マヤ文明とメキシコ7つの世界遺産を訪ねる旅(2015/2):4日目午前
4日目:メリダからチチェンイツァへ
■午前、バスでメリダ市内見学:
・病院構内に建つ(日本から寄贈された)野口英世像、・ソカロ広場から、・モンテホの家、・州庁舎の壁画ギャラリー鑑賞、・そしてカテドラル入館など。
・「野口英世」像:
道路に面して、メリダ市旧オーラン病院跡地内に建つ野口英世銅像。
意外にコンパクトな立像でした。
野口英世は1919年にロックフェラー財団の援助を得て黄熱病の研究と撲滅のための医師団として、メキシコのユカタン州メリダ大学旧オーラン病院(現在のユカタン医科大学)に派遣され、研究成果を挙げたと言われます。
その縁で日本(玉川学園)から野口英世の銅像が寄贈され、ここに建てられているという。
なお道路を挟んで反対側にある(ユカタン医科大学内の)地域研究センターにもレプリカ銅像が1体あるそうです。
・ソカロ広場です。あいにく小雨模様に。奥には市庁舎の塔屋が見えます。
・モンテホの家:
メリダの街は1542年に、スペイン軍を率いるフランシスコ・モンテホに占領されて以来、先住民族を制圧し、またカトリックに改宗させる基地として機能してきたという。
モンテホの家は1549年建造の市内最古建築物だそうです。
その正面入り口上部の壁面を飾るレリーフには、武器を持ったスペイン人が両足元に先住民(マヤ人)の顔を踏みつけていたり、下積みにされていたりする様子が彫られています。
そのまま残されて、現在は銀行として使われているとのこと。
マヤの末裔たちは屈託がないのですね。
・メリダ州庁舎の壁画ギャラリー:
州庁舎2階が壁画ギャラリーになっています。
マヤ文明をテーマとした27の壁画があります。
2階への階段の壁に描かれた『トウモロコシからの人類の誕生』が特に有名。
部屋からは州統治者の権勢を示すかのように、カテドラルや街並みが見下ろせる、豪奢なものです。
・カテドラル入館・見学:
ソカロ広場の東側に面しています。
ユカタン半島最大の規模を誇るもので、左奥の礼拝堂には有名な火膨れのキリスト像が飾られています。
・教会を出たところに見えた建物:
古い建物をそのまま、上塗りだけして使っているということを見せるために、わざわざ外壁の一部を切り取って、元の(内部の)壁を見せているのだという。
見学後、メリダ出発、バスで約60分ほどのメリダ郊外「ウマン村」の市場(メルカド)まで。
そこには色とりどりの野菜やトロピカルフルーツ、その他豊富な食材が並んでいて、文字通り市民の台所として 賑わっていました。
安価で新鮮な産品が庶民に好評だそうです。
・見学を終えてすぐ近くの広場で小休止。教会も建っていました。
巨大なマメ果がぶら下がった樹は鳳凰木(現地名フランモヤン)だそうで、赤い花が咲くとのこと。
その後、バスで【カバー遺跡】見学へ向かいます。
・途中の道はどこまでも続く森の中を真っ直ぐ走っています。
■カバー遺跡:
概要:
カバー遺跡は(この後、午後訪問する)ウシュマルの南東約22kmのところに位置しています。
西暦600年ころから1000にかけてウシュマルの姉妹都市として栄えたという遺跡で、サクベと呼ばれるマヤの道でつながっていたそうです。
まだ多くの部分が森の中に埋もれていていて、発掘、復元等が進んでいるのはまだその一部です。
発掘遺跡の中には、「コズ・ポープCodz Poop」(巻いた敷物)、別名を「仮面の神殿」と呼ばれる代表的なプウク様式の神殿が建っています。
カバー遺跡の最大の特徴は (ウシュマル同様に) このプウク地域には恒久的な水源がないため、雨水が貴重な水資源であって、雨水を司る「雨神“チャック”」信仰に基づくカギ鼻の神「チャック」の顔が神殿遺跡壁面のいたるところに残されていて、その数は、壁面全体では300を越えるそうです。
雨神チャックの顔には2種類あり、鼻が上を向いている時は、「雨を降らせて下さい!」、下を向いている時は、「雨を降らせてくれて有り難う!」を意味するのだそうです。
またかなり崩れていますが、この神殿の北側には緻密なモザイクが施されていて、壁の上部には不思議な人物像がありました。
見学:
①エントランス周辺風景:
入り口には各種案内板と事務所があります。
その周囲で目についた植物などの記録。
写真は順に、遺跡案内板、樹上のエアープランツ、樹上のアリの巣、エレファント・イヤー(象の耳)、パパイヤ、そして幹に鋭い棘があるセイバ【マヤの聖木】の若木など。
②遺跡に入ると広い芝地の向こうに、まず目にしたのは「大神殿El Palacio(2層の神殿)」と呼ばれる建物。
(帰りにもう一度、別角度から撮影しています。)
③目を右側に転ずると、一部崩れた基壇上にある建物が、こちらもかなり崩れていますが、雨神チャックの顔で壁面が覆われた神殿コズ・ポープCodz Poopです。
今回の主要な見学はこのコズ・ポープです。
④コズ・ポープに向かいます。
西側の階段を上ってみるとコズ・ポープが正面に見えます。
⑤コズ・ポープの正面広場からから見たところ。
この神殿は3段から成り立っていて、2段目がチャック神のレリーフで飾られています。
チャックの顔は4つの出入り口の横の壁に残っていますが、その上部は左端の一部を除いて崩れ落ちています。
⑤-1 コズ・ホープの壁面を埋め尽くすような雨神チャックの顔。
⑤-2 コズ・ポープの上の方ではチャックの鼻部分が折れて無くなっている顔もたくさんありましたが、最下層部のチャックの鼻は折れずに残っています。
神殿正面には5つ入口が口を開けていますが、チャック像の鼻が階段代わりになっていて、鼻に足をかけて 登っていきます。
この鼻には下向きと上向きがあり、上向きは雨乞いの意味、下向きは雨に感謝という意味だそうです。
⑤-3 コズ・ポープ正面の庭には、この遺跡を象徴する地下水槽”チュルトン”(Chultunes)の遺跡と、その案内解説板があります。
・解説概要:
ユカタン半島北部の気候は熱帯性で、11月から4月は乾期、夏が雨期。
その間の平均年間降雨量は44インチ(→1,118ミリメートル)。(1 inch = 25.40 mm換算)
プウク地域内のほかの場所(ウシュマルなど)同様に、恒久的な水源がないため、水資源は雨水に頼るしかなかった。
そして生活維持のために、チュルトン(Chultunes)とよばれる内径20フィート(→約6.1メートル)の地下貯水槽が、神殿広場の雨神チャックの壁の前に作られている。
現在、そのチュルトンは修復されて機能している。
とのことです。
地下貯水槽の地上部は円形堰堤になっていて、中心部に向かって傾斜がつけられ、降雨を受けて流し込む漏斗の役割を果たしているようです。
現在も、地下の穴蔵には雨水が溜まっているのでしょうか。
やはり生活必需品の水も最後は「雨神チャック様」頼りだったようです。
なお、遺跡内には複数のチュルトンが作られているそうです。
⑤-4 またコズ・ポープ前庭には修復途中で組み合わせ不明の彫刻が施されたブロック・パーツが多数並べて置いてありました。
⑤-5 ついで裏(東側)に回ると、北面はほとんど崩れてしまっていますが、壁には不可思議な人物像が飾られていました。
・「強い手を持つ男」と形容される人物像の手の先はロボットのようで、鍵爪のような指がついている姿の人物像はカバーの王の一人ではないか、また奇抜なアイデアでは宇宙人だ、等の説もあるそうです。
なおカバー(KABAH)はマヤ語で「強い手の男」という意味とのこと。
・また、コズ・ポープ裏(東側)の入口脇柱には、白い石像彫刻が嵌めこまれています。
戦闘シーンなど色々な場面のレリーフが見えました。
⑥予定の見学を終えて、入り口まで戻ります。
・少しアングルを変えた見た大神殿El Palacio遺跡です。
⑦遺跡内の見学途上で目にしたものは、
・イグアナ、オレンジの樹など。
・最後に入り口近くから西方の彼方に何やら木の小山のようなものが見えました。
望遠で覗いたところ、未発掘で埋もれたままのピラミッドということでした。
・石の上に黒コンドルが2羽いるのもおまけに見えました。
また外に出た駐車場周辺の広場では、
・木彫りの民芸品をつくって販売していたり、
・大木になっている遺跡のシンボルツリーの”セイバ”を前にして、『マヤの聖木/世界樹』まつわる説明をするオジサンもいたり。
※セイバ余談:
見学した遺跡内にも、幹に大きな鋭い棘がびっしりついている若木がありました。(写真前掲)。
この若木の幹の棘は、大木になると消失し、先端の細枝にだけは残るそうです。
そしてセイバ(学名Ceiba Pentanora Caertn)はマヤの聖木として崇拝されていたのだそうです。
以下は、広場にあるセイバの大木を前にして、解説用の大きな「絵」」(写真上掲)を広げて説明してくれたオジサンのお話。
セイバは樹高60m、幹の直径は2m以上にもなるという大木になるという。
このセイバが、「マヤの聖なる木」『世界樹』として祀られたのは、大切な命の源・水資源である降雨の予測が、セイバの木で予測できるとされていたから。
セイバは、淡橙色の花をつけるが、花数が多い年は雨が多く、少ない年は雨が少ない、つまりその年の農作物の豊凶を予測する事ができる、ということでを聖なる木として崇められたという。
そして【マヤの聖なる木 世界樹】の絵の解説。
世界の宇宙は天界、地界 地下界に分かれている。
・天界は13あり、神や月や金星などの住むところ。
・地界は人間界
・地下界は9つ、一番下に死の神が住んでいる。
3つの宇宙はまた、4つの方位に別けられる。
その世界の中心に母なる大樹、緑のセイバの世界樹が生えている。その枝は天界まで延び、その根は地下界まで延びている。
その緑のセイバの木が生えているのが世界の中心である。
そして、4つの方位には、赤、黄色、白、黒のやはり、それぞれの色のセイバの木が生え、その木の上には、聖なる鳥ケッツアルがとまっている。
■ついでマヤ人の民家訪問。
マヤの末裔の素朴な住まいと日常生活を家主の案内で見聞。
今もマヤ人が住んでいるサンタ・エレナ村で、往時のマヤの生活の有様を“観光用に残してある”民家を訪問。
サンタ・エレナ村は、カバー遺跡からウシュマル遺跡へ向かう途中にある小さな村ですが、もちろん道路は舗装され、電気も通じています。
案内された民家は広い敷地があり、敷地内には質素な造りながら、漆喰壁の母屋(リビング/寝室)や、壁は木の枝を並べただけの風通しの良い台所用の建屋、また作業用などと覚しき複数の建屋がありました。
リビング奥には小さな祭壇があり、キリスト像だけでなく、マヤ人の神も祀られていました。
現在は二つの神を信仰しているということなのでしょうか。
部屋の真ん中にはハンモックが吊されていて、寝起きする動作などの実演もありました。
また敷地内には果樹園や畑などもあり、家畜も飼われていているようです。
リュウゼツランの仲間の植物から繊維を取りだしてロープを作る作業や、アーティチョークの実から赤い色素が採れることなども実演。
余談ですが、見学域には現代風の家具、調度類や道具類などは見当たりませんでしたが、敷地の端奥の建屋には今風の生活用具なども垣間見えて、昔風の部分が観光用に残されている、ということでしょうか。
次にマヤのウシュマル遺跡地区に移動します。
ちょうどお昼時時になったので、遺跡内内のレストランで先に昼食を済ませます。
・昼食のビール:
-次ページ「4日目午後」に続きます。-
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