2013年1月
2013年1月31日 (木)
2013年1月30日 (水)
2013年1月29日 (火)
カルガモのアルビノ(白化個体)
風もなく穏やかに晴れた冬日の広い池には、たくさんの常連のカモ類が浮かんでいます。
先日のこと、その中に白いカモが1羽いるのが目にとまりました。双眼鏡をのぞいてみると連れ添っているのはカルガモです。
かなり距離があって手持ちのカメラでは少し厳しかったのですが、白い方はカルガモのアルビノ(白化個体)と判断しました。
何枚か撮ってから少し近寄っていくと飛び立っていきました。風切り羽根の一部には茶色が残っていました。
翌日にはもう姿が見られませんでしたから、どこかへ移動してしまったようで”一期一会”です。
カルガモは留鳥で、通年、散歩コースの用水路や池にたくさんいますが、こんなに白い個体を観察したのは初めてのことです。
なお、カモ類にはずいぶん色々な自然交雑が観察されているようで(*)、池にいるマガモの群れに混じって 常時一緒に行動してるオナガガモが1羽いたりしますが、そんな観察からもやはりそうなのかと思ったものです。
*① http://shinshuunw.blog28.fc2.com/blog-entry-21.html#comment
② http://homepage2.nifty.com/kawazu/duck-hybrid.html
(ハイパーリンクは設定していません。ご覧になるにはURLをコピーし、ブラウザに貼り付けてアクセスして下さい)
2013年1月28日 (月)
ハジロカイツブリ(冬鳥)
今朝3時41分頃、茨城県北部を震源地とする震度5弱の地震がありました。
何となく、また揺れているなあ、と分かりましたが当地は震度2とのこと。
昨夜半から、予報通り細雪が舞いました。庭のロウバイにも少しの綿帽子が。
子供達が学校に行く頃には止みました。
お昼前までには新雪はあっという間に消えましたが、2週間前の古雪はまだ残っていて、相変わらず寒いです。
さて、はじめてお目にかかったハジロカイツブリです。
先日、池に1羽だけ浮いているのを見つけました。全長は30cmほどでカイツブリより少し大きくハトくらいの大きさ。
目が赤く、くちばしがわずかに上に反っています。雌雄同色で、冬羽はのどから腹にかけて白く、他が黒色です。
類は友を呼ぶ、のでしょうか、すぐ近くにいつも見かけるカイツブリ(写真左側)が浮いてきて、並んで泳ぎ去って行きましたが、
ハジロカイツブリ(カイツブリ科):
中国東北部やウスリー川周辺などで繁殖したものが冬鳥として日本各地の海や湖沼に渡来します。
ただ、当地(埼玉県)では観察できる機会は少なく準絶滅危惧種になっています。
2013年1月27日 (日)
2013年1月26日 (土)
2013年1月25日 (金)
冬の散歩道の鳥
いつもなら自転車で出かけて、風に負けて早々に戻る日が多いのですが、合間の一日だけ風がなくてウオーキング日和になったので、お決まりのコース一巡散歩に。
その際に撮れた普通に目にする鳥たちです。あまり可愛くないヒヨドリとムクドリは、いつもスルー。これ差別ですかねえ。
●シジュウカラ:
間近で”ジュクジュクジュク”と鳴き声が聞こえました。ミカンの木がある畑に2羽下りていたのですが、すぐ木に飛んでしまいました。
野良猫が2匹、のっそりと現れたからです。
●ホオジロ:
堤防の向こうの枯れ草地に小さな群れでいました。1羽だけ残って写真撮りにつきあってくれた、気のいいホオジロです。
●キジバト:
たいてい複数で見かけます。すぐに飛んでしまうこともあれば、時には警戒しながらも、熱心に枯れ草地を歩き回っていることもあります。
この方はお腹がすいていたのでしょうか。
●スズメ:
スズメの成る木でした。一斉に逃げられますが、とりあえずこれだけ撮れました。
●ツグミ(冬鳥):
この冬はツグミの姿がなかなか見えなかったのですが、ようやく写真撮影第一号。群れることがなく、口をつぐんで声も出さないので、田んぼや枯れ草地に降りていると、飛ばれるま見分けがつきません。
2013年1月24日 (木)
2013年1月23日 (水)
氷上のオオバンとカラス
2013年1月22日 (火)
アンコール遺跡の旅(2013/1)風景その他補遺
少し残った写真を付録として掲載しました。
●遺跡見学の合間、気まぐれに撮った雑草の花その他:
1)アンコール・ワットその他で。名前はすべて不明です。
*シジミチョウを更に小さくしたようなチョウです。草地にヒラヒラ飛んでいました。
*オジギソウだけわかりました。特徴のある花と、何より葉を指先で触れるとすぐに閉じてしまうので。
●バンテアイ・スレイからシェムリアップを過ぎロリュオス遺跡を結ぶ67号線沿いの風景:
市街地を離れた農村地帯では、高床式の住居が目につきます。
そこでは、日本の日常生活の利便性に慣れきった常識からは思い及ばない生活様式です。電気、ガス、水道、風呂やトイレ、そのようなインフラ/設備とは無縁の自然と共にある暮らし。
暗いうちに起き出して働き、熱暑の日中は休息する。その後は日没と共に眠り、食事は1日2回(朝と午後、但しご飯は日本人の2倍食べる)という”穏やかな”日常の生活があることを知りました。
牛は働き者で、痩せています。搾乳はしないそうです。十分働かせたあとで“食べられる”ので、牛の肉は硬くておいしくないという。
それに較べて水牛は太っていて暑くなるとかまわず水の中に入って休んでしまうので、怠け者。肉は臭くて食べない、とのこと。
働くことが嫌いな人は、”水牛“とあだ名されるそうです。
やはり、都市部と農村の経済格差は大きいように見受けられました。
最後に、
●「バランス・鳥」のお土産品:
自分のために買い求めました。手作り木製で、フラミンゴを模した「バランス・鳥」。良くできているなと感心しました。見学先のあちこちで売られていましたが。
(ちなみに、1個5ドルというのを(2人で)2個買うから8ドルでOK)
2013年1月21日 (月)
アンコール遺跡(カンボジア)訪問(2013/1)(5~6日目)トンレサップ湖クルーズ、シェムリアップ街歩きなど、そして帰国
5日目日程:(夜、帰国の途に)
午前:
バス、そして船で、水上生活風景の見学に●トンレサップ湖クルーズへ。クルーズ後、シェムリアップに戻り、シルク工房見学、さらにオールドマーケット散策に。
午後:
昼食、休憩後の自由時間にアンコール国立博物館見学(2時間)。 夕食後、空港へ。
20:30シェムリアップ発→22:10ハノイ着、乗り継ぎ。
(機中泊)
着後、時折の強風で茶色の土埃が舞い上がる船着き場からクルーズ船に乗りこみます。茶色の水が広がる湖で、出港後しばらくは異臭が鼻をつきました。
水上生活という生活文化の光景はやはり大変そうに見えますが、けっこう快適だそうです。水上学校も、水上マーケットも揃っています。
水上マーケットへ短時間でしたが”見学”に行きました。
東南アジア最大の湖であるトンレサップ湖沿岸(6州)の居住人口は300万人に及ぶこと、またトンレサップ湖の水上生活者は多くがベトナム人であると聞きました。
海のように見える広いところまで進むと強い風のため波立ちが高くなり、危険になるというのでクルーズは少し早めの時間に切り上げて戻ることに。
下船後シェムリアップに戻ります。ハスの花が咲く水田が広がる地帯を過ぎて、午前10時半を過ぎた頃市街地に入ると、通学や通勤時間帯だったのでしょうか、(教師が足りないので学校は2部制になっている)通学の自転車やバイクで走る人達の姿が多く見られました。
中心市街でバスを下りてから、シルク店に立ち寄ったり、さらにオールドマーケットに出かけて買い物をしたり、庶民の日常生活のにおいや雰囲気の一端を感じながら街歩きを楽しみました。
午後:
昼食後、休憩施設で昼休みをとってから、自由時間を最後の観光「アンコール国立博物館」見学(約2時間)へ行きました。
展示館内は撮影禁止のため写真はありません。 (余談ながら、入館に際してはパスポート、財布など貴重品のみ、貸し出しの小袋に入れて身につけられますが、カメラやバッグ(小型でも)などすべてクロークに預けなければなりません。
ただ預ける際に預かり札などの確認システムはなく、引き取り時に当人が指さして、そこの、あれ、というだけで、間違いトラブル発生の心配も。
また展示解説の音声ガイド機貸し出しでも、入館料と別々に料金は確かに手渡したのに (レシートなど発行されません。受付には3人の若い女性がいましたが)、受け取ってないと言い張られて埒があかず、不快な思いをした人が二人もいたり、また妻の借りたガイド機は不良品で正常に動作せず、係員が確認した後のクレーム品交換にずいぶん時間がかかったりして、この辺りの基本的なサービスシステムはまだまだと感じました)。
休憩施設に戻って夕食。伝統の「影絵」の上演を見ながら最後のクメール料理。食事の度に飲んだビール「Angkor」は暑さでのどが渇くせいもあっていっそう美味しかったです。
午後6時半、バスでシェムリアップ空港に。
到着後、バスを降りたところで、今旅行中ずっとお世話になった若い女性現地ガイドさんと別れを惜しんでから、空港ターミナル内に。
搭乗手続きも簡単に済み、予定通り帰途につきました。
6日目:
00:10ハノイ発→07:00成田着。ほぼ予定どおり帰国しました。夏の国から真冬の日本。やはり寒さが身に沁みました。
[雑感]:
他の文化/文明とは時代も地域も大きく異なりますが、その多くには天地創造神話、死生観や、神、未知なるものに対する畏怖、畏敬など共通するところがあると思わずにはいれられません。
不思議といえば不思議、しかしそのいずれも人間の”大脳活動のなせる技”とすれば、類似するのは当然/必然という事なのか・・・
それにしてもカンボジアの男性はのんびりしている印象でしたが、女性はがんばっています。国の発展を期待します。
[完]
2013年1月20日 (日)
アンコール遺跡(カンボジア)訪問(2013/1)(4日目)アンコール遺跡群のタ・プローム寺院他、小回り、大回りコース
4日目日程:
*午前:バスで[世界遺産]アンコール遺跡群観光へ。(●タ・プローム寺院、●スラ・スラン、●バンテアイ・クデイ、●プラサット・クラバン)
*午後:バスで[世界遺産]アンコール遺跡群観光に。(●プリア・カン、●ニャック・ポアン、●東メボン)
*夕刻:バスで夕日に染まる●プレ・ループと夕日鑑賞に。
夕食は「クメール料理」 ( シェムリアップ泊)
記録:
午前8:55、小型バスで、“小回りコース”と呼ばれるタ・プローム寺院、スラ・スラン、バンテアイ・クデイ、プラサット・クラバンを巡りました。
① タ・プローム寺院:
1186年、ジャヤーヴァルマン7世建立、仏教(観音菩薩)。密林に覆われていたアンコール遺跡の往時を彷彿とさせる、コース一押しの見所。
西塔門が正面入口。スポアン(リエップとも。ガジュマル(榕樹)の一種)の根が遺跡の石組みを激しく浸食し、三重の回廊に覆われた遺跡には、文字通り樹根が食い込んでいて自然の驚異を感じさせます。
現在もなお遺跡を破壊している景観は、映像などでも十分承知していましたが、あらためて彼のアンドレ・マルローの冒険/探検時のジャングルは、かくあったものかと想いを巡らしたことです。
崩れた遺跡も一部は修復されていますが、大半はそのままの姿で残されています。
元の姿に戻す復元ではなく、数百年に及ぶ長期間、自然と共に変貌してきた姿をそのまま遺す”復元”なのです。
ただ、ガイドさんによれば、これ以上の破壊は食い止めたいということで、新しく伸びて侵入を始めた根は切り取るなどの作業も行われているようでした。
系外からエネルギーを注がなければ、“形あるものは壊れる”、”秩序あるものは無秩序に向かう“のが自然界の法則でしょうから。
もっともこの強烈なインパクトのある景観が高い人気になっているのは事実でしょう。
入り口の西塔門に刻まれている人面像は、何カ所もワイヤ-ロープが巻かれて固定されているのを、あとで写真をパソコンで拡大してみてはじめて気がつきました。(最初の画像。クリックで拡大します。)
●なお、余談です。タ・プローム寺院の、さらなる破壊を進めているのか、あるいは崩れる寺院を支えているのか、議論の分かれるところの樹種名については、いくつかの記事がありました。その1、2です。
タ・プローム寺院の破壊に関与している最も普通に見られる樹種は2種類であって、一般にいわれているように、発達した大きな板根を特徴とするガジュマル(榕樹)の一種(学名Tetrameles nudiflora – DATISCACEAE)ではなくて、
1)一つはクワ科イチジク属のstrangler figと呼ばれる樹木(→http://en.wikipedia.org/wiki/Strangler_fig)の一種で、学名Ficus gibbosaと、
2)もう一種は、一般名silk-cotton treeで、俗に”絞め殺しの木”(Tomb Raider tree)と呼ばれるCeiba属の樹木で、学名Ceiba pentandraであること。
( →http://www.blueplanetbiomes.org/kapok.htm)
そして崩壊する石組みの記念撮影ポイントに生えているタコ足のような、また人のお尻にも見える太い根を垂下げたり、あるいは横に這い回ったりしている樹種は、1)のクワ科イチジク属のFicus gibbosaであること。
また、もう一つの撮影ポイントになっている、網をかけたようにも見える樹種は、2)のsilk-cotton tree、”絞め殺しの木”(学名Ceiba pentandra)である、とありました。
(要するに、どちらもスポアン(ガジュマルの一種)ではない、という話です。
http://colloidfarl.blogspot.jp/2009/01/jungle-temple-of-ta-prohm.html
さらに、別の記事にも、大樹の根元に“SPUNG”という樹名板があるが、(今回、実際に見た樹名板に「“SPUNG”(スポアン)、Tetrameles nudiflora – DATISCACEAE」と記されていましたが)、その樹はスポアンではないこと。(別のところには、確かに大きな板根の発達したスポアンは存在している。)
そして、撮影ポイントにもなっているタ・プローム寺院の石組みに、蛸足状の太い根を張り巡らしている樹木もまたスポアンではなく、クワ科イチジク属の木の学名“Ficus gibbosaである、との記述がありました。
まあ門外漢の私には、樹種や名前など何であろうとかまわないのですが。
余談追加:
ローソクの木(学名Dipterocarpus alatus (Dipterocarpaceae))がありました。樹名板もあります。
東南アジア大陸原産のフタバガキ科の樹木で、先住民族の人々は木から採れる樹液(含油樹脂)を灯明燃料としたり、ボート(舟)の防水等に用いたりしていたそうです。
現在は、塗料、ワニス、ラッカーなどに使用され、また精油は香水の固定剤(fixative)として使用されているという。
この木はアンコール遺跡のあちこちに生えている大木の一つですが、可燃性の樹液(蝋)が出るため、数年前まではその蝋にライターで火を付けて見せるガイドもいて、火事になったこともあり(実際に黒く焼け焦げた木もありました)、当然、今は厳禁です。
しかし今なお、マナーの悪いお国の観光団体では、火を付けて見せて喜ぶ姿を目撃することがある、とガイドさんは憤慨していました。
② スラ・スラン:
12世紀末、ジャヤーヴァルマン7世建立、仏教(観音菩薩)。王が沐浴をしたといわれる聖なる池。バンテアイ・クデイ寺院の東正面に位置していて、大きさ広さは東西700m、南北300mの規模です。
周囲には池に下りるための階段があり、西側のテラスにはシンハ(ライオン)像が鎮座しています。
池中央の小島には王が祭儀を行う祠堂が建っていました。今はこの池も子供達の格好の水遊び場だそうです。
③ バンテアイ・クデイ:
12世紀末、ジャヤーヴァルマン7世建立、仏教(ヒンズー教様式と混淆)。「僧坊の砦」を意味する寺院名です。
東西700m、南北500mの外壁と外濠に囲まれ,東西一直線に建物が並ぶバイヨン様式の造りです。
中庭中央には踊り子のテラスがあります。奥には田の字型の回廊があり、中央祠堂とそれを囲む8つの祠堂があります。天女アプサラや、王、宮殿などのレリーフが破風や柱に残っています。
④ プラサット・クラバン:
921年、ハルシャヴァルマン1世建立、ヒンズー教。レンガ造りの5基の祠堂が東向きに横一列に並んでいます。
1960年代にフランス極東学院によって原型に変化を加えないよう修復が行われています。中央祠堂の内壁には3体のヴィシュヌ神が、一番北の祠堂にはヴィシュヌ神の妻ラクシュミーの浮き彫りがあります。
庭には不思議な形のタネのようなものがたくさん落ちていました。ガイドさんに聞くと”花です”とのことでしたが・・・。池には青色の睡蓮が咲いていました。
見学後、アジアン・ブッフェの(これも美味しかった)昼食をとってから、一度ホテルに戻り、休息しました。
午後14:35、やはり小型バスで“大回りコース”のプリア・カン、ニャック・ポアン、東メボンへ。
そして夕刻には夕日に染まるプレ・ループと夕日を鑑賞しました。
⑤ プリア・カン:
1191年、ジャヤーヴァルマン7世建立、仏教(観音菩薩)。ジャヤーヴァルマン7世が父の菩提寺として建てたバイヨン様式の仏教寺院で、ブリア・カンとは”聖なる剣"の意。
東西820m、南北640mにおよぶ、アンコール遺跡のなかでも最大級の規模。
3重の周壁の内側に複雑な回廊が迷路のようになっています。多数の小塔やガルーダのレリーフ、無数のデヴァターなど見所も多く、東西の塔門にはナーガを踏みつけるガルーダの巨大なレリーフがあります。
東塔門の内側にある2重の建物は円柱で支えられた第一層の上に角柱の第2層が載っているギリシャ神殿を思わせるめずらしい様式です。
⑥ ニャック・ポアン:
12世紀末、ジャヤーヴァルマン7世建立、仏教(観音菩薩)。ブリア・カンの東にあるニャック・ポアンの名は「絡みあう蛇」の意。
ヒンズー教の説話を具象化した空間で、病を治すというヒマラヤの伝説の湖に見立てた池が中心の寺院。
雨期には水が張り、周囲は湖のようになり、乾期には円形の基壇を持つ中央祠堂が現れます。
4つの小池には神話の神馬が配されています。なお、今回訪問時には池の手前に全面柵が設けられていて遺跡内に入ることはできませんでした。
⑦ 東メボン:
952年、ラージェンドラヴァルマン2世建立、ヒンズー教(シヴァ)。池の跡に建つ寺院です。現在は枯渇していますが、かつては東西7km、南北1.8kmの貯水池であった東バライに浮かぶように造られた寺院。
貯水池はアンコール王朝の繁栄を支える重要な農業用灌漑設備でした。
メボンとは神の恵みの意。ラテライトの基壇の上にレンガ造りの祠堂が載った形式で、夕日を受けると光り輝く姿がきれいということですが、お天気次第です。
⑧ プレ・ループ:
961年、ラージェンドラヴァルマン2世建立ヒンズー教(シヴァ)。東メボンと同じくレンガ造りのピラミッド型寺院ですが、東メボンより格段に大きなスケールです。
小高い丘に建つ山岳型寺院のため、ここから眺める遠景も良く映え、夕日鑑賞の人気スポットになっています。
落日の時間帯には混み合いました。pm5:52、沈む夕日はきれいでした。
アンコール遺跡群巡りの予定はこれですべて終わりになりました。冬の日本から蒸し暑い夏の気候に曝され、また連日の急な石段の登り降りの連続で疲れもたまって体調を崩した人もありましたが、大過なく有意義な時間を過ごすことができました。
夕食は「中華料理」 。
明日はトンレサップ湖のクルージングやシェムリアップ街歩き、アンコール博物館見学など終日楽しんだ後、夜には帰国の途につきますので、荷物整理などして早めの就寝に。
(→5日目に続く)
2013年1月19日 (土)
アンコール遺跡(カンボジア)訪問(2013/1)(3日目)バンテアイ・スレイ、ロリュオス遺跡)
3日目日程:
早朝にアンコール・ワットに昇る朝日を見てから、午前中バンテアイ・スレイ、午後はロリュオス遺跡の見学。
記録:
①アンコール・ワットの日の出シーン:
早朝5:15、バスでホテル出発、アンコール・ワット朝日観賞へ向かいました。(約1時間)。
日の出よりも、よく知られた撮影ポイントに大集合した人出の方がずっとすごかったりして・・・・。まあこんなものかと。
②バンテアイ・スレイ:
朝食後、午前8:55、バスでアンコール遺跡の中でも(超)人気スポットで「東洋のモナリザ」[世界遺産]のバンテアイ・スレイへ。
ここは、967年、ラージェンドラヴァルマン2世着工、ジャヤーヴァルマン5世建立、ヒンズー教(シヴァ)。バンテアイは砦、スレイは女で、「女の砦」を意味する寺院。
東を正面として、硬いラテライトと、大部分は軟らかい赤い砂岩で建造された、規模こそ小さいものの、破風や壁面には精巧な深彫りのヒンズー教の神話や美しいデヴァター(女神)の彫刻が全面に施されています。ここで「東洋のモナリザ」と初の対面。保存状態も良くて見事でした。
まず外周壁の塔門をくぐり75mの参道を進むと、第一周壁とその塔門に着きます。周壁はラテライトで築かれ南北94m東西109mあり濠を囲んでいます。
塔門をくぐり、土を盛った橋を渡ると、第二周壁とその塔門があり、正面に祠が見え始めます。 塔門をくぐり、左右にリンガが並んだ参道を進み、第三周壁の塔門に入ると、中には刻まれた碑文が見られます。それを抜けると中央祠堂の前室に至ります。
ここまでの塔門は、中央に近づく程に間口と高さが狭まっていて、進む毎に(お参りのため)「頭を下げて行く」造りだと、ガイドさんから聞きました。
中央祠堂前室の左右には経蔵があり、それぞれ東側の偽扉と西側の入口を持ち、三重の破風で飾られています。
破風にはヒンズー教の神話が彫られています。南経蔵の破風では、下段に世界を揺らす悪魔と逃げ惑う動物が、上段に神とその妻が彫られています。
寺院中央の南北に三つ並んだ祠堂と前室は、丁字型の基段上に築かれており、基段上へ登るには、前室の三方と南北祠堂の正面に加え、中央祠堂の背面に階段が有ります。
祠堂は全面が彫刻で飾られていて、中央の祠堂には門衛神の「ドヴァラパーラ」が、南北の祠堂には「東洋のモナリザ」と評される美しい姿のデヴァター像が彫られていますが、現在(2013/1)は遺跡/彫刻保全のためこの区画一帯にはロープが張られていて、近くまで行くことはできません。観光客のマナーが大事です。
見学の後、昼食。その後ホテルに戻り、一番暑い時間帯は休憩をとります。
③ロリュオス遺跡:
午後15:15、バスで[世界遺産]ロリュオス遺跡へ向かいます。ロリュオス遺跡はアンコール地域に隣接し、都を遷都する以前に築かれた古い王都です。
(●ロレイ、●プリア・コー) *夕刻に●バコンへ。ここで夕日観賞も。
1)ロレイ:
893年、ヤショヴァルマン1世建立、ヒンズー教(シヴァ)。もとは巨大貯水池に浮かぶ小島にあったものが現在は水が干上がった跡に残された寺院で、ヒンズー教の儀式が行われたところ。
現在、寺院の隣には上座部仏教の新しい寺院と僧坊が立っていて、お経の練習など修業に励む若いお坊さん達の姿が見られました。
2)プリア・コー:
879年、インドラヴァルマン1世建立、ヒンズー教(シヴァ)。ロリュオス遺跡で最古の寺院。
共通の基壇の上に3基ずつ2列に配置された6基の祠堂があり、手前側3基の真ん中が中央祠堂です。祠堂には壁を飾る漆喰彫刻や、守門神、デヴァター等のレリーフなどがあります。
祠堂に向かい合うように3体の聖牛ナンディンが鎮座しています。ブリア・コー(聖なる牛の意)寺院名の由来です。
3)バコン:
881年、インドラヴァルマン1世建立、ヒンズー教(シヴァ)。ロリュオスで最も重要な最初のピラミッド型寺院。
5層の基壇があり、シンハ(ライオン)像や象の彫刻などがあります。5層目の基壇の上に伸びる細身の中央祠堂は後世に再建されたものだそうです。
到着したのは午後5時10分頃。既に日は傾いて中央塔が明るく照らし出されていました。一度最上壇の中央塔基壇まで登ります。
ここで夕日観賞というつもりだったのですが、曇り気味の空は時間が経つにつれてだんだん光が弱くなっていき、今ひとつのままに暮れていきました。
下から見上げると、中央祠堂が夕日を浴びて黄金に輝くということでしたので、足元の明るいうちにと、急な階段を下りてから振り返って見ましたが・・・・まあ、今回はこんなものかと。
5時55分、帰路につきました。
夕食のクメール料理は大変美味しかったです。健康食で、少しくらい食べ過ぎても太らない素材でした。 ( シェムリアップ泊)
(→4日目に続く)
2013年1月18日 (金)
アンコール遺跡(カンボジア)訪問(2013/1)(2日目)アンコール・トム、アンコール・ワット
2日目日程:アンコール・トムおよびアンコール・ワット見学。
午前8:20、バスで大都市国家であった[世界遺産]アンコール・トム観光へ出発。
(●南大門、●バイヨン寺院、●バプーオン、●ピミアナカス、●ライ王のテラス、●象のテラス)
見学後昼食、そしてその後一度ホテルに戻り休憩をとりました。
午後15:05、バスでクメールの至宝[世界遺産]アンコール・ワット観光に向かいました。
見学が終わった後、民芸品店(約30分)へ立ち寄り、その後夕食へ。夕食はアプサラダンスのディナーショー。
( シェムリアップ泊)
記録:
●午前中の観光はアンコール・トムへ。
この遺跡はアンコール・ワット寺院の北に位置する城砦都市遺跡で、12世紀末~13世紀初、ジャヤーヴァルマン7世によって建立されたといわれています。一辺3kmの堀と、ラテライトで作られた8mの高さの城壁で囲まれています。
①南大門:
バスを下りて、堀(環濠)から門を結ぶ橋を渡り南大門へ。
・橋の欄干は“乳海攪拌”(ヒンズー教の天地創造神話)を模したナーガ(ヒンズー教インド神話に起源を持つ7つの首がある蛇の精霊、蛇神、水の神)になっています。
またこのナーガを引っ張るアスラ(阿修羅)と神々の像があります。
・城門は塔になっていて、東西南北の四面に観世音菩薩の彫刻があります。
②バイヨン寺院へ :
ここはヒンズー教・仏教混交の寺院跡で、アンコール・トムの中央付近にあります。
12世紀末、ジャヤーヴァルマン7世建立。中央祠堂をはじめ、塔の4面に彫られている「クメールの微笑み」と呼ばれている人面像(バイヨンの四面像)が特徴的です。
寺院は神々の棲む聖域・メール山を象徴する形態で、東西160m、南北140mの長方形を基礎に、塔と回廊を重ねながら中央祠堂に向かって高くなるピラミッド型。
また第1回廊の壁面には戦闘場面や日常生活の様子などが写実的に描写されています。
(微笑する人面像と、チュッ!は若い女性ガイドのおすすめポイント。ガイドさんの指示で立ち位置を決めてガイドさんが撮影をしてくれる、女性の人気スポット。年甲斐もないのでご辞退して、あとでおざなりに合成したもの。)
③バプーオン :
1060年頃、ウダヤーディティヤヴァルマン2世建立、ヒンズー教・15世紀以降仏教。
歴代の王を祀った王家の菩提寺です。幾本もの円柱が支える長さ200mの空中参道が続き、その奥に3層のピラミッド型寺院が建っています。
中央にある祠堂の頂には高さ50mほどの塔がそびえていたという。祠堂を囲む回廊にはヒンズー神話のレリーフがあります。
祠堂西側には後世に造られた未完の巨大涅槃像がありますが、ガイドさんから、あそこのあれですと指さされなければ、なかなか認識できませんでした。(以下の画像はクリックで拡大します。)
④ピミアナカス :
10世紀末~11世紀初、スーリヤヴァルマン1世建立、ヒンズー教。寺院の名前は「空中の宮殿」を意味するもので゙、3層の基壇の上に回廊がめぐらされ、その中心に小さな祠堂があります。
王族の儀式が行われたという。なお、ピミアナカスには「9つの頭を持つという蛇神が宿り、王は毎晩、妻よりも先に女身に化けた蛇神と交わらなければ災いが起こる」、との伝説が残っているとガイドさんから聞きました。(王も大変です。)
⑤ライ王のテラス:
12世紀末、ジャヤーヴァルマン7世建立、仏教(観音菩薩)。元のテラスを覆うようにして建造されたので壁は2重になっていて、現在は壁と壁の間に通路が設けられ、新旧両方の壁が見られます。
外壁には神々のレリーフ、内壁には王宮の様子や動物などの彫刻があります。
テラス上のライ王はレプリカです。(ライ王の名前由来は、ライ病で亡くなった王、あるいは閻魔大王などと聞きました。)
⑥象のテラス :
12世紀末、ジャヤーヴァルマン7世建立。王が兵士を出迎えたテラス。王宮前広場に面して南北に約300m続くテラスで、王はここで閲兵を行い、戦場より凱旋した兵士たちを出迎えたという。
外壁には巨象の群れが連なり、.またテラスを支えるようにガルーダの浮き彫りがならんでいます。(ガルーダはインド神話に登場する怪鳥で、黄金の羽を持ち、天界を巡る太陽にその起源があるとされるヴェシュヌ神の乗り物。人間の胴体・腕と鷲の頭部・嘴・翼・脚・爪を持つ。ガイドさんによれば、嘴があるのはオスで、無いのはメスとも。ナーガ(蛇神)の天敵で、両者が格闘する壁面彫刻がアンコール遺跡の随所に見られました。)
午前中の見学が終わりになる頃、熱さ対処の水分補給が極端に少なかったようで、熱中症もどきの不調を覚え、少し心配になりました。
昼食後、一度ホテルに戻り水分補給をして、休息時間を設けられたので、午後は何とか持ち直しました。
(なお翌日以降も同じパターンで暑い盛りの日中にはホテルに戻り休憩を挟む見学スケジュールでしたので、水分も意識的に十分摂ったりして大丈夫になりました。)
●午後:バスでクメールの至宝[世界遺産]アンコール・ワット見学へ。
アンコール・ワット:
12世紀前半、アンコール王朝のスーリヤヴァルマン2世によって、ヒンズー教寺院として30年を超える歳月を費やし建立されたという。
サンスクリット語でアンコールは王都、クメール語でワットは寺院を意味しています。王が永遠の眠りに就く巨大石造寺院です。
大伽藍と美しい彫刻からクメール建築の傑作と称えられ、カンボジア国旗の中央にも同国の象徴として描かれています。
巨大な石積み伽藍はヴィシュヌ神を祀るヒンズー教寺院であり、また王の墳墓でした。そのため、ほかのアンコール遺跡が東向きに建てられたのに対して、アンコール・ワットのみが西方浄土の方向を示す西向きに建てられています。
周囲を東西1500m、南北1300mの堀(環濠)と石壁が囲み、さらに3重の回廊の中央に本殿が建っています。
回廊の壁面は多数のデヴァター(女神)や、王侯貴族、ヒンズー伝説などの精緻な浮き彫りで飾られています。
本殿には高さ65mの中央塔を中心に5本の尖塔がそびえています。なお後に伽藍は仏教寺院改修されて、ヴィシュヌ神を祀った本殿には現在仏像が鎮座しています。
余談ですが、アンコール・ワット観光の目玉の一つとして、建物の背後から光が射す日の出シーン、また夕日に赤く染まる夕焼けシーンが特に日本人には人気だそうです。
①西塔門:
環濠を渡って最初にある門で、3つの石塔がそびえ立つアンコール・ワットの正門。
②参道:
西塔門から本堂へ延びる石畳の参道の長さは約350m。両側には経蔵(教典や歴史書を収めたとされる建物)と聖池が左右対称に配置されています。
経蔵は第一回廊と第二回廊の間、および第二回廊と第三回廊の間にあります。基壇の上に幾本もの柱が並ぶ経蔵の一つ「北経蔵」は、日本の技術協力で修復工事が施されています。
また参道の欄干や西塔門など各所には、7つの首を持つ蛇神ナーガが刻まれています。
③西塔門テラス:
参道の終点にあるテラス。この先の第一回廊から先が寺院本堂。
テラスに上る階段脇には4体のシンハ(ライオン)像(日本でいうならさしずめ狛犬)があります。そこを過ぎるとアンコール・ワットの雄大な景観が展開します。
④自信のある人は登って下さい、ということで勾配はきついけれども現在は手すりの付いた階段が整備され、安全に登ることができる中央祠堂に登ってみました。眺めはすばらしいです。
下りてから、第一回廊にある「神々と阿修羅の戦い」、「乳海攪拌(ヒンズー教の天地創造神話)」などの見事なレリーフなどを見学し、小休止で一旦回廊から庭に出て夕焼け迫るアンコール・ワットを鑑賞しました。それから更にお目当てのデヴァター鑑賞へ。
⑤デヴァターのギャラリー:
アンコール・ワットの壁面に浮彫で彫られている高さ1m前後のデヴァターは、上半身裸の女神像で、実に1700体以上もあるそうです。
西塔門の中央門を入って右手(南側)回廊の壁面には、繊細な彫りのデヴァター(女神)彫刻が並んでいます。第二、三回廊でも見られます。
豪華に着飾った女神たちは一体ごとに薄衣の模様や装飾品、顔の表情などが微妙に異なり、気品があって大変美しいです。
西塔門南側回廊には歯を見せて笑う珍しいデヴァターがありましたが、若い女性現地ガイドさんは、盛んに「下品です」と繰り返していました。彼女の感性にはそぐわないようです。
その全身と”お顔”ズームアップ写真。見事な薄衣の拡大写真は別のデヴァターの衣装です。
余談ながら、そのすぐ近くにあった「美しい模様のある薄衣を纏い、しとやかに笑みを浮かべた、耳たぶの長いクメール美人」が“お気に入り”になったのですが、残念ながら写真はピンぼけになってしまいました。手が震えたのでしょうね。
見学終了後、民芸品店に立ち寄り、その後、アプサラ・ダンス(天女の舞)のディナーショーを鑑賞しながらの夕食でした。
この日はかなり疲れたおかげでめずらしく熟睡できました。
(→3日目に続く)
2013年1月17日 (木)
アンコール遺跡(カンボジア)訪問(2013/1)(1日目)シェムリアップへ
1日目日程:
10:00成田発→ハノイ着14:30、乗り継ぎ発15:30→17:10シェムリアップ着 (日本との時差は-2時間)。
宿泊地はシェムリアップ市内ホテル(4連泊)
記録:
この冬は格別厳しい寒さの日本。成田出発時はダウンジャケットなど防寒着を着込んでの出発。
ハノイで乗り継ぎのために機外に出ると、ちょうど雨が上がったばかりのようで空港の地面は濡れていて、むっとこみ上げてくる湿った熱気。防寒衣類を手荷物に押し込んで、目的地シェムリアップの空港に。
到着は、日本との時差-2時間の午後5時過ぎでした。
飛行機を降りてから空港ターミナルまで徒歩で行く間の暑いこと。1月の平均気温は、最低気温20℃、最高気温32℃というから、日本の夏です。
1日の間に真冬から真夏に。体にはきつかったです。
途中の緑地にはプリメイラの植木があり、芳香が漂っていたのはせめてもの救い。この花木は市街地でもよく見かけました。
空港を出てから、宿泊ホテル迎えのバスに乗る時に、一人ずつ歓迎のレイを首にかけてもらいました。
ジャスミンとマリーゴールドの生花で作られていて、とても爽やかな気持ちになりました。
明日からの日程に備えて早めの就寝としましたが、エアコンの調整が難しくて、睡眠不足に。
(→2日目に続く)
2013年1月16日 (水)
アンコール遺跡(カンボジア)訪問(2013/1)(概要)
●前置き:
その昔、アンドレ・マルロー(フランスの作家、冒険家、政治家で、ド・ゴール政権の文化大臣も務めた)代表作の一つ「王道」*を読んでいました。
(*古本屋で求めた「現代世界文学全集23 アンドレ・マルロー 『人間の条件・王道』 」 新潮社 昭和28年11月刊)
『王道』は、若き日のマルローが、カンボジアの密林でクメール彫刻の傑作”[東洋のモナリザ」と呼ばれる、腰をかがめた美しいデヴァター像“**を盗み出そうとして逮捕・起訴され、有罪、投獄された経験を素材にして書かれた作品で、その主人公ペルケンはマルローの分身と解説されていました。
そして、いずれの日か、自分もそのカンボジア・クメール遺跡を一目見たいと漠然と思ったことでした。
アンコール遺跡群は現在のカンボジア王国の根源となったクメール王朝の首都。
軟らかい砂岩や硬いラテライトの石造遺跡は9世紀から15世紀にかけてカンボジアの北西部、トンレサップ湖北岸シェムリアップの北側に建設されたもので、クメール王朝時代の傑作美術として1992年ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。
「王道」を読んでから既に半世紀近くが過ぎました。
かつては密林に暮らす住民や未帰属部族だけが知っていた遺跡も、1860年にフランス人博物学者アンリ・ムオが発見して当時の西欧世界へ紹介してから、新たな調査や発見が続き、さらにご多分にもれずやがて遺跡の盗掘なども行われるようになりなりました。
さらに下ってポル・ポト政権による知識人の大量虐殺や遺跡の破壊、またその後の内戦激化による混乱など苦難の歴史の波に洗われてきました。
しかし現在は、日本をはじめ各国の援助などによって遺跡の修復や環境整備などもずいぶん進んでいて、今や総数960件を越える世界遺産でトップクラスの人気を誇る観光地になっているのです。
たまたま昨年10月、「アンコールのヴィーナス-BAKU斉藤の視線-」写真展(主催:女子美術大学美術館)を見学し、また今回機会があってやっとアンコール遺跡を訪れることになりました。
バンテアイ・スレイのデヴァター(女神)は今やあまりにも有名です。
今回はじめて、写真ではなく実物を目のあたりにして、たしかにその造形美のすばらしさに感じ入ったのですが、現地ガイドからも“マルローの王道事件”や、”「東洋のモナリザ」”と呼ばれている、などの説明を聞くと、どうもこればかり目立ち過ぎるような気もしてしまいました。
アンコール遺跡には他にもすばらしい像が多数あり、時間の余裕さえあれば、自分の“お気に入りデヴァター”を発見することもまた大きな楽しみではないかと感じたことでした。
**バンテアイ・スレイ(女の砦の意を持つ小規模の寺院)副祠堂の壁面にあるデヴァター(女神)像。
画像は今回ツアーの現地ガイドから一番美しいデヴァターとして案内された像をズームアップ撮影したもの。これ以外にも美しい像が並んでいました。
現在、像/遺跡保存の為、かなり手前にロープが張ってあり、デヴァター像の傍には行けず遠くから見るだけになっています。
言うまでもありませんが、短期日の観光ではそのほとんどが”着飾った表面をなぞる”だけになります。
もっと知りたいカンボジアの近代史や庶民生活、また都市や農村地帯の自然などついては、とても時間は足りず、また素養もなければ、得られた情報は些細なものでした。
しかしそれでも、クメール王朝の栄華と衰退、そしてカンボジアの現在などについて知見を得ることができ、感慨深いものがありました。
以下は、単なる観光の記録です。
日程概要
1日目:
10:00成田発→ハノイ着14:30、乗り継ぎ発15:30→17:10シェムリアップ着 (時差は-2時間)
宿泊地はシェムリアップ市内ホテル(4連泊)
2日目:
午前:バスで大都市国家であった[世界遺産]アンコール・トム観光へ。
(●南大門、●バイヨン寺院、●バプーオン、●ピミアナカス、●ライ王のテラス、●象のテラス)
午後:バスでクメールの至宝[世界遺産]アンコール・ワット観光。
その後、民芸品店へ立ち寄ってから夕食へ。夕食はアプサラダンスのディナーショー。 ( シェムリアップ泊)
3日目:
早朝:アンコールワット朝日観賞へ(約1時間)。
午前:バスで東洋のモナリザ[世界遺産]バンテアイ・スレイ観光に。
午後:バスで[世界遺産]ロリュオス遺跡観光。(●ロレイ、●プリア・コー)
夕刻:[世界遺産]●バコンへ。夕日観賞も。夕食は「クメール料理」
( シェムリアップ泊)
4日目:
午前:バスで[世界遺産]アンコール遺跡群観光へ。(●タ・プローム寺院、●スラ・スラン、●バンテアイ・クディ、●プラサット・クラバン)
午後:バスで[世界遺産]アンコール遺跡群観光に。(●プリア・カン、●ニャック・ポアン、●東メボン)
夕刻:バスで夕日に染まる●プレ・ループ、夕日鑑賞に。夕食は「中華料理」 ( シェムリアップ泊)
5日目:(夜帰国の途に)
午前:バス、そして船で、水上生活風景の見学に●トンレサップ湖クルーズへ。
クルーズ後、シェムリアップに戻り、シルク工房見学、さらにオールドマーケット散策に。
午後:昼食、休息後、自由時間にアンコール国立博物館見学(2時間)。
夕食後、空港へ。20:30シェムリアップ発→22:10ハノイ着、乗り継ぎ。 (機中泊)
6日目:
00:10ハノイ発→07:00成田着。
(→1日目に続く)
2013年1月15日 (火)
エンジュの実に集まるヒヨドリ
餌にしていた昆虫類が姿を消し、甘い果実などもほとんどなくなった冬のこの時期、木の実は野鳥の大事な食糧です。
葉も枝も見えないほどたわわに赤い実をつけていた公園のピラカンサ(トキワサンザシ)も今はほとんど食べ尽くされています。
道端に自生したエンジュの大木にはヒヨドリが集まって、せっせと実をついばむ姿が見られました。
ムクドリも姿を見せますが、集まってくるのはヒヨドリが一番多いようです。
2013年1月14日 (月)
予想以上の雪に(2013/1/14)
当地の今日の天気予報では雨のち夕刻から雪に、ということでしたが、昨夜半からの雨が朝方から湿ったぼたん雪に変わり、気温も下がりだしてみるみるうちに積もりはじめました。
昼過ぎには、屋根に積もった湿雪がザザー・ドスンと音を立てて短い間隔で滑り落ちるようになりました。
午後2時過ぎ、積雪は10cmくらいになり、ご近所の人も出てきて、通学路になっている道路の雪かきを一度しましたが、雪のおさまる気配はありません。
積雪地域仕様ではないカーポートは、普段は邪魔になるだけの中央部の支柱を外しているため、真ん中部分がたわんでいるのが分かりました。
やむなく出来る範囲でカーポートの屋根の雪下ろしをしてから、支柱を取り付け。
2Fのベランダにも、屋根の雪がかなり大量に落ちていましたので、こちらも庭に投げ下ろしたり、午後5時半頃まで道路の雪かきをしたりして腰が痛くなりました。
すっかり暮れて真っ暗になった家のまわりでドスン、ドスンという音が絶え間なく聞こえ、地響きもしています。
こんな湿った降雪は初めてのことです。
通行止めが相次いで、相変わらず雪には弱い関東圏です。今夜半には止んで、明日はおおむね晴れの予報です。
2013年1月13日 (日)
2013年1月 7日 (月)
2013年1月 6日 (日)
1月のモズ、ダイサギ
今朝、軒下の温度計は-4℃でした。午前中は晴れて風も弱く散歩日和に、午後から曇りましたが過ごしやすい1日になりました。
屋外メダカ水槽の、蒸発して減った水の補充をかねて冬眠中のメダカを起こさないようゆっくりと水道水を入れ、数日間凍りついたままの氷も融かしました。メダカの動静は分かりません。
散歩コースで。
畑の柿の木に残った熟柿に群がるヒヨドリのピーヨ、ピーヨとやかましい声に負けないように、モズも寒いと鳴いていたのか、梅の木に飛んでキーキーいっていました。
ピントが甘いせいもありますが、優しげな感じの顔です。
日陰は寒々とした用水路にはいつもの決まった位置取りで、(多分)ダイサギがじっと立ちすくんでいましたが、
今回は珍しく、ほんのしばらく見ている間に一度だけ小魚をゲットした様子でした。
悠々自適、の風情。
2013年1月 5日 (土)
エゴノキ(冬芽と葉痕、維管束痕)
小さな冬芽は、裸芽で、長卵形。先は丸く、表面には星状毛が密生しています。基部には副芽が出来ています。
葉痕は1~2mmほどで、ルーペがなければ分からないほど小さな半円~半月形です。維管束痕はわかりにくいですが3個のように見えます。
全体としてはネコの顔のようにも見えます。
エゴノキ(エゴノキ科エゴノキ属):
日本各地に分布している落葉小高木で、高さ7~15m。葉は互生し長さ4.54~8cmの楕円形。
花期は4~6月で、短い側枝の先に白い花が多数下垂してつきます。果実は卵球形で灰白色ですが、秋に熟すと果皮が裂け、中から褐色で堅い種子が地表にたくさん落下しています。
●連日寒気が厳しく、3日前から屋外のメダカがいる睡蓮鉢の氷は融けることがなく、だんだん厚みが増してきて1.5cmほどになりました。
メダカの姿はもちろん見えませんが、おとなしく冬眠しているでしょう。
2013年1月 4日 (金)
カイツブリ、オナガガモとマガモ(♀)
連日晴天、強風の池の遊歩道まで。散歩ついでには、この時期変わり映えしない鳥しか撮れません。
●カイツブリ(留鳥):
毎度のことながら、お尻を向けて遠ざかるショットしかありません。
どこから潜ってきたのか、いつの間にやら2羽に。つがいでしょうか。
●マガモの群れにいつも1羽いるオナガガモ(いずれも冬鳥):
いつ見てもマガモの雌につきまとっています。
ストーカー行為そのものですが、空を飛ぶ自由な鳥の世界にはそんなこと関係ないのでしょう。
池にはカルガモ、マガモ、ヒドリガモなどが見られます。余談ながら、専門家の話に寄ると、時に留鳥のカルガモと冬鳥のマガモの自然交配種とおぼしき個体も見られて、識別が難しいことがあるそうです。
2013年1月 3日 (木)
ホトケノザとノボロギク
コタツとテレビのお守りをやめて、晴れて強い風が吹く中を散歩に。冬枯れで雑草の緑も少ないたんぼ道に、ホトケノザがポツポツと花を開き、ノボロギクが黄色い花を風にあおられながら付けていました。
●ホトケノザ:
不時現象(季節外れの開花、落葉また虫の鳴き始めなどの生物季節現象)を起こしやすい花のひとつで、晩秋の頃から小春日和に誘われて、また冬の寒風の中でも花を開いています。
●ノボロギク:
暑い寒いに無関係に、除草剤にも、草焼バーナーにも屈することなく、一年中花を付け、綿毛の種を飛ばしている野に咲くボロの菊、”ノボロギク”です。
ヨーロッパ原産の帰化植物、1年草です。頭花は管状花だけで花びらはありません。
総苞の外側の三角形の萼は黒くなっています。夏には色がほとんど付かないこともあります。
元気者なものです。
2013年1月 1日 (火)
2013年、あいにくの初日の出
前々日の雨で田んぼ通り泥道はぬかるみ、田んぼには水溜まりが出来ていました。
そして年が明けて元日の朝、放射冷却で冷え込んだ田んぼ道は、歩くとザクザクと霜柱の崩れる音。田んぼには氷が張っていました。
天気さえ良ければ、日の出前1時間くらいから、明けそめる東の空のグラデーションは刻々変化して美しいものですが、たんぼ道にたどり着いたのは日の出時刻(当地の日の出時刻は6時50分頃)の30分前。
たんぼ道から見えた東の空です。既にグラデーションの一番美しい時間帯は過ぎていまが、それはともかく、画面右が、初日の昇る方位なのですが、まずいことに分厚い雲が広がっていました。
そして、案の定、初日の出は雲に遮られたまま見ることが出来ずに日の出時刻が過ぎて、すっかり明るくなってしまったので戻ることに。
帰り道、7時10分頃、雲間に太陽があることが分かったのでした。
だからどうってことはありません。ともかく暦上、また新しい年のスタートです。