2012年3月
2012年3月31日 (土)
2012年3月30日 (金)
ムラサキシジミ
昨日午後、屋外メダカ水槽の水中に落ちて浮かんでいるのを見つけました。
取り上げようとすると水中で翅をばたばた動かすのでまだ元気の様子。急いでつまんでティッシュペーパーを敷いたプラスチックカップに入れておいたところ、しばらくして翅も乾いて元気回復。
照明のぬくもりで翅を広げていたところを記念撮影。越冬成虫のようで、翅はかなり傷んで表面の鱗粉が剥がれていましたが、外に出すと勢いよく飛び去りました。
水難事故に遭いながらも、まだまだ大丈夫のようでした。
ムラサキシジミ(シジミチョウ科):
開張約30~40mm。翅の表が青紫色で、周囲を黒褐色で縁取られています。成虫で越冬し、年3~4回、6月から翌年3月にかけて出現します。平地の林やその周辺で見られます。
幼虫の食草はアラカシ、イチイガシなどのブナ科の常緑樹です。散歩コースの公園にも植樹されています。
2012年3月29日 (木)
2012年3月28日 (水)
オオバンとカイツブリ
先日のことです。潜水は決して得意ではない大柄なオオバンが、のんびりと独り暮らしを楽しんで(?)いた縄張りに、ちん入者が現れました。
すぐ目の前に浮かんだのは潜水名人で、ちびのカイツブリです。
真っ黒けのオオバンをちらと見やりながら、”ハイ、前をごめんなさいよ”、と、その先へ。
無関心を装いながらも、”あのちび、ホントによく潜るな”と、横目で見ていた隙に、ドボン。
晩秋以来、1羽だけ用水路に姿を見せてから現在まで、あまり場所も移動しないで暮らしていたオオバンです。
観察した限り、いつも1羽でした。独り暮らしは寂しいだろ、と思うのですが、気楽なのかも・・・
オオバン(クイナ科):
東北地方北部以北では夏鳥、それより南では留鳥もしくは冬鳥、とされています。当地の用水路で姿を見るのは冬の間が主ですが、近隣で、もう少し生息環境の良い広い蓮池などでは通年姿が見られるので、留鳥でしょうか。
人の姿を見るとゆっくり泳いで遠ざかりますが、じっと見守っているとほどなく戻ってきますので、さほど警戒心は強くないのでしょう。
コガモなどは、人を見ると”一目散に”飛んで逃げますが、バンが飛ぶ姿は一度も見たことがありません。
足趾についている水掻きで泳ぎながら、流れにある水草の葉や岸辺の種子などを採食し、また潜水もして浅い川床の植物の茎等を食べているようです。水辺の昆虫、貝、甲殻類なども捕食するそうです。
やがて繁殖期になりますが、ほどなく仲間がいる地域に移動して行くことでしょう。
2012年3月27日 (火)
2012年3月26日 (月)
ヒドリガモ、北帰行の時期に
用水路にいつもより多いヒドリガモが群れていました。オスはピューイ、ピューイという特徴ある甲高い声で鳴くので遠くからでもすぐヒドリガモの群れとわかります。
冬鳥として全国各地の湖沼、川、池、波の静かな海岸などに渡ってきたものですが、もう北に帰る季節になりました。
ウオーキングの二人連れが”いっぱいいるな、うまそうだな”と言い合いながら通り過ぎていきました。
狩猟鳥ですが旨くはないそうです。
そんな事はつゆしらず、水から上がり、中州に伸び出したアブラナの柔らかな葉をせっせとついばんでいました。
長旅に備えて体力を養うためでしょう。
食性は植物食で、水辺の植物の葉や茎・根・種等を採食し、また、中洲や堤防に上がって陸上の植物も食べるので、養殖場の海苔や、栽培している小麦を食害することがあり、害鳥として嫌われることもあります。
そうならないうちに気をつけてお帰り。
幸い今シーズンは、渡り鳥による鳥インフルエンザ被害のニュースは聞きませんでした。
2012年3月25日 (日)
ヒヨドリやくざ
ヒヨドリが、つがいでやってきてツバキの花を囓っていきます。やくざです。つぼみのうちから通ってきて、花開けばもうむちゃくちゃに。
開いたら花弁を食いちぎっていきます。嘴の咬み跡が残っています。
ゴミが付いているかと思ったら、9mmほどの大きさのヒメフンバエの仲間でしょうか、熱心に傷んだ花をなめていました。
花数が少なかった時に囓られたもの。まだしっかりと枝に付いているのでポトリとは落ちません。見苦しいので手でちぎるしかないのです。
成らぬ堪忍、するが堪忍。防止するには網を被せるしかないそうですが実際にそれも出来ませんし・・・
ヒヨドリは、夏の間は主に低山帯の林地に生息し、10月頃から越冬のため平地に移動するという、季節により住みかを変える「漂鳥」です。
中にはずっと平地に住み続け、都市部で繁殖するものもいるようです。
当地でも秋になるとたくさんやってきて、春までピィーヨ ピィーヨとやかましくなります。
ヒヨドリは繁殖期だけではなく、決まったつがいで一緒に生活するそうです。
それはともかく、昆虫も食べますが、花の蜜、熟して甘くなった果実、木の実など甘いものが大好きです。満開のサクラの花散らしをするのは決まってヒヨドリです。
花がない冬の間は採り残された柿の実や、ニシキギ、南天の実などを餌にしています。
それくらいならまだしも、果樹や路地野菜などの農作物にも相当な被害を及ぼしているため、銃器による駆除も実施されているようです。
何とか共存の道はないのでしょうか。
http://narc.naro.affrc.go.jp/kouchi/chougai/wildlife/howto_j.htm
http://narc.naro.affrc.go.jp/kouchi/chougai/wildlife/bulbul.pdf
2日続いた雨の後、ツバキの根元にヒトリシズカが芽を出しているのに気がつきました。ジンチョウゲも少しずつ開き、甘い香りが漂いはじめました。
足取りの重い春です。
2012年3月24日 (土)
2012年3月23日 (金)
ハシビロガモ換羽中
3月21日、山口県周南市の八代盆地で冬を過ごした7羽のナベズルが一斉に飛び立ち、シベリアに向かったというニュースがありました。冬鳥も北帰行の最中なのです。
その日、冬鳥のハシビロガモがいました。少し距離がありましたが、用水路で、餌を採っているようでした。遠目にも、羽色で♂とわかりました。
カメラを向けたらすぐ遠くに飛んでしまいました。.しばらく待っているとこちらに向かってきます。
”洒落ものの♂(雄)”の晴れ着姿を見ようと、場所を移動してから辺りを見渡したのですが、姿を見失ってしまいました。
逆光の中で黒くつぶれてしまった画像を修正処理してみると、換羽中の雄で、頭はまだらな黒色で、全体に見栄えのしない羽色でした。
例年よりかなり遅い春ごろもへの着替え中で、繁殖期にメスにアピールするにも、また北に帰るのにも差し支えるのではと思うのですが、ともかく仲間と一緒に無事帰るように。
2012年3月22日 (木)
ニホンアカガエル
先日散歩中に用水路でカメが浮かんでいるのを目にしました。写真には撮れませんでしたが、おそらくミシシッピアカミミガメだと思います。
庭にいる(はずの)アマガエルはまだ姿を見せません。
そんな折柄、近隣の自然観察公園の湿地でニホンアカガエルの卵とオタマジャクシを観察してきました。
近くでは全く見られないカエルです。親蛙は早春から産卵し、その後「春眠」します。 「春眠暁を覚えず」、というのは人間ですが。
オタマジャクシ:
大きさは1cmほどでした。時々動く個体がいたのでその存在に、気がついたものです。
ニホンアカガエル:
体長は35~67mm。メスはオスより明らかに大きい。体色は赤茶色~茶褐色。繁殖期にはより鮮やかな朱赤色となります。
本州に分布する蛙の中で最も早く産卵をはじめます。場所によっては12月に始まる地域もあります。普通は1~3月に水が浅く溜まった田んぼで行われますが、湿地などの溜まりも利用されます。
オスは「キョッ、キョッ、キョッ」と盛んに鳴きますが、鳴囊を持たないため喉は膨らみません。
卵塊はややつぶれた球状で,卵数は500~1000個ほど。産卵が終わるといったん田んぼからは姿を消し、再び斜面林の落ち葉等に潜り5月ごろまで,「春眠」を行います。
本種は主に平地や丘陵地の田んぼで繁殖するため、圃場整備や乾田化が進んで生息環境が減少した現在は生息数は減少し、絶滅している地域も少なくありません。
水田環境がすっかり変わったことで、カエルもメダカも激減し、普通に見られた水生昆虫類もすっかり姿を消してしまいました。
2012年3月21日 (水)
宇宙に仲間はいるのかⅢ
昨日(3/20)行われた、大学共同利用機関法人 自然科学研究機構主催 第12回シンポジウム 「知的生命の可能性 宇宙に仲間はいるのかIII」に参加してきました。シリーズ3回目です。(2回目は不参加でした。)
今は大昔の子供の頃、確かに、タコのような姿の火星人がいたのですが・・・、今はいないようです。
そして科学レベルも比較にならないほど進んだ現時点では、加速的膨張を続けているという宇宙空間に、ハビタブルな地球とよく似た天体が50数個発見され報告されています。
さて、今回の報告では、”いる”というお話になったのでしょうか。
【プログラム】
●導入 10:00~10:05
・機構長挨拶:
佐藤勝彦(自然科学研究機構・機構長)
・趣旨説明 シンポジウム全体の趣旨説明:
岡田泰伸(自然科学研究機構・理事、生理学研究所・所長)
●講演パート1 10:20~11:50
最近の成果と知見に基づいた天文学からの問いかけ
司会:岡田泰伸(自然科学研究機構・理事、生理学研究所・所長)
・地球型惑星の頻度とドレーク方程式:
田村元秀(国立天文台・准教授)
・地球型惑星におけるバイオマーカー:
藤井友香(東京大学大学院理学系研究科・博士課程)
・知的生命探査※SETIと※※SKA時代への期待:
平林 久(JAXA・名誉教授)
●昼休み(70分)
●講演パート2 13:00~14:10
地球における知的生命とその進化
司会:観山正見(自然科学研究機構・理事、国立天文台・台長)
・地球上で脳はどうやって進化したのか―散在神経系から集中神経系への移行過程:
阿形清和(京都大学・教授)
・生物のコミュニケーションの進化について―人類学的立場から:
斎藤成也(国立遺伝学研究所・教授)
●休憩(20分)
●講演パート3 14:30~16:15
地球における知るとは何か、コミュニケーションとは何か
司会:岡田清孝(自然科学研究機構・理事、基礎生物学研究所・所長)
・知性と環境~感覚・知覚の「シェアド・リアリティ」をめぐって:
下條信輔(カリフォルニア工科大学・教授)
・社会知:脳機能イメージング手法を用いたヒトの社会能力の解明:
定藤規弘(生理学研究所・教授)
・地球外知的生命体は自身の脳の解読と制御はできるのか?:
川人光男(国際電気通信基礎技術研究所 脳情報通信総合研究所・所長、ATRフェロー)
●休憩(15分)
●パネルディスカッション 16:30~17:10
地球外知的生命探査における天文学・生物学・脳科学の役割
・司会:立花 隆
佐藤勝彦、岡田泰伸、鳴沢真也(兵庫県立西はりま天文台・主任研究員)、斎藤成也、下條信輔、川人光男
●閉会 17:10~17:20
閉会の挨拶
観山正見(自然科学研究機構・理事、国立天文台・台長)
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参加された大勢の若手研究者や学生、また特に一般人に向けて、広い範囲にわたる先端科学研究の専門家が、難しいテーマを出来るだけわかりやすくと、つとめて話されたのですが、なお、理解能力が遠く及ばない身にはやはり難しいことに変わりありませんでした。
『宇宙に知的生命体の仲間は、いる、可能性は、否定できない、いや、いない、ただ非存在の証明もまた難しい』。
現時点では、「いまこの地球上に生きている我々人類が、当面、”唯一の宇宙人”としての覚悟を持って、この地球文明を継続していく存在であり続けなければならない」、というパネルディスカッションまとめの辞に深くうなずいたことでした。
※※SKA:世界最大級の電波望遠鏡計画、スクエア・キロメートル・アレー(Square Kilometre Array)http://www.skatelescope.org/
2012年3月20日 (火)
サイカチ(冬芽と葉痕/維管束痕)
太陽が真東から出て真西に沈む春分の日。ジンチョウゲが数輪開きました。
さて、初登場の「サイカチ」です。
あまりにも“すさまじい”大きな刺で武装した姿に、普段は近寄るのも敬遠する、道端に自生した、まださほど大きくない木です。
裸になった季節にはそのトゲトゲぶりが余計に際立ちます。刺されないように注意しながら、初めて冬芽を覗いてみました。
冬芽は小さく、下半分は葉痕の中に隠れる半隠芽タイプ、葉痕は隆起したハート型で、維管束痕は3個です。
やはりあまり親近感の湧いてこない、鋭い刺の持ち主の風貌ですね。
サイカチ(マメ科サイカチ属):
落葉高木。皀莢は漢名。原野の水辺に生えることが多く、栽培されることもありました。
幹には分岐する大型の分岐刺があり、枝にも鋭い刺があります。
この刺は枝が変化したもの。何のためにこのような”武装”をしているのでしょうか。
素手では絶対に触れられません。
葉は1~2回偶数羽状複葉で互生します。小葉の長さは2~5cmで全縁。
5~6月、葉腋に出る総状花序に黄緑色の小さな4弁花がつきます。
雌雄同株で、花は(同じ株に)雄花、雌花と両性花の3種類がつく雑居性。
雄花には雌蕊がなく、雌花には雄蕊が不完全。
10~11月に実る豆果は、長さ20~30cmもあり、日本のものでは最大級。
ねじれて紫褐色に熟す鞘には泡立ち成分サポニンが含まれていて、昔は衣類の洗濯に使われたことがあったそうです。
(ちなみに、エゴノキの果皮にもエゴサポニンが含まれ、やはり石けんの代用にされたことがあります。いろいろな利用があったのですね。)
分布は本州、四国、九州。
2012年3月19日 (月)
アカメガシワ(冬芽と葉痕/維管束痕)
通りがかりに覗いた散歩コースのアカメガシワの冬芽です。毎年登場する定番です。
用水路沿いの道端や空き地に自生しています。冬芽の動きはゆっくりです。
一年枝は太くて、星状毛が密生しています。冬芽(頂芽)は、灰色~褐色の裸芽で、星状毛が密生した大きなもので、葉脈のシワが見えます。(なお側芽は小さく、ほぼ球形。)
葉痕は、円形に近いハート型で隆起しています。維管束痕はU~O字形に並んでいます。
アカメガシワ(赤芽槲)トウダイグサ科:
落葉高木。雌雄異種。名前の通り、新芽、稚葉は赤色で、成葉はその昔、この葉に食物を載せて柏の代用としたほど大きくなります。
新芽の赤色は、葉の表面の色ではなく、新葉に緻密に生えている赤い星状毛によるもので、葉が大きくなると星状毛の間隔が広がり、また脱落することによって次第に地の緑色になります。
秋に紫黒色に熟した種は偏円形でしわがあり、堅くて美味しそうに見えませんが、キジバトやムクドリがやってきて食べています。
2012年3月18日 (日)
ウグイスカグラ開花
「ウグイスカグラ」(鶯神楽)(スイカズラ科):
別名ウグイスノキ(ウグイスが鳴く頃に花が咲くからとも)。
春を待ちわび、聞き耳を立てていた花好きの人達が、ウグイスの鳴き声と共に“数輪開花した”というニュースで、早速見にやってきたウグイスカグラ。
以前に、透明感のある赤い実が成っていたのは見たことがありますが、花は初めてです。
小さな可憐な花でした。
「ウグイスカグラ」(変種)は落葉低木で、古くから栽培もされているそうです。樹高は1~3mで株元から枝をたくさん出して茂ります。
葉は長さ3.5~5cmの広披針形~楕円形で、表面には毛がなく、裏面は白っぽい感じです。
3~5月ごろ、淡紅色の、長さ1~2cmの花が1~2個ずつ葉腋から垂れ下がるようにつきます。花冠は漏斗形で、先端は5裂しています。
花後、長さ1cmほどの楕円形の果実ができて、6月頃、赤色に熟し、甘くて美味しいということです。熟した果実は透明感があり、日に当たると透き通るような美しさです。
分布は北海道、本州、四国。
そのほか、日本特産種で、葉に毛の生える基本種の「ヤマウグイスカグラ」があり、分布は本州~九州。
また枝葉に毛が密集し、果実や花に腺毛が多く生える「ミヤマウグイスカグラ」などが知られています。
2012年3月17日 (土)
ツクシ、春色の雑草、越冬したキタテハ、そしてメダカ
あぜ道を探して歩くとツクシが数本見つかりました。やはり昨年よりだいぶ遅いです。日当たりの良い草地斜面には、早くからオオイヌノフグリが群生していましたが、キュウリグサも小さな薄水色の花をつけはじめ、ホトケノザは既に紅い絨毯を広げ、そしてシロバナタンポポも元気よく花茎をのばして花を開いていました。
ヒメオドリコソウも群落を作り始めて、いよいよ春のフィールドも遅れ気味だった歩みを早めているようです。
無事に越冬したキタテハも飛んでいました。昨年より20日くらい遅いお目見えです。
冬の間は乾田化された田んぼ周辺で、ヨシが生えてあまりきれいではなく、そしてほとんど止水域の浅い水路に、たくさんのメダカが群れ泳いでいました。
”♪春の小川はさらさら行くよ”という風情ではありませんが、春の日射しで浅い止水も温(ぬる)んでいるのでしょうか。
自宅でも、冬眠から覚めた屋外水槽のメダカ達が、日中は餌を少しずつ食べるようになりました。
2012年3月16日 (金)
部分白化のシマヘビ(その後)
約1年前に、埼玉県北本自然観察園/埼玉県自然学習センター( http://www.saitama-shizen.info/ )で部分白化のシマヘビを見てきました。
今回機会があって再び訪問したところ、センターで大事に育てられていて、元気そうな姿を見ることが出来ました。「床暖房設備のあるお住まい」のようでしたから、冬眠はしないのでしょうね。
(足は”やっぱり”生えていませんが))”身長”はおよそ3倍に伸びたそうです。あらためて、思いました。読んでから50年経っても忘れられないジュール・ルナールの『博物誌』(1896)にある、「へび 長すぎる。」
しみじみその通りと思うのです。でもドジョウほどの長さではサマになりません。へびはへびらしく。(中にはマムシのように短く不格好なのもいますが・・・)。
2012年3月15日 (木)
春、ですね
昨夜9時過ぎ、テーブルに置いていた携帯電話から突然びっくりするほど大音量の通信(警報)音。
ナンダ、と手に取ってみると「緊急地震速報」のメッセージが。そしてほんのわずかな間を置いて、グラグラとやってきました(震度4)。間に合いました。
春になりましたね。眼はかゆいし鼻水は止まらなくなったし・・・。風がなければ日射しは暖かく、足踏みしていた庭のサンシュユも線香花火のような花を開き、
堤防のカワヅザクラの小木が数輪、濃いめのピンクの花を開きはじめていました。本場では満開のピークは過ぎたということですが、花期が長いのでまだ楽しめるようです。
そしてまた、雑草も目立ち始めた田んぼ脇の草地には、モンシロチョウ、モンキチョウがヨロヨロと飛びだしていました。
草地に降りると横倒しになるように止まって、それでも近寄るとそこからまたヨロヨロと飛んでいくのでなかなか近くで写真には撮れません。
ともかく、いた、という記録です。
写真上、画面中央の白いゴミのようなのがメスで、写真下、黄色がオスです。例年の観察より1ヶ月は遅い観察記録になりました。
2012年3月14日 (水)
カイツブリ
3月初旬、曇りの寒い日、カルガモばかり集まるいつもの散歩コースの用水路にいました。ここで見かけることは少ないのです。
遠目には、大きなカルガモの傍に小さな茶色っぽい毛玉のようなものが二個浮いている、というふうに見えたのですが、近寄るとすぐに潜ってしまいましたので、カイツブリ!とわかったのです。
そして遠くのヨシの陰に浮かび上がっていました。そのすぐ近くには、この冬ずっとここにいたオオバンが一羽いました。
カイツブリはこちらをじっと見ています。
動かないで待っていると、警戒しながらも少しずつ近づいてきます。
でも心配そう。何となくあやしい雰囲気になったと思ったら、やっぱり、ドボン。
毎度の事ながら、愛想なしです。当然でしょうが。じゃ、またね。バイバイ!
2012年3月13日 (火)
ハシビロガモとバン
2012年3月12日 (月)
モニターツアー(岩手県久慈市)(3)
三陸海岸に沿うように走る三陸鉄道北リアス線は3.11,大津波の襲来で線路、コンクリート製の橋脚、駅舎(島越)まで流出して不通になりました。
しかし奮起した社員の皆さんによってなんと被災5日後には久慈~陸中野田間を無料で運転再開。住民の足として、また救援物資を運ぶ手段として大活躍したという。
その後復旧の現状ですが、この4月には陸中野田~野田玉川間の線路も再建され、分断されていた鉄路が田野畑までつながる予定だそうです。
駅舎まで流出した島越駅の復旧には少し時間がかかりそうですが、それでも2014年(平成26年)には現在全線が運休している南リアス線(4月から一部で運転再開)を含めて、全線の工事が完成する予定だということです。
モニターツアー2日目です。
久慈からバスで田野畑村の断崖絶壁の自然景勝地、北山崎に向かいます。以前にこの地に三陸海岸沿いを走るバス/列車の旅で訪れたことがありましたが、その時は大津波災害など、夢想もしませんでした。(→ネット掲載の参考記事:23/5/1三陸海岸被災視察 http://www.jsce.or.jp/committee/eec2/eq_report/201103tohoku/kiyono2.pdf )
今、バスの車窓から目する海沿いの光景はすっかり変わっていますが、村内の被災エリアはガレキの撤去作業が終わり、観光バス等の大型車両の通行も可能となっています。
到着後、現地同行の『北山崎ネイチャーガイド』さんから、あらためて”九死に一生を得た”という当時の生々しい体験を交えた被災状況や、現在の復興に向けた動きなどを伺いながら北山崎と周辺施設を見学。
北山崎の観光施設などは海面から約200mの断崖(高台)上にあるため、津波による直接・物理的被害はなかったのですが、最大の被害は、旅行客の足が完全に遠のいたまま、なかなか戻らないことと伺いました。
現在、村を挙げて鋭意その対策に取り組んでおられます。(東日本大震災に関連する「田野畑村観光情報」について[平成24年2月1日現在]→ http://www.vill.tanohata.iwate.jp/userfile/20120201kannkouosirase.pdf )
見学後、バスの車窓から津波被害の大きかった羅賀地区を目にしながら、田野畑駅に向かいます。ここでは新たに、本業は平井賀漁港の漁師さんで、家は跡形もなく流されたという『大津波体験語り部ガイド』さんの同行です。
平井賀漁港海岸から津波が遡上して被害を受けた田野畑駅周辺を案内いただきました。幸い田野畑駅舎は大きな災害を免れたのですが、周辺の住家には大きな被害が出ていました。現在は復旧工事が進捗しています。
続いて海側の平井賀漁港地区に移動します。車両を模したユニークな造形の水門は津波の遡上を阻止できなかったのです。
ガイドさんの家は水門のすぐ傍だったそうです。平井賀漁港海岸の津波遡上高(推定値)は25.5mと(ガイドさんから頂いた)資料に記載がありました。
見学を終えて、ここで、案内いただいた「大津波体験語り部ガイド」さんにお礼を申し上げてお別れです。
次に最後の島越漁港周辺地区に案内されました。ガイドは引続き「北山崎ネイチャーガイド」さん。島越漁港海岸の津波遡上高(推定値)は23.7m。唖然とする光景で、あらためて津波の破壊力を再認識させられました。
駅裏手の高台にあった住家は残り、また駅前に設置された宮沢賢治の[発動機船第二]詩碑は、津波遡上方向に対して縦向きだったため抵抗が少なくて倒されなかったということで、傷ついていますが残っていました。
これですべての見学を終えて、「道の駅たのはた」でガイドさんともお別れし、一路帰路へ。
久慈まで戻り、郷土料理「まめぶ」作り体験と「まめぶ汁」などの昼食。そして白樺林の雪原が広がる「平庭高原」を経由して、さらにバスに揺られながら新幹線盛岡駅まで。
新幹線で22時30分、帰宅しました。
終わりに、多くの被災地の一日も早い復旧、そして復興を願ってやみません。
また今後も巨大地震の発生が予測される地震列島日本に住む限り、それなりの覚悟とともに備えをしていく責任があるとあらためて感じたことでした。 (完)
2012年3月11日 (日)
モニターツアー(岩手県久慈市)(2)
3.11、東日本大震災の発生から1年。鎮魂の日です。尊い犠牲を無駄にしないために明日への備えをしっかり進めなくてはなりません。
被災地の復興にも落差があり、先頃の報道では、やはり地震や津波による被災地の復興が進んでいないと答えた人が72%にのぼったということです。
そんな折柄、限られた時間・地域ながら、報道だけでは伝わらない現地の生の”風”や”におい”そして人々に触れたモニターツアーです。
久慈の魅力を楽しむ1日目:
東北新幹線二戸駅からバスに乗り換え、二戸市で伝統食の雑穀料理のお昼をいただき、また地元有志の方々による民話劇、民話を見聞きしました。
その後、久慈へ。国内最大の琥珀産地といわれる久慈の「久慈琥珀博物館」を訪問、そこでは勾玉アクセサリー作りも体験できました。 (久慈泊)
1)雑穀料理:
雑穀は、どこの地方でも、昔から田んぼの脇や畑などで少しずつ栽培されてきたごく自然な作物です。
そして岩手県の雑穀生産高は日本一でした。少し古い資料 (2006/4/3、朝日新聞 朝刊 岩手全県11地方版 )によると、「雑穀王国」と呼ばれる岩手県の雑穀(ヒエ、アワ、キビ、アマランサス、ハト麦、モロコシの6種類)の生産量は、2004年は552.9トンで、全国の51.2%を占めたということです。また2005年の生産量は740.5トンとのことでした。
(なお最近の状況について農水省の統計資料【→http://www.maff.go.jp/j/tokei/kouhyou/kensaku/hin3.html 】を見ましたが「雑穀」としてまとめられた最近のデータはありませんでした。)
特に田んぼが少なく、夏の季節風「やませ」による冷害が発生するなどの気象環境により稲作が困難だったことから、麦や雑穀が主食であったという二戸地方では、食べるものがないときのために、保存性が高いひえ、あわ、きび、たかきびなど雑穀を保存するのは当たり前のこととして受け継がれてきたそうです。
そしてそのような生活体験を通じて、様々な工夫が生かされ、伝統の味として今に伝えられた先人の知恵が詰まった雑穀料理の昼食をおいしく頂きました。
また食後には、地元有志の皆さんによる手作りの民話劇(シーツを利用して描いたという、大型紙芝居(「馬のせりと煮売家」)、そのあと、お国言葉での民話を楽しませていただきました。
何ともいえない懐かしさやぬくもりが伝わってきました。あとでお話を担当された「語り部」のおばあちゃんに伺ったところ、「”孫がお婆ちゃんの言葉はわからない”というのです。けれども故郷のなまりや方言はしっかり保存したいとがんばっています」、とのことでした。本当にそうですね。
2)久慈琥珀博物館へ:
久慈地方は、国内最大の琥珀産地として知られています。久慈琥珀博物館は、古くから琥珀採掘の行われた土地でもある久慈市郊外に所在し、国内では唯一の琥珀専門博物館です。
ここでは手作りの勾玉づくりを体験しました。館員の皆さんの指導と“励まし”を頂きながら、限られた時間(約1時間)ではありましたが、あらかじめ勾玉に型どりされた琥珀原石を、”指先や爪も一緒に”紙やすりで“無心に”削りながら、我ながらよく出来たと自己満足の作品に仕上がりました。
博物館のすぐ近くに保存されている琥珀坑道跡を見学し、琥珀神社にも参拝しました。
現地から:
大震災の後もしばらくの間は、長期にわたり続く困難に立ち向かい、懸命にがんばっている被災地に“旅行”するなどという気持ちは誰にも起こらなかったことでしょう。
しかしそのような自粛が続けば、地域の美しい自然や伝統文化などの魅力を基本にした観光事業/産業が、その地域経済の重要な経営資源の一つであったならば、その停滞、ましてや衰退は地域の復興にも大きな打撃となるはずです。
このような観点からも、現在、旅行客の受け入れが可能な被災地からは、「皆さんのご支援・応援に心から感謝しています。地元経済の活性化のためにも、ぜひ被災地へ旅行して下さい」という声がしきりでした。皆様も是非お出かけを。
(続く)
2012年3月10日 (土)
モニターツアー(岩手県久慈市)(1)
未明に、あの巨大地震の余震とみられる茨城県北部を震源とする地震で揺り起こされました。明日で1年になります。
今も、多くの善意や支援努力の甲斐なく、被災地の仮設住宅での孤独死や、また都市部でも声を上げることすらなく餓死という痛ましい出来事を知るにつけ、絆という言葉がむなしく響きます。
被災地の復旧/復興も少しずつ進んでいるようですが、実情を知って、出来ることをしたいと思う心は誰も同じです。そんな折、モニターツアーに参加する機会が出来ましたので、行ってきました。
「モニターツアー」について:
“国交省観光庁により『国内旅行振興キャンペーンと連動したモニターツアーの造成による国内旅行の需要創出および新たな旅行の推進に関する調査』の一環として行われる『東日本大震災等の影響を受けた地域への旅行需要の創出』、という長文テーマを掲げたツアーです。
モニターツアーの実施を通じて、引き続き低迷している東日本大震災等2011年の災害の影響を受けた東北・東日本の一部地域及び豪雨災害を受けた地域への、新たな旅行需要の拡大を図ることが目的です。
(そして、ツアー参加者はアンケート調査に『必ず』協力する必要があり、アンケート回答は上記目的のために使用されます。)
モニターツアーは3月中旬頃までの予定として、これまでも地域ごとに実施されていましたが、今回はじめて参加したツアー地域は岩手県久慈市で、『久慈の魅力体験モニターツアー2日間』です。
そして参加者は今回訪問した地域の『応援団』になって、そのツアー体験や情報をブログ、ツィッター、フェイスブックなどでも是非発信してください、との要望もありました。
今回の旅程:
1日目:
JRで新幹線二戸駅→(以降はバスで移動)二戸で伝統「雑穀料理」の昼食と「郷土の民話語り部」による民話劇、民話を聞く)→久慈琥珀博物館(琥珀の勾玉アクセサリー作り体験も)→久慈(泊)(夕食は北三陸磯料理)
2日目:
久慈→田野畑村へ。北山崎展望台(海面から200mほどもある断崖絶壁の上にあるので、津波による物理的な被害はない)以降の訪問場所は「北山崎ネイチャーガイド・津波体験語り部ガイド」同行で、当時の様子を聞きながら先々の現地でバスを下りて歩きます。)
→津波被害の「羅賀漁港」及び「ホテル羅賀荘」を車窓から目の当たりにしながら→「カンパネルラ田野畑駅(駅舎そのものは難を逃れた)周辺地区」で被災地を目前に状況の説明を伺い
→次に「平井賀漁港地区」の被災状況をガイドさんと共に歩いて確認し
→さらに移動して「島越漁港周辺」のガイドであらためて津波の破壊力を認識。復興の現状も確認。
ここでガイドさんとお別れし→「道の駅たのはた(海抜約120m)」(→近くに羅賀、島越集落の被災者の方々の仮設住宅。)を経て→久慈市内に戻り、通り抜けて
→平庭高原の麓、久慈市山形町(旧山形村)で郷土料理『まめぶ』づくり体験と「まめぶ汁」などの昼食。→それから日本一の白樺林が広がる「平庭高原」の雪原を通過し、(今年は雪が多くて予定されていた散策は無理でした。)→「くずまきワイナリー立ち寄り」
→日没せまる盛岡市内までバス。夕食を済ませて盛岡駅から新幹線乗車。(22:30帰宅)
今回の旅で、以前に三陸海岸沿いを旅した時には触れることも知ることもなかった新しい地域の魅力発見がありました。
それにもまして、激甚災害にひるむことなく、努めて明るく、懸命に復興に向けてがんばっている被災地の現状を自分の目で確かめ、理解が深まりました。
また案内していただいた地元の震災復興ガイド、語り部の方々の言葉の端々に、並々ならない郷土愛がにじみ出ていることにもあらためて感銘を受けました。
そうしてはっきりわかったことは、「受け入れが可能になっている現地に旅行すること」が、一日も早い復興を応援することになる、ということです。
機会をつくって、是非、そのような現地にお出かけ下さい。
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往路東北新幹線の車窓から眺めた風景です。天候は小雨交じりの曇り空から、曇りへ。 (上)仙台を過ぎた辺り。(中)盛岡駅近くで進行左車窓に眺められる岩手山(2,038m)、そして(下)盛岡駅を過ぎてすぐ見えた秋田駒ヶ岳(1,637m)です。
2日目は好天に恵まれました。帰路、ガイドさんとは「道の駅たのはた」でお別れし、白樺林の平庭高原、平庭峠(743m)を経て「くずまきワイナリーに立ち寄り。
バスが盛岡市域に入ると、石川啄木が故郷の山と呼んだ旧渋民村の姫神山(1,124m)の端正な山容が眺められました。
やがて日没にシルエットの岩手山を見て、日暮れて盛岡駅到着です。
(続く)
2012年3月 9日 (金)
まめぶ
先に、岩手県久慈市へのモニターツアーに参加しました。その際、旅行中の「昼食」として食べた「まめぶ汁」は大変美味しいものでした。
そしてまた、初めての「まめぶ」づくり体験として自分で「まめぶ」を丸めているうちに、コロンと丸まった「まめぶ」に愛着すら感じてしまいました。
もともと“食通”などとは対極にいる私ですが、おかしなものです。
それで、モニターツアーと前後しますが、「まめぶ」についての記事を先にしました。
今回お世話になったのは食の匠、谷地ユワノさんの『まめぶの家』。http://www.kouryu.or.jp/okasan100/intro/detail/jdr02800000c8xrk.html
「まめぶ(またはまめぶ汁)」は、久慈市山形町に伝わる伝統の郷土料理です。直径2.5cmくらいの小麦粉生地のお団子「まめぶ」の中には、クルミと黒砂糖が入っています。
このまめぶを、根菜類やシメジ、凍み豆腐など具沢山の醤油味の汁の中に入れて煮たものが「まめぶ汁」。
ゆっくり味わいながらまめぶを噛みしめると、もっちりした食感の中に、かりっと香ばしいクルミのおいしさと黒砂糖の甘みが調和して舌になじみ、絶妙なおいしさです。初めて食べましたが、“名物に美味いものあり”です。
この「まめぶ」は、先に、平成23年の全国B-1グランプリにも出場されたそうです。http://akiraaniki.blog129.fc2.com/blog-entry-84.html 「まめぶ(汁)」のレシピは久慈市山形町久慈市生活研究グループ連絡会(食の匠、谷地ユワノさん)で、紹介されています。 http://www2.city.kuji.iwate.jp/nousei/recipe/mamebu/index.html
1)まめぶの家:
白樺林が広がる平庭高原の麓、久慈市山形町荷軽部にあります。(Tel.0194-72ー2839)
2)「まめぶ」づくり体験:
①テーブルの上に、大鉢に入った小麦粉、まめぶに入れるクルミ、黒砂糖、そして小麦粉を敷いたトレー(これには、耳たぶくらいの堅さに練り上がった小麦粉生地を親指ほどの大きさにちぎったものを載せる)、そして、中にクルミと黒砂糖をいれてきれいに丸めた「まめぶ」を載せる片栗粉を敷いたトレーが並びます。
(なお体験者は、「まめぶ」作りの前に、当然手を洗い、必要なら三角巾で髪を覆い、エプロンを着けます)
②地産の小麦粉を使って、まめぶの生地の調製をします。この工程はベテランのおばちゃんがポイントを説明しながらの実演で、初めてでは出来ませんね。
小麦粉に「お湯」を適量ずつ添加して、手早く混ぜ合わせていく工程です。お湯を使いますので、やはり熱いそうです。
③この工程を素早く均質に水まわし(お湯まわし、でしょうか)することと、お湯の適量を判断することがポイントのようです。加水が終わると、冷めないうちに、力を入れて練り込みです。
④生地が均一に練り上がったら、一部を取り、棒状に丸めて延ばしてから、
⑤親指大にちぎって、どんどん小麦粉を敷いたトレーにのせていきます。
そしてここからが、体験者の出番です。教えられたとおり、まずちぎられた生地を手で丸めてから、①指でお椀状に形を作り、②中に適量のクルミと黒砂糖を入れ、中に空気が残らないようギュッとつまみながら閉じて、③三角に尖ったところを折り曲げてから両手のひらで”あまり力を入れないで”くるくると転がすように、表面に皺がなくなるまで丸めていくと④出来上がりです。
予想外に手には粘着しません。出来上がったまん丸の「まめぶ」には、愛着すら覚えました。”遊んでいるといつまで経っても終わらなくて、まめぶ汁が遅くなりますよ”、と言われながら結構一生懸命になってしまいました。
「男子厨房に立つべし」、と、もはや遅かりしですが、納得したものです。
全員のまめぶ作りが終わったら、別に準備されていた具だくさんの汁に入れられて、煮すぎないよう煮上がったら「まめぶ汁」の出来上がりです。
お膳には、やはり手作りの大きな味噌焼き豆腐田楽やお総菜、何より出来たての「まめぶ汁」、そして松茸の入った炊き込みご飯、またこれも地元特産の短角牛肉の串焼き、と味もボリュームもたっぷりの、すこし遅めになりましたが、大満足のお昼ご飯を頂きました。
3)最後に、お土産(自宅用):
「まめぶの家」手作りのお土産を買って帰りました。
上から順に
①買った”まめぶ”を、自宅でまめぶ汁にしました。やはり美味しかったです。
②左列は”あずきだんご”(中に粒小豆あん)、右列は”みみこもち”(中にクルミと黒砂糖入り)いずれもレンジで加熱していただきました。
最後は”かんづき”。蒸しパンです。これらのおかげで帰宅後の主食として2日間持ちました。
「まめぶの家」では、個人の旅行や、宿泊にも応じられるということでした。
機会がありましたら「まめぶ」を食べに久慈にお出かけ下さい。
2012年3月 8日 (木)
コゲラ
再び公園のコゲラです。とにかく忙しいお方です。ギィーと鳴き声を上げるので居場所はすぐにわかるのですが・・・
なにがしかの収穫はあった模様です。やがてギィ-と鳴きながら飛んでいきました。何時まで公園にいるでしょうか。
2012年3月 7日 (水)
カワセミ
早春、体験学習用の水田脇で、まだ芽吹きに始まらない林縁。その傍を流れる小さな水路にいたようです。いつものように足下から”チッ”と短く鳴いて飛びたちました。
向こうの裸の枝に止まったのを見定めてそろそろ近寄り、逃げられる前に何枚か撮れました。
大きな嘴です。
水路めがけて急降下を繰り返しましたが、見ていた限り、”魚取り”には成功しませんでした。
若葉が茂るシーズンになると、姿が葉陰に隠されて林縁での撮影チャンスは少なくなります。
カワセミ:
全長約17cm。日本全国に分布しています。くちばしは体の割にとても長く、魚取りの名手。巣は土崖に横穴を掘って造ります。
羽色が鮮やかで、翡翠(ひすい)のような体色から、空飛ぶ宝石と呼ばれていて、古くからこれほど人気のある鳥は少ないでしょう。
一時期、生息環境の変化で数が減りましたが、その変化にも適応して生息数も回復している逞しさも持っているようです。
2012年3月 6日 (火)
2012年3月 5日 (月)
蟄虫啓戸(すごもりむしとをひらく):テントウムシ、ハバチ、フタホシヒラタアブ
啓蟄の声を聞くのももどかしそうに、晴れて暖かい日には、落ち葉や石の隙間などで成虫越冬していたり、物陰や土の中で、蛹や幼虫で過ごしたりしていた虫たちが表に出てきます。
日当たりの良い畑の斜面で元気よく始動していた虫たちです。(写真はいずれも2012.3.1撮影)
ナナホシテントウ:
多くのものは成虫で越冬します。(トホシテントウなど幼虫で越冬するものもいますが)
ハバチの仲間?:
大きさ8mmほどの全身黒いハチです。詳細はわかりません。まわりに数匹がいそがしく飛び回っていました。
フタホシヒラタアブ:
成虫で越冬します。枯れ草の間に生えたオオイヌノフグリやホトケノザなどの花のまわりを飛び回っていました。
参考までに既掲載(2011/4撮影)の画像です。上の写真は複眼がくっついているのでオス、下の個体は複眼の間が離れているのでメスです。
2012年3月 4日 (日)
北海道流氷ツアー(2012/2)、氷上のオジロワシ、オオワシ、その他の鳥たち
網走港から出港した流氷砕氷船「おーろら号」の揺れるデッキから、手持ちのコンデジで何とか撮れた流氷上のオジロワシ、オオワシ(いずれも冬鳥で天然記念物)です。
オジロワシ(冬鳥、北海道の一部地域では留鳥):
天然記念物指定1970年1月23日;絶滅危惧IB類(EN)。生息域はユーラシア大陸北部の沿岸地域。北海道では東部の知床や網走、宗谷地方に多い。
体は褐色で、くさび型の尾が白く、嘴は薄い黄色。体長はメスのほうが大きく、オス約80cm、メス95cm。翼を広げると2mほどになります。
オオワシ同様に、サケ・マスなどの魚類や、水鳥、アザラシの子などを捕食し、死肉も食べます。なお北海道北東部で繁殖(留鳥)するものも確認されています。
オオワシ(冬鳥):
名前の通り日本最大の猛禽類で、世界でもトップクラスの大きさ。天然記念物指定1970年1月23日:絶滅危惧II類(UV)。
生息域は東アジアの北部、オホーツク海沿岸や日本海北部の沿岸。知床半島には特に多いそうです。
体は黒褐色、嘴は濃い黄色で大きく、体長はメスのほうが大きく、オス約90cm、メスは約100cmで、翼を広げると2.5mにもなります。
サケ・マスなどの魚類や、水鳥、アザラシの子などを捕食し、死肉も食べるそうです。
その他、船上からついでに撮ったチョウ類:
写真は順に、デッキで目の前に止まったセグロカモメ、港内遠くのセグロカモメ、遙か遠くのオオハクチョウ、日本では希少種に指定されている冬鳥シノリガモ、雄の繁殖羽は非常に特徴的で、遠目にもほかの種と混同することはありません。
そして氷上のアザラシ、ではなくドライスーツ姿のレイチョウ類。シロクマはいないし、ヒグマは冬眠中だし・・・。氷の割れ目に浸ってアザラシ体験アクティビティでしょうか。
最下段は写真集からオジロワシとオオワシの参考画像)
やはりこの時期、ここまでやってこないと目にすることができない自然の生き物たちの姿でした。
それにつけても、近年、地球温暖化による氷山や流氷、永久凍土の減少と、それらにまつわる人にはもちろん、野生動物への影響が深刻に論じられています。的確な対策の推進が必要です。
(完)
2012年3月 3日 (土)
北海道流氷ツアー(2012/2) 【その3】
北海道流氷ツアー3日目:
知床ウトロ温泉==知床斜里駅- -④【流氷ノロッコ号・列車約60分】- -網走駅==網走港⑤【流氷砕氷船「おーろら号」に乗船、周遊約60分、流氷、野生動物見学】、下船後昼食==旭川空港 ✈ 成田空港【20:10着】
流氷ノロッコ号乗車:
朝、バスで知床ウトロ温泉を出発、知床斜里駅に向かいます。ここから季節列車「流氷ノロッコ号」に乗車して、石炭ストーブのある展望車両の窓越しに、オホーツク海から押し寄せた流氷群を眺めながら走ります。
車内では”ノロッコレディ”の車内放送で見所が案内されます。当日、止別(やむべつ)、浜小清水あたりまでは、沿岸に押し寄せた流氷はとても多く、これほどの流氷が観察できるのは、初めて乗車する人では10%ほどの確率です、とアナウンスがありました。
幸運に恵まれたようです。(以下、画像はクリックで拡大します)。
浜小清水を過ぎて次の駅「北浜」では約10分の停車時間が設けられています。一時下車して、駅舎に隣接の展望台から雄大な景観を楽しむことができます。
ただ、北浜駅前の海岸には、前日見られたような流氷の接岸は少なく、遠くに移動していました。そして列車が網走に近づくに従って流氷は遙か遠くの白い筋になってしまいました。
なお沿線漁港の漁船などはすべて陸上に引き上げられていました。やはり流氷対策なのです。流氷が逃げていないか少し心配になりながら、網走駅まで全約60分の列車旅です。
流氷砕氷船「おーろら号」乗船、流氷の海:
網走駅からバスで網走港へ移動します。天気予報は曇りのち晴れ。網走港から出航する「おーろら号」に期待が膨らみます。
着いてみると、おーろら号が係留されている網走港内には流氷はほとんど無く、青い海原が広がっていました。やはり「今年の運勢は先に使い果たしてしまったか」、という思いが一瞬、頭をかすめます。
当日は乗客数が大変多くて、2隻のおーろら号僚船が続いて出航するということになりました。そしてまた、先便に乗船して戻ってきた船客の話では”流氷が”すばらしかった”とのこと。
ああ良かった、流氷が遠くに去らないうちに一刻も早く、と、もどかしい思いで順番を待ちます。
出港して間もなく、遠くに見えた流氷海域に到達し、その後は初めての流氷体験を楽しむことができました。
「おーろら号」は、普通船の倍の厚さの船底を持ち、その重力で氷を割り前進します。幸い晴れてきて、デッキに出ると視界が開け、また氷が船体にぶつかるとゴリゴリという音が聞こえ、足下に振動も伝わってきます。
やはり、日頃の心がけなどカンケイないのです。流氷上にアザラシは見かけられませんでしたが、お目当てのオジロワシ、オオワシなどたくさん見ることができました。(次回のページにまとめました)。。
後でガイドさんから伺った話ですが、やはり温暖化のため、昔に較べて氷塊は小ぶりになり、氷の厚さも薄くなっているそうですが、初めての私には十分な眺めでした。
なお、縮小画面ではわかりませんが、遠くの白い筋に見える流氷群は、拡大画面でみるとのこぎりの歯のようにガリガリ尖っているのがわかりますので、沖合にはまだ大きな氷もあるのでしょうか。
帰路へ:
あとは一路、帰るのみ。下船後、バスで網走から 旭川空港へ向かいます。
途中トイレ休憩で「ペパーミントハウス」、そして遠軽町道の駅「しらたき」に立ち寄りましたが、寒いなと思ったら、マイナス10℃の温度表示が出ていました。
予定より少し遅れて旭川空港発、成田空港へ。そして夜更けて帰宅。
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※今シーズン(2012年)流氷関連記事メモ:(「北海道新聞」参照)
「流氷初日」:
流氷を陸上から肉眼で確認できた最初の日をいう。
「接岸初日」:
流氷が接岸するか、または接岸状態ではないが、(流氷帯から離れた)海氷が港内や沿岸の結氷と海面上でつながり、漁船や貨物船が航行する沿岸水路がなくなった最初の日をいう。
①根室で2012.1.31、流氷を陸から肉眼で確認できる「流氷初日」を観測。昨年より13日、平年より11日早く、1月中に「流氷初日」を迎えたのは9年ぶり。
②紋別で2012.2.11、流氷が接岸した状態ではないが、流氷帯から離れた海氷が紋別港内や沿岸の結氷と海面上でつながり、漁船や貨物船が航行する水路がなくなっている「接岸初日」を観測。昨年より12日遅く、平年の5日遅れ。
③網走で2012.2.17、オホーツク海の流氷が接岸して船舶が航行できなくなる「接岸初日」を観測。昨年より19日、平年より15日遅く、1959年の統計開始以来3番目の遅さ。
④稚内で2012.2.27、水平線に白い糸のように広がる流氷を肉眼で確認できる「流氷初日」を観測。2008.2.25以来4年ぶり。
2012年3月 2日 (金)
北海道流氷ツアー(2012/2) 【その2】
北海道流氷ツアー2日目:
層雲峡温泉==紋別港③【ドリルで流氷を砕く砕氷船「ガリンコ号」乗船約60分、流氷見学:】、(下船後、昼食)==知床ウトロ温泉。夕食後、”知床ファンタジア2012”(オプション)鑑賞。 知床ウトロ温泉(泊)
層雲峡温泉をバスで出発して紋別港へ向かいます。どんよりした曇り空で、外は吹雪、また地吹雪で、一瞬前が見えなくなる時もありました。高速道路がすぐ通行止めになります、というガイドさんの話を納得したものです。幸い通行止めには遭いませんでしたが。
ガリンコ号乗船:
紋別港に到着した時には雪は止んで曇り空にやや強い風が吹いていました。
期待の流氷ですが、出航前のアナウンスで、”本日の流氷は(防波堤で囲まれた)港内に留まったものだけで、港を出ると周遊海域には見られないので、乗船料金は割引になります”ということ。出鼻をくじかれました。
そういえばバスガイドさんが港に着く前に、『流氷は常に風まかせ、波まかせで移動する”生き物”ですから、運が悪ければ見られないこともあります。その時は、海面を眺めるだけのクルージングになります』と、盛んにのたまわっていましたね。ほぼその通りになってしまいました。
紋別港から周遊する「ガリンコ号」は、船の先端部にドリルを装備していて、流氷をガリガリと砕きながら進む船。もちろん氷がなければドリルは無用の長物。(今回は長物でしたね。)
デッキに出ても風以外に何も無しで、時おり波しぶきがかかり、船長から、”特に前面デッキは注意してください”とのアナウンスがあり、早々に船室に引き上げました。
以降は港に戻るまでキャビンに引きこもり。
その間、船長から2回、右側に流氷が見えます、そして下船直前に、岸壁にオオワシがいます、のアナウンスがありました。
確かに、”生き物”が見えた、という記録です。(でも正直、これだけではねェ)(画像はクリックで拡大します)
知床ウトロ温泉へ:
下船して、紋別からバスで宿泊地の知床ウトロ温泉に向かいます。途中の市街地でキタキツネの姿が見えました。この時期、民家の近くにもよく出没するそうです。
そして網走が近くなると、水平線にはっきりと流氷群の真っ白い筋が見えるようになり、さらに進むと、海岸にも押し寄せている光景が間近にせまり、そして氷の上にオオワシの後姿も遠望できました。
明日、のろっこ号で立ち寄る北浜駅前の海岸は流氷で埋め尽くされていました。ほどなく知床です。
「ガリンコ号」での流氷観察は不発だったので、明日の「おーろら号」乗船への期待が膨らみます。
エゾシカ(♂):
知床間近の、小雪の舞う日暮れ時、道路脇に設置された電気柵の向こうに、”エゾシカがいます”、とガイドさんの声。
運転手さんはバスを止めてくれます。窓ガラスは”しばれて”いて、拭いても直ちに氷が付きます。凍れる窓越しに、木の芽を小枝ごと囓る立派な角の雄エゾシカです。
余談ながら温暖化で増え過ぎたエゾシカによる森林資源や農作物の被害は甚大だそうです。また知床で”餌が”増えたので冬眠しないヒグマも現れたと話題になりましたね。
クリオネ:
宿泊した知床ウトロ温泉ホテルのロビーに、クリオネの飼育展示水槽がありました。
クリオネは北海道沿岸の海で一年中見られる巻貝の仲間ですが、成長すると貝殻は完全に無くなるので和名は「ハダカカメガイ」。
体長約1~3cm。体は透明な部分が多く、赤く見えるのは生殖腺や中腸腺です。
体の前部にある透明な1対の翼足を動かして遊泳する姿は天使に例えられ、「流氷の天使」(英語では sea angel)と呼ばれて親しまれています。
”知床ファンタジア2012”:
夕食後、イベントの見物に。
稲わらを燃やして発生させた煙にレーザー光線を当てて、ファンタジックな絵模様を極寒の夜空に浮かび上がらせる光とサウンドのイベント・ショー。寒かったデス。風向きによっては煙いことも。