シルクロード(ウルムチ・トルファン・敦煌・西安)をめぐる旅(1)
■はじめに。
早くに予定済みにしていた、2016/4月中旬~下旬にかけての8日間、シルクロード(但しほんの一部で、中国内の地域のみ)見学ツアーにはじめて参加しました。
10年前位までは日本人が最大の訪問者数だったというシルクロード観光も、今は昔のことであり、正直、今さらという気もしましたが。
とりあえず写真は撮ってきましたが、すぐに忘れるため、備忘録としてブログを作成しました。
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★「シルクロード」について: (「シルクロード」 長澤和俊著 講談社学術文庫 参照 )
太古の歴史以来、アジアとヨーロッパおよび北アフリカとを結ぶ東西交易・交通路が形成されてきた。
しかし、それらをひとくくりにして「シルクロード」と呼ぶようになったのはそれほど古いことではなく、19世紀後半にドイツの地理学者リヒトホーフェンが東西交易の歴史を概観し、中国と西トルキスタンおよび北西インドとの“中国産絹貿易”を媒介した、中央アジア経由の道を「絹の道」と命名したことに由来するという。
その後も東西交渉史は進捗し、リヒトホーフェン等が主張した中央アジアのオアシス地帯を点綴する「オアシス道」のほかに、北方の草原(ステップ)地帯を通る「草原の道」、そして南方のインド洋、東南アジアを経て紅海、ペルシャ湾方面と中国とを結ぶ海上交易路「海の道」の3つの道がシルクロードと総称されるようになった。
(画像はクリックで拡大します。)
そして、特に中世以降「海のシルクロード」は東南アジア人、ペルシャ人、アラブ人、近世以降はヨーロッパ人があいついで航海貿易で活躍し、世界の東西交易の主流を独占し、世界史上きわめて重要なルートとなった。
更に、シルクロードの重要性は、これら物品の交易のみに留まらず、付随する民族、文化の交流、また宗教伝来など、世界文化史上に大きな役割を果たして現在に到っている。
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このように、太古より、ユーラシア大陸の東西交易、文化交流史において重要な役割を果たしてきたシルクロードですが、2014年には、まずその一部の中国、カザフスタン、キルギスの関連遺跡など計33件が『シルクロード:長安-天山回廊の交易路網』の名でシルクロードに関する世界遺産第一号として、登録されています。
今回のツアーは、その内の一部、現在の中国内に位置するシルクロード・オアシスの道で天山回廊の一角、「ウルムチ~トルファン~敦煌~西安」 遺産を訪れる“お仕着せツアー”です。
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※無駄話を先に:
話がそれますが、昨今(2016/4現在)の世の中事情:
日本を訪れては何かとマスコミを賑わす「爆買い」中国人観光客リピーター。
これを問題視した習近平政権が「爆買い」を阻止する措置として、2016年1月から出国時の空港検査で、これまで有名無実となっていた「海外へ一人5000米ドル以上持ち出し禁止」の検査を厳格に行うようになったこと。
さらに2016年4月はじめからは帰国時の空港検査で、海外で買った免税品の中国持ち込みを厳格にチェックして、品目により異なりますが高額(最高60%)の課税を行うことになったという話も伝わっています。さすがに即断即決です。
いうまでもなく世界一の人口を擁し(世界人口総計73億4千900万人の内、中国は13億7千600万人で、世界人口比18.7% 。
(世界の人口 国別ランキング・推移(国連)データ;更新日2015年10月16日)
また世界第2位の経済大国として、世界に「責任ある大国」を標榜し、発展を続けるも、最近は経済成長の減速が顕著になってはいますが、中間所得層の拡大を背景に国家的課題の「ソフトパワー」育成にも注力し、世界の経済情勢に色々と影響をおよぼしています。
さらに、”G2”と自認する中国が陸の「シルクロード経済ベルト(帯)」と、海の「21世紀海上シルクロード(路)」からなる経済圏構想という『一帯一路』事業を立ち上げ、推進しています。
そして、また昨今とみに関係国間で緊張を高めている南シナ海の埋め立て/軍事基地化問題などをめぐる対立などからも、昨今の国際関係は(日中関係においても)芳しくありません。
■更に、話がずれて、前後しますが余談を。
いささか旧聞ですが、2015年11月中旬、東京国立博物館平成館・特別展示室で行われていた特別展「始皇帝と大兵馬俑」( 2015年10月27日(火) ~ 2016年2月21日(日))を見てきました。
特別展示の展示品は、貸し出し展示用のレプリカが大半のように見受けられましたが、遡ること今から約2,200年前、秦の始皇帝(紀元前259年~ 紀元前210年)時代にまつわる歴史を彷彿とさせるに充分でした。
(展示館入り口と撮影可展示コーナーで)
①左から立射傭、歩兵俑、将軍俑、軍吏俑、跪射俑(絵はがきから)
②銅馬車(資料から):
展示されていた2両の銅馬車は、始皇帝が実際に乗ったと考えられる馬車を青銅で細部まで再現した模型の複製品。
始皇帝は大量の兵馬俑や銅馬車を陵墓の周囲に埋めさせて、死後も皇帝として永遠に世界の支配を夢見ていたという。
ちなみにその当時の日本は稲作が始まった弥生時代(異説もありますが)でしたが、その頃にこれだけの国家が成立していたのですから、確かに凄い事ではあります。
もっとも紀元前3000頃には、既にエジプト第一王朝が成立、紀元前2650年頃にはピラミッド王朝が成立していたので、自然環境・地域、そして成立年代も異なる文明の優劣を比較すること自体はあまり意味がないことではありますが。
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・なお最後に、先にツアー結果の余談を追加。
かつて日本人を筆頭に、外国人観光旅行者が押し寄せていたシルクロードも、現在は(中国)国内一般人民の旅行ブームに伴う国内からの観光客がもっぱらで、しかも増大の一途だということでしたが、これこそ時代の流れです。
日本人の観光客が多かった10年位前までは、「日本語(だけの)ガイド」で充分仕事があったけれど、現在は“日本語だけのガイド”では仕事が減って食べられない、という話も耳にしました。
無駄話は以上。
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ここから単に備忘録としての記録です。
(なお、記録文中に各種の数値情報がありますが、一応は出版物やネット検索等で出来るだけ新しいものをと、確認しながら調べて見たつもりです。
しかし素人のにわか検索ではなかなか信頼できる新しい情報を見つけることが出来ませんでした。
そういうわけで数値などは不確かですからご承知下さい。
※観光ツアー日程概要:
下図、赤色ピンマークが訪問先(ウルムチ、トルファン、敦煌、西安)、数字は訪問日程。
(画像はクリックで拡大します。)
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■1日目:成田~上海~ウルムチ
(13:50) 成田空港より中国東方航空にて新疆ウイグル自治区の省都・ウルムチ(烏魯木斉)へ(上海乗り継ぎ)
(成田=上海間:所要約3時間25分、上海=ウルムチ間:所要約5時間30分)
(01:00) ウルムチ到着は予定より遅れて02:30に。着後、空港からバスでホテルへ。(到着は03時過ぎに。)
・現地ガイドはウイグル族の男性Aさん。(両替:一元=17.85円) (20円で概算)
【ウルムチ/泊】→2連泊
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※参考メモ:
「ウルムチ(烏魯木斉)」は、中国の国土の六分の一を占める「新彊ウイグル自治区」*に位置する地級市**で、自治区の首府。
(**地級市とは、中国の行政区分のうち、「省」の直下のレイヤー(階層)に位置する行政区。中国全国は約30の地級市でカバーされている。少数民族による自治が行われている地域で行政的には省と同格。)
①*「新疆ウイグル自治区」:
総人口は約2,200万人(2011年末)で、その内4割は漢族、残り6割がウイグル族や多くの少数民族という。
中国全土に居住するウイグル族の99%が新疆ウイグル自治区に居住している。
1950年代の自治区総人口に占めるウイグル族の比率は76%であったが、2010年には46%に低下。これに対して漢族の人口は7%から40%へと増加。
このウイグル族の人口比率低下は、経済発展を遂げた中国本土から同自治区への漢族の大量流入にともなってもたらされたもので、爾来各種の摩擦の一因にもなっている。
②首府ウルムチ:
北京から2,400km離れた中国西の果て、標高900mの高原に位置する近代的な大都会。
遠望できる雪山は天山山脈の支脈の「南山」。
市の人口は311万人(2010年)。自治区人民政府が設置される中国西部最大の都市です。
近年、「ウルムチ市」は、2000年から始まった政府の21世紀プロジェクト「西部大開発」の進行により、高いGDP伸び率に象徴されるめざましい経済的発展を遂げ、現在では地域の政治、経済、交通の要衝として中心街には高層ビルが立ち並ぶ近代的な大都会に変貌している。
現在も開発が続き、人口も急増し、現在の内訳人口の約8割は漢民族が占めるに到り、残りがウイグル族を主とする少数民族という。
ウルムチの政治・経済・文化などコントロールする中核機能は、必然的に漢民族主導に。
なお、日本とウルムチの時差について:
日本と中国(北京基準時刻)の時差は-1時間で、日本の正午は中国の午前11時。
中国に到着したら時計を1時間遅らせればよい。
広大な『国内全域』が「北京基準の時刻」に統一されており、中国内での時差は無いことになっていて、単純。
しかし、現実的な生活時間としては、シルクロードのカシュガル、トルファン、敦煌観光などの西域では、夜になっても明るい(朝は遅くまで暗い)状況で、実際の生活感覚に合いません。
そのため新疆自治区では、非公式ながら北京から更に-2時間のウイグル時間を同時に用いていて、この際は日本の正午はウイグル時間のウルムチで午前9時です。
・なお、ツアー記録中に記載した時間はすべて「北京時間」にしています。
- 2日目に続く -
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