シルクロード(ウルムチ・トルファン・敦煌・西安)をめぐる旅(4)
3日目の記事に続きます。
■4日目:トルファン~敦煌へ
●日程記録:
(午前)
2014年12月に営業運転開始した新疆高速鉄道で吐魯番北駅から敦煌の柳圓南駅までおよそ800km、約4時間(平均速度200km/h)の列車旅。
①ホテルで朝食後、バスで新疆高速鉄道(中国新幹線) 吐魯番(トルファン)北駅へ。
そこから敦煌(柳園南駅)までは所要時間約4時間。
新幹線路線は連霍G30高速道路に沿って建設されているようです。
( ※吐魯番北駅は新疆ウイグル自治区トルファン市に位置する高速鉄道の駅。トルファン市街地より15キロ離れていて、トルファン市交河空港に隣接し、連霍G30(連雲港=霍爾果斯)高速道路より3キロ離れているというロケーション。駅の敷地面積は15万㎡、駅舎建築面積1万㎡、建築高さ20m、1200人を収容することができるという、例によって中国らしい巨大な施設です。
本駅は2013年4月5日正式に着工、2014年8月竣工。2014年年末に営業運転開始。)
駅舎入場に際しては驚くほど厳しい手荷物検査(→今後のセキュリティ確保の観点からすれば、日本の新幹線の方が問題かも)。
“あらゆる水分”の持ち込みは無条件に×。またなぜか折りたたみ傘も×。
検査通過後ホームに向かうが、駅舎は巨大で、中はがらんどう。
ホームまで登る長い上り階段脇にはエスカレーターが設置されているが動いていない。
自力でスーツケースをホームまで運び上げるのに、これほど消耗したことがありません。
最後、ヨレヨレになっているのを見かねたものか、ホームの上から見下ろしていた駅員の一人が降りてきて手助けしてくれました。
息をゼーゼー切らしながら、シェーシェー(謝謝)。
日本の新幹線に負けない、というとおり正確に定刻に入線、発車(AM 10:22)したようです。
(なお余談ながら、車両は国外技術導入による中国鉄路高速車両(CRH型車両)でした。
車体にはCRHのロゴマークとCRH 5G-5176の文字が。
なおCRH型には数種の改良型があり、路線別に導入されているようです。)
乗車した列車の緊急出口などの安全対策は独自。
なお、昼食の列車内で配られた「お弁当」は正直なところ、ボリュームは多くて味気ないものでした。
●写真は、ホテル出発後の途中風景、到着した吐魯番北駅舎、ホーム、入線、車内、切符(指定2等席:これは後で車掌が検札にきた時に回収されて手元に残りません)、車内緊急脱出表示(ハンマーで窓ガラスを破る!!)、車体ロゴマーク。
(午後)
予定時間(PM 2:23)通り柳園駅着後、ここからガイドA氏の他に、新たに現地ガイドとして漢民族の若い女性T さんが加わる。
駅舎周辺施設は未だ建設進行中のようでした。.バス駐車場まで各自スーツケースを押しながら歩いて、汗を掻きながらバスに乗り込んで、敦煌まで130km、3時間かけて向かいます。
箱庭のように狭い日本と較べれば広大な中国ですから、ロケーションなど都市計画も日本とは違うのは当然、というか、強引なもののようです。
一帯の地形はゴビ灘((モンゴル語で何も生まれない土地という意味。小石、岩石、砂礫混じりの平坦な荒れ地。)
車窓に展開するゴビ灘には紅柳(タマリスク)*が自生していることから新幹線の駅名が「柳園駅」と付けられたという。(実際に確認することは出来ませんでしたが。)
*紅柳(タマリクス:和名ギョリュウ):
乾燥と塩分に強く、砂漠など乾燥地でも根を長く伸ばして水分を吸収して自生する。
葉は小さい鱗片状で針葉樹のように見える。
春と秋に枝先に桃色の1mmほどの小さい花をたくさん咲かせて植物体全体が紅色に染まる。
バスはひたすらゴビ灘(たん)の中を走り続けます。道路の舗装は日本とはかなり違い、舗装道路とは思えないほどよく揺れる。舗装品質の差だろうか、“おおらかなだけ”なのだろうか。
バス車窓から:
●写真は、順に次の通りの風景です。
・柳園南駅(重複)、ゴビ灘(たん)
・この辺りは年中風が強いので風力発電が盛ん、・PM 3:40頃、人口10万人の小さな地方都市、瓜州(カシュウ)県を通過。
敦煌までさらに120km。
付近ではウリ、また甘いスイカや野菜の供給産地になっている。
降水量は年間45mmと非常に少ないが、潅漑水利施設・設備が発達している。
・PM 4:10、G30 連霍高速道路、瓜州服務區にあるガソリンスタンドに立ち寄り、トイレ休憩。
(ゴビ灘を走るバス長旅途中では“中国式トイレ”しかないかも、と脅されましたが、そうでなくてヨカッタ!)
ここから敦煌まで残り100km、1.5hr
。
・PM 4:20 車窓から真っ黒い山が見える。岩の山・三危山。
※バス車中の余談:
車窓から白いお墓が点々とある。土地はすべて国有地であるが、砂礫で水がなく利用途がないため、個人が自由に墓を作っても良いのだそうだ。
家族単位で3回/年くらいはお墓参りするという。なお年配者は仏教だが、若い人は無宗教という。
PM 5:02 敦煌ゲート着。敦煌市域に入る。
なお敦煌も時刻については北京時間と同じに定められているが、実生活上は1時間45分の時差
があるとのこと。
敦煌はタクラマカン砂漠の東端で、甘粛省の西端に位置するオアシス都市。
漢代から西域に対する前線基地として郊外に玉門関、陽関という国境越えの2つの関所が設けられていた。
ここから先は異郷で湖人達の通商以外の出入国は禁じられていた。
シルクロードの要衝として東西文化が行き交い、中国三大石窟の1つである莫高窟、また鳴沙山、玉関門などの多くの歴史遺産が保存されている。
人口18万人、中国最西部で、シルクロードの「喉元」に当たる。
◇バスは敦煌市街をそのまま通過して鳴沙山(めいさざん)と月牙泉(げつがせん)観光に向 かう。
PM 5時半
到着時は曇天模様。
バス駐車場から入場ゲートまではやはり広大な広場/施設があって、往復とも電動カートで移動。
●鳴沙山月牙泉入り口へ。
砂山を登る人の列や、周辺をめぐるラクダ・ツアー等の光景も遠望できます。
砂地には多数の甲虫が歩き回っていました。砂漠地域にはどこにでもいるようです。
入場後は、集合時間まで自由行動で、先に月牙泉まで歩くことに。
●[月牙泉]は砂の底に溜まった三日月形の小さな池/オアシス。
約2,000年に渡り絶えることがなく湧き続けているそうだが、以前は今の約5倍だったという。
(次の写真のモノクロ画像は後日訪問した敦煌市博物館の展示パネルを撮影したもので、同じアングルの風景を撮っていませんが、かなり小さくなっている感じでした。)
現在、水は涸れないが年々減少し始めているため、食い止めるための対策を実施していると聞きました。
・月牙泉見学後、鳴沙山登り口へ。複数のコースが整備されているので、混み具合を見て選びます。
●[鳴沙山]は敦煌の南側に東西40kmに渡って横たわる砂丘。
北風で砂が砂丘の南側に横たわる山に吹き寄せられてできたため、砂丘は移動しないという。
眼下に月牙泉を望むことが出来ます。
サラサラの細粒が滑るので登りにくい砂の峰ですが、登る人も結構大勢で、また上から砂滑りで滑り降りる事なども楽しむことが出来る人気スポットのようでした。
見学を終えて敦煌市内に戻ります。
夕食はレストランで「敦煌料理」。なお、味は辛かったが美味しかったです。(青島ビール30元)
後、ホテルへ(到着PM 9:00) (なおパスポートはホテルに預けるシステム。)
【敦煌/泊】(翌日も同じ)
-5日目に続く -
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