クロアチアを巡る4カ国周遊の旅(3)
5日目(5/22土曜日):
《クロアチア/ドブロヴニク》
ホテルを出てから午前中いっぱいかけて、アドリア海の真珠といわれるドブロヴニク観光へ。ドブロヴニクはクロアチア観光のハイライトです。オレンジ色で統一された屋根が並ぶ旧市街は高く重厚な城壁に囲まれており、どこから見ても絵になる光景です。
ドブロヴニクは過去、1667年の大地震で建物の大部分が瓦礫と化したり、1991年のユーゴスラヴィア連合軍の攻撃で破壊されたりしましたが、その後精力的な修復がなされ現在の見事な世界遺産の街並みになっています。町の約2/3までが壊れたものを再生したのだそうです。
フランシスコ会修道院、大聖堂、ピレ門、プラツァ通り、スポンザ宮殿、旧港、旧総督邸、オノフリオ小噴水などゆっくり見学。
その後の自由行動時間に、ドブロヴニクを外敵から守り続けた一周約2kmの城壁を、およそ1時間かけて周回する空中ウオーキングに出かけて、城壁のうえから、地上では見られない美しいオレンジ色の街並みと表情を観賞することができました。
またアドリア海の独特の青とのコントラストも、とてもきれいで印象に残りました。
その後、市場の雑踏などを覗いてからここを離れ、バスで次の目的地に向かう途中の展望台から、あらためて絵はがきにあるドブロヴニク風景を遠望しました。
その後、レストランで魚料理の昼食とビール(650円)を楽しみ、次の観光地、モンテネグロのコトルに向かいました。
《モンテネグロ/コトル》
モンテ:山、ネグロ:黒い、で、モンテネグロは「黒い山」が連なる国ということだそうです。国境を越えますのでクロアチア出国、モンテネグロ入国のパスポー・チェックがありました。ボカ・コトルスカ湾沿いに走るバスの車窓から、鏡のように静かな水上に浮かぶ修道院の風景などを眺めながらコトルに到着。
2000年の歴史を持つモンテネグロの都市コトルはアドリア海の入り江にある港町です。断崖と堅固な城壁に囲まれた旧市街は12~14世紀に形成されたもので、世界遺産に登録されています。
12世紀に建てられた聖トリプン大聖堂はロマネスク様式の教会ですが、大地震に見舞われて大きな被害を受けたものを、元通りに再現して世界遺産に登録されました。内部には美しいフレスコ画が残っています(撮影禁止)。
教会や城壁に囲まれた旧市街を見学。押せばちゃんと水が出る手押しポンプの井戸も保存されていました。
また断崖のように背後に迫る山並みと、その険しい山上に延々と張り巡らされた城壁には強い印象を受けましたが、時間足らずで城壁の一部までしか登れなくて残念でした。山の中腹にはペストの蔓延を防ぐことを願って建てられた救世聖母教会があり、頂上には要塞が立っていて国旗が翻っているのが望遠で確認できました。
もっとゆっくりしたかったのですが、これで出国、宿泊地のクロアチアに戻りました。
夕食時、アドリア海に沈む夕日がとてもきれいでした。
なお余談ですが、2泊目のホテルで、エレベーターに閉じこめられました。ふたり連れの外国人が駆け込んで来てドアが閉まったところで、“このエレベーターはサービスを停止しました”、という英語のメッセージが表示され、まったく動かなくなりました。
やむなく非常ボタンを押して、数分後“救出”してもらいましたが、乗り合わせた人は、もう二度と乗らない、階段で行くと憤慨していました。やはり日本とは違うようです。
夕食は連日、ホテルでバイキング。
6日目(5/23日曜日):
《ボスニア・ヘルツェゴビナ/モスタル》
ドブロヴニクを出発して約140km、ボスニア・ヘルツェゴビナの古都モスタルへ向かいます。国内の南西部を占めるヘルツェゴビナ地方の首都です。道中、車窓から眺めるダルマチア地方の景色はすばらしいものでしたが、モスタルに近づくにつれて、建物のあちこちにボスニア・ヘルツェゴビナ戦争時の銃弾の跡が残っていて、今は対立もなく平和になっていますが当時の戦争の悲劇を物語っているようでした。
世界遺産に登録されているモスタルは絵に描いたように美しい石橋が象徴的な谷間の町です。石橋は16世紀に建造されたものが1993年、ボスニア内戦のあおりで砲撃を受け破壊されてしまいしたが、2004年には復旧再建され、この地区は2005年に世界遺産に登録されています。現在の橋のたもとには「93年を忘れるな」と書かれた小さな石碑が置かれています。
賑わいを取り戻したモスタルはこれまでのアドリア海沿岸の町とは違ったトルコの雰囲気が漂っていました。さして大きくない市内でしたが見学を楽しむことができました。
昼食は肉料理。インドのナン風に焼いたパンを開いて中に肉料理を挟んで食べます。美味しかったです。(とても食べられない、と手をつけなかった人もいましたので好みは分かれるようですが・・・)
パンを焼いている厨房で、写真を撮っても良いかと聞くと、にっこりしてOK。
なお後で調べてみると、この肉料理“チェバプチチ”はこの辺の国々ではありふれたもので、ひき肉に塩・スパイスを利かせて棒状ハンバーグのように焼いたもので、これを“レピノンlepinom”という円盤状に焼いたパンに(4等分しにしてから)水平に切り込みを入れたものに挟んで食べる、というものでした。
《クロアチア/プリトヴィッツェ》
昼食後、プリトヴィッツェに向かって約335km、およそ5時間半、内陸の長距離移動です。ボスニア・ヘルツェゴビナから国境を越えクロアチア領内まで戻り、しばらく海岸沿いを走り、やがて海岸線から離れて内陸へ入っていきます。
これまで全行程を通じて、大型バスの座席2人分を1人で使用できる参加人数で、ゆったりしたバスの旅ではありますが、すっかり腰が痛くなる頃にプリトヴィッツェのホテル「イェゼロ」に到着。
(余談ながらこのホテルはプリトヴィッツェ国立公園の中では最大、最新のホテルということでしたがやはり日本のレベルとは違います)。夕食メニューは外のレストランでビーフストロガノフ、但し中華風でした。(2連泊)
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