北インドの旅3日目:
ベナレス(バナーラス、ヴァーラーナスィーVaranasi):
10時30分、ベナレス着(約2時間弱の延着で、これは良い方だということ)。後、ホテルに向かい朝食。
ベナレスはヒマラヤの水を集めたガンガー(ガンジス川)が平原を流れ、シヴァ神の額にかかる三日月形に曲がるところにある町で、古代から息づいてきた都市としては世界最古の部類に入る。
研究者らは、人々が町を造って住み付いたのは5000年か、それ以上も前のことだと考えている。ここは、はかなく過ぎゆく物事をよそに悠久の時が流れるヒンドゥー教最大の聖地、シヴァ神の聖都。
その歴史の中でムスリムにより何度もの破壊を被ってきたが、現在見られるガートの風景は、ムガル帝国が弱体化し、ヒンドゥー教徒であるベナレスの藩王が実権を握る18世紀になってからのもの。
ガンガーの岸辺を石造りに整備し、眺めのよい離宮を建てることはインド各地の王侯の夢だった。人々は今もガンガーで歯を磨き、沐浴し、洗濯し、ガートで火葬にした遺灰を流す、まさにヒンドゥー教徒にとっては、聖と俗が混在するところ。
ただし、聖の存在は、ヒンドゥー教徒にしか感知できない。むろん葬式仏教徒には最初からはるかに遠い世界だが、ともかく異文化に触れるツアーのハイライト体験ゾーン。
午前中に、バスでサールナート観光へ。
サールナートは、ベナレスから北東約10kmにある、四大仏跡の一つ、ブッダ初転法輪の地。すなわちブッダ(釈尊)がはじめて説法をした所で、仏教徒にとっての重要な聖地である。ただ、インドでは仏教徒は少数派だが。
サールナートの大きな並木道を進むと、芝生が広がる中に、大きな仏塔(ストゥーパ)や寺院の建物が見えてくる。
◯バーラト・マーター寺院:
ベナレス駅の近くにある。一見寺院に見えないが、立派なヒンドゥー寺院で、特徴的なのは、堂内に大きなインドの立体地図があり、これが祀られていること。(以下、画像はすべてクリックで拡大します。)
◯考古学博物館:
サールナート遺跡の外、バス道路が曲がる角に、サールナート遺跡からの出土品を収蔵する考古学博物館がある。ブッダの初転法輪像や、アショーカ王石柱の頂上にあったライオンの像などがある。
入館に際してのセキュリティ・ーチェックは厳しく、カメラ等一切持ち込み禁止のため、写真はありません。
◯ムルガンドゥ・クティ寺院:スリランカ人が建てた寺院
ダルマパル・ロードに出て東に進むと、花壇に囲まれた新しい寺院が見える。ここがムルガンドゥ・クティ寺院。中にはいると壁いっぱいにブッダの生涯を描いた壁画がある。(撮影は有料)
戦前、日本人画家、野生司香雪(のうすこうせつ)が仕上げた作品である。なかなか見事なもの。こんなところにも日本とのつながりが見えた。
◯ダメーク・ストゥーパ:
ダメーク・ストゥーパ・モニュメントサイトの敷地内に入ると、ひときわ目立つ大きな仏塔がダメーク・ストゥーパである。6世紀に造られた高さ40mを超える巨大な仏塔。
一部破壊されているが、塔の基部全体に施された細かな幾何学模様は綺麗に残っている。今もこの塔の周りを回って礼拝する修行者の姿を見ることができた。
トイレ休憩を兼ねてシルク店にてショッピング・タイム
夕刻、サイクルリキシャに乗ってガンジス川(ガンガーGanga)へ:
◯ガンジス川:異教徒/異邦人にとっては異次元の世界
【ヒンドゥー教の死生観】
想像を超えた喧騒と混雑で、サイクルリキシャは動けなくなり、途中で下りてガンガーまで歩くことに。
マスクを付けていながらも凄まじい粉塵に悩まされた。暮れなずむ川辺に着くと、あいにくの曇天で、ガンガーに沈む夕日の光景は見られない。
岸辺には牛が寝そべり、犬がうろつき、物売りの子供たちがつきまとってくる。
河岸から手漕ぎボートに乗って、ガンガーに漕ぎ出す。まず下流の火葬ガートに向かう。遠く、火葬ガートのあたり一帯から何カ所も立ち上がる、火葬ガートに積まれた薪の上で死体を荼毘に付す紅蓮の炎が否応なしに目に飛び込んで来て、衝撃的だ。(画像は広角の遠景画像を拡大してその一部を切り出したもの)。
ボートは火炎と煙の立ち上る火葬ガート目前まで寄ってからUターンする。むろん、火葬ガートは撮影禁止だ。またとてもそんな雰囲気ではない。(画像はクリックで拡大します)
火葬ガートからUターンしたボートは、ボート乗り場のすぐ上手の「お祈り場」に向かう。そこでは、日没時から、ヒンドゥー教礼拝僧によって執り行なわれるガンジス川お祈り風景(プージャー)が展開する。
そしてまたも、どこか違和感を覚えずにはいられない情景にのみ込まれ、声もでない。
ヒンドゥー教は単なる宗教ではない、生き方そのもの、いや生き方そのものとも違う、この生を通り抜けて、その向こう側にある何かを見つける、無限の教えの方法なのだ。
ドラと太鼓が鳴り響き、礼拝僧が燭台の火を掲げて祈りを捧げる姿、また家族の幸せを願い、花が盛られ、中央に立てられたロウソクに灯がつけられた多数の蓮の葉や、手の込んだお供え物の皿が川に浮かべられ、流れゆく無数のロウソクの火に照らし出される夕闇の光景・・・、その光景は、独自の生命感にもとづく小宇宙空間を醸しだしている。
死生観を異にする、さらに確固たる死生観を持てない凡庸の”異邦人”にとっては、はじめて体験する、なんとも名状しがたい異文化の一大スペクタクルだ。
そのスペクタクルがクライマックスを迎える頃には、あたり一面、川面は手漕ぎボートで埋め尽くされた。むろん、乗っているのはすべて異教徒/異邦人。
ここベナレスで、インドの母なる大河ガンガーの岸辺に連なっているのが「ガート」。ガートとは、岸辺から階段になって河水に没している堤のことで、沐浴する場として使われているが、ヒンドゥー教徒の火葬場になっているガートもある。
旧市街の河の西岸に沿って、108のガートが並んでいて、1と108のガートが火葬ガートで、2~107が沐浴のためのガート。
数あるガートの中でもここに来る巡礼者の聖地になっているのは、北からワルナーサンガム、パンチサンガー、マニカルニカー、ダシャーシュワメード、そしてアッスィーの5ヵ所。
中でも市の中心にあり、多くの人で賑わうのはダシャーシュワメード・ガート。そしてまた少し北にあるマニカルニカー・ガートで、ここは火葬場のガートであり、24時間火葬の煙が途絶えることがない。
布にくるまれ、竹の担架に乗せられてはるばる運ばれてきた死者はこのガートで火葬にされその形を失う。死者は、まずシヴァ神を祀るターラケーシュワル寺院に安置される。死者の耳にシヴァ神が救済の真言ターラカ・マントラを囁くことで、生前いかなる大罪を犯したものでも解脱できるとされる。
そして死者はガンジスの水に浸され、火葬の薪の上に載せられると、喪主(長男)が火をつける。遺灰はすべてガンガーに流され、あとには何一つ残らない。
一連の火葬場の仕事はすべて「ドゥム・カースト」階層の者が職業として行うことになっていて、他のものは手出ししてはいけないのだ。
(ベナレス泊)
(続く)
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本日(3/22)のメモ:
今日は計画停電がありました。午後1時から4時まで。停電の始まる前の午前中に、今日の食料を買いにスーパーへ。
買ったものは、明日からの食パン1斤、地震後はじめての牛乳1パック、豆腐。午後5時過ぎ、お米がないことに気がついて再びスーパーへ。特設売り場に残っていました。
昨日からの雨で寒く、日中も外気温は6~7℃程。被災地の皆さんが心配です。停電中なすこともないので、着込んで小雨模様の街中にウオーキングに。交通信号も消えていて、交差点ではおまわりさんの姿が。
相変わらず、国道沿いのガソリンスタンドは全部「売り切れ」の札を下げたまま。今日は午後になってから震度3~2のナマズ通信が5回も。ゆらゆらゆらと繰り返してよく揺れました。