北インドの旅(2011/3初旬)(その6) タージ・マハル、アグラ城塞
北インドの旅6日目:
終日アグラ:
アグラはデリーからヤムナー川沿いに約200km下ったところにある地方都市で、有名なタージ・マハルのある町。
古い歴史があるが、16世紀半ばには、ムガル帝国第3代皇帝アクバルがここに首都を置いて、以後1世紀足らずの間だが、隆盛する帝国の中心として栄えたところ。
◯世界遺産:タージ・マハル
早朝、ホテル発5:30、朝靄の残るヤムナー川越しのタージ・マハル見学に。日の出を見ることができた。
ホテルに戻り朝食後アグラ市内観光へ。
◯世界遺産:タージ・マハル
1983年世界遺産に登録。白大理石で建造された白亜の巨大で世界一美しいお墓。基壇の大きさは95m四方、本体は57m四方で、高さ67m、四隅のミナレット(塔)の高さは43mという完璧なシンメトリーで、まさにイスラム建築の粋。
正面には泉水と庭園が配されている。周囲にはほかに建物もない。ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーン(在1628~58)が熱愛した妃アルジュマンド・バースー・ベーガム(ムスターズ・マハル)が死んだ1631年、ムガル帝国の国力を傾けて(実際に国は傾いてしまったが)、世界各地から膨大な量の貴石と職人を集めて、22年といわれる歳月と莫大な費用をかけて1653年に完成したとされている。
しかし当時、国の財政を疲弊させ傾けるまでして建造した”お墓”が、後世、世界に有名な観光資源として外貨獲得、国の財政に貢献するとは知る由もなかったことでしょう。
さらにその後、定かではないが、ヤムナー川の対岸に、黒大理石で自分の墓を建てることをも計画していたといわれるが、帝位を狙う自分の息子の3男アウラングゼーブによって皇帝の座から引き下ろされてアグラ城内に幽閉され、死後、タージ・マハル内で妃の墓の横に葬られることになったという。(→下記の項と、写真)
なお3男アウラングゼーブが6代目の王様になったが、評判は悪かったという。
◯アグラ城塞(アグラ・フォート)観光:
1565年、アクバル帝によってヤムナー河岸に築かれた赤砂岩の堂々たる城で、デリーのラール・キラーと並ぶ巨大なもの。
ムガル帝国の権力の象徴である。濠を渡り、城の南側のアマル・スィン門から中に入る。内部には宮殿が並ぶ。芝生や立木には野生のリスがいる。
ディワーネ・アーム(一般謁見の間)はシャー・ジャハーンが造ったもので、玉座後部の壁面には色とりどりの宝石が嵌めこまれていたという。
ディワーネ・カースは貴賓謁見の間。また、シャー・ジャハーンが幽閉され、ヤムナー河対岸のタージ・マハルを眺めていた塔が、ムサンマン・ブルジュ(囚われの塔)。
シャー・ジャハーンはここで1666年、74歳で息を引き取ったという。
余談ながらスーパー・ガイドSさんの話であるが、インドの歴史を耳にする際によく聞く言葉が2つある。それは“No Problem”そして“About”。
これはイスラムがイスラム教を広めるために既存の文化建築物を破壊したり、多数の文献、文書類を燃やしてしまったりしたから、正確な史実年代が特定できないためで、やむなくそう言うことになるのだ、という。
昼食はインド料理
トイレ休憩を兼ねて大理石店にてショッピング。
◯一般家庭訪問:
もちろん上流階級のご家庭。ご両親と若いご夫婦、男の子お一人の5人家族。応接の壁を飾る絵は彼の作品(写真上段2枚)。
ご両親は最初恥ずかしいからと、お部屋におられたのを、一緒に記念写真をとお願いして快くおさまっていただきました。
すぐ近くには学習塾も。そういう住環境。でもあちらこちらに猿がいて、住宅の庭木や屋根を伝い歩きしている光景も。やはりここはインド。
お礼を言って辞してから、街中見物。やはり何でもありで、ふところは深い。
◯タージマハル・ショー(オプション)鑑賞〈撮影禁止)に行き、夕食はインド風中華料理。
(アグラ泊)
(続く)
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