過去の災害に学ぶ(カスリーン台風)
※改めて過去の災害に学ぶために:
カスリーン台風による大災害を受けてから、首都圏を洪水災害から守るためにということで、渡良瀬遊水地の整備や高規格堤防などの防災・減災対策が行われてきました。
現在、当方の居住する地域に示されている洪水ハザードマップは当然なからカスリーン台風時の災害状況によく似ています。
(カスリーン台風による洪水氾濫実績図(昭和22年9月))
・参考:カスリーン台風洪水と現在の利根川水系浸水想定区域図:
カスリーン台風(1947(昭和22)年9月)襲来時の洪水情報記録:
■カスリーン台風による洪水氾濫実績図(昭和22年9月)
http://www.ktr.mlit.go.jp/ktr_content/content/000669742.pdf
利根川上流河川事務所ホーム > 利根川の紹介 > 決壊の記憶忘れません(歴史) > カスリーン台風が大暴れ
http://www.ktr.mlit.go.jp/tonejo/tonejo00187.html
『カスリーン台風と利根川決壊』
http://www.ktr.mlit.go.jp/tonejo/tonejo00189.html
「国交省関東地方整備局 利根川上流河川事務所」
※はじめに:
・当ホームページのコンテンツの利用について:
当ホームページで公開している情報(以下「コンテンツ」)は、どなたでも以下の1)~7)に従って、複製、公衆送信、翻訳・変形等の翻案等、自由に利用できます。(→以下の詳細記述部分は省略しました。)
ということで必要な部分を抜粋して編集し利用させていただきました。
・なお、原版の日本語表示が不鮮明な写真は、パソコンで拡大し、文字を判読して上書きしました。
・また見出し項目やキーワードなどは太字にしたりしました。)
(以下本文)
利根川の紹介 決壊の記憶忘れません(歴史)
写真で見るカスリーン台風
【利根川堤防大決壊】:1947(昭和22)年9月16日午前零時20分
(再掲画像:画像はクリックで拡大します)

破堤箇所の航空写真
この写真はGHQが撮影し、米国国立公文書館 (National Archives and Records Administration : NARA)に保管されていたものが、約半世紀の時間を経て日本に戻ってきた貴重な記録写真です。
1947(昭和22)年9月16日午前零時20分、北埼玉郡東村(現加須市)新川通地先で、濁流に洗われていた利根川右岸堤防(写真中央上)が幅約350mにわたり大決壊。東村での利根川決壊とほぼ同時刻の同日午前零時15分、渡良瀬川堤防が川辺村(現加須市)三国橋付近(写真右上)で延長約380mにわたり決壊。堤防を崩した濁流は、埼玉県東部低地を東遷以前の利根川の流れのように流れ下り、(5日後には)東京東部低地(葛飾区、足立区、江戸川各区)までも水没させました。
【1947年9月16日「台風による日本の洪水」】
(栗橋町・大利根町付近の航空写真と下記説明の原文)
利根川の破堤のため洪水となった東京の約50km北の熊谷地域※の浸水した鉄道の空からの眺め。
言い知れぬ損害が民家や水田にまで及んだ。洪水は前日のカスリーン台風によるもの。
※ここでは久喜市・加須市付近を表していると思われます。
【「日本、台風で洪水となる」】
(大利根町付近の航空写真と説明原文)
東京の約50km北に位置する熊谷地域※の浸水した民家および水田の航空写真。利根川破堤の様子。前日のカスリーン台風による洪水で民家や水田に計り知れない損害が加えられた。
※ここでは加須市付近を表していると思われます。
【「カスリーン台風で熊谷地区が大洪水」1947年9月16日】
(埼玉県東部の航空写真4枚;以下原文は省略)
カスリーン台風がもたらした集中豪雨で、平常時には穏やかな利根川が氾濫。堤防が決壊し、東京から約50キロメートル北にある熊谷地域※約200平方キロメートルの土地が浸水した。
※ここでは埼玉県東部を表していると思われます。
【「日本、台風で洪水となる」】
(大利根町付近の航空写真2枚)
東京の約50km北に位置する熊谷地域※の浸水した民家および水田の航空写真。利根川破堤の様子。前日のカスリーン台風による洪水で民家や水田に計り知れない被害が生じた。
※ここでは加須市付近を表していると思われます。
(東京の北東の洪水の猛威を写した写真)
絶え間なく流水する利根川の水が、東京の約55キロメートル北東の小さな町新川の木々、民家、そして文明のしるし全てを浸水させた。水から逃げ、泳ぎ、近くの丘に安全を見出すのにあらゆる手段を講じている日本人。被災者や家を失った人々が小高い場所に一時的に待機して洪水の水位が下がるのを待つ。
【「利根川洪水」1947年9月20日】
(この日の多数の記録写真と原文写真は省略しました。)
・東京の約50キロメートル先にある埼玉県の利根川土手を見下ろした眺め。ここで、川の水位が上がって破堤し、肥沃な畑地を浸水させ日本の民家を破壊した。(埼玉県の利根川土手の写真及び原文写真省略)
・東京の約50キロメートル北東、利根川の水位が上がって破堤した場所の眺め。肥沃な畑地を浸水させ、日本の民家を破壊した。(破堤した場所の写真及び原文写真省略)
・東京の約50キロメートル北の利根川の土手に、日本赤十字が置かれる。そこは、利根川が氾濫したために、肥沃な畑地に浸水し、日本の民家が破壊された場所。俵には被災者に配給される食糧が入っている。(日本赤十字の船の写真、日本赤十字の配給の写真、原文写真省略)
・東京の約50キロメートル北で起きた洪水の生存者が建てた一時的住居。この洪水は、利根川の水位が上がって肥沃な畑地を浸水させ日本の民家を破壊した。(一時的住居の写真、原文写真省略)
(筆者注記:以上が「東京の約50キロメートル北で起きた洪水」に関する被災状況資料です。
そして以下が、利根川決壊から5日後の東京東部低地(葛飾区、足立区、江戸川各区)の被災状況を伝える写真情報です)
【「利根川の水位、上昇続く」1947年9月21日】
(葛飾区の浸水の様子の写真2枚)
洪水の水位を制御する努力が払われているにもかかわらず、本州の真中にある利根川は、東京の北東の葛飾区を地上約3メートルも浸水させる。
家を失った日本人は堀切橋まで泳いだり、いかだで行ったりした。そこで彼らは日本赤十字や警察や消防職員から援助を受けた
【「松戸地区で低地へ渡される洪水」1947年9月23日】
・ 米国第1師団第8工兵部隊のメンバーと日本人労働者は24時間不眠不休で働き続け、遂に洪水を東京の北東の松戸地区で低地へ流すことに成功した。
(松戸地区で低地へ渡される洪水の写真、原文写真は省略)
以下は省略しました。
以上
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