも4mほどだが、約2000年にわたる風触のため現在残された部分は少ないが、玉門関付近で最も保存状態の良い長城を見ることができる。
 北側を疏勒河が流れている。

 ・見学写真New

 なお、バラバラに作られていた長城を、秦の始皇帝が繋いでいった。
 後の『万里の長城』は「明」の時代に出来た6,700Kmにおよぶもの。

 ともあれ、日本のような島国と異なり、大陸で地続きの民族/国家間の抗争が歴史的に絶えることがなかった結果、長い壁が出来上がってきたようですが、現代においても、某国で”国境に壁を建設する”とブチ上げる御仁もおられるなど、争い事は人類が滅亡するまで、途絶えることのないニンゲンのさが(性)なのでしょうか。

 長城見学後、PM 5:00発敦煌市内に戻る。

 ・PM 6時半、レストランで夕食。敦煌の家庭料理。

  
 ポプラ林に囲まれた葡萄畑など沿道の風景を見ながら日の沈む頃
 ・PM 8:00ホテル着2pm8

 
 なおPM9時30分、(希望者のみ)ゴビ砂漠の星空観賞へ出発。
 しかしあいにくの曇天で晴れることなく、何も見えませんでした。
  
             【敦煌/泊】         
            - 6日目に続く

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2016年4月24日 (日)

シルクロード(ウルムチ・トルファン・敦煌・西安)をめぐる旅(4)

 3日目の記事に続きます。

4日目:トルファン~敦煌へ

 (画像はクリックで拡大します。)4trmc_2

 
●日程記録:
 (午前)
 2014年12月に営業運転開始した新疆高速鉄道で吐魯番北駅から敦煌の柳圓南駅までおよそ800km、約4時間(平均速度200km/h)の列車旅。

 ①ホテルで朝食後、バスで新疆高速鉄道(中国新幹線) 吐魯番(トルファン)北駅へ。
 そこから敦煌(柳園南駅)までは所要時間約4時間。
 新幹線路線は連霍G30高速道路に沿って建設されているようです。
 ( ※吐魯番北駅は新疆ウイグル自治区トルファン市に位置する高速鉄道の駅。トルファン市街地より15キロ離れていて、トルファン市交河空港に隣接し、連霍G30(連雲港=霍爾果斯)高速道路より3キロ離れているというロケーション。駅の敷地面積は15万㎡、駅舎建築面積1万㎡、建築高さ20m、1200人を収容することができるという、例によって中国らしい巨大な施設です。
 本駅は2013年4月5日正式に着工、2014年8月竣工。2014年年末に営業運転開始。)

 駅舎入場に際しては驚くほど厳しい手荷物検査(→今後のセキュリティ確保の観点からすれば、日本の新幹線の方が問題かも)。
 “あらゆる水分”の持ち込みは無条件に×。またなぜか折りたたみ傘も×。 
 検査通過後ホームに向かうが、駅舎は巨大で、中はがらんどう。
 ホームまで登る長い上り階段脇にはエスカレーターが設置されているが動いていない。    
 自力でスーツケースをホームまで運び上げるのに、これほど消耗したことがありません。
 最後、ヨレヨレになっているのを見かねたものか、ホームの上から見下ろしていた駅員の一人が降りてきて手助けしてくれました。
 息をゼーゼー切らしながら、シェーシェー(謝謝)。
 日本の新幹線に負けない、というとおり正確に定刻に入線、発車(AM 10:22)したようです。 

 (なお余談ながら、車両は国外技術導入による中国鉄路高速車両(CRH型車両)でした。 
 車体にはCRHのロゴマークとCRH 5G-5176の文字が。
 なおCRH型には数種の改良型があり、路線別に導入されているようです。)

 乗車した列車の緊急出口などの安全対策は独自。
 
 なお、昼食の列車内で配られた「お弁当」は正直なところ、ボリュームは多くて味気ないものでした。

 ●写真は、ホテル出発後の途中風景、到着した吐魯番北駅舎、ホーム、入線、車内、切符(指定2等席:これは後で車掌が検札にきた時に回収されて手元に残りません)、車内緊急脱出表示(ハンマーで窓ガラスを破る!!)、車体ロゴマーク。1

Img_1270

 
 ●更に、車窓風景、昼食弁当、柳園南駅到着、柳園南駅舎。2

 
 (午後)
  予定時間(PM 2:23)通り柳園駅着後、ここからガイドA氏の他に、新たに現地ガイドとして漢民族の若い女性T さんが加わる。
 駅舎周辺施設は未だ建設進行中のようでした。.バス駐車場まで各自スーツケースを押しながら歩いて、汗を掻きながらバスに乗り込んで、敦煌まで130km、3時間かけて向かいます。
 箱庭のように狭い日本と較べれば広大な中国ですから、ロケーションなど都市計画も日本とは違うのは当然、というか、強引なもののようです。

 一帯の地形はゴビ灘((モンゴル語で何も生まれない土地という意味。小石、岩石、砂礫混じりの平坦な荒れ地。)
 車窓に展開するゴビ灘には紅柳(タマリスク)*が自生していることから新幹線の駅名が「柳園駅」と付けられたという。(実際に確認することは出来ませんでしたが。)

*紅柳(タマリクス:和名ギョリュウ):
 乾燥と塩分に強く、砂漠など乾燥地でも根を長く伸ばして水分を吸収して自生する。
 葉は小さい鱗片状で針葉樹のように見える。
 春と秋に枝先に桃色の1mmほどの小さい花をたくさん咲かせて植物体全体が紅色に染まる。

 バスはひたすらゴビ灘(たん)の中を走り続けます。道路の舗装は日本とはかなり違い、舗装道路とは思えないほどよく揺れる。舗装品質の差だろうか、“おおらかなだけ”なのだろうか。

 
 バス車窓から:
 ●写真は、順に次の通りの風景です。
 ・柳園南駅(重複)、ゴビ灘(たん) ・この辺りは年中風が強いので風力発電が盛ん、・PM 3:40頃、人口10万人の小さな地方都市、瓜州(カシュウ)県を通過。

 敦煌までさらに120km。 付近ではウリ、また甘いスイカや野菜の供給産地になっている。
 降水量は年間45mmと非常に少ないが、潅漑水利施設・設備が発達している。
  
 ・PM 4:10、G30 連霍高速道路、瓜州服務區にあるガソリンスタンドに立ち寄り、トイレ休憩。 
 (ゴビ灘を走るバス長旅途中では“中国式トイレ”しかないかも、と脅されましたが、そうでなくてヨカッタ!)
 ここから敦煌まで残り100km、1.5hr 。

 ・PM 4:20 車窓から真っ黒い山が見える。岩の山・三危山。3

 ※バス車中の余談:
 車窓から白いお墓が点々とある。土地はすべて国有地であるが、砂礫で水がなく利用途がないため、個人が自由に墓を作っても良いのだそうだ。
 家族単位で3回/年くらいはお墓参りするという。なお年配者は仏教だが、若い人は無宗教という。

 PM 5:02 敦煌ゲート着。敦煌市域に入る。
 なお敦煌も時刻については北京時間と同じに定められているが、実生活上は1時間45分の時差 があるとのこと。

※敦煌(トンコウ)Img230c

 敦煌はタクラマカン砂漠の東端で、甘粛省の西端に位置するオアシス都市。
 漢代から西域に対する前線基地として郊外に玉門関、陽関という国境越えの2つの関所が設けられていた。
 ここから先は異郷で湖人達の通商以外の出入国は禁じられていた。
 シルクロードの要衝として東西文化が行き交い、中国三大石窟の1つである莫高窟、また鳴沙山、玉関門などの多くの歴史遺産が保存されている。
 人口18万人、中国最西部で、シルクロードの「喉元」に当たる。

 ◇バスは敦煌市街をそのまま通過して鳴沙山(めいさざん)と月牙泉(げつがせん)観光に向 かう。

 PM 5時半 到着時は曇天模様。
 バス駐車場から入場ゲートまではやはり広大な広場/施設があって、往復とも電動カートで移動。

 
 ●鳴沙山月牙泉入り口へ。
 砂山を登る人の列や、周辺をめぐるラクダ・ツアー等の光景も遠望できます。
 砂地には多数の甲虫が歩き回っていました。砂漠地域にはどこにでもいるようです。Photo

 入場後は、集合時間まで自由行動で、先に月牙泉まで歩くことに。

 
 ●[月牙泉]は砂の底に溜まった三日月形の小さな池/オアシス。
  約2,000年に渡り絶えることがなく湧き続けているそうだが、以前は今の約5倍だったという。
 (次の写真のモノクロ画像は後日訪問した敦煌市博物館の展示パネルを撮影したもので、同じアングルの風景を撮っていませんが、かなり小さくなっている感じでした。)  
 現在、水は涸れないが年々減少し始めているため、食い止めるための対策を実施していると聞きました。Photo_2

 
 ・月牙泉見学後、鳴沙山登り口へ。複数のコースが整備されているので、混み具合を見て選びます。Img_1314

 
 ●[鳴沙山]は敦煌の南側に東西40kmに渡って横たわる砂丘。
 北風で砂が砂丘の南側に横たわる山に吹き寄せられてできたため、砂丘は移動しないという。
 眼下に月牙泉を望むことが出来ます。Photo_3

 サラサラの細粒が滑るので登りにくい砂の峰ですが、登る人も結構大勢で、また上から砂滑りで滑り降りる事なども楽しむことが出来る人気スポットのようでした。

 見学を終えて敦煌市内に戻ります。

 夕食はレストランで「敦煌料理」。なお、味は辛かったが美味しかったです。(青島ビール30元)Photo_4

 後、ホテルへ(到着PM 9:00) (なおパスポートはホテルに預けるシステム。)
            【敦煌/泊】(翌日も同じ)
     
               -5日目に続く

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2016年4月23日 (土)

シルクロード(ウルムチ・トルファン・敦煌・西安)をめぐる旅(3)

 2日目の記事に続きます。

3日目:ウルムチ~トルファン

※トルファン基本情報: 
 ・トルファン(吐魯番)は天山山脈の雪解け水で潤うオアシスであって、西域に進出しようとした漢民族はここを拠点とし、遊牧民族との間に興亡の歴史を繰り広げて来た地域。
 現代のトルファン市は中国新疆ウイグル自治区中部、天山山脈東部山間の盆地に位置する地級市であり、市名は、ウイグル語で「くぼんだ土地」を意味する。
 総人口(2013年)は61万人で、ウルムチ311万人(2010年)よりはずっと少ない。
 内訳ではウイグル族が70%を占め、残りは漢族が多い。

 ・地勢的に、トルファン盆地の平均海抜は大変低く、マイナスの場所も多数あり、トルファン市の南にあるアイディン湖の水面は海抜-154mで、中国では最も低く、世界で二番目に低い。(ちなみに世界一は死海の-399m。)
 また夏は非常に暑く、最高気温は平均で40℃近くに上り、最高気温極値はで50.2℃を記録したという。
 冬の寒さはまた厳しい。
 砂漠気候で年間降水量は25mmと少なく、盆地内は乾燥し、日照時間が長いので、特産品はブドウ、ハミウリ、長絨綿、季節外の野菜などの経済作物となっている。
 また砂漠地域は常時風速20m以上の風が吹いている強風地帯になっている。

 ・トルファンには観光資源が豊富。
  6つの全国重点文物保護単位(交河故城、高昌古城、ベゼクリク千仏洞、蘇公塔、アスタ-ナ古墓群、台蔵塔)や、名勝としては火焔山、アイディン湖、葡萄溝、カレーズ等がある。
 なおカレーズは、砂漠地帯に水を引くための潅漑機構で、天山山脈の雪解け水を水源として山の麓から20 ~30mの間隔で井戸を掘って並べ、その底を繋いで水路としたもの。
 11世紀ごろにイスラム勢力より伝わったと解説されていました。Img227c

●日程記録:
 (午前)
  ホテルにて朝食後、9:00バスでオアシス都市・トルファンへ向かう。 
  吐魯番へ向かう高速道路は新幹線と並走して通じているが、その道すがら、強風地帯という立地条件に適した大規模の風力発電施設域が一面に広がる光景は圧巻。

 ①AM 9:40、風力発電所見学、兼トイレ休憩。
   
 ガイド氏によれば、この地区の風力発電施設の広さ/規模は現時点で世界第2位。
 金儲けになる風だから、”金風”と言う会社がやっているという。( Goldwind is an international, multi-faceted wind power company based out of Beijing, China. Goldwind was founded in 1998 in Urumqi, Xinjiang and became a joint stock limited liability company in 2001.)
 (余談ながら、トップはアメリカにある*Alta Wind Energy Center:アメリカ合衆国カリフォルニア州カーン郡のテハチャピ山地のテハチャピ峠に存在する集合型風力発電所で、2013年の時点で世界最 大の発電容量を持つ。合計の設備容量は1320MWに上る)。

 また、こ辺り一帯はゴビ/ゴビ灘(砂礫、砂利、小岩の混じった乾燥地帯)と呼ばれる地域。   
 砂だけしかない砂漠とは異なり、ゴビではラクダソウやタマリスク(紅柳)、セキセキソウ等の植物が育ち、ラクダや野生のヤギが生息している、おまけに風力発電機が”生えている”地帯が続いていて”奇異国”情緒たっぷり。Photo

 
 ②AM 10:12、車窓から、白銀に輝くボゴダ峰を背景に、塩の湖『塩湖』を遠望。(塩産出150万トン/年という。)
   ” 中国の死海”と呼ばれ、塩水浮遊場では「塩湖」浮遊体験という観光もできるそうだ。Photo_2

 
 ③AM 11:00、サービスエリアでトイレ休憩。
  辺りはまだ延々と風力発電施設が続く。Photo_3

 AM 11:42、高速を降りてしばらくでトルファンに到着(トルファンとは暑い場所、の意味とも説明が)。
  観光入場券を購入するため観光案内所でバスは一旦停車。
  ガイド氏が手続きを済ませる間、傍のショッピングセンターなどで時間待ち。

 
 ④AM 12:10、葡萄農家に立ち寄り。
   カレーズ博物館に向かう途中で、ブドウ農家に立ちより見学。
   干しぶどう試食、購入も。品数も豊富で確かに美味しいものでした。Photo_4

 その後、さらに少し走ってAM 12:50、「カレーズ博物園」に到着。
 「カレーズ」見学へ。

 ⑤「カレーズ博物園」:
  カレーズとはペルシャ語で「地下水」の意味。
  ここでは天山山脈の雪解け水がつくる地下水脈を、延々と地下水路(暗渠)で導き、地上に出して農業用水・生活用水(明渠)として利用する水道システム(カレーズ)が実体とともに紹介、展示されている。
 山の麓で掘り当てた地下水脈に竪穴の井戸が掘られ、それらの井戸と井戸を横穴で繋いで造られた地下水路を水が流れているのだ。
 竪穴井戸の数は1,000ヵ所以上にも及び、カレーズの総延長は3,000kmにも及ぶという。
 竪穴井戸の深さは地下数メートルから数十メートルにも達しているそうだ。
 なお、博物園展示では、カレーズの立体模型/ジオラマと、(珍しく)日本語による新疆カレーズ案内板もあってわかりやすかったです。

 ・画像は順に、
  現在も使われているカレーズ水路、竪穴掘り作業ジオラマ、カレーズ模型/ジオラマ展示、坆児井(カンアルチン:命の泉)、ぶどう園のカレーズ、そして出口へ。12

 
 ⑥見学後、昼食レストランに向かう。昼食(PM 2:00~)は「郷土料理」。Photo

 昼食後 14時50分出発、

 (午後)
  トルファン市内の観光へ:
 まずは交河故城へ。

 [交河故城]:
  PM 3:00到着。ここは巨大な黄土の断崖にある島状の城址遺跡。
  前漢時代に屯田が設けられたのが初めて。その後、交河故城を王城とする車師前国が栄えていたが、元代には衰退して、現在は荒涼とした街跡が残る、中国唯一の漢代からの都市遺跡・世界遺産。

 見学は電動カートで巡る。(見学時の暑さしのぎに、ショップで“つば広の帽子”購入も。)

 
 ・画像は交河故城入り口、すぐに屋外展示されている交河故城の巨大な復元模型、そして広場から電動カートで見学スタート風景。1_2

 
 ・続いて、歩くと暑い長い上り坂を進んでいくと、仏教寺院跡をはじめ官署の遺跡(外部)、続いて地下に降りて内部、その他広大に地域に点在する多数の建築物群の遺跡風景です。2_2

 見学後、バスでトルファン中心街を通り抜けて1時間半ほど走る。

 PM 4:35頃 
 ⑧火焔山(かえんざん)通過:
  次の目的地に向かう途中のバスから炎模様の赤い山肌をした[火焔山]を眺めるだけで立ち寄らずに、火焔山入り口前を通過します。
 『西遊記』の舞台としても有名な火焔山はトルファン盆地の北端に100kmにわたり連なる山脈で日中気温が40℃を超えると辺りの地表温度は60℃を超え、赤いシワの山肌が陽炎で炎のようにゆらめくという。

 ・写真はおよそPM 4:35~4:40位の風景。Photo

 
 ⑨葡萄溝:
  火焔山を通過したPM 4:45分頃、辺りのトルファン盆地一帯のオアシスに入ると、並木や葡萄園の緑が広がり、日干し煉瓦造の葡萄乾燥室を備えた葡萄栽培集落が現れる。
 一帯は葡萄溝と呼ばれ、今も約5,000人が住み、葡萄栽培を行っているという。N

 
 ⑩[高昌故城]:
  PM 4:50着。ここはトルファン市の南東にある世界遺産:
  一辺が1.5kmの土壁で囲まれたほぼ正方形で、面積は200万㎡。
  曲折を経ながらも明代まで約1500年間栄えた高昌国の王城跡地。

  漢代の武帝が置いた郡が独立したことから始まり、柔然が460年に都とした独立国、高昌国・高昌城遺跡。
 628年頃には玄奘三蔵法師が天竺(インド)へ向かう途中に1カ月滞在し、仏教の講義をしたといわれる。 
 当時の高昌国王の麹氏は仏教を信仰していたが、その直後から、唐によって滅ぼされる運命を辿っていった。
 15年後に玄奘がインドからの帰国途中立ち寄った時には、すでに滅んでいたという。

 現在、1.5km四方の広大な範囲に土を固めて造営した城壁が城を取り囲んで残っている。
 その中の一角には仏教信仰をあらわす寺院遺跡があり、三蔵法師が説法をしたという建物遺跡や、高さ15mの仏塔、また仏塔の壁には仏像を描いた跡も残っている。

 PM 4:55位から見学カートに乗って巡る。

 ・画像は乾ききった広大な大地、そこに残るすっかり風化した日干し煉瓦作り建造物の残骸風景。1

 
 ・三蔵法師が説法をしたという西南大仏寺講堂/説経堂遺跡。2

 
 ・そして大仏寺中心塔殿の高さ15mの仏塔と、壁に残る仏像を描いた跡など。3

 
 ・余談ながら、乾燥した地面の方々で、大きさ2cmほどの甲虫が這い回っていました。4_img_12072cm_37

 見学終了PM 5:45。
 次の見学地へ移動。

 ⑪[アスターナ古墳群]:
   PM 6:00,現地到着。
   ここアスターナ古墳群は、6~7世紀に繁栄した高昌国時代の貴族の古墳群と、唐代のオアシスの民の墓地。
 アスタ-ナというのはウイグル語で「都市」の意。
 数百にも及ぶ古墳、墓の中からは絹織物、文書、陶器、貨幣などが発見されている。
 また古墳の遺体はミイラとなって保存され、役人、商人、平民それぞれが展示されている。
 なおアスターナ古墳群遺跡入り口に掲示板が掲げられていて、およそ次のような記述と表示がありました。

 *記事:
 年内高温情況
 トルファンは海洋から遠く離れていて、降雨量はきわめて少なく、 年平均降雨量は16mm、蒸発量は3000mmと全国でもっとも 乾燥した地域であるため、放置された“物品”は腐ることなくミイラ化現象が発生する。

 *グラフ:
 年間の月別最高/最低温度を示す棒グラフが表示されています。  
  読み取ると、概略は最も暑い7月の最高気温は48℃、 最も寒い1月の最低気温は-15℃、最高気温は6℃。

 ・画像は施設入り口と、上記掲示板、そして敷地内の風景の一部。墓地区域や墓内ミイラの写真はありません(撮影禁止)。New

 見学終了後、18:40頃出発、トルファンから東へ約50kmのところに位置している ベゼクリク千仏洞へ向かう。

 
 ⑫途中で(トルファンのグランドキャニオンと呼ぶそうだが(呼ばない方が良さそう)火焔山のビューポイント(ムルトク河畔)で写真ストップ。Img_1237_11cht

 火天山山脈を水源とし、火焔山を遮るムルトク河の西岸に「ベゼクリク千仏洞」がある。

 
 ⑬[ベゼクリク千仏洞]:
  18:50着。内部見学時には懐中電灯必要。
6世紀の高昌国の時代から、西ウイグル帝国が栄えていた時代を経て、宋・元の時代に至る14世紀ごろまで寺院として開かれていた仏教石窟。
 Bezeklikとは、ウイグル語で「ペインティング(壁画)がある場所」という意味。
 当初の石窟の数は70数窟で、南北約400mに渡って開鑿されていたというが、現在残っているのは60前後で、ベゼクリク千仏洞の受難史が窺われる。
 最初の受難は14世紀、偶像崇拝を禁止するイスラム教徒による破壊。塑像は破壊され壁画の目はえぐり取られた。
 2回目は20世紀初頭に行われた欧州列強たちの探検隊による破壊/持ち去りだった。
 スウェーデンのヘディン、イギリスのスタイン、ドイツのル・コック、フランスのペリオ、ロシアのオルデンブルグなどが次々と探検調査に入り、”放置すれば消失する人類共通の貴重な文化遺産を守る“として壁から壁画をはぎ取って自国に持ち帰った。
 日本の大谷探検隊も参加している。
 現在は、それらの破壊とともに侵食による傷みが激しく、往時の華麗な壁画はほんの一部が残っているに過ぎない。


 (※参考:「貴重書で綴るシルクロード」 : http://dsr.nii.ac.jp/rarebook/01/ )

 余談:
 なお、荒廃していた歴史的文化遺産を“人類共通の普遍的価値を有する文化遺産として保護する”として、先進諸外国によって持ち出され、占有された文化財の事例は他にも少なくはありません。
 
 そのような情況の中でも、散逸したベゼクリク千仏洞の壁画像に関しては、石窟大回廊などの画像を復元する日本のプロジェクトの活躍などによって、その成果もすでに公開されています。
 ※参照URL: http://museum.ryukoku.ac.jp/bezeklik/index.html

 ※ [DVD] NHKスペシャル 新シルクロード 特別版 
   第2集 『 トルファン 灼熱の大画廊』:(NHKエンタープライズ、2005/09/22発売)
   (→こちらは図書館で借りて観賞しました。)

 ・画像は夕刻のベゼクリク千仏洞施周辺の風景のみで、壁画の写真はありません。(窟内の撮影禁止。)
 参考までに購入書籍から一部コピーしたものを次の写真の後に添付しました。

● (右上)写真の前方(奥)の石窟が、現在公開されている石窟群で、修復作業も行われたりしていて見学できるのは数窟だけ。どこが見学出来るのかは、当日にならないと分からないとのこと。
Photo_2

 
 ・書籍からコピーした壁画の例Blg2069

 見学終了はPM 7:30。

 
 ⑭トルファンへ。
  さすがに夕日も傾き、残照の風景を眺めながら市内の夕食のレストランへ。
 夕食は、民族音楽を聴きながら新疆名物「ラグ麺とトルファン料理」。Photo

 食後21:22ホテルに向かい、ホテル着21:55
 長い一日でした。
              【トルファン/泊】

             - 4日目に続く -

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