モロッコへの旅(2013/2)(8日目)マラケシュ、エッサウィラ
8日目日程:
朝食後、バスでマラケシュ市内に向かいます。
午前中はマラケシュ旧市街観光。そして昼食後、バスでマラケシュを発ち、エッサウィラへ。着後、エッサウィラ旧市街の観光後、エッサウィラ泊。
・午前:
朝食後、出発前の余裕時間にホテルの庭を散策してから、バスで【世界遺産マラケシュ旧市街】の見学に向かいました。
※マラケシュ旧市街(1985年世界遺産登録):
マラケシュは、モロッコ中央部に位置し、ベルベル語で「神の国」を意味する古都。
人口は約106万人(2012年)で、カサブランカ、ラバトにつぐモロッコ第3の都市。
アトラス山脈のうち最も標高の高い3,000~4,000m級の山脈が連なるオート・アトラス北部の麓、標高約450mの肥沃な大地に広がるオアシスに築かれ、「モロッコの楽園」、「南方産の真珠」とも称えられてきました。
南方45kmには北アフリカ最高峰のツブカル山 (4,167m) が聳え、また郊外にはオアシスが点在しています。
市街地は、ギリーズと呼ばれる(フランス人が作った)新市街、そしてメディナ(旧市街)、および王宮のあるメディナの南側の史跡地区の3つに分けられます。
新市街は近代的な建築物が建ち並ぶ現代のモロッコそのものですが、旧市街(メディナ)は、世界一の迷宮メディナがあるフェズに次ぐ歴史を持つ古都でもあり、すべての建てものが赤土(ラテライト)の日干し煉瓦で作られた全域赤茶色の街。
そしてこの赤い町をナツメヤシやオリーブの緑が囲み、さらに冬から春には冠雪のオート・アトラスが映えるという、地域最大の観光スポットです。
ここ(旧市街)には世界無形遺産ジャマ・エル・フナ広場や、クトゥビアの塔、バヒア宮殿、マジョレル庭園など歴史的建造物が豊富で、1985年世界遺産に登録されています。
そして史跡地区も、メディナの一部で、宮殿や史跡などの見学エリアになっています。
●見学:
(昨日の夕刻には、大勢の人で賑わう熱気に包まれたジャマ・エル・フナ広場を見学しました。)
今日はマラケシュで著名な日本語ガイドMさんの名調子ガイダンスで、旧市街を回ります。
☆クトゥビアの塔見学:
バスを下りてまず先に、メディナの西に聳えるマラケシュのシンボル「クトゥビア」の塔見学に。
周囲には緑が多く、オレンジの植え込みや大きなナツメヤシなどの緑と赤茶色の建築物のコントラストもきれいです。
まずガイドMさんの解説。“モロッコの方々でオレンジの木をご覧になったでしょう。ここにもあります。
実は苦くて食べられないものと、皆さんがホテルで食べた甘くて美味しいオレンジの成る2種類の木があります”。
”ここの実を適当にもぎとって食べちゃダメですよ。とても苦いから”。
”でもどうして見分ける?それは葉っぱの形。大きな葉の先にもう一つ小さな葉が2段になっているでしょ”。なるほどわかりやすい。ガイドのMさんはこんな案内も。
そして周囲に立つ大きな「偽ヤシの電柱」?に目を惹かれたりして注意散漫になりながら、未完のモスクに建つ「クトゥビアの塔」を見学しました。
現在モスク部分は残っていませんが、高さ約77mのきれいなミナレット(塔)で、4面それぞれ異なる装飾を持つムーア様式建築。
”塔屋に立つ「だんご3兄弟」は現世、来世、そして神の世を表し~云々”、”またその傍にある三角形に見える避雷針はメッカの方向を向いている、塔屋の窓に白いスピーカーが見えるでしょ、アザーンが流れてきたらお祈りの時間、ムスリムはメッカの方角にむかってお祈りをするのです、その方向が分かるように・・・”等々。
日本のアニメ文化にも詳しいMさんの見事な解説にいちいち肯き、感心しながらも、まずモロッコで最初に見て、正直その”豪華さ”に驚いた世界一高い【ハッサン2世モスク(カサブランカ)】のミナレットをはじめとして、これまで方々のミナレットを見学して、また道中通過したあちこちの街中や集落でも、車窓からたくさん見てきたので、どうもミナレッテしまったミナレッ塔です。
一通り見学したところで、バスに乗り次の見所、バヒア宮殿のある地区まで移動します。
バスを下りてから旧市街を歩き、ファティマの手をかたどったドア・ノッカー/ノブ※やハマム(公衆浴場)や郵便局などを横目に見ながら、バヒア宮殿まで歩きます。
(※ファティマの手:メディナの中を歩くと手の形をしたドアノッカーが目に付きます。これはイスラム教の預言者モハメッドの娘ファティマが、理想の女性として死後に尊敬された事に由来して彼女の手をかたどったとされる護符です。ドアに付けると魔除けとして家を守ると信じられているとか・・・・)
☆バヒア宮殿の 門をくぐり、中に入ると途中の植え込みにはハナイカダもありました。
時に駄洒落も交えた名調子のMさんの解説に肯きながらバヒア宮殿内を見学。
大邸宅の周囲に広大な庭園があり、豪華な個室が並んでいます。
愛妾用の会議室(何の?)や個室には彩り鮮やかなタイルが貼られ、アトラスシーダー材の天井には細密画が描かれています。壁や柱の彫刻もすばらしい。
奥には,また広くて明るい庭があり、周囲の建物は4人の妃と24人(もいた)愛妾達の部屋だったということです。
イスラムの教えでは奥さんは4人までOK、但し”平等”に愛さなくてはならない、が、しかし、ここの部屋は明らかに別格の豪華な造りで3番目の奥さんの部屋でした。
なかなか建前のとおりには行かない証拠と、ガイドM氏の解説を聞きながら、奥さんだけでも大変なのに、他に24人も面倒見るのはもっと大変だなあ、何処かのお国のスルタンもまた同じようだったなあ、などと実感のこもる親父どものつぶやきも。
他に見られるのは息子達の勉強部屋とその隣のお祈りの部屋。また宮殿を執りしきる宰相が使う夏と冬の執務室なども見学。
見学を終えて外に出て、ユダヤ人旧市街を通り抜け、カスバ(砦)も残るメディナのスーク(市場)を見学し、またモロッコ国営デパートも見学と買い物などに。
◇余談:
街中の高い構築物には、例によってコウノトリ(の巣)をあちこちに見かけました。
”コウノトリ※はエスカルゴが大好物で、夏はフランス、アルザス地方にたくさんいるが、冬になると暖かく、エスカルゴのたくさんあるモロッコにやってくる。
何しろビザが不要だから、そして最近は帰りたがらないでずっといる”とガイドM氏のお話。
(※:コウノトリは、コウノトリ亜科に属する鳥類の総称で、ヨーロッパとアフリカ北部に分布するのはクチバシの赤いシュバシコウ(Ciconia ciconia)。
夏は涼しいヨーロッパで過ごすが冬には暖かいモロッコなどのアフリカ北部に移動する渡り鳥です。)
☆午前の見学を終えて、バスでレストラン(COLISEUM)に向かい、ピザの昼食をとりました。
・午後:
昼食後13:30、マラケシュを発ち、バスで一路、エッサウィラに向かいます。(所要時間は約3時間。)
窓外に流れる砂漠地帯とうって変わった緑豊かな穀倉地帯の風景を眺めながら、途中で、モロッコの重要な樹林アルガンの森を間近に見るところで写真ストップ。
☆かつては、一時絶滅が心配されたというモロッコのアルガンの森は、ユネスコ(UNESCO)の生物圏保護区に指定され保護されてきた結果、今ではモロッコ南西、大西洋海岸に並ぶ街、エッサウィラ、アガディール、ティズニット、 タルーダント近郊及びアトラス山脈に面した地域80万ヘクタールの範囲に広がりを見せているそうです。
まだ青い実がついている時期、ヤギが好んでアルガン(Argania spinosa)の木に登り、苦い実を食べるそうです。
そして確かに樹の下にヤギがたむろしている姿は目撃しましたが、木登りヤギは見られませんでした。(写真は絵はがき。)
エッサウィラまで後15分ほどのところに、エッサウィラ全域が眺められるビューポイントがあり、写真ストップ。
そしてほどなくエッサウィラ※(「小さな要塞」の意。ここはまた文芸家の集まる街))に到着。
※【エッサウィラのメディナ(旧市街)(2001年世界遺産登録)】:
マラケシュの西、大西洋岸にある紀元前から栄えた港湾都市。海に面した白い旧市街(メディナ)は15世紀にポルトガル人により築かれ、西アフリカ沿岸部の軍事、貿易の拠点として栄えました。
その後、18世紀にフランス人建築家の手によって整備され、計画都市となりました。
白い壁とブルーの窓が美しい街です。
☆旧市街(メディナ)の見学:
午後5時前前、エッサウイラ到着。バスを下りてメディナに向かいます。
海沿いにだけ生育するというコニファーの一種「アロカリア」を物珍しげに眺め、傍に設けられていた映画「オセロ」ロケ記念のオーソン・ウェルズ・モニュメントも歩き見しながら、「ムーレイ・エル・ハッサン広場」(ここは最後に立ち寄りました)を通り抜けます。
日陰は暗いメディナの狭い通りを歩いて、軒を連ねる寄木細工などの雑貨や絵の店、また食料品、衣料品など庶民生活が見える通りを抜けていきます。
そして最大の見所、北稜堡の展望台と北のスカラ※(「海の要塞」)の見学です。
(※スカラとは海の門の西側と、メディナ北側の絶壁沿いに突き出した城塞で、海に向かって大砲を配置した砲床(見張り台)のこと。
(ここは1949年にオーソン・ウェルズ監督作品「オセロ」のロケ地にもなりました。)
見学後、メディナの別の街路を歩いて通り抜け、再びムーレイ・エル・ハッサン広場を通過し,今度は海沿いの道を歩いて、南のスカラに向かいます。
途中で、カモメなど海鳥の飛び交う海辺から振り返ると、西日を浴びて白く光る北のスカラ方面のメディナの景観が印象的でした。
さらに歩いて、南のスカラ、海の門、造船所、港などを見学、また魚市場ものぞいたりして周辺を散策。
お終いに、日中最も賑わうという四角の広場「ムーレイ・エル・ハッサン広場」に戻りました。
広場に戻ったのは既に日暮れ時で、人出はもう少なく、海鳥の飛び交う海の向こうに沈んでいく夕日を眺めてから、バスに戻りました。
ホテルはここから近く、(といっても、歩けば30分近くかかりますが)午後6時頃に到着。夕食はホテルで。
(エッサウィラ泊)
→9日目に続く
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